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理念とビジョン:「全文」「ダイジェスト版」
5日前のブログ「小泉元首相の“原発ゼロ”が明らかにした“治療志向の国 ニッポン”」の結論として、私は「政治が決断すれば、原発ゼロでもやっていけるという考えがじわりと固まってきた」という小泉元首相のお考えに基本的に賛同しました。
しかし、これはあくまで一般論で、私は、アベノミックスによる「経済の持続的拡大」をめざす現在の日本社会の状況を考えたときに、小泉さんのお考えに大きな危惧をいだいています。私のこの危惧を読者の皆さんと共有するのに極めて有効な記事が10月19日の読売新聞の「論点」に掲載されています。
論 点
エネルギー政策 「原発ゼロ」を目指して 小泉純一郎氏
小泉氏は楽観的過ぎないか 論説委員 遠藤弦
この記事は小泉さんが「論点」に寄稿し、論説委員の遠藤弦さんが対論(反論)を試みたという形をとっています。ネット上では、小泉さんのお考えに賛否両論が飛び交っており、大雑把に言えば、反対論の多くの主張が遠藤さんの対論に集約されていると思います。
この記事の中で、小泉さんは「循環型社会」というキーワードを次のように3回使っておられます。
①私は、今、政府・自民党が「原発をゼロにする」という方針を打ち出すべきだと主張している。そうすれば、原発に依存しない、自然を資源にした「循環型社会」の実現へ、国民が結束できるのではないか。原発の代替策は、知恵のある人が必ず出してくれる。(冒頭部分)
②千年、万年の年月を経過しても、放射能の有害性が消滅しない処分場を建設する莫大な資金やエネルギーを、自然を資源にする循環型社会の建設に振り向ける方が、やりがいがあり、夢があるのではないか。(後半部分)
③挑戦する意欲を持ち、原発ゼロの循環型社会を目指して努力を続けたい。(結びの部分)
1972年の「第1回国連人間環境会議」以来、スウェーデンと日本の環境問題を同時進行でフォローしてきた私にとって、小泉さんの寄稿の中に3回登場した「循環型社会」という概念は国際的には「持続可能な社会(Sustainable Society)」と同義の21世紀社会を展望する際のキーワードだと理解するのですが、論説委員の遠藤さんの対論には一言もこの言葉が出てきません。また、ネット上に飛び交う「小泉元首相の原発ゼロ」に賛成する人も,反対する人もこの「循環型社会」という言葉にはまったく関心がないようです。
参考資料
持続可能な社会か、循環型社会か
私の懸念は小泉さんが「循環型社会」の定義をはっきりと明らかにしないままに、「原発ゼロ論」を進めていることです。特に、法治国家である日本の社会ではこのキーワードが2000年6月以降、国際社会とは違う意味合いで法律上使われていることに注意する必要があります。
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「持続可能な社会」をめざす国際社会と独自の「循環型社会」をめざす日本(2007-09-30)
平成19年版「環境・循環型社会白書」の不可解(2007-10-27)
日本では、2000年(平成12年)6月2日に「循環型社会形成推進基本法」と称する法律が公布され、2001年(平成13年)1月6日をもって全面施行されました。それ以来、日本全国で、この法律の周知徹底のための広報や国や自治体の活動が今日まで推進されてきています。
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今日の製品は明日の廃棄物(2007-01-02)
21世紀前半にめざすべき「持続可能な社会」の構築への法体系が未整備な日本
小泉・連立内閣政権は2001年4月に発足し、2006年まで続きました。ですから、小泉政権はできたばかりの新法「循環型社会形成推進基本法」の周知活動に熱心だった(?)はずです。「循環型社会形成推進基本法」は「循環型社会」という言葉を冠してはいますが、この法律は持続的経済成長を追求する日本の社会から大量に排出される廃棄物の処理・処分関連の法律であって、小泉さんが「原発ゼロ」という主張の中でイメージしておられると推測する“循環型社会”とはまったく似て非なるものです。
ちなみに、この5年間に小泉・連立内閣のもとで刊行された経済財政白書の副題は、
2001年「改革なくして成長なし」、
2002年「改革なくして成長なしⅡ」、
2003年「改革なくして成長なしⅢ」、
2004年「改革なくして成長なしⅣ」、
2005年「改革なくして成長なしⅤ」
と徹底しています。小泉政権は成長一点ばりだったのです。
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「成長一辺倒」の戦後60年 ② そして、これからも?(2007-02-16)
小泉さんは、読売新聞の「論点」とは別のところで、「私はいままで原子力の専門家たちが言っていた、原発は安全でクリーンでコストが安いというのは本当なのか、自分なりに勉強してみました。そして疑問を抱いたのです。原子力は果たして現在の人間が制御できるのだろうか。そしていま、私は、原発はゼロにすべきだ、しかもできるだけ早く政治はゼロの方針を決断するべきだ。いまそういう論者になっているのです。」とおっしゃっています。
そうであれば、ぜひとも、小泉政権の発足とほぼ、時を同じくして施行された日本の「循環型社会形成推進基本法」をご自分で勉強してみてごらんになるのはいかがでしょうか。
大切なことは21世紀にめざすべき社会のビジョン「持続可能な社会」を描き、そのビジョンを実現するためのエネルギー体系を構築することだと思います。
私は国際社会の共通の認識である「持続可能な社会」の構築のためには、原子力エネルギーゼロをめざして原発を段階的にフェーズアウトすると同時に化石燃料の使用も段階的に削減して行くような、まったく新しい経済活動をつくり出すことが必要だと思います。
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原発を考える① まずは、皆さんへの質問(2007-04-10)
原発を考える② 原子力委員会の「原発」の特性と位置づけ(2007-04-11)
原子力委員会の長期計画策定会議第二分科会の報告「エネルギーとしての原子力利用」(平成12年6月5日)は日本の原子力の位置づけについて、「21世紀にふさわしい循環型社会の実現に向けて最大限に活用していくことが合理的です」と述べています。
ここで、思い起こして欲しいのはこの「分科会の報告」が公表されたのが、平成12年(2000年)6月5日で、「循環型社会形成推進法」が公布されたのが平成12年6月2日(平成13年1月6日完全施行)、そして、小泉政権が発足したのが平成13(2001年)年4月であったこと、小泉政権は2006年まで続きます。2000年の原子力委員会は「原子力の最大限の活用→循環型社会の実現」、2013年の小泉元総理は「脱原発→循環型社会の実現」とは? つまり、この奇妙な矛盾する現象を理解するには、「循環型社会」の概念あるいは定義が当時の原子力委員会と現在の小泉元首相の間で異なっているということでしょう。
2001年4月の政権担当以来、3.11の大震災直前までの小泉元首相の「循環型社会」に対する基本認識は原子力委員会と共有していましたが、大震災以降、小泉元首相の「循環型社会」は無意識のうちに、あるいは、意図的に、1990年代前半頃まで日本で議論されていた「循環型社会」(国際社会に定着し始めた「持続可能な社会」とほぼ同義)に戻ったのではないかと、私は推測します。
原発を考える③ 4月10日の「設問の意図」(2007-04-12)
原発を考える④ 過去の「原発に関する世論調査」(2007-04-13)
原発を考える⑤ エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく「出口の議論」も同時に行う(2007-04-14)
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理念とビジョン:「全文」「ダイジェスト版」
5日前のブログ「小泉元首相の“原発ゼロ”が明らかにした“治療志向の国 ニッポン”」の結論として、私は「政治が決断すれば、原発ゼロでもやっていけるという考えがじわりと固まってきた」という小泉元首相のお考えに基本的に賛同しました。
しかし、これはあくまで一般論で、私は、アベノミックスによる「経済の持続的拡大」をめざす現在の日本社会の状況を考えたときに、小泉さんのお考えに大きな危惧をいだいています。私のこの危惧を読者の皆さんと共有するのに極めて有効な記事が10月19日の読売新聞の「論点」に掲載されています。
論 点
エネルギー政策 「原発ゼロ」を目指して 小泉純一郎氏
小泉氏は楽観的過ぎないか 論説委員 遠藤弦
この記事は小泉さんが「論点」に寄稿し、論説委員の遠藤弦さんが対論(反論)を試みたという形をとっています。ネット上では、小泉さんのお考えに賛否両論が飛び交っており、大雑把に言えば、反対論の多くの主張が遠藤さんの対論に集約されていると思います。
この記事の中で、小泉さんは「循環型社会」というキーワードを次のように3回使っておられます。
①私は、今、政府・自民党が「原発をゼロにする」という方針を打ち出すべきだと主張している。そうすれば、原発に依存しない、自然を資源にした「循環型社会」の実現へ、国民が結束できるのではないか。原発の代替策は、知恵のある人が必ず出してくれる。(冒頭部分)
②千年、万年の年月を経過しても、放射能の有害性が消滅しない処分場を建設する莫大な資金やエネルギーを、自然を資源にする循環型社会の建設に振り向ける方が、やりがいがあり、夢があるのではないか。(後半部分)
③挑戦する意欲を持ち、原発ゼロの循環型社会を目指して努力を続けたい。(結びの部分)
1972年の「第1回国連人間環境会議」以来、スウェーデンと日本の環境問題を同時進行でフォローしてきた私にとって、小泉さんの寄稿の中に3回登場した「循環型社会」という概念は国際的には「持続可能な社会(Sustainable Society)」と同義の21世紀社会を展望する際のキーワードだと理解するのですが、論説委員の遠藤さんの対論には一言もこの言葉が出てきません。また、ネット上に飛び交う「小泉元首相の原発ゼロ」に賛成する人も,反対する人もこの「循環型社会」という言葉にはまったく関心がないようです。
参考資料
持続可能な社会か、循環型社会か
私の懸念は小泉さんが「循環型社会」の定義をはっきりと明らかにしないままに、「原発ゼロ論」を進めていることです。特に、法治国家である日本の社会ではこのキーワードが2000年6月以降、国際社会とは違う意味合いで法律上使われていることに注意する必要があります。
このブログ内の関連記事
「持続可能な社会」をめざす国際社会と独自の「循環型社会」をめざす日本(2007-09-30)
平成19年版「環境・循環型社会白書」の不可解(2007-10-27)
日本では、2000年(平成12年)6月2日に「循環型社会形成推進基本法」と称する法律が公布され、2001年(平成13年)1月6日をもって全面施行されました。それ以来、日本全国で、この法律の周知徹底のための広報や国や自治体の活動が今日まで推進されてきています。
このブログ内の関連記事
今日の製品は明日の廃棄物(2007-01-02)
21世紀前半にめざすべき「持続可能な社会」の構築への法体系が未整備な日本
小泉・連立内閣政権は2001年4月に発足し、2006年まで続きました。ですから、小泉政権はできたばかりの新法「循環型社会形成推進基本法」の周知活動に熱心だった(?)はずです。「循環型社会形成推進基本法」は「循環型社会」という言葉を冠してはいますが、この法律は持続的経済成長を追求する日本の社会から大量に排出される廃棄物の処理・処分関連の法律であって、小泉さんが「原発ゼロ」という主張の中でイメージしておられると推測する“循環型社会”とはまったく似て非なるものです。
ちなみに、この5年間に小泉・連立内閣のもとで刊行された経済財政白書の副題は、
2001年「改革なくして成長なし」、
2002年「改革なくして成長なしⅡ」、
2003年「改革なくして成長なしⅢ」、
2004年「改革なくして成長なしⅣ」、
2005年「改革なくして成長なしⅤ」
と徹底しています。小泉政権は成長一点ばりだったのです。
このブログ内の関連記事
「成長一辺倒」の戦後60年 ② そして、これからも?(2007-02-16)
小泉さんは、読売新聞の「論点」とは別のところで、「私はいままで原子力の専門家たちが言っていた、原発は安全でクリーンでコストが安いというのは本当なのか、自分なりに勉強してみました。そして疑問を抱いたのです。原子力は果たして現在の人間が制御できるのだろうか。そしていま、私は、原発はゼロにすべきだ、しかもできるだけ早く政治はゼロの方針を決断するべきだ。いまそういう論者になっているのです。」とおっしゃっています。
そうであれば、ぜひとも、小泉政権の発足とほぼ、時を同じくして施行された日本の「循環型社会形成推進基本法」をご自分で勉強してみてごらんになるのはいかがでしょうか。
大切なことは21世紀にめざすべき社会のビジョン「持続可能な社会」を描き、そのビジョンを実現するためのエネルギー体系を構築することだと思います。
私は国際社会の共通の認識である「持続可能な社会」の構築のためには、原子力エネルギーゼロをめざして原発を段階的にフェーズアウトすると同時に化石燃料の使用も段階的に削減して行くような、まったく新しい経済活動をつくり出すことが必要だと思います。
このブログ内の関連記事
原発を考える① まずは、皆さんへの質問(2007-04-10)
原発を考える② 原子力委員会の「原発」の特性と位置づけ(2007-04-11)
原子力委員会の長期計画策定会議第二分科会の報告「エネルギーとしての原子力利用」(平成12年6月5日)は日本の原子力の位置づけについて、「21世紀にふさわしい循環型社会の実現に向けて最大限に活用していくことが合理的です」と述べています。
ここで、思い起こして欲しいのはこの「分科会の報告」が公表されたのが、平成12年(2000年)6月5日で、「循環型社会形成推進法」が公布されたのが平成12年6月2日(平成13年1月6日完全施行)、そして、小泉政権が発足したのが平成13(2001年)年4月であったこと、小泉政権は2006年まで続きます。2000年の原子力委員会は「原子力の最大限の活用→循環型社会の実現」、2013年の小泉元総理は「脱原発→循環型社会の実現」とは? つまり、この奇妙な矛盾する現象を理解するには、「循環型社会」の概念あるいは定義が当時の原子力委員会と現在の小泉元首相の間で異なっているということでしょう。
2001年4月の政権担当以来、3.11の大震災直前までの小泉元首相の「循環型社会」に対する基本認識は原子力委員会と共有していましたが、大震災以降、小泉元首相の「循環型社会」は無意識のうちに、あるいは、意図的に、1990年代前半頃まで日本で議論されていた「循環型社会」(国際社会に定着し始めた「持続可能な社会」とほぼ同義)に戻ったのではないかと、私は推測します。
原発を考える③ 4月10日の「設問の意図」(2007-04-12)
原発を考える④ 過去の「原発に関する世論調査」(2007-04-13)
原発を考える⑤ エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく「出口の議論」も同時に行う(2007-04-14)
初めまして、山田と申します。
様々な分野でのメディア運営や大手企業様のWebプロモーションなどのサービスを提供している会社で勤務しております。
このたび、貴媒体から有料で広告リンク掲載して頂けないかご相談をさせて頂きたくご連絡差し上げました。(相互リンクが難しいため)
弊社は現在、クライアント様のウェブプロモーションをしております。
現時点ではクライアント名を述べることはできませんが、世間一般に名の通った大手企業様です。
そこで、有料契約にて貴媒体からの広告リンク掲載をお願いしたくご連絡差し上げました。
貴媒体は有用な情報を掲載されており、是非広告リンク掲載をお願いしたいと考えております。
クライアントも、貴媒体からの広告掲載・タイアップを熱望しております。
是非、掲載位置や料金等のご相談をさせて頂ければと考えておりますが、ご意向をお知らせ頂ければ幸いに存じます。
誠にお手数ではございますが、ご返信は下記連絡先にご連絡頂きますようお願い致します。
E-mail: yuki.yamada.1985@gmail.com 山田
(メールアドレス自動収集ロボットなどの対策のため、上記メールアドレスには全角の「@」を記載しております。
お手数ですが、お返信の際は半角の「@」に変更してください。)
何卒宜しくお願い致します。