日産玉川病院東洋医学科では、腹証を診ていた。古典的解釈と現代医学的解釈を併用していたが、意見の統一をはかるための資料として「東洋医学診療マニュアル」(代田文彦先生口述、鈴木育夫、武藤由香子両先生整理)が作製された。この冊子の部分的紹介が当ブログ2006年5月14日報告の<腹証に対する現代医学的解釈>であった。
あれから十二年経た現在、ブログ<alternativemedicine>腹証に関する研究文献の紹介が記されていた。このブログ著者は匿名だが、日頃から国内だけでなく国外の高水準の鍼灸関連文献を紹介しているので、おそらく関西在住の鍼灸大学研究者であろう。今回の腹証に関する文献も私の知らないことが多くあり、その内容を私のブログに利用させていただいた。
1.腹部全体の緊張
1)所見
著しい腹壁の緊張。腹壁は板のように硬くなる。
2)解釈
代田文彦氏(以下代田と略):腹膜刺激症状としての筋性防衛。緊急手術が必要。
2.腹満
1)所見:自他覚的に腹が全体に張っている。
2
)解釈
①一般:腸内のガスは、小腸の栄養吸収力不足のため、大腸にまで栄養成分が行き、これを養分として腸内細菌の異常発生による。治療は小腸機能の活性化をはかる。
②代田:多くはガスで、ガスか否かは打診で判断する。鼓音を呈すればガス。他覚的な膨満のみで愁訴が伴わなければ現代医学では問題にしない。
3.心下痞鞕(しんかひこう)
1)所見
心窩部が硬くなり、押すと硬い抵抗に触れる。心下部がつかえるという自覚症状のみは、心下痞という。「鞕」の読みは「こう」かたい、しんがかたい、かたくこわばるとの意味。心下痞硬は誤字だが、今日では心下痞硬と表記する方が普通になってしまった。
2)解釈
①代田:胃腸管スパズムの反応。もしくは腹腔神経叢の反応。瀉心湯を用いる。
②寺澤捷年氏(以下寺澤と略):心下痞鞕が膈兪・肝兪・胆兪などの脊柱起立筋群の刺鍼で消失することを報告した。しかし、これらの刺鍼で胸脇苦満は消失しないことを同時に報告した。
4.胸脇苦満
1)所見
肋骨弓から心窩部にかけて、帯状に自覚的な重苦しさ、張った感じを訴える。他覚的には、肋骨弓下縁から手を内上方に押し上げるように挿入すると抵抗を感じる
2)解釈
①代田:横隔膜隣接臓器(おもに心、胃、肝)の異常により、横隔膜が緊張している状態。おもに左側は肝臓、右側は胃の反応。なお古典でいう肝の病は、現代ではストレスに該当するので、胸脇苦満は心労でも生ずる。柴胡剤(大柴胡湯、小柴胡湯など)を使うが、それよりも中背部の鍼灸の方が早く治せると思う。
②寺澤:棘下筋の天宗への刺鍼で、胸脇苦満が消失し、さらに「しゃっくり(吃逆))」が消失することも経験した。棘下筋がC5・C6に起始する肩甲上神経に支配され、横隔膜がC3・C4・C5に起始する横隔神経に支配されることから横隔膜からの内臓体性反射で「胸脇苦満」が起こるのではないか?と考察した。
寺澤 捷年「胸脇苦満の発現機序に関する病態生理学的考察—胸脇苦満と横隔膜異常緊張との関連—」『日本東洋医学雑誌』Vol. 67 (2016) No. 1 p. 13-21
5.胃内停水(心下支飲)
1)所見:仰臥位で心窩部を軽く叩打すると、ポチャポチャと振水音がする。
2)解釈
①代田:胃が拡張し、液体成分と空気が多量に存在する場合に生ずる。胃が水をさばききれない時に生ずる。胃の消化機能低下状態。虚証のサイン。人参湯、四君子湯などを使う。
②鈴木育夫氏:腸機能の低下が本体で、腸への水分流入を拒否しているので結果的に胃内の水分が腸に流出できない状態か?
6.腹皮拘急(=腹皮攣急)
1)所見:左右の腹直筋が細く緊張している状態。
2)解釈:交感神経緊張状態
7.小腹急結(=少腹急結)
1)所見:指頭を皮膚に軽く触れたまま、左臍脇から左腸骨結節にむけて、迅速になでるように走らせる。この時、擦過痛を有するもの。索状物は触れても触れなくてもよい。索状物があって擦過痛がないものは小腹急結ではない。
東洋医学の腹部名称は、次のごとくである。下腹部を「小腹」、側腹部を「少腹」というが、鼠径部あたりは小腹・少腹どちらになるかは判然とせず、どちらも認められている。
2)解釈
①古典的解釈:瘀血の重要所見。駆瘀剤(桃核承気湯など)を用いる。
②形井秀一氏:腹大動脈が左右の腸骨動脈に分岐するあたり(とくに左側)は、圧迫されやすい。(「治療家の手のつくりかた」六然社)
③代田:婦人科生殖器内臓の部分的浮腫。
8.小腹不仁
1)所見:上腹部に比べ、下腹部が軟弱(緊張度が低下)で空虚である。不仁とは、普通でない状態をいう。
2)解釈
①古典では虚証のサイン。八味丸が用いられる。
②似田:腹腔は臍から上は陰圧、臍部で大気圧と同じ。臍下は陽圧となっている。生理的に下腹は上腹に比べ、硬いのが正常。