前回のかむろ坂通りと山手通りとの交差点(かむろ坂下)を渡ると、そのまま北東へまっすぐに延びる小路がある。その小路を進むと目黒川に突き当たるが(現代地図)、そのあたりで振り返ってかむろ坂下方面を撮ったのが一枚目の写真である。西五反田四丁目12番と13番との間。
右折し川沿いにちょっと歩くと、橋が架かっている。この橋から目黒川上流を撮ったのが二枚目で、上に見えるのは目黒線のガードである。
三枚目は、明治44年(1911)発行の地図のこのあたりの部分図である。目黒川がかなり蛇行しているが、ここに架かっている橋から川沿いに細い道が南西へまっすぐに延びているが、これが現在の小路かもしれない。
四枚目は、昭和16年(1941)の地図でこのあたりの部分図で、現在とほとんど同じである。明治地図で蛇行した川は、この昭和地図のように、その後改修されたことがわかる。
橋を渡りながら前方を見ると、まっすぐに上る坂が見える(現代地図)。橋際近くから坂を撮ったのが一、二枚目の写真で、左上に目黒線が通っている。
禿坂とは反対側の北東へ芝白金台地に上る無名坂で、そんなに長くはないが、中程度の勾配で、上りがいがある。
三枚目は、坂上から坂下方面(南西側)を撮ったもので、右に目黒線がずっと延びている。
この上流側に目黒川近くの雅叙園わきから行人坂が目黒駅方面に上っているが、かなりの急坂であるので、下流側は、どんなふうになっているのかかねてから興味を持っていたが、意外にも、しごく単純な坂であった。ただし、この坂上は台地の頂上ではない。
現代地図を見ると、この坂と目黒線を挟んで反対側にも南西に上る無名坂があるが、街歩きの終盤でかなりつかれていたので、そちらには行けなかった。昭和地図にも両坂が見える。
左の図は、官版東京大絵図(明治四年(1871))の目黒駅南側周辺の部分図である。上側左端の目黒川東岸に行人坂や権之助坂が見える。江戸末期だが、西岸と比べ、この坂の周辺の東岸には田畑もあるが武家屋敷が多いことがわかる。
坂上を直進し、道なりに歩いていくと、山手線沿いに緩やかに上る坂道が続いている。この途中で撮ったのが四枚目である。やがて平坦な坂上につくが、行人坂上は、このあたりとほぼ同じ標高である。
目黒駅へ。
携帯による総歩行距離は15km。
参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「東京市15区・近傍34町村⑱荏原郡品川町・大崎町全図」(人文社)
「地形社編 昭和十六年 大東京三十五區内⑯品川區詳細図」(人文社)
「東京人 april 2007 no.238 特集東京は坂の町」(都市出版)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)