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理念とビジョン: 「全文」 「ダイジェスト版」
第6章の目次
原発
スウェーデンは工業先進国の中で原子力発電に先駆的に取り組んできた国の一つで、外国からの技術に依存せず独特の沸騰水型軽水炉(BWR)を独自に開発した、純国産の原子炉技術を持つ原発技術先進国です。
今日のスウェーデン型福祉社会の基礎を築いたといわれているエルランデル首相(当時)が1945年(昭和20年)に「原子力に関する委員会」を設置したのがスウェーデンの原子力開発の幕開けといわれています。
1947年には、国(57%)と民間および自治体の電力事業者並びに産業界(43%)の出資で原子力研究開発公社、AB アトム・エネルギーが設立されました。増大する電力の需要に答えるために、迷うことなく、文字どおり官民あげてこの新しい十分な可能性を秘めた新技術の開発に全力を傾けたのです。
原発開発のパイオニア
1950年代から1960年代にかけては、他の原発先進国と同様にスウェーデンの原発技術も研究段階でした。1963年(昭和38年)にはオーゲスタの原子炉が臨界に達し、1964年にはスウェーデン最初の商業用原子炉として運転を開始しました。この原子炉は小型の加圧型重水炉(PHWR)で、ストックホルム近郊の地域暖房用(熱供給能力:68MW、電力供給能力:12MW)に用いられ、1974年(昭和49年)までの10年間運転されましたが、当時の輸入石油の価格が安かったために石油燃焼の熱供給システムと競合できず廃止されました。
この間に発電用原子炉の設計・建設が進み、1972年(昭和47年)にはスウェーデン最初の発電用商業原子炉(沸騰水型BWR)『オスカーシャム1号機』が運転開始しました。そして、現在では、1985年(昭和60年)に運転開始した2基の原子炉を最後に今後の建設の予定はなく、2010年までには現在稼働中の全原子炉(12基)が廃棄されることになっています。
オスカーシャム1号機の建設と並行して、別の型の原子炉(加圧型重水炉PHWR)「マルビケン・プラント」の建設が行われ、試験が開始されました。ところが、試験中に「ボイド変形」という現象が観察されたので、この炉は運転開始を断念し、1970年(昭和45年)に廃棄の運命となりました。この「ボイド変形」という現象は1986年4月にソ連で起こったチェルノブイリ原発事故の原因の一つだったといわれています。運転開始を断念した技術者の決断はきわめて勇気のある決断でしたが、結果論としては賢明な選択であったといえるでしょう。
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原発
スウェーデンは工業先進国の中で原子力発電に先駆的に取り組んできた国の一つで、外国からの技術に依存せず独特の沸騰水型軽水炉(BWR)を独自に開発した、純国産の原子炉技術を持つ原発技術先進国です。
今日のスウェーデン型福祉社会の基礎を築いたといわれているエルランデル首相(当時)が1945年(昭和20年)に「原子力に関する委員会」を設置したのがスウェーデンの原子力開発の幕開けといわれています。
1947年には、国(57%)と民間および自治体の電力事業者並びに産業界(43%)の出資で原子力研究開発公社、AB アトム・エネルギーが設立されました。増大する電力の需要に答えるために、迷うことなく、文字どおり官民あげてこの新しい十分な可能性を秘めた新技術の開発に全力を傾けたのです。
原発開発のパイオニア
1950年代から1960年代にかけては、他の原発先進国と同様にスウェーデンの原発技術も研究段階でした。1963年(昭和38年)にはオーゲスタの原子炉が臨界に達し、1964年にはスウェーデン最初の商業用原子炉として運転を開始しました。この原子炉は小型の加圧型重水炉(PHWR)で、ストックホルム近郊の地域暖房用(熱供給能力:68MW、電力供給能力:12MW)に用いられ、1974年(昭和49年)までの10年間運転されましたが、当時の輸入石油の価格が安かったために石油燃焼の熱供給システムと競合できず廃止されました。
この間に発電用原子炉の設計・建設が進み、1972年(昭和47年)にはスウェーデン最初の発電用商業原子炉(沸騰水型BWR)『オスカーシャム1号機』が運転開始しました。そして、現在では、1985年(昭和60年)に運転開始した2基の原子炉を最後に今後の建設の予定はなく、2010年までには現在稼働中の全原子炉(12基)が廃棄されることになっています。
オスカーシャム1号機の建設と並行して、別の型の原子炉(加圧型重水炉PHWR)「マルビケン・プラント」の建設が行われ、試験が開始されました。ところが、試験中に「ボイド変形」という現象が観察されたので、この炉は運転開始を断念し、1970年(昭和45年)に廃棄の運命となりました。この「ボイド変形」という現象は1986年4月にソ連で起こったチェルノブイリ原発事故の原因の一つだったといわれています。運転開始を断念した技術者の決断はきわめて勇気のある決断でしたが、結果論としては賢明な選択であったといえるでしょう。