おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

英虞湾に緑のハンモック

2013年02月20日 00時00分00秒 | 漁業・漁村

写真1 神明側のアオサ網。海を挟んで右前方は賢島、中央前方に弁天島。


写真2 賢島のアオサ網、緑のハンモック。国道167号、神明と賢島の間、小瀬戸に架かる橋上から撮る。


写真3 賢島と神明を分ける小瀬戸を神明漁港方面へ帰るモーターボート型漁船。住宅は賢島。手前のアオサ網は神明側


写真4 びっしり伸びたアオサ、摘み採りを待つ。


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1.英虞湾に緑のハンモック
 2013年02月02日、鵜方駅⇒国府⇒国府白浜⇒渡鹿野島⇒国府白浜⇒国府⇒鵜方駅の順に賢島へ向かう。
 この間の出会い等は既に当ブログで紹介。
 賢島駅の手前、左の海、英虞湾にノリ養殖と思しき緑のハンモックが目に入る。
 緑のハンモックは間崎島へ行く渡船の左右にも、真珠養殖筏とともに多く見られた。
 真崎島で聞くと、海苔佃煮「えどむらさき」の原料となるアオサノリ・アオサ(ヒトエグサ)の養殖網と教えていただく。
 他の藻類が付かないように、網は干潮時に海面から離れる高さに張ってある。
 アオサは乾燥に強く、ケイ藻など乾燥に弱い藻類が付きにくくなる。
 間崎島からの帰り、16:48~17:10に撮った一部が写真1~写真4。

2.真珠養殖に替わりにアオサ養殖、しかし・・・
 英虞湾と的矢湾では、1956年(昭和31)頃からアオサ養殖が始まり、
 真珠養殖に陰りが見えた1960年代後半、昭和42年頃からアオサ養殖が増えた。
 生産量のピークは、英虞湾465トン(1974年・1979年)、的矢湾476トン(1972年)、両湾計908トン(1979年)。
 その後、富栄養化、塵芥など養殖漁場環境の変化、安定しない生産量と品質による経営不安定などから、
 生産量は年々減少傾向にある。
 平成2010年(平成22)には英虞湾196トン、的矢湾96トン、計292トンになった。
 ピーク時の約1/3に減少。

 引用・参考文献等:*当ブログ2013年02月17日同月16日同月15日同月14日同月13日、*志摩市あおさプロジェクトHP
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2013年02月02日 撮影地:三重県志摩市阿児町神明
コメント
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