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写真1 白いビワ袋。東桜島町の住宅密集地のすぐ上の畑
写真前方は1476年(文明8)大噴火の流出溶岩が造った小半島の燃崎(モエンザッ)
写真2 白いビワ袋。手前の畑は手入れが行き届く
写真3 白いビワ袋。前方の草木で被われる部分は半世紀前、段々畑だった
写真4 白いビワ袋。前方の草木で被われる部分は半世紀前、段々畑だった
写真5 白いビワ袋。前方の畑に作物はない
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1.少なくなったビワ袋
約半世紀前、50年ほど前の東桜島町
当時、1月や2月にも畑に人がいた、農道で人に会った、畑に緑は多かった
現在、2013年2月中旬、畑に人の姿はなく、放棄畑が多い
筆者が農道で会ったのは軽4輪の2人、黒毛和牛肥育の2人、少ない
目についたのは、白い花のようなビワ袋、キヌサヤエンドウのビニールハウスと雨避けビニール
しかし、ビワ栽培は半世紀ほど前の勢いを失った、袋数が少ない
袋を掛けるのは、火山灰、風雨、葉や枝によるきず、農薬付着などからビワの果面を護るため
また、虫や鳥の害を避けるため
かつて、ビワ袋は新聞紙に油を塗ったものを購入
現在、ビニール製もある
筆者は小学生の頃、ビワの箱詰めを手伝った
その際、白粉を塗ったような果面に指紋をつけないように、果実の両端を注意深くつまんだ
2.畑へカンメッ行く
ビワ畑を含めて畑の多くは住宅密集地より海抜の高い位置にある
約半世紀前、農業や生活に必要なものは人力で運んだ
牛馬の駄載はなく、自動車運送は始まったばかり
女性は頭上に載せて、男性は背負って歩き運んだ
女性は、ゆっくり、ゆっくり、バランスをとりながら落とさないように、桜島を登山するように畑へ運んだ
運んだのは堆肥入り叺、人糞入りコエタンゴ(肥桶)など
逆に、畑から農作物を蔓や縄、綱で結わえ、叺や木箱、竹籠などに入れて運んだ
自宅や市場行きのガンギ・船着き場などへ運んだ
頭に載せて運ぶ行為をカンメッ(カンメル・冠めるがつまった、促音化。)と言った
男性の背負い道具をカレコと呼んだ
カンメッとき、重いもの、こぼれそうなものは手を挙げて支えた
軽いもの、バランスのよいものは、手を挙げることなくスイスイ、スイスイ
畑や住宅への道は、行き来する人がやっとすれ違える狭い道、足下はデコボコ、石並ぶ階段道
現在、カンメッ姿とカレコ姿はなく、軽四輪車が走る
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2013年02月11日 撮影地:鹿児島市東桜島町(湯之)