両足にぐっと力をいれると
地面がゆれた
さらに力をこめると
もっと大きくかたむいた
ぼくはなんどもくりかえす
なんども なんどもくりかえす
と、思う間もなく目の前に
青い青い空がひろがった
それは どこまでも底なしに青い空だった
と、つぎの瞬間
天と地がひっくりかえって
草色の大地が目の前をおおった
景色がとんだ
前へ後ろへ
公園の木立が 家々の屋根が
電信柱が お店の看板が
赤いポストや 神社の鳥居が
遠くの山や 真っ白な綿雲が
人も 自転車も 公衆電話も
ものすごい速さでとんでゆく
まるで高速回転の万華鏡のように
ぼくは
大空と大地の間をいったりきたり
まるで大時計の振り子のように
いったりきたりをくりかえす
一心不乱に なにもかもぜんぶ忘れて
そうやって時を刻んでいたんだね
知らないうちに
そうやって時は流れていくんだね
気づかないうちに
いつのまにか季節は移ろい
ぼくはひとり
だぁれもいない公園にただひとり
ぽつんと置き去りにされていた
かはたれどきのうす闇の中に
☆絵:サム・フランス☆
深いため息と浅い眠り
人気のない遊園地
霧雨に濡れそぼつ裸樹
グラスの中ではじけ散るサイダーの泡粒
ふとわけもなく寂しさがこみあげるそんなとき
誰かにそばにいてほしい
それがきみならなおさらいいのだけれど・・・・・
言葉なんていらない
ただきみの横顔を
静かに見つめていられさえすれば
冷めた紅茶と香りの失せた輪切りのレモン
途絶えたままの日記
古びたノートの中で色あせてしまった押し花
壊れて音の出ないオルゴール
きみが悲しみにくれるとき
ぼくがそばにいてあげる
もしきみがそれを望んでくれるなら・・・・・
なにもできやしないけど
凍えてかじかんだかぼそい指先を
そっと暖めるくらいはしてあげられるから
深夜の街角で明滅する自動販売機の薄あかり
てのひらの上で消えてなくなるひとひらの雪
穴のあいた手ぶくろ
ため息まじりの白い吐息
これといってさしたる理由もないのに
ふと寂しくなることがあるものです
そんなとききみがそばにいてくれたなら
きみのそばにいてあげられたなら
☆絵:ジョー・モールトン☆
どうしたの浮かない顔して
そんなのきみには似合わない
だからほら
くちびるの端をほんの少しもちあげて
いつものように微笑んでごらん
ほらほら
幸せはいつもきみのそばに寄りそっているのに
あまりにきみがぼんやりしていて
ただ気づかないだけなんだ
幸せは日々の暮らしの中で
なにげないふりしてずっとそばにあるんだよ
あえてそんなふうに求めなくても
幸せはいつもきみの上に降りそそがれているんだよ
たとえば、かたい蕾をときほぐす
やわらかな春の陽射しのように
たとえば、乾いた大地をうるおす
優しい夏の長雨のように
たとえば、しっとり心にしみいる
秋の夜の月の雫のように
たとえば、凍てついた空から舞い落ちる
ふうわり清らかな綿雪のように
いつだってきみに降りそそがれているんだよ
たいせつなのはね
きみをとりまくたくさんの愛に気づくこと
かぎりなく降りそそがれる愛に感謝すること
そしてできることなら
いまきみが愛されている以上に愛すること
だからね
いつものように微笑んでごらん
くちびるの端をほんの少しもちあげて
いつものように笑顔をみせて
だってほら
きみのその笑顔で
どこかのだれかが癒されることだって
きっとあるにちがいないのだから
☆絵:マイケル・ルー☆
もしもぼくがいなくなったら
いったいどれだけのひとが悲しんでくれるでしょう
寂しいことにだあれの顔も浮かんできやしません
もしもぼくが二度と戻らないとわかったら
いったい誰が憐れんでくれるでしょう
ほんとうに寂しいことですが
だあれの名前も浮かんでこないのです
きょうは雲ひとつない青空が広がっています
お陽さまの光がやわらかく降りそそぎ
やさしく髪をなでて吹き過ぎる風もここちよく
大気はちょうどいい頃合にひんやりと澄んでいます
まったくのところきょうという日は
さよならするにはもってこいの日です
こんなにも穏やかな美しい日に
もしもぼくが冷たい骸(むくろ)になったとしたら
あなたは涙を流してくれるでしょうか
たったひと粒でいいんです
きれいな涙をひとしずく
ぼくに見せてくださいますか
その麗しい睫毛をほんの少し
濡らしてくれるだけでいいんです
もしもぼくがいなくなってしまったら
あなたはその愛らしい瞳に
涙を浮かべてくれるでしょうか
☆絵:ラウル・デュフィ☆
はじまりは光織りなすめくるめく揺らめき
いつのまにかあなたのことが気になりはじめ
ふと気づけばあふれんばかりのせつなさが
小さな胸いっぱいに満ち満ちていたのです
あなたと過ごしたささやかな時間
それは色の織りなすめくるめく夢のひととき
あなたと歩いた小路 あなたの手のぬくもり あなたとの語らい
そんな些細なことがかけがえのない喜びだったのです
いつかは終わるとわかっていました
まだ何も始まっていないうちから
あなたのそばにいられることが
なぜかしら心もとなく儚げに思えたのです
わたしひとりを置き去りにしてゆき過ぎる日々
あれから幾年月がたったでしょう
あなたの声 あなたの仕草 あなたの匂い
これからもずっと忘れることはありません
移ろいゆく季節の中でふとよみがえる想い出は
香り織りなすめくるめく幻の記憶
悲しいほどに清らかで
やるせないほど美しい
けれどわたしの心の万華鏡
あなたの影が滲んで揺れて
もう二度ときらめく光は紡げない
けしてふたたびきれいな模様は描けない
☆絵:マリー・ローランサン☆
なにかが始まろうとする予感に
わたしは心を閉ざします
野辺で出逢った一輪の花に
どれほどこみあげるものがあったとしても
無闇に手折ることなどできないのですから
いいえ、それどころか
ふれることさえ許されないのです
いまのわたしには・・・・・・・
心を閉ざして耐えきれなくなったわたしは
あるときは野をわたる青い風となって
吹き過ぎてゆくでしょう
可憐な花びらを散らさぬように
そしてまたあるときは
夜空をよぎる星屑となって
淡い影を落とすのです
微かにふるえる花びらのうえに
なにかが始まろうとする予感に
わたしは心を静かに閉ざします
募る愛おしさはすべて静寂の泉に深く沈めて
密やかに密やかに
わたしは心を閉ざすのです
忍んで秘めた想いほど
汚れなく美しいものはないと信じたいから
☆ダニーロ・フェルナンデス
いつにない静寂が
あたりを満たすこんな夜は
湖水に舟を浮かべてでかけましょう
今宵はつごもり
あいにく夜空にお月さまの姿は見あたらないけど
でも、安心おし
そのかわりまるで宝石を砕いて散りばめたような
満天の星空がぼくらを迎えてくれるから
いまはもう
きみの髪をやさしく梳かす風もやんで
じっと息をひそめているよ
湖面はまるで鏡のようになめらかに澄んで
毎夜おとぎ話を語りあう
小さな波さえ安らかな眠りについたようだね
水面(みなも)がきらきら輝いて見えるのは
夜空から降りそそぐ数限りない光の粒が
きらびやかな銀河の舞に興じているから
ほら、そっと耳をすましてごらん
聴こえてくるでしょう
星たちの奏でる夜想曲が
夜の闇のなんと慈愛に満ちていることか
花や樹や小鳥や虫や獣たちでさえも
おだやかな深い眠りにいざなわれるのだから
知っているかい
夜露は涙のしずくだってことを
だれもがみな
よろこびや哀しみを抱え
多くの想い出を身にまとって生きているから
清らかな眠りの中で
ひとりでに涙があふれてくるんだよ
そうして頬を濡らした涙のしずくは
透きとおった真珠のような夜露となって
夢の泉にこぼれ落ちてゆくんだね
あたりが深い静寂に満ちたこんな夜は
湖水に舟を浮かべてでかけましょう
あいにくお月さまの姿は見あたらないけど
でも、安心おし
星たちの奏でる音楽と夜のとばりが
ぼくらをやさしく包んでくれるから
☆絵:カイコ・モティ☆
許されない想いを抱いて過ごすのは
木の葉がゆるやかに朽ちてゆくのに似ています
揺れる想いを秘めたまま
淡い日々をやり過ごすのは
あざやかな朱に染まった西の空が
やがて夜の闇に追いやられてゆくのに
似ている気がしてならないのです
想いが深くなればなるほど哀しくなってくるのです
逢えば逢うほど寂しくなってしまいます
愛しさが募れば募るほど虚しくなってしまうのです
そうして
あなたのたわいないあどけなさにふれるほど
つらさがましてしかたないのです
あなたの微笑がほころぶとき
青いライムを齧ったときのようなほろ苦い香りが
しっとりとぼくの孤独を満たしてゆきます
と、同時に
まるで心がひどく乾いて
無残にひび割れてゆくような心持がするのです
耐えがたいせつなさに身の置きどころを失って
時だけが無常に流れ去ってゆく中で
ぼくはまたしても思い知ることになりました
この世にはどうしてもままならないものがあるということを
こうしてあなたに
めぐり逢ってしまったから
☆絵:ジェニファー・ハモンド
なんどめかの峠を登りつめたところで
ロバははじめて歩みをとめました
遥かな遥かな旅路の果てのことでした
ロバの毛並みは灰色で
その背には大きな重い荷物がありました
峠の頂から来し方をふり返ってみると
そこにはこれまで灰色ロバの歩んできた道が
遠い地平線にむかって一筋伸びているばかり
思えば長い道のりを
てくてく歩いてきたもんだ
ロバは遠い過去を眺めながら
誰に語り聴かせるわけでもなく
ため息まじりに独りごちるのでした
ロバがまだ小さな子供だったころ
その毛並みはつやつやと銀色に輝いていて
このさき長い道のりがずっと続いているなんて
思いもよらないことでした
重い荷を背負ったまま
こんなに長い道のりをよくも歩いてきたものです
ほんとうに長い道のりでした
気持ちはすでにくじけていたのに
心はとっくに音をあげていたのに
足がひとりでに
前へ前へと歩みを進めてきたのです
惰性・・・・あきらめ・・・・麻痺・・・・
ただそれだけのことだったのかもしれません
それもそのはず
なんのために重い荷をかつぎ
いったいどこへ行こうとしているのか
ロバ自身にもわからなかったのですから
なんのためにこんなことをしているのでしょう
なにを求めてこんなに遠くまで来てしまったのでしょう
果てしのない旅をしてきて
これまで楽しいことなどあったでしょうか
嬉しいことなどあったでしょうか
思い出されるのは
つらくて苦しいことばかり
なんのために重い荷を背負い
なんのために長く険しい道のりを
とぼとぼ歩んできたのでしょう
灰色ロバはまたしても
深い深いため息をひとつ大きくつきました
と、そのとき
ふと目の端にとまるものがありました
それは路傍に咲く野の花でした
よく目をこらして見ると
野花はあちらにもこちらにも
そしていまいる足元にも
ひっそりと風に揺られて咲いているのでした
あぁ、なんてことでしょう
こんなにも愛らしく咲いている野の花に
いままで気づかず通り過ぎてきたなんて
ロバはこれまでにないほどの
深くて哀しいため息を胸の底から吐き出しました
このさき灰色ロバがたどるであろう道なき道は
霞がかかって見えません
でもきっと野花は咲いているのでしょう
道端にひっそりと
けして目立たぬように・・・・・・
いき先のわからぬこの旅も
まんざら悪くはないかもしれないな
灰色ロバはぼんやり霞んだゆく手を見すえながら
そんなふうに思うのでした
☆絵:シャガール
青空を一枚はぎとった
と、そこにはさらに美しい
底の抜けたように青く澄んだ大空が広がっていた
ぼくは“あぁ、よかった”と
ひそかに胸をなでおろす
夜空を一枚はぎとった
と、同時に無数の星たちが
まるで銀紙がはがれ落ちるように舞い散った
あとには底なしの闇が広がるばかり
“あぁ、なんてことを・・・・”
ぼくの胸はカラカラに干あがった
でも、しばらくすると
ひとつ、またひとつ
あたかも豆電球が灯るように
ふたたび星たちが瞬きはじめ
もとの満天の星空があらわれた
ぼくは“あぁ、よかった”とため息をついた
愛を一枚やぶり捨てた
しかし、いくら待っても
それはもとにはもどらなかった
ぼくは唇を噛んで立ちつくす
いつまでもいつまでも
じっと唇を噛んで立ちつくす
☆絵:ダエニ・ビーノ☆
ある夜のこと
なんの前ぶれもなくぼくの夢枕に立ったのは
燕尾服を器用に着こなした
立派な身なりのマレーバクだった
シルックハットをちょこんと頭にのっけて
そのうえおしゃれなステッキまで手にしている
その姿はまるで往年の銀幕スター“フレッド・アステア”だ
とても変わったマレーバクだったけれど
なんといってもいちばん変わっていたのは
背中に翼のあることだった
天使のような小さな翼が
寝つけないのかい?
悪い夢なら食べてあげられるがね
バクはとつぜん現れたときと同じように
なんの前置きもなくいきなり語りかけてきた
その声はウッドベースのように深くて豊かに響くものだった
ところがちかごろのぼくときたら
思い悩むことさえ億劫で
見るべき悪夢すら無くしてしまったので
無言で力なく首を横にふるのがやっとというありさま
そうかそれはよかったよ
わたしもこのところまずい夢ばかり食べつづけでね
いいかげんうんざりしていたところなのさ
うす暗がりの中でウッドベースが静かに鳴り響く
ところできみは
身も心も疲れ果てているようだが
人生なんてさほどむずかしいものじゃないんだよ
と、燕尾服をきちんと着こなしたマレーバクは話しつづけた
背中で小さな翼がぱたぱたと音をたてている
だって
みんな平気な顔してやってるじゃないか
悲しくても苦しくても
泣きながら歯をくいしばりながら
心の中では叫び声をあげながらも
みんな平気な顔して暮らしてる
しかも、あろうことか
みんながみんな初心者だ
人生を二度生きたひとなんていないからね
だから人生を生きてくなんてことは
たいしたことじゃないんだよ
悲しみながら苦しみながら
泣きながら歯をくいしばりながら
心の中で叫び声をあげながら生きていく
ただそれだけのことなんだ
みんなやってることさ
けしてむずかしいことじゃない
マレーバクのフレッド・アステアは
それだけ言うと寝室の窓を開け放ち
背中の小さな翼をぱたぱたさせて
Que sera seraを口ずさみながら翔び去っていった
あとに残されたぼくは
あぁ、そんなものなのかなぁ
と、大きなあくびをひとつして寝返りをうった
☆絵:ファン・グリス☆