東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

日本経緯度原点~榎坂

2011年01月17日 | 坂道

日本経緯度原点広場 日本経緯度原点と説明板 日本経緯度原点説明板 日本経緯度原点金属標 狸穴坂を右折し、ロシア大使館前を通り過ぎ、次を右折し、直進すると、やがて行き止まりになる。その右側の奥まった所に公園のようなそうでないような広場がある。手前に日本経緯度原点と記した標識が立っている。

国土地理院の説明板によると、日本経緯度原点は、日本における地理学的経緯度を決めるための基準となる点である。明治25年(1892)に東京天文台の子午環の中心を日本経緯度原点と定めたが、大正12年(1923)の関東大震災で子午環は崩壊し現存しないため、日本経緯度原点の位置に金属標を設置したとのことである。

この金属標が右側の写真に写っている。他の説明は写真のとおりである。

日本経緯度原点広場 日本経緯度原点広場下 左側の写真に写っている港区教育委員会の説明板によると、この原点の経度と緯度は、大正7年(1918)の文部省告示で、「東経139度44分40秒5020、北緯35度39分17秒5148」と確定したが、平成13年(2001)の測量法の改正で、最新の宇宙測地技術を用いて新たに「東経139度44分28秒8759、北緯35度39分29秒1572」と定められたとのこと。

この場所には、明治7年(1874)から海軍の観象台が置かれていたが、明治21年(1888)に赤坂区溜池葵町の内務省地理局天象台と合併し、東京帝国大学附属東京天文台が置かれたとのことである。

明治地図に帝国天文台とあり、戦前の昭和地図に東京天文台とある。関東大震災をきっかけに三鷹に移転した。現在の国立天文台である。

ここは、麻布台地の東南の端であり、南側の展望がよかったのであろう。上の右側の写真のように、この原点広場の下は急斜面になっていて、下側に住宅地が広がっている。東麻布で、もとは森元町である。

以前、一度来たことがある。坂巡り中心の散策であるが、たまには毛色の変わったところもよい。

ところで、高さの方の基準となる日本水準原点は、国会議事堂前庭にあるらしいが、以前、訪れたとき、正月であったためか、入れなかった記憶がある。この記事を書いていて思い出した。

榎坂上側 日本経緯度原点から引き返し、右折するが、このあたりが榎坂である。写真はそのあたりから坂下側を撮ったものである。緩やかにカーブしなから下っている。

写真に見える大きな交差点は、外苑東通りと桜田通りとが交わる飯倉四つ辻で(前回の記事参照)、写真横方向が桜田通りで、右側から赤羽橋の方に下る坂が土器(かわらげ)坂である。

尾張屋板江戸切絵図に、狸穴坂上を右折し少し進んだところに榎坂とあり、その先の交差点に、四辻ト云、とある。榎坂上近くから南東に延びる小路があるが、ここがいまの日本経緯度原点に至る道であると思われる。近江屋板にも坂マーク(△)に榎坂とある。

榎坂は、一里塚の榎がある坂である場合が多いらしく、以前の記事のように、これは、横関に詳しい。

ところで、飯倉四辻から反対方向(写真奥方向)へ芝公園の東京タワーの方に上って行く坂も榎坂というらしい。今回、横関を読んで気がついた。ということで、桜田通りから東側の坂はこれからの課題である。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)

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