あぽいち

温泉とヨガ、たまに心臓外科医

バチスタ

2006-10-08 11:47:30 | スーパースターども
昨日、とある方と夕食をご一緒する機会があり、その方の経歴を聞かせていただいたが、なかなか楽しかった。彼は自分のことを変人だと、揶揄していたが話を聞くと僕らアウトローの鏡のような方であった。弱冠30歳の若さで大学で日本をすて、当時まだ日本でもほとんど知られていなかったと思われる、かのバチスタ手術で有名なブラジルのバチスタのもとへ飛び込んで何千例とバチスタ手術に立ち会ったという。話によると最初バチスタは人間で切って、成功したので動物で実験を始めたと、。また、当時バチスタはとにかくデカイ心臓は何でもかんでも切ってしまっていたらしい。なぜ切るか、それはそこに山があるから登ると言った登山家がいたが、それと一緒で、心臓がデカイから切るんだ、と。大動脈も似てるかな、そこにこぶがあるから切るんだ!。それを何千と重ねて、その中から個々の症例において本当に必要であったか否かがはっきりしてきて、今現在のバチスタの手術適応が生まれたのだと、、、なんとも、、、すごいお国がらである。病院も最初はものすごいぼろくて、挿管チューブだとか、NGチューブだとか血液感染の可能性の低いものはすべてリユースしていたと、さすがにインドのように人工心肺回路までは使いまわしていなかったらしいが。そのころから、心臓手術はだんだんとエスカレートしてきて複合手術でなければ手術でないみたいな風潮があったらしく、単純なCABGやVALVEは彼に降りてくるようになり、300例近く執刀してきたとの事。
そして3年後、日本に帰ってきた彼を待っていたのは、居場所のない大学、、、弱冠33歳で海外で何百例とやってきたかは知らないが、手術はできても日本では年功序列だから、順番をまてと、、、、。バチスタのもとにいるときに、スロベニアから見学に来ていて、滞在中、彼がいろいろと面倒を見てあげた外科医というのがいるのだが、その外科医から連絡が来て、日本に帰って満足した生活を送っているのかという話になり、うだつの上がらず、居場所のない日々を送っていた彼は、そのままスロベニアに飛んで、再び母国日本を離れ、その後フランスへとび、今日本に帰ってきている。
須磨先生や南淵先生、福島先生たちが持っていたジレンマと同じなんだろう、海外で学んできた技術で母国の日本で困っている人を助けたいという思いで、帰ってきてもこの国の悪い点で、そういった人たちに対する尊敬と敬意の念がなく、そして受け入れ場がないためみんな再び海外へ飛びだってしまう。
なんとも、小さな国である。自分を守ることしか考えていない、良いもの良いことを素直に良いと認めて、尊敬し受け入れてほしい。
まー、とにかくこの先生はやってくれてます、みんながやりたくてもできないようなことを。
一番最初、この世界に入るときに南淵先生に、世の中で一番信用できる奴とは、自分のことを真剣に考えて、自分のために行動する奴だ。だからといって目先のつまらない利益に奔走すべきというのではなくむしろその反対で、自分や自分の人生が本当の意味で光り輝くよう、がんばる奴だといわれた。
まさに彼は自分の人生が輝くよう頑張っているのでしょう。
respect!!