環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

東日本大震災:原子炉から漏出か(朝日新聞 朝刊)、東電、作業員に汚染伝えず(朝日新聞 夕刊)

2011-03-26 22:14:23 | 自然災害
私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック         持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>のブログは、ここをクリック
お問い合わせはここをクリック   アーカイブ(公開論文集)      持続可能な国づくりの会のホームページ(HP)は、ここをクリック



          
                                                                                   理念とビジョン: 「全文」   「ダイジェスト版」



   


                              第6章の目次


持続可能な開発のためのエネルギー体系 (-昨日からの続き-)

 世界の科学者が懸念している二酸化炭素(CO2)をはじめとする温室効果ガスによるとされる地球温暖化の問題はその影響が将来出てくるという点では科学者の間でほとんど合意されているとしても、それが「いつ頃から、どのくらいの規模で」という点になりますと不確実性が伴い、はっきりしていません。

 その点では、私はこのエネルギー問題のほうが確実性が高いと思うのですが、どうして、わが国では、この現実を直視しないのでしょうか? これまで多くの専門家と呼ばれる方々は「人間には英知(叡智)があるから……」といい続けてきましたが、もし、人間に英知があるというのなら、もっとはっきり言えば、わが国のエネルギーの専門家やその周辺に位置し、エネルギー問題や環境問題を論じている科学者、技術者、行政官、経済人、評論家、経済学者、ジャーナリストなどは今こそ、その英知を発揮して、現在のわが国のエネルギー体系の実情を国民に易しく提示して国民の英知を求めるべき時ではないのでしょうか?

 私の理解では、わが国のエネルギー体系の深刻さの度合いはスウェーデンの比ではありません。スウェーデンの福祉政策や民主主義の話をすると必ず出てくる質問に「スウェーデンの人口はわずか850万だが、わが国は1億2千万だから…」というスウェーデンにできて、わが国にはできないときの言い訳としてしばしば引用される人口の大きさの相違はこのようなエネルギーの問題を考えるときこそ「わが国の重要な要因」として考えておかなければならないことなのです。

「わが国の人口規模の大きさおよび産業活動の規模の大きさ」と「エネルギー問題に対する認識の薄さ」がわが国のエネルギー問題への取り組みを難しくしているのです。さらに困ったことには、その深刻さをわが国の経済人も、技術者、学者、評論家、ジャーナリストも一般国民も多くを語る割りには、ほとんど認識していないように見えることです。 

 もう一度くり返しましょう。あえて、“苦悩”という言葉を使うとすれば、スウェーデンはわが国のように現在および近未来のエネルギーの「供給量」で苦悩しているのではなく、自らに厳しい条件を課して、2010年以降のエネルギーの「供給の質と量」を修正するために苦悩しているのです。

 スウェーデンの原子力の動向に一喜一憂するよりも、わが国の現状を十分に国民に知らせ、わが国の国民生活の安定のために国を挙げての協力体制を早急に造り上げることがエネルギーの供給安定のためにも欠かせないことだと思いますがいかがでしょうか? 

 英知を発揮する方向は今までの技術者が考えてきた技術開発によるエネルギー供給の増大による安定供給(この考えがおかしいのではないかということがここでの議論です)ではなくて、まったく逆の「現行の社会システムをエネルギーの供給量および需要量が増えないような、できるものなら、年々、エネルギーの供給量および需要量が減少するような社会システム」に変更していく方向です。この方向は、いうまでもなく、「エネルギー供給の安定化」への方向でもあるのです。

 この方向に沿うようなエネルギーの研究開発に予算を積極的につける必要があります。当然のことですが、このエネルギー問題の解決への方向は地球温暖化の問題の解決の方向と同一方向にあります。つまり、エネルギーの総供給量および総消費量を減ずる方向です。わが国の方向はこれまでエネルギーの総供給量を常に増大する方向で、世界共通の問題解決の方向とは逆向きの方向に向いているのではないでしょうか?

 全エネルギーの海外依存度が80%以上(図22)で、しかも、そのエネルギー消費量が米国、ソ連、中国に次いで世界第四位のエネルギー消費大国であるわが国では、エネルギー増大の方向でエネルギー供給の安定化を図るよりも、減少の方向で安定化を図るほうが容易であることは疑いの余地もありません。