沈黙の森の奥深く
ぽっかりひらけた草原(くさはら)は
太古のむかし
はじめて森の生れた場所
そこに最初の樹が芽生え
やがて気の遠くなるような時間をかけて
少しずつ森は広がっていったのです
最初に生れた木立は最初に朽ちて
そうして森の真ん中に
ぽっかりひらけた場所ができました
森の真ん中の草原に
ころんと仰向けに寝っ転がると
樹々の梢にぽっかりと
丸ぁるい空がありました
空はどこまでも青く
どこまでも深く
静かにそこにありました
ずっとずっと昔から
ただただそこにあったのです
目をとじると
まぶたの裏が真っ赤です
お陽さまはその暖かい光でもって
やさしく包んでくれました
どこかで小鳥が歌っています
ミツバチの羽音が聴こえます
そよ風が頬をなでて吹きすぎていきます
草がそよぎ微かに花が香ります
ふと目をやると
頭のうしろで組んだぼくの腕のひじのあたりを
七星模様のてんとう虫が
いっしょうけんめいはいあがろうとしています
すぐそばの小藪ががさごそ音をたてました
野うさぎかなにかが走り抜けでもしたのでしょうか
森の奥のこんな小さな場所にも
たくさん命があふれています
愛のない暮らしはつまらないと思っていたけど
だいじょうぶですよね
世界はこんなにも慈愛に満ちているのですから
☆絵:パブロ・ピカソ☆ ↓ポチッとね
強がりはおよしなさい
ほんとうはわかっているんでしょ
意地をはるのはおやめなさい
ほんとうは感じているくせに
どんなに気づかないふりをしてみても
あざむくことはできないものですね
過ぎ去った一日を
静かに照らしだすろうそくの灯りの中で
あなたの頬をつたうひと粒の雫が
なによりもそのことを物語っているのですから
心がふるえるこんな夜は
胸にそっと手をあてて
まぶたをとじてごらんなさい
そしてあなたの内から湧き出す汚れのない言葉に
素直な気持ちで耳を傾けてみるのです
だいじょうぶ
たとえ途方に暮れるようなことがあったとしても
澄みわたった冬の夜空から
冴え冴えと光り輝く無数の星たちが
きょうまで歩んできたあなたの路を
やさしく照らしてくれているのですから
だいじょうぶ だからきっとだいじょうぶ・・・・・・
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ぴんと糸のはった紙コップを
そっと耳にあててみる
と、
風の音にまじって
どこか遠くのほうから
かすかにくぐもった声が聴こえてきたのです
もしもし
なにをいっているの?
はるか遠くへつながる糸は
小さな振動をつたえてはくるものの
かんじんな声は聴きとれません
もしもし、もしもし
いったいどうしたというの?
かぼそい糸は
遠いどこかへつながってはいても
やっぱり声は聴きとれないのです
ぴんと糸のはった紙コップを
そっと耳からはずして中をのぞくと
コップの底のキャベツ畑のうえを
真っ白な蝶がひとひら
やわらかな風にのって
ゆらりふわりと舞っているのが見えました
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青い青い空の下
ひろいひろい草原の真ん中に
ふたり肩をならべて腰をおろしていると
遥か ずっとずっと昔から
ここにこうしていたような気がします
もう ずいぶんと長い間
ぼくたちは深い沈黙を共有し
やすらかな静寂の中に身をおいています
いま
遠くに見えるあのなだらかな丘の上を
真っ白なちぎれ雲がひとつ
ゆっくりと
ゆるやかに流されていきます
きっとあなたの視線の先にも
あのちぎれ雲があるのでしょうね
ぼくにはわかります
あなたの横顔を見なくとも
なんとなく
そのことがわかるのです
こうして並んで腰をおろしているだけで
知っていますか
あの空の
深い深い底の底では
いまも無数の星たちが
ささやき瞬いているのですよ
あまりにお陽さまがまぶしすぎて
ただぼくたちに
見えていないだけなんです
どこからか
小鳥たちのさえずりが聴こえてきますね
ときおり地上にも風が吹いて
草原は静かに波うつ海のようです
沈黙がそっと大気にとけこんで
あなたの胸の美しい鼓動が
すぐ耳もとで時を刻んでいます
やすらかな静寂と
あなたの胸の清らかな鼓動
いまこのとき
ぼくはたしかに
あなたのすべてを感じています
ここにただこうしているだけで
時が流れていくということは寂しいものですね
生きていくということはせつないものですね
それでも世界は思いのほか
やさしくできているということを
ぼくは深い沈黙の中で知ることができました
ひろいひろい草原の
遠くに見えるあのなだらかな丘の上を
真っ白なちぎれ雲がひとつ
ゆっくりと
ゆるやかに流されていきました
きっと
あの丘の上の
あの空のあたりに
風のとおり道があるのでしょうね
ひっそりと ひそやかに
☆絵:フレディック・バレイ☆
金魚が死にました
お祭の夜にもらった金魚です
ある朝、金魚鉢の中でぬけがらとなって
ぽっかり浮んでいたのです
うちにきて 七日目の朝のことでした
小さなまぁるいお口をぱくぱくあけて
あんなに愛らしかったのに
水の中を優雅にただよい
あんなにきれいだったのに
とっても短い生涯でした
わたしがすくってしまったばっかりに
わたしにすくわれてしまったばっかりに
小さな命の灯火が
ある朝ふっつりかき消えてしまったのです
かわいそうなわたしの金魚
わたしはお庭の隅の陽だまりに
小さな穴を掘りました
ちょうど
レモンがひとつ入るくらいの穴でした
穴の底に金魚を横たえ
静かに土をかぶせて
そうしてお水をかけてあげました
来る日も 来る日も
お水をかけてあげたのです
それがわたしの
せめてものつぐない
それがわたしの罪ほろぼし
だって、わたしがすくってしまったばっかりに
わたしにすくわれてしまったばっかりに
ある日とつぜん金魚の命の灯火は
ふっとかき消されてしまったのですから
かわいそうなわたしの金魚
秋が過ぎ 冬が去り
季節はめぐって
あくる年の春のこと
小さなお花が咲きました
お庭の隅の陽だまりに
紅いお花が咲いたのです
そこはあの
金魚を埋めた場所でした
紅くて可憐なお花です
花びらは透きとおるように美しく
そよ風にひらひら揺られておりました
きっとわたしの可愛い金魚が
紅い小さなお花となって
わたしをなぐさめにきてくれたのです
わたしの金魚は
やさしい やさしい金魚です
だって、いままたこうして
わたしを癒してくれているのですもの
じっとお花にみとれていると
しょっぱいお水がひとしずく
わたしの頬を
流れて落ちてゆきました
あぁ、これで
わたしの罪は許されたのでしょうか
わたしはつぐなうことができたのでしょうか
小さなお花はなにも語らず
ただひらひらと
そよ吹く風に揺られておりました
水の中を優雅にただよう
愛らしい 愛らしい金魚のように
☆絵:エプコ・ウィルラン☆
とある秋の日の夕暮れどき
ぼくは見知らぬ街の石畳の小路を
あてどもなくひとり歩いておりました
通りに人影はなく
朽ちた枯れ葉がただただ風に舞うばかり
空はどんよりと鈍色(にびいろ)にたれこめ
静かな寂びしい気配があたりを満たしておりました
と、どこからか
物憂げなメロディーが聴こえてきたのです
ふと音のする方に目をやると
いつからそこにいたのか
路端に男がひっそり立っておりました
男はどうしたわけか道化のいでたちをして
手まわしオルガンを奏でていたのです
ぼくの足はひとりでに歩くのをやめて
ぼんやり立ちつくしたまま
道化の奏でる哀愁をおびた旋律に
知らず知らず耳をかたむけておりました
ぼくにはこれといって
先を急ぐあてなどありませんでしたから
道化師がゆっくりとオルガンのハンドルをまわすにつれて
センチメンタルな美しい曲が流れだします
道化師の顔には
白塗りの厚い化粧がほどこされておりました
右の頬には涙がひと粒描かれていて
まるで泣きたいのを我慢して
無理に作り笑いを浮かべているような表情です
青みがかった瞳はどこか遠くを見つめているようで
深く澄んだ海の色をしています
そうこうするうちいつしかぼくの心は
手まわしオルガンのつむぎだすメロディーに
すっかりからめとられてしまったようで
魂は無意識の放浪をはじめていたのです
とある秋の日の夕暮れどき
見知らぬ街の石畳の小路には
朽ちた枯れ葉が風に舞っておりました
人通りの絶えた街角には
哀愁をおびた音楽が静かに静かに流れています
夕闇がせまりガス燈にぼんやり灯かりがともるころ
ふと気がつくと
ぼくはオルガンのハンドルを手にしていました
そうしてゆっくりゆっくりまわしていたのです
道化の恰好をして
顔には厚化粧をほどこして
人通りのすっかり絶えた街角で
手まわしオルガンを奏でていたのはぼく自身でした
いつのまにかぼくは
泣きたいのを我慢して
無理に作り笑いを浮かべるひとになっていたのです
やがてメランコリックな宵闇が
見知らぬ街ごと
静かにぼくを包んでゆきました
☆絵:ジャンセン☆