杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

007 ノー・タイム・トゥ・ダイ

2021年10月04日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)

2021年10月1日公開 アメリカ 164分 G

現役を退きジャマイカで穏やかな生活を送っていたボンド(ダニエル・クレイグ)のもとに、CIA出身の旧友フェリックス・ライター(ジェフリー・ライト)が助けを求めにやってきたことから、平穏な日常は終わりを告げる。誘拐された科学者を救出するという任務に就いたボンドは、その過酷なミッションの中で、世界に脅威をもたらす最新技術を有した黒幕を追うことになるが……。(映画.comより)

 

ジェームズ・ボンドの活躍を描いた「007」シリーズ25作目ですが、『007 カジノ・ロワイヤル』(2006年)、『007 慰めの報酬』(2008年)、『007 スカイフォール』(2012年)、『007 スペクター』(2015年)と15年にわたって6代目ボンドを務めてきたダニエルの最後の『007』映画です。監督は日系アメリカ人キャリー・ジョージ・フクナガで、サフィン(ラミ・マレック)のアジトには枯山水や盆栽、畳があり、身に着けていた能面や羽織っている衣装も日本風なのは監督の好みかしら?

彼の「007」シリーズはそれぞれの作品が互いにリンクしていて、最後にどう完結させるのかという楽しみもあります。丁度地上波で前作の放送があったので、復習もバッチリ

マドレーヌ(レア・セドゥー)との新たな生活のため、過去に区切りをつけようと、以前の恋人ヴェスパー(エヴァ・グリーン)の墓を訪れたボンドは、スペクターのマークが描かれたメッセージカードを見つけます。 直後、爆発が起こり、負傷しながらも犯人の追跡を振り切りホテルに帰ったボンドは、マドレーヌを疑い、彼女に一方的に別れを告げます。駅で別れる際、マドレーヌがお腹に手を当てていたのは伏線ですね

フェリックスの依頼を受けたボンドはキューバに向かい、現地のエージェントのパロマ(アナ・デ・アルマス)と合流。彼女との掛け合いがちょっとコミカルで束の間の安らぎを感じさせてくれました。 潜入したのはMIー6の管理下に身柄を拘束されている元スペクターの首領ブロフェルド(クリストフ・ヴァルツ)の誕生パーティーで、ボンドを殺すための毒で、スペクターのメンバーが次々と倒れます。誘拐された科学者オブルチェフが生物兵器のデータをすり替えていたのです。オブルチェフを救出してフェリックスたちと合流したボンドは彼を詰問してM(レイフ・ファインズ)が関わっていること、裏にアッシュと彼の背後の黒幕の存在を聞き出しますが、アッシュの裏切りでフェリックスが撃たれ船内に閉じ込められ船を爆破されます。フェリックスは死亡、船を脱出したボンドはロンドンに戻り、Mと対峙。オブルチェフが開発していた生物兵器「ヘラクレス」は、DNAに反応して対象に接触するだけで殺すことができ、サフィンはそれを大量生産しようとしていました。

アッシュの背後にいたのはサフィンです。彼は家族をマドレーヌの父親に殺され、その復讐のために幼かったマドレーヌとその母を殺しにやってきましたが、湖に落ちたマドレーヌを助けた過去があり、その礼をしろとマドレーヌに迫ります。ブロフェルドに唯一面会を許されていた彼女に再会したボンドの内面の揺れが伝わってきます。サフィンの思惑通り、ボンドが接触した(感情的になって首を絞めた)ブロフェルドは死亡。その直前に彼はボンドにヴェスパーの件にマドレーヌは無実だったことを語ります。マドレーヌの「ホーム」を訪ねたボンドはそこに青い目をした少女を見、彼女が娘であることに気付くの。 

ボンドは謝罪し、愛を告げますが、サフィンにより二人が連れ去られてしまいます。Q(ベン・ウィショー)やペニー(ナオミ・ハリス)、タナー(ロリー・キニア)のバックアップのもと、新たな007のノーミ(ラシャーナ・リンチ)と共に日本とロシアの間の海域にあるサフィンのアジトへ潜入します。相変わらずボンドに振り回されるQと、番号に拘りながらもそれを悟らせたくないノーミとボンドの素振りもキュートです。

島全体が「ヘラクレス」の工場となっていて、壊滅させるには、ミサイル攻撃しかありませんが、防護壁を解除しなければなりません。 囚われていたマドレーヌとマチルドを助けて、ノーミに託したボンドは、防護壁の解除に向かいます。古いシステムだから慎重に手順を踏んでとのQの言葉を無視して手あたり次第にスイッチを入れ、結果解除しちゃうあたりはハイテクへの皮肉かしらん 脱出しようとしたボンドですが、サフィンにより再び防護壁が閉じ、二人の最終対決となります。この時毒液を浴びたボンドは、二度と愛する二人に接することが出来なくなったことを知り、またミサイル着弾まで時間もないため、マドレーヌとの交信で愛を告げて最期を迎えます。花火のようにミサイルが展開する中、「ランボー」のようにすっくと立った姿が超カッコイイ!! そしてまさにダニエル=ボンドが終わりを迎えたことが明確に示されたのです。

このシリーズは、ダニエル以前の「女王陛下のために任務を遂行してきた諜報員」としてではない、愛を知り愛に生きた一人の男として、時に粗削りで時に感情的な生身の人間らしいボンドになっていて、それまでのボンド像とは異なっているけれど、個人的には大好きなボンドでした。

アクションの面でも、Qがボンドに用意する車をはじめとした秘密兵器の道具の数々も楽しませてもらいました。 

きっとこれからも新しいボンドが登場するのでしょうけれど、やっぱり私の中ではダニエル=ボンドが一番かも

 


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二百三高地

2021年10月03日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

1980年8月2日公開 185分

十九世紀末。ロシアの南下政策は満州からさらに朝鮮にまで及び、朝鮮半島の支配権を目指す誕生間もない明治維新政府の意図と真っ向から衝突した。開戦か外交による妥協か、国内では激論がうずまいていた。軍事力、経済力ともに弱小な日本にとってロシアは敵にするには強大すぎた。しかし、幾度となく開かれる元老閣僚会議で、次第に開戦論がたかまっていくがロシアの強大さを熟知している伊藤博文(森繁久彌)は戦争回避を主張していた。巷でも、開戦論で民衆を煽動する壮士グループと、戦争反対を叫ぶ平民社とが対立。ある日、開戦論に興奮した民衆が平民社の若い女、佐知(夏目雅子)に殴りかかろうとしているところを、通りがかった小賀(あおい輝彦)が救った。その頃、伊藤は参謀本部次長の児玉源太郎(丹波哲郎)と会見、対露戦の勝算を問うていた。児玉は早いうちにロシアに打撃を与え、講和に持ち込むしか勝つ道はないと訴えた。明治三十七年二月四日、御前会議で明治天皇(三船敏郎)は開戦の決議に裁可を下した。ここに日露戦争の幕が切っておとされた。日本軍は陸と海で破竹の進撃を開始した。伊藤は前法相の金子堅太郎(天地茂)をよび、アメリカのルーズベルト大統領に講和の調停役を引き受けるように説得を要請する。そうしたなかでも、神田のニコライ堂ではロシア人司祭によるロシア語の講座が細々と続けられ、出席していた小賀は、そこで偶然にも佐知に出会った。思いがけぬ再会に、二人の間に愛が芽生えた。やがて、金沢の小学校教師である小賀も出征することになり、彼を慕って金沢までやって来た佐知と愛を確かめあう。小賀の小隊には、豆腐屋の九市(新沼謙治)、ヤクザの牛若(佐藤充)、その他梅谷(湯原昌幸)や米川(長谷川明男)たちがいた。戦況は次第に厳しさを増し、海軍はロシア東洋艦隊に手こずり、陸軍は新たに第三軍を編成、司令官に乃木希典(仲代達矢)を命じた。旅順の陥落が乃木にかせられた任務だったが、ロシアはここに世界一という大要塞を築いていた。ロシア軍の機関銃の前に、日本軍は屍体の山を築いていく。絶望的な戦いの中で、小賀と部下たちの間に人間的な絆が生まれていった。しかし、戦いで部下を失った小賀の胸には戦争への怒りと、ロシア人への憎しみが燃えあがっていた。十一月二十七日、司令部は二百三高地攻撃を決定した。その日、小賀は捕虜の通訳を命じられたが、「兵には国家も司令官もない、焦熱地獄に焼かれてゆく苦痛があるだけ」と拒否、その言葉は激しく乃木の胸を打った。十二月六日、乃木に代って指揮をとった児玉のもと、二百三高地攻撃が開始された。戦闘は激烈を極め、乃木は鬼と化していた。そして、三一五〇名の戦死者と、六八五〇名の負傷者という尊い犠牲を払い、二百三高地はおちた。しかし、小賀たちの一隊は、ロシアの少年兵との激闘の末、戦死してしまう。一ヵ月後、旅順は陥落、これが翌三十八年三月の奉天大会戦の勝利、さらには日本海大海戦の勝利へとつながった。翌三十九年一月十四日、乃木は天皇はじめ皇族、元老が居ならぶ前で軍状報告を行なったが、復命書を読み進むうちに、小賀や多くの兵のことが心をよぎり、落涙を禁じえなかった。(映画.comより)

 

日露戦争の旅順攻防戦での203高地の日露両軍の攻防戦を描いた作品で、その中心は第三軍の司令官・乃木希典ですが、小賀たち予備役で徴兵された民間人の視点を通して、前線の惨状や彼らの思いや葛藤も描かれています。

脚本は、当時の時系列や状況を徹底して調査・取材を行い、膨大な資料を収集した上で書かれただけあって、さながら歴史を動画で勉強しているような気持ちにさせられます。映画の大部分を占める戦闘シーンは、派手な爆発や炎上シーンとともに、現地をリアルに再現したセットがリアルさを増して迫ってくるようです。戦争物は苦手なので何度も繰り返し登場する戦闘シーンに正直観るのが苦痛でした。

公開当時、戦争を肯定する映画と思われて「戦争賛美映画」「軍国主義賛美映画」「右翼映画」と批判され、音楽(防人の詩、聖夜)を担当したさだまさし氏も攻撃の対象となったことを覚えています。映画の内容は、戦争に突き進んだ当時の風潮を描いたものであって、当時の政治を肯定するものではなく、逆にそうした時代や体制への批判の意図が込められていることはちゃんと観ればわかることなんですけどね。

さだまさしは主題歌を依頼された際、音楽監督の山本直純に「二百三高地の何を描くんですか。要するに”勝った、万歳”を描くんですか?」と尋ねており、「そうじゃない。戦争の勝った負けた以外の人間の小さな営みを、ちゃんと浮き彫りにしていきたい。そういう映画なんだ」と答えが返ってきたことを受けて依頼を快諾したという逸話がある(Wikipediaより)

観終わって感じたのは、やはり戦争で犠牲になるのは名も無き庶民であり、一兵卒だということです。国の繁栄のためという大義を掲げても、要は高位軍人の陣取りゲームであり、兵士は盤上の取り替えのきく駒でしかないのです。海軍が有利に戦えるよう、陸軍に無理押しして旅順を落とさせたのであり、無茶とわかっていてその要求を退けられなかった乃木は、日露戦争を勝利に導いた英雄としての評価はそれとして、戦略に固執して無為に大勢の兵士を失った責任も大きいと言わざるを得ないと思います。

映画では、二人の息子の戦死の報告を受け、表向きは厳然とした態度でいながら、独りになった時に見せた悲しみに耐える姿に、彼も人の子・人の親であることを印象付けていました。特に保典(永嶋敏行)とは同じ旅順の戦場にいて、何度か父子での会話シーンもあり、軍人としてだけでなく親子としての情が描かれていたので尚更です。また、小賀から浴びせられた言葉に内心激しく傷ついたことが察せられるのが、軍情報告の場で泣き崩れるシーンです。天皇が乃木に近づき肩に手をやり、皇后(松尾嘉代)がそっとハンカチを目に当てる・・実際は、天皇の御前でそのような振る舞いを軍人がすることはあり得ないし、天皇が一軍人の元に歩み寄るわけないので、これは明らかにフィクションなのですが、敢えてそういう場面を作ることで、彼の人間としての苦悩を現わして感動させる意図があったそうです。後に、明治天皇崩御の際、妻・静子(野際陽子)とともに自刃して殉死したことでも知られています。

予備役の民間人である小賀は、教師として「美しい日本」「美しいロシア」と板書し、子供たちにロシア人が皆悪者なわけではないと教えます。トルストイを敬愛しロシア語を学んだ彼が、旅順で最前線で戦う中で、上官や部下を失い、次第にロシア人に対する憎悪を募らせていく様が何とも切なく哀しく映りました。彼の帰りを待つ佐知は、米川の二人の子供を引き取り、自身教師として小賀の代わりに教壇に立ちますが、もし彼が生きて戻ってきたとしても、最早以前の彼とは別人になっていたと思います。小賀の最期の凄惨さも衝撃的でした。優しく善良な人間をあのように変えてしまう戦争の罪深さに戦慄します。

大勢の戦死者を象徴するような、遺骨(おそらくは遺品かそれに準じるもの)を抱いた遺族の長い行列と、勝利に湧く庶民の姿は相反するようで、これもまた現実なのだと思わされます。

この後に続く大戦を経て、多くの犠牲の上に築かれた今の平和を守り続けたいと改めて強く思いました。


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SUNNY 強い気持ち・強い愛

2021年10月01日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2018年8月31日公開 119分 PG12

阿部奈美(篠原涼子)、40歳。仕事ができる夫と高校生の娘を持つ専業主婦。家族の世話に明け暮れる生活に不満はないが、心のどこかで物足りなさも感じている。伊藤芹香(板谷由夏)、39歳。カリスマ性あふれる独身女社長。ガンで余命1か月。ある日、奈美と芹香が約22年ぶりに再会。芹香は奈美に告げる。「死ぬ前にもう一度だけ、みんなに会いたい」――。“みんな”とは高校時代の仲良し6人グループ“SUNNY(サニー)”。奈美は闘病中の芹香のために“サニー”のメンバーを捜し始める。少女たちはいま、それぞれ問題を抱える大人へと変貌を遂げていた…。果たして、奈美は芹香との約束を叶えることが出来るのか? 約22年の時を経て、強い気持ちと強い愛が再び彼女たちを輝かせる。(シネマカフェより)

 

2011年製の韓国映画「サニー 永遠の仲間たち」を大根仁監督でリメイクした青春音楽作品。90年代の音楽シーンを牽引した小室哲哉が音楽を担当しています。

90年代と言えば、コギャルにルーズソックスのアムラーが溢れていた頃。放課後はカラオケやプリクラに通うのが当時の女子高生の定番コースだった筈。私は既に大人でしたが 映画の中では安室奈美恵の「SWEET 19 BLUES」や小沢健二の「強い気持ち・強い愛」が流れ、高校時代の奈美(広瀬すず)の初恋相手であるロン毛のイケメン大学生DJ役を三浦春馬が演じています 他にも高校時代の梅(富田望生)の兄役で矢本悠馬、探偵の中川役でリリー・フランキー、梅(渡辺直美)の勤務先の陰険上司役で新井浩文が演じているのもある意味感慨深いものが

箸が転がっても可笑しい年齢のお喋りと笑い声に溢れたサニーたちの日常は、集まってもそれぞれスマホ画面とにらめっこな現代女子高生よりずっと輝いて見えます。そんな高校生の頃のキラキラしたサニーたちと対照的な、それぞれ問題を抱える現在の彼女たちとのコントラストにも注目です。

母の入院先で偶然再会した芹香に、余命一か月と明るく告げられた奈美は動揺しながらも、「サニー」のメンバーに会いたいという彼女の願いを叶えようと奔走します。奈美にとって芹香は島から転校して戸惑っていた自分を仲間として受け入れてくれた恩人であり特別な友人です(その割に卒業後は音信不通だったみたいだけど、そんなもんだよね~~女子関係って

最初に見つかったのは梅。彼女は不動産の営業職ですが、全く契約が取れず上司に嫌味を言われ、夫の借金に苦しんでいましたが、すぐに病室に駆け付け、久しぶりのお喋りに興じます。

映画は、現在と高校時代を交互に映しながら、彼女たちの青春を生き生きと描いていきます。あまりにも自由過ぎる高校生活の描写は自分が通ってきた環境と違い過ぎてちょっと顰蹙ものなのですが、これって一般的だったのかしらん?少なくとも進学校じゃないよね

ちなみに高校生役は芹香(山本舞香)、裕子(野田美桜)、心(田辺桃子)、奈々(池田エライザ)です。

次に整形外科医と結婚し貧乳が爆乳になっている裕子(小池栄子)が見つかります。探偵を使って探し出したことを知った彼女はプライバシーの侵害だと怒りますが、その裏で中川に夫の浮気調査を依頼したのがわかり、皆で彼女の夫に一矢報いるなど、ここまでは芹香も元気 でも確実に病魔は芹香を蝕んでいきます。

心(ともさかりえ)は借金とアルコール依存でボロボロになっていて、見舞いを拒絶します。そして最後の一人、奈々の行方もわからないうち、芹香は亡くなってしまいます。奈々はある事件で頬に傷を受け高校を退学して行方不明になったままでした。この事件がきっかけでサニーのメンバーもバラバラになったのですね。クスリが出てくるのも当時の女子高生にとってさほど珍しくないのかしら? パンツは売るけどウリはしないとかセリフに出てくるしな~~

芹香の葬儀の際、中川は芹香から依頼されていたと打ち明け、彼女の遺言を伝えます。いくつも会社を経営していたキャリアウーマンとはいえ、まるで救いの神のようなそれぞれへの援助はちょっと出来過ぎな気もしますが 遺産を受け取る条件が高校時代のSUNNYとして果たせなかったダンスを遺影の前で披露すること。踊り終わって「楽しい~!」と盛り上がっている中、傷の消えた奈々が登場します。どうやら池田エライザが大人奈々も演じていたようです。

ラストは高校生SUNNYと大人SUNNY、高校生エキストラのダンスシーンです。

ちょっとぶっ飛んでるけど、キラキラした青春時代を過ごしてきた世代には共感と懐かしさを呼ぶのではないかしら


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推し、燃ゆ

2021年10月01日 | 

宇佐美りん(著) 

推しが炎上した。ままならない人生を引きずり、祈るように推しを推す。そんなある日、推しがファンを殴った。(「BOOKデータベースより)

 

第164回芥川賞受賞作ということで評判になっていたので「オルタネート」と一緒に図書館で予約したのがもうかなり前のこと。やっと順番が回ってきて手に取った表紙がピンクに女の子のイラストでテンション上がりました。いかにも若い著者の本って感じね。

『推し』とは『一押しのメンバー』の短縮形。過去にアイドルのファンだったので(当時は〇〇担という言い方してたような)、主人公のあかりの行動や考え方は理解できるし共感する部分もあります。もちろんアイドルに限らず、アニメキャラや俳優、広い意味で自分の好きなもの全般に使える言葉のようです。

あかりは高校生で、彼女の推しはアイドルグループ『まざま座』の上野真幸です。彼女にはふたつの診断名が下されていて、いわゆる普通の子という枠からはみ出している少女です。そんなあかりにとって、学校もバイトも家でさえ生き辛い中で、救いが「推し」の存在です。

そんな「推し」がファンを殴ったというニュースが流れ、ネットも炎上。真偽がわからなくて混乱するけれど、あかりは推しを続けることだけは決めていました。生きること自体に疲弊していた彼女にとって、真幸の存在そのものが生きる意味になっていたのです。

だからといって、彼女は真幸に自分を認識して欲しいわけではない、直接的な接点を望んでいるわけではなく、ただ真幸そのものを知りたいと願っています。部屋の片づけも勉強も苦手なのに、真幸に関することだけはきっちりファイリングして整理しています。この描写は誰かのファン=推しになったことのある人にはとても身近に感じられる行動だと思いました。

推しに対するこの情熱だけは彼女にとって揺るがない、肉体で言うなら背骨のようなものです。

ところがある日真幸はグループ脱退し業界を引退すると宣言します。背骨である「推し」を失った彼女は、それでも生きていくことを選んだようです。彼女にとって、「推し」は分身でもありましたが、完全に同化していたわけではない気がしました。「生きる意味」を失った痛手は深く、また立ち上がるには時間がかかることは想像に難くありません。それでも、全身全霊を込めて一人の人を理解しようとし、夢中になるパワーを彼女は秘めていたのですから、その先に絶望が待っている筈がないとも思えました。

ただ、一般的には「推す」という行為を否定する気はないけれど、その程度についてはやはり程よい距離が必要かと 


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