前回の相ノ坂上を右折し、東南へ向かう。この坂上の旧山手通りを含めた一帯は、笹塚の方から東南へ延びる台地にある。東の渋谷川の流域に発達した谷と、西の目黒川の流域に発達した谷との間で細長く品川方面へと延びる台地であるが、品川の海岸手前の高輪台地で南北に長くなっている。台地といっても、その間に大小の谷が発達し凸凹である。
この台地から渋谷川方面へ下るのが道玄坂で、目黒川方面へ下るのが相ノ坂であるが、坂上から裏道を東南へと歩いていると、次々と、南西(目黒川方面)へ下る坂に出くわす。
一枚目の写真は、坂上からまもなくの所の四差路から下る無名坂である(現代地図)。二枚目は、その先で撮ったこの裏道である。
三枚目は、そこから歩いた先にある階段の上から撮ったものである。四枚目は、その先の四差路から下る坂を撮ったもので、西へまっすぐに下っている。このあたりは、そのむかし、この道のあたりに沿って崖ができていたと思わせるような所が続いている。
まっすぐに進めば、西郷山公園であるが、そうせず、上記の無名坂を下ってみる。中程度の勾配で、かなり長い。その坂下で坂上側を撮ったのが一枚目の写真で、ここが坂下と思ったら、そうではなく、上記のはじめの四差路から下ってくる坂道と合流して、さらに下っている。その中腹から坂下側を撮ったのが二枚目で、この坂の右側(北西)は、相ノ坂の角にあった菅刈小学校の敷地に近い。この坂下から坂上側を撮ったのが三枚目で、全体としてはかなり長く、高低差もかなりあると思われる。
坂下を左に曲がり、そのまま進むと目黒川であるが、途中、左側に入ると、四枚目の写真のように、菅刈公園である(現代地図)。この公園は、西郷隆盛の弟で明治期の政治家・軍人であった西郷従道の邸宅があった所である(目黒区HPの菅刈公園の説明)。
菅刈は古い地名で、中世のころの荏原郡の西部に菅刈の庄があり、目黒も菅刈の庄に含まれていたという(石川)。岡崎は、相ノ坂を、菅刈坂とした方がよいとしているが、先ほど下った無名坂をそう呼んでもよさそうである。
菅刈公園の広場には、一枚目の写真のように、雪がまだ広く残っている。公園内の端の道に行くと、二枚目のように、上り坂が続き、公園内の散策に適したよい坂道となっている。ここを上って、公園の外に出ると、三枚目のように、上り坂がまっすぐに東へ延びているが、ここも無名坂である。先ほど下った分だけ上ると、坂上右に、四枚目のように、西郷山公園の入口がある(現代地図)。
目黒区HPにある西郷山公園の説明によれば、公園名は、旧西郷邸の敷地の北東部分にあたり、「西郷山」という通称で親しまれていたことから決まったとのこと。
昭和16年(1941)の目黒区地図を見ると、先ほど下った無名坂の東から菅刈公園の東端まで西郷邸となっている。約二万坪でかなり広大である。ここに建てられていた西洋館は明治村に保存されているとのこと(目黒区HP)。
公園の中に入って南側に行くと、南西方向の眺めがよい。一、三枚目は、ここから撮ったもので、二枚目は公園内を撮ったものである。この眺望のよい所がこの台地の南西の縁で、崖下も公園の敷地であるが、その先が菅刈公園で、目黒川に沿って広がる谷である。
公園から旧山手通りの歩道に出て東南方向に進むが、すぐのところにかかっている橋が西郷橋である。四枚目は橋から下の道を撮ったもので、この道の先(南側)は、菅刈公園の東端へと延びている。北側は渋谷区鉢山町の方の低地で、そこから先は渋谷川に沿って広がる谷である。西郷橋の下のあたりはこの台地を分断するような谷であったと思われる。
(続く)
参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
「江戸から東京へ 明治の東京」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「東京人 特集 東京地形散歩」⑧august 2012 no.314(都市出版)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
中沢新一「アースダイバー」(講談社)