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1.60年前、黒毛和牛は宅地に、ガンギにいた
1955年(昭和30)頃、東桜島町(湯之)の構成戸は150戸前後(?)
その9割ほどは農家だった
農家は黒毛和牛を飼っていた
宅地内の牛舎で、多くても2頭(写真2)
堆肥つくりと肥育のため
小学生の筆者は祖母の牛飼いを手伝った
餌になる草刈り、生のカライモ砕き、牛房に敷く落葉集めなどを
落葉は堆肥の素材
当時、夕方になると、おじさんたちは牛をガンギ・船着き場(写真1)にひき出し洗った
おばさんたちは家事に多忙
祖母の牛は、男手がなかったので、ガンギへひき出されなかった
外へ出るときは売られるとき
牛の売買はバクロと呼ばれる家畜商に依頼
2.宅地から消えた黒毛和牛
現在、牛の姿は農家になく、ガンギにもない
2戸の農家が和牛を専業的に飼育するだけ、居住地を離れて(写真3)
新旧の農業基本法や農政に沿い規模拡大
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2013年02月11日 撮影地:鹿児島市東桜島町(湯之)