AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

首下がり病の針灸治療検討(89才、女性)ver.3.0

2024-06-13 | 頸腕症状

 1.本患者のこれまでの経緯

4年前(85才頃)ほど前から、急に顔が正面に向けづらくなってきた。右手のしびれと脱力感も出てきたので、整形訪問。手根管症候群と腱鞘炎と診断され、手術をうけた。それにより右手症状は改善したが、顔の上げづらさは不変。
顔が下を向いた状態で、正面を見ることが非常に困難。マクラをしないと仰臥位になることはできない。握力は左8㎏、右10㎏。

患者の写真

椅子に座ると、自然と背中を反らした姿勢となり、首下がりの状況を目立たなくしている。
立位になると、後頭部より隆椎の方が低くなる。

 

この患者は以前から頸痛、背痛などでたまに当院に受診していた。今回は2年ぶりの来院で、その時に顔が下を向きっぱなしになっていたので、非常に驚いた。高齢であることから、その時点では頸椎圧迫骨折による変形性頸椎症だと考えた。
 
そうなると、針灸治療の方針は、頸部に加わった力学的ストレスを一時的にでも緩和し、筋疲労をとることだと考え、頸椎と上部胸椎の一行深部筋(半棘筋や多裂筋など)をゆるめ、また頭蓋骨と頸椎間の筋疲労を改善するため、後頭下筋郡や頭半棘筋をゆるめることだと考えた。側臥位で、これらの筋に刺針し10分置針した。要するに一般理学療法のような施術をした。それ以外の治療法を思いつかず、効果も不明だった。こうした治療を年に数回行った。

最近、この患者がまた来院。大学病院を受診した結果、「首下がり症」と診断されたという。担当医は「後頭部を下に引っぱる筋がはずれていている(原文まま)。骨にボルトを入れ、頭を支える手術を行う手もあるが、高齢なので心配だ。自分はこれまで7例手術した」と説明した。頸椎変形については、特に指摘されなかった。顎が胸に付いている状態”chin on chest”でありで、後頭部よりも上部頸椎の方が上にあった。

「首下がり病(=首下がり症候群)」は初耳だった。関節の問題でなく、筋の問題であるならば針灸でも治療方法があるかもしれないこと、後頭部を下に引っぱる筋は多数あるので、はずれてしまった筋があっても残存する筋の収縮力を復活させることができれば、症状が軽減するかもしれないと考えた。本患者の最も強い圧痛点は、C7~Th3の2行なので、頸半棘筋のアイソトニック筋収縮状態であり、頭蓋骨を前に倒れそうになるのを、防いでいると考察した。左上天柱の圧痛は頭半棘筋停止部反応。

2.初期の針灸治療

この患者は、頸を左右に回旋する際につらいのではなく、単に座って静止している状態で頸が前に垂れ、それが持ち上がらないのが苦痛である。ゆえに、頭板状筋や頸板状筋に対して施術するのではなく、まずは側臥位で頭半棘筋~頸半棘筋~胸棘筋の筋疲労(=過去収縮)を改善する目的で刺針することにした。を姿勢にする。また大後頭直筋に対しても同様の手技針を行った。

 

この方法の治療直後効果は、「頸が持ち上げられる」というものだったが、他覚的には頸の前屈の程度はあまり変化がないように見受けられた。
実は、上記の治療には疑問が残っていた。緊張し過収縮している筋に対して刺針すると、筋緊張がゆるみ筋長が増すというのが普通の考え方だが、今回の等張性筋収縮状態に対しては、これを緩めると、余計に頭が垂れてしまうのではないかとも思ったのだった。
ただ、患者が針が効いたと返答したので、まずはよかったのではないかと自分を納得させた。


3.1ヶ月後の治療

週に1回程度の頻度で、当患者を治療した。圧痛点は毎回、下玉枕(頭半棘筋停止部)とC6~Th2突起直側すなわち半棘筋と思える部に存在した。また胸鎖乳突筋の乳様突起停止部に強い圧痛があった。要するに体表所見は初回とくらべて大した変化はなかったので、初回と同様の針灸治療を行った。しかし施術後、今回は治療後にも顎が上がらないと訴えた。そこで側臥位ではなく椅座位にしてC6~Th2の高さの頭・頸半棘筋にしっかりと数分間雀啄してみると、今度は頸が上がるようになったとのこと(他覚的に前屈は改善したようにみえなかったが)。

しかしながら、座位で上記の筋に同じように雀啄した場合、効く場合と効かない場合があって、毎回試行錯誤で微妙に刺激点を変えねばならなかった。

 

4.長・短回旋筋に対する治療へ

初期の治療計画は、もともと合理性がなかったのだが、効果があったので結果オーライとした。しかしやはり無理があった。
そこで別の角度からの治療を考えてみた。頸下がりの現状は変えようがないが、頸が下がってつらいとする苦痛を改善すればよいのではいかと考えることにした。すなわち筋に対する施術ではなく、神経に対する施術に変更である。

頭・頸半棘筋の深層には長・短回旋筋がある。これは椎間関節部にも付着していて、脊髄神経後枝支配である。C2より下位の頸椎棘突起外方1寸あたりを刺針ポイントとし、頸椎にぶつかるまで深刺するようにする。針先は、長短回旋筋と椎間関節両方を刺激することになるだろう。表現を変えれば、<頸下がり症>の苦痛の一部は、頸部椎間関節症の痛みに由来するのではないか、と大きく考えを変化させた。

本患者を座位にして、寸6#2針でC2~Th3両側の棘突起外方1寸から2㎝程度の間隔で数本直刺深刺(針体の2/3ほど入った)して椎体にぶつけて、コツコツと骨膜をタッピングしてみると、これだけで自覚的には首があがるようになったとの効果をえた。これまで苦労しきた筋に対する治療はいったい何だったのか。

5.まとめ

1)首下がり病の症状は、①頭蓋骨の前傾自体、②そのことによる苦痛、の2つに大別できる。
2)いろいろ針灸治療を試みてみたが、①に対する治療効果はないようだった。施術前と施術後の写真を比較してみても、頭の前屈角度に改善はなかった。
3)毎回施術は同じように行った。施術後も「首が上がらない」との訴えた際には、
「首が上がるようなった」という返事を引き出せるまで施術を続けた。引き続き行う施術とは、Th6~Th3背部一行と頸椎外方3寸のところに行うことが多かった。つまりは頸板状筋の起始である肩甲間部の一行の圧痛点と頭板状筋の停止(下風池)あたりの圧痛点に治療効果があったようだ。いずれも深刺の必要はなかった。当初、頸椎に対しての頭蓋骨の前傾を問題視していたが、胸椎に対する頸椎の回旋に対する治療効果があったようだ。「首が上がるようになった」との申告は、頸の左右回旋がしやすくなったとのことのようだ。
4)結局、「首下がり病」に対する針灸の意義は、首が下がっていて苦痛な気持ちに対するものと思われた。対症療法にすぎないが、他の手段にとって代わることができきにく一定の価値があると思えた。