写真1 鹿児島港離岸前の桜島フェリー。自動車用電動ブリッジは2層、その前方に乗客用ブリッジ(赤の桁が見える)
写真2 鹿児島港に着岸する桜島フェリー。自動車用デッキは2層
写真3 桜島・袴腰港の桜島フェリー。自動車用デッキは2層
写真4 鹿児島港に入る桜島フェリー。船は、手前の防波堤、さらに前方の防波堤開口部を経てRKK LINEの右奥に着岸
写真5 手前の防波堤は半世紀前なかった。A LINEは奄美・沖縄航路、RKKは沖縄航路。RKKの右奥が桜島フェリー岸壁。前方は城山
写真6 桜島フェリーから望む大正溶岩原。多くの溶岩は松に隠れている。半世紀前、松は低く、溶岩は丸見えだった
←I would rank this weblog among the best. Please click this green banner.
ブログランキングに登録しています。よろしければ、左の緑色部をクリックして私に元気をください。
1.カーフェリーで桜島へ
2013年02月11日、桜島フェリーとバスに乗り、誕生地・故郷の東桜島町(湯之)へ
桜島フェリーは鹿児島市営の鋼鉄製カーフェリー(写真1~写真3)
国道224号の海上区間(鹿児島北港~桜島港・袴腰)4km弱を約15分で結ぶ
2.1955年頃、木造フェリー
1955年頃、私は小学校低学年、鹿児島~袴腰間はディーゼルエンジン木造フェリー
自動車用デッキの後方直下に機関室があり、ディーゼルエンジンはリズミカルなピストン運動
その動きと軽油の匂いは、焼き玉エンジンを見慣れていた私を惹き止めた
自動車用デッキは、船の中ほどに大型観光バス2台を船の進行方向に直角に載せられる幅
バスの前と後はすぐ海面
客室は、自動車用デッキの前に1室、機関室の後ろに1室
自動車用デッキの上、すなわち2階に操舵室から船尾へ1室(注1)
発着岸壁は潮の干満により変わった
自動車の積み下ろしは2本の可搬式木製厚板を使った
3.南九州・桜島が新婚旅行のメッカの時代、鉄鋼製カーフェリー就航
1960年代、南九州は新婚旅行のメッカ
フェリーは、①木造船から②一方向に走る中古の鉄鋼製フェリーへ
さらに③双方向進行の新造鉄鋼製フェリーへ変わった(注2)
双方向鉄鋼製フェリーになると、岸壁は固定
自動車は専用電動ブリッジを使い、車と乗客の乗り降りは分離された(写真1・写真3)
当時、鉄鋼製フェリーの自動車用デッキは1層。現在、1層、2層の両タイプ
自動車は進行方向のまま乗り、降りる
港の防波堤は整形溶岩の組み重ね、開口部に向かい左右各1本
現在、コンクリートブロック防波堤(写真4・写真5)
4.フェリー岸壁の近くでは人糞尿積み込み
フェリーは西桜島村営
フェリー岸壁のすぐ北側に、西桜島村の各集落と鹿児島をつなぐ木造船の岸壁
新婚旅行のカップルや私たちが乗り降りしていると、人糞尿の臭いが鼻をつく日もあった
発生源は西桜島行き船に積む人糞尿。コエタンゴ(肥桶)に入っていた(注3)
当時も、西桜島村は温州ミカン、桜島小ミカン、桜島大根など農業が盛ん
その肥料として鹿児島市民の糞尿が使われた
この市街地人糞尿を郊外農家が使うのは、当地だけでなく、昔から全国各地にみられた
たとえば、江戸の人糞尿が三浦半島へ船積みされて使われた(『浜浅葉日記』)
5.夜、静寂の大正溶岩原を歩く
現在、フェリーは24時間就航
1960年代後期、夜の鹿児島発最終便は21時~22時
最終便に乗って袴腰に着いても、東桜島町(湯之)方面行きの国鉄バスはなし
約6km、歩くしかない
途中、袴腰から赤水の間は大正溶岩原
人家はなく、街灯もなく、行き交う車もなく、人など歩いてない
溶岩原の向こうに先ほどまでいた鹿児島市街の光り、夜景
初めて歩いた夜、溶岩原の曲がりくねった国道224号を進む
すると、足音の他に後ろからスッ、スッ、スッ、とついて来る音
気にし出すと怖くて堪らない
なんだろー、と立ち止まり、後ろを振り返っても何もない、見えない
歩き出す、音はついて来る
立ち止まる、音はしない、後ろには何もない、見えない
この繰り返し
幽霊か、周りは如何様にも見做せる溶岩だけ、怖さがいっそう増す
夜空、星空を見上げる余裕などなくなる
繰り返すうちに、ズボンの股擦れの音とわかる
あー、あっ、怖かった
それほど静寂、夜の溶岩原
当時の大正溶岩原は、鹿児島大学が調査のために植林した低い松が生えているだけ
溶岩がゴツゴツ、緑は僅少
現在、フェリーやバスから見る限り、多くの溶岩は松に隠れている(写真6)、半世紀経った
現在の国道224号は、避難道路の役割もあり直線化し、当時より山側を走る
注1 2階の客室は、私の記憶違いの可能性もある
注2 ①と②、②と③がそれぞれ重なった時代もある
注3 コエタンゴは木製で、中膨らみ円柱状
引用・参考文献等:弊ブログ2013年03月01日・同月02日・同月05日・同月07日・同月17日
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2013年02月11日 撮影地:鹿児島市