杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

慈雨

2024年05月02日 | 
柚月 裕子 (著) 集英社文庫

警察官を定年退職し、妻と共に四国遍路の旅に出た神場。旅先で知った少女誘拐事件は、16年前に自らが捜査にあたった事件に酷似していた。手掛かりのない捜査状況に悩む後輩に協力しながら、神場の胸には過去の事件への悔恨があった。場所を隔て、時を経て、世代をまたぎ、織り成される物語。事件の真相、そして明らかになる事実とは。安易なジャンル分けを許さない、芳醇たる味わいのミステリー。


警察官を定年退職した神場智則は、妻の香代子と四国巡礼の旅に出ます。それは彼の贖罪の旅であることが徐々にわかってきます。
初めは一人で行くつもりでしたが、同行したいという妻への長年の苦労に報いたい思いもあって一緒に行くことにしたのです。飼い犬の老犬マーサの世話は同居の娘・幸知が面倒を見てくれ、二か月以上の長旅が始まります。

神場は16年前に解決済みとされた『純子ちゃん殺害事件』で口外できない苦悩を抱えていました。

旅に出て早々、愛里菜ちゃん殺害事件が起こります。犯人は小児性愛者と考えられ、現場近くで白の軽ワゴン車が目撃された点など16年前と酷似していることに胸が騒ぐ神場は思わず後輩刑事の緒方に捜査状況を尋ねます。
緒方にとって神場は今も尊敬する刑事で、かつ恋人の幸知の父親でもあります。捜査が難航するなか、緒方は神場に助言を求めてきます。
神場は緒方が立派な男だと認める一方、娘が刑事の妻になって辛い思いをすることを考えると交際を認めることができずにいました。

以後、神場と緒方はそれぞれ別々の場所で二つの事件に向き合っていくことになります。

二つの事件が同一犯による可能性に気付いた神場。純子ちゃん殺害事件で逮捕した犯人が冤罪だったのではないかと疑念を抱き続けてきた彼にとって、
愛里菜ちゃん殺害の犯人を追うことは、警察の不祥事を暴くことになり、刑事を引退した彼にとっても他人事では済みません。同時に妻子にも迷惑をかけることになります。強い葛藤を抱きながら巡礼の旅を続ける夫に香代子は不安を覚えながらも敢えて問うことはせずについていきます。

旅の途中途中で、夫婦の過去や関わった事件のエピソードも登場します。
幸知が夫婦の実子でないことは名前の「幸」という字から察知できました。
夫婦が三度出会う遍路の男性の過去は哀しかった。温かくもてなしてくれた老婆の壮絶な過去の話も・・・不躾と承知していながら敢えて問う神場への返答が彼の背中を押します。

刑事として一生を全うする覚悟で、このまま真実から目を背けては人間として失格だと心を決めた神場は同じ後悔を抱える鷲尾捜査一課長に話し、共に被害者や遺族の無念を晴らそうとします。立場上表立っては動けない鷲尾は神場の推薦のもと、緒方を秘密裡の捜査に引き入れます。

権力の失墜を恐れた上層部から再調査を禁じられ抗えなかった神場と鷲尾の後悔を知った緒方は、恋人の父親を追い込むことになるかもしれない捜査に苦悩しながらも刑事を続けていく覚悟を神場に伝えます。
神場は緒方に娘が実子でないことを告白しますが、緒方から幸知は既にそのことを知っていると聞かされ驚きます。夫婦は幸知が苦しむのではないかと考えずっと伏せてきたのです。全て自分の杞憂だったと知った神場は緒方に娘との交際を許します。

旅が終わりに近づいた頃、喫茶店で目にした男の子の行動にヒントを得た神場はすぐに緒方と鷲尾に連絡します。これがきっかけとなり執念の捜査が実り愛里菜ちゃん殺しの犯人が逮捕されます。それは即ち純子ちゃん事件の犯人であることも示唆されますが、結末では触れられていませんでした。
全てを捨ててでも刑事として生きることを決めた三人の執念の物語でもあります。

人間には八十八の煩悩があり、四国霊場を八十八ヶ所巡ることで煩悩が消え、願いが叶うとされる巡礼の旅の様子はちょっとしたガイドブックのよう。
妻と共に辛い道のりを歩き、人の温かい心に触れるうちに神場の中の迷いも消えていきます。
上意下達の警察組織の中で声を封殺された神場と鷲尾の苦悩は自分たちの正義の挫折でもあります。二人が悪夢にうなされるのはその後悔から来ているのですね。冤罪となれば彼は全財産を被害者遺族と犯人として服役している男に渡すと決めていますが、この点に関してはそこまでする必要があるのかとの思いもあります。そもそも犯人とされた男には多数の性犯罪の余罪があり、同情できないということもあるので。ただ、冤罪はやはり許されることではないことも承知しています。十数年前ということでDNA鑑定の不確かさという要素も含まれていてなかなか難しい問題でもありました。

神場は旅を通して妻への感謝を改めて感じることになります。刑事の妻として夫を支え続けた香代子の大らかさや人に対する捉え方が神場の心の支えとなっていたことに彼は気付くのです。刑事の娘である幸知の緒方に対しての心遣いも母譲りと言えるでしょう。

表題の「慈雨」は結願寺の手前で降ってきたお天気雨。まさにラストに登場するそれは、物語の締めくくりに相応しい優しく降り注ぐ慈しみの雨なのでした。

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