東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

権之助坂

2013年10月14日 | 坂道

権之助坂下 権之助坂下 権之助坂下 権之助坂標識 前回の富士見坂下から南へ向かうと、ちょっと上り坂となってから大きな通りの歩道にでる。

この歩道を下り、昭和の雰囲気を色濃く残し人通りの多い権之助坂商店街を通り抜けて目黒川にかかる新橋のたもとまで歩く(現代地図)。ここが権之助坂の坂下と思われる。

一枚目の写真は、新橋を西へ渡ってから坂下を撮ったもので、坂下の手前が新橋である。

二枚目は、橋の東のたもとから坂上側を撮ったもので、権之助坂というバス停が見える。坂下近くはかなり緩やかである。

三枚目は、バス停の先の横断歩道を渡ってから坂下側を撮ったもので、橋が見える。 橋のたもとにかなり小さな公園のような区画があるが、ここに四枚目のように大きな坂標識がある。かつては坂の傍らに立っていたのであろうか。裏面に「東京都 昭和58年3月」と刻まれているが、坂の説明はない。

権之助坂下 権之助坂下 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 目黒白金図(安政四年(1857)) 一枚目の写真は、坂下近くの横断歩道の手前から坂上側を撮ったもので、この道が目黒通りである。

目黒通りは、この先で分岐し、坂上に向かって右側が下りの一方通行、左側が上りの一方通行となるが、右側が権之助坂である。

二枚目は、坂下近くで下り一方通行のあたりから坂下側を撮ったもので、緩やかにカーブしている。

三枚目は御江戸大絵図(天保十四年(1843))の部分図、四枚目は尾張屋板江戸切絵図 目黒白金図(安政四年(1857))の部分図である。松平主殿頭の屋敷に接してこの坂があり、すぐそばに行人坂がある。四枚目は目黒白金図の左側上半分の部分で、目黒不動が見える。御江戸大絵図も同様である。

この坂について目黒区HPに次の詳しい説明がある。

『権之助坂(ごんのすけざか)の由来

江戸の中期、中目黒の田道に菅沼権之助という名主がいた。あるとき、村人のために、年貢米の取り立てをゆるめてもらおうと訴え出るが、その行為がかえって罪に問われてしまう。なんとか助けてほしいという村人の願いも聞き入れられず、権之助は刑に処せられることになり引かれて行く。「権之助、なにか思い残すことはないか」と問われて、「自分の住んだ家が、ひと目見たい」と答える。

馬の背で縄にしばられた権之助は、当時新坂と呼ばれていたこの坂の上から、生まれ育ったわが家を望み、「ああ、わが家だ、わが家が見える」と、やがて処刑されるのも忘れて喜んだ。父祖の家を離れる悲しみと、村人の明日からの窮状が権之助の心を去来したかも知れないが、それは表情には現わさなかった。

村人は、この落着いた態度と村に尽した功績をたたえて、権之助が最後に村を振り返ったこの坂を「権之助坂」と呼ぶようになったといわれている。

また、一説によると権之助は、許可なく新坂を切り開いたのを罪に問われたといわれている。

昔の道路は、江戸市中から白金を通り、行人坂をくだって太鼓橋を渡り大鳥神社の前に抜けていた。この道があまりにも急坂で、しかも回り道をしていたので、権之助が現在の権之助坂を開き、当時この坂を新坂、そして目黒川にかかる橋を新橋と呼んでいた。』

この説明によれば、坂名は、江戸時代中頃、田頭の名主であった菅沼権之助に由来するが、その悲劇的な結末の理由には二説ある。いずれにしても権之助は、村人のためにした行為が罪に問われたことから、村人に尊敬されたようで、それがこの坂名の謂われになっている。

石川は、田頭の権之助と云う人物が非常な悪徒(また非常な大偉人)で、処刑前の願いにより馬に乗ってこの坂に来て権之助の家を見たという説明のある『目黒町誌』を引用している。偉人で今生の別れに馬に乗ってこの坂の上から家を見たという部分が上記HPの説明とあっている。この一致部分が本当の話なのかもしれない。

ほぼ同様の説明が品川区HPにもある。

権之助坂歩道橋から坂下側 権之助坂歩道橋から坂下側 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 目黒白金図(安政四年(1857)) 一枚目の写真は、坂中腹にかかる歩道橋の上から坂下側を撮ったもので、二股の左側がこの坂で、分離帯に権之助坂という標識が立っている。右側に見えるアーケード街が権之助坂商店街である。

二枚目は、同じく歩道橋の上から坂下側を撮ったもので、このあたりは緩やかな勾配である。

横関によると、むかしは西へ向かう道が途中から右に折れて田頭へ行く坂が本当の権之助坂であった。『新編江戸誌』に「権之助坂。行人坂の北、松平主殿頭屋敷前から下る所」「でんとふ橋(田頭橋)、右の坂下にある橋也」とあることからわかる。宝暦(1751~1764)の頃としているが、現在のように、新橋を渡り、大鳥神社前の方へまっすぐに向かうようになったのは、ずっと後のことで、新橋は新坂下の橋という意味である。

三枚目は御江戸大絵図(天保十四年(1843))の部分図、四枚目は尾張屋板江戸切絵図 目黒白金図(安政四年(1857))の部分図で、上記の図の拡大図である。

御江戸大絵図と尾張屋板を比べると、行人坂の上(北)にある権之助坂は、いずれでも目黒川にかかる橋(新橋)へと下り大鳥神社の方へまっすぐに延びているが、坂上からちょっと下ったあたりが少々違っている。御江戸大絵図では、坂途中で大鳥神社への道と松平屋敷に沿って延びて新橋の上流の橋(田頭橋)へと続く道とにわかれ、さらに前者の道を新橋の手前で右折する道があり、田頭橋の方へ向かっている。尾張屋板には、新橋の手前で右折して田頭橋へと延びる道がある(御江戸大絵図と同様)が、松平屋敷に沿って延びる道は田頭橋へ続いていない。

どちらかというと、尾張屋板の方が大鳥神社の方への道が主なように描かれており、現在の道筋に近い。

近江屋板を見ると興味深いことがわかる。永峰町の坂上(行人坂と交わっている)から下り、△ゴンノスケサカとあるあたりで、二股に分かれ、一方は松平屋敷に沿って延び、他方が西へ下り、目黒川のずっと手前までしか描かれていないが(新橋も描かれていない)、「此末ヂイガ茶屋ヘツゞク」と註があり、この道に上記の坂名のうち「ケサカ」とあるので、この爺が茶屋に続く道が本来の権之助坂と思われる。茶屋坂下から田頭橋までは近い。

この近江屋板の品川・白金・目黒辺之絵図は、安政二年(1855)にでた改正版で、御江戸大絵図(天保十四年(1843))よりも新しいが、このあたりは改正前と同じに描いたのか、古いままであったのかもしれない。

権之助坂歩道橋から坂上側 権之助坂中腹 権之助坂中腹 権之助坂中腹 一枚目の写真は、歩道橋から坂上側を撮ったもので、下り一方通行であるが幅広な道路になっている。歩道は坂上まで人通りが多く、賑やかである。

二枚目は坂中腹から坂上側を、三枚目はさらにその上側から坂下側を撮ったものである。四枚目はそのあたりから坂上側を撮ったものである。このあたりで勾配がちょっとついている。

明治44年(1911)発行の東京府荏原郡目黒村の地図を見ると、この坂を下り、新橋の手前を右折し、北へ延び、茶屋坂下と田頭橋との間にでる道がある。昭和16年(1941)の目黒区地図にも同じ道が見える。この道は、現代地図を見ると、現在もあり、坂下近くの信号のあるT字路になっている。 ここが本来の権之助坂下であるかもしれないが、本来の坂は消滅した別の道かもしれず、不明である。

また、前回の富士見坂下の南北に延びる道は、御江戸大絵図、尾張屋板、近江屋板にみえる松平屋敷に沿った道の名残りのように思える。

権之助坂上 権之助坂上 権之助坂上 権之助坂上 一枚目の写真は、坂上近くのバス停の下側から坂上を、二枚目はバス停のあたりから坂上を撮ったものである。

この坂も前回の富士見坂と同じく、坂下側が目黒区、坂上側が品川区であるが、バス停の上側から坂下側を撮った三枚目のように、中腹の緩いカーブのあたりが区境のようである。

四枚目は坂上を撮ったもので、この左手が目黒駅西口である。

目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」にあるこの坂の全長、高低差、平均斜度は、356m、10.8m、2.8で、長く緩やかな坂である。

上記の目黒区HPには、この坂の歴史が「坂に見る時代の流れ」として説明されているが、現在のように商店街で賑やかになったのは、戦後のことであるという。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京地形散歩」⑧august 2012 no.314(都市出版)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「荏原郡目黒村全図」(人文社)
「坂道ウォーキングのすすめ」(目黒区発行)

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