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シアトルの9つの魅力~パイク・プレース・マーケット物語

2014-03-04 23:07:21 | シアトル


シアトル9つの魅力が続きます。
今日は「その8」ですけれど
実はこれ、もしかしたら一番シアトルらしい魅力かもしれません。
「パイク・プレース・マーケット」です。

本で学んだり
ガイドつきのツアーに参加したりしてわかったことはこんなこと。
面白いです!

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1907年に創設されたアメリカで最初のパブリック・マーケット(公設市場)、パイク・プレース・マーケットは、地元の農家の人たちと消費者を結ぶ「コミュニティーセンター」であり、世界中の人たちが集まる場でもありました。そこに買いに来る人たちは、プロの料理人もいれば、ごく普通の家庭の主婦たちもいました。ゴールドラッシュの時代には人々が膨らんだ財布の口を開けました。

今でこそ「シアトルのアイコン」と呼ばれるようになりましたが、ここに至るまでには様々な歴史がありました。大恐慌の時代に市場を支えたのは、勤勉な日本人移民の農家の人々でした。しかし、1941年の真珠湾攻撃の後、ルーズベルト大統領の政策により、11万人もの日系人たちが拘留され、農地を手放さねばならなくなりました。これによりパイク・プレース・マーケットは衰退し、崩壊して行くのです。

日系人たちがいなくなった後を占めるようになったのがイタリア人たちでした。しかし、戦前の活気が戻ることはありませんでした。

1950年~1960年代になると、消費者たちが郊外へと移り始めました。そして彼らは地元の小さな店で食材を買うようになりました。日本人が所有していた「ラサールホテル」も売春宿と化し、マーケットはそれまでの趣を変えていきました。

1970年、ワシントン州は「パイク・プレース・マーケット」を歴史保存地区に指定しました。1973年にはマーケットを再興するための組織「Pike Place Market Preservation and Development Authority (PDA)」が設立されました。

けれども、今日にいたるまで「パイク・プレース・マーケット」は日々の運営のための公費をもらってはいません。収入源はマーケットに住む人たちの家賃収入だったり、各種イベントからのものだったり、マーケット入り口で私たちを迎えてくれる豚さんの貯金箱からだったりします。このマーケットのアイドルの大きなブロンズの豚、レイチェルの前にはいつも写真を撮る人たちが群がり、その鼻はぴかぴかに光り、そのお腹には毎年1万ドル(百万円)を越す募金が集まります。


1985年、木の床が腐っていることが見つかり、PDAは「Pave the Market Arcade Project」(アーケード舗装プロジェクト)をスタートさせました。舗装をするための名前入りのタイルを35ドルで売ることにしたのです。46,500枚のタイルが買われ、アーケードは舗装されました。

現在では、「パイク・プレース・マーケット」は、3.65万平米にわたる広さの中に様々な機能を備えるようになり、シアトルで最も有名な観光スポットとなりました。商談がまとまるや、店のお兄さんたちが大きな鮭や蟹を放り投げるパフォーマンスは名物行事。大きな鮭が頭の上を飛ぶたびに、観客の喝采が上がり、カメラのシャッターが切られます。


毎月発行されているフリーペーパー「Pike Place Market News」によれば、現在の店の数は次の通りです。


アンティーク 8店
アート、ギャラリー 8店
バッグ、財布 3店
パン 9店
本 7店
チーズ、乳製品 6店
衣服、アクセサリー 14店
珈琲、紅茶、香辛料 6店
プレイガイド 1店
魚、肉 10店
青果 18店
ヘルスケア 6店
ホテル 2軒
アパート 6軒
宝石 8店
美容、理容 18店
農産物製品 8店
レストラン、カフェ 54店
土産物、玩具等スペシャリティー 38店
ツアー 1店
ワイン、煙草 4店
クリニック、インフォメーション等サービス 9店   (計244店)


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