べそかきアルルカンの詩的日常“手のひらの物語”

過ぎゆく日々の中で、ふと心に浮かんだよしなしごとを、
詩や小さな物語にかえて残したいと思います。

ですからどうぞお気になさらず

2010年04月17日 12時40分00秒 | 掌のものがたり

そこそこ年月を重ねてまいりますと
置き去りにしてきてしまったものや
失ってしまったものが随分ありまして
この手にしっかりつかんだと思えたものでさえ
夢まぼろしだったと
あとから気づかされることもしばしばございます
あげくの果て
置き去りにしてきたものが何だったのか
失くしたものがどのようなものだったのか
この手につかみかけたものが
いったい何であったのか
そんなことすら思い出せずにおりまして
いつも何かを探し求めているのですが
そのうち何かを探し求めてさ迷い続けていたことさえ
ついつい忘れがちになってしまいまして
ときおりふと我に返っては
途方に暮れたり意気消沈したりして
けれどそんな素振りは
なるだけまわりに悟られないようにして
とにかくいまも
なんとはなしに暮らしております
けれどだからといって
何もかもすべてを消失させてしまったわけではございません
ふとした拍子に
懐かしく想い出されることも
ごく稀にではありますがないこともないのです
そんなときわたしはしみじみ考えないではいられません
失くしてしまったものなど
実は何ひとつないのではないかと
ですからどうぞご心配にはおよびません
心を砕くべきことは
ほかにもたくさんあるはずですから
なのでどうぞお気になさらず
わたしのことなどどうぞどうぞ
お気になさらずいらしてください

時の流れは思っていたより
ずっとずっと速いもののようですね
そのことをあらためて噛みしめてみるのですが
それ以上に日々移ろいはめまぐるしく
いっそわたしのことなど
はじめから無かったものとして
そっと季節の狭間に置き去りにしてくださればと
心密かに願ったり
祈ったりもするのですが
ともすれば
これまで多くの恵を授かりながら
いまだ何ひとつ償うことのできない自分に気づかされ
それでまた薄っぺらな我が身を憂いてみたり
呆然とうなだれて
ほとほと嘆いてみたりしながら
ときにはいっそ何もかも
どうにでもなればいいと
あきらめてみたり開き直ってみたりして
けれどそうしてみたところで
やっぱり何かがどうにかなるということもなく
何もどうにもならなくて
どうにも馴染みづらい日常に溶け込んだふりをして
どうにかこうにかこのようにして安穏に過ごしております
ですからどうぞお気になさらず
人の世のさだめを恨んでみたところでどうなりましょう
どうぞお気になさらず
わたしなど取るに足りない存在なのですから
ですからどうぞわたしのことなど
どうかどうかお気になさらず
心穏やかにいらしてください



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