Rain or Shine~メイおばさんの宝箱

雨が降れば虹が出る、晴れた空には光が躍る。
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表札から見えてくること

2015-06-05 09:18:37 | 文化の違い

「ウォーキングシアトル」の本を片手に
あちこちをウロウロと歩いていると
いろいろなことに気づきます。

そのひとつが「表札」です。
日本では「表札」はごく普通のこと。
たいていは大きく苗字が書かれたものが家の玄関口や
門柱に見られます。

中には苗字ばかりか名の方まで
フルネームで書かれたものもあります。
さらには、家族全員の名前が並んでいるものもあります。

その手のお店に行けば
表札コーナーには大理石や木や金属などを使った
さまざまなデザイン、字体の表札の見本がずらりと並べられています。

でもこれ
今頃になって気づいたのですが
これまで住んでいたどの国でも
訪れたどの国でも見られないことでした。

そんなことを先週末のウォーキングで気づきました。
ここアメリカでも家々の前に数字は書いてあっても
居住者の名前が書かれているのは一度も見たことがありません。

なぜかしらと考えてみたら、二つの理由が思い当りました。

まず一つ目は
プライバシーの保護という点で日本は他の国々とはまるで違うセンスだということ。
アメリカでは、その家に住んでいる人が何という名前の人なのかなどは表からはわかりません。

今いるこのシアトルの家だって
XXXX ○○Street
だけでわかってもらえます。

他にもいくつかの国、いくつかの町に住んできましたが
やはり通りの名前と番号だけでした。

この家に誰が住んでいるか、というのは
明らかに、守るべき「プライバシー」なのです。

そして二つ目は
どこも道路の名前があって
その両側の家々、あるいは建物に
ひとつひとつ番号が付けられているこということ。

ですから「○○通りの222」という住所に住む人は
一家族だけ、あるいはそこに建つ集合住宅に住む人だけなのです。
実にわかりやすく整然としています。

ですから郵便屋さんでなくたって
通りの名前と番号さえわかれば
まず迷うことなくそのお宅を見つけることができます。

それに対して日本はどうでしょう。
私の東京の家の前の道路には何の名前もありませんし
○丁目は不規則に広がっていますし
番号だって規則的とは言い難いこともあって
住所だけでピンポイント的にぴたりと探し当てるのは至難の業です。

こんな一面からも
セキュリティーやプライバシーに対する
感覚の温度差と
日本の住所表示の曖昧さが見えてきます。


読んでくださってありがとうございます。
どうぞ今日も良い日でありますように。
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