AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

犢鼻褌の話

2024-06-10 | 経穴の意味

改訂版の学校協会編「経絡経穴学」では「外膝眼」の位置を「犢鼻」としている。つまり外膝眼と犢鼻は同じ部位となってしまった。日本経穴委員会が制定した以上、表だって反論はできないが、既存の鍼灸有資格者からは不評である。

膝蓋骨の左右下縁には、内膝眼と外膝眼があり、そのすぐ下方の膝蓋靱帯上に犢鼻をとる。この3つのツボがセットとなって仔牛の目と鼻になるという、興味深いたとえが失われてしまった。わが道を歩む鍼灸有資格者にとって、このような変更は無視すればよい話であろう。

話は変わり、江戸時代は、褌のことを犢鼻褌(とくびくん)とよぶことも多いことを知った。
ちなみにわが国で褌をするようになったのは江戸時代中期からで、それ以前は着物の下には何もつけていなかった。褌は男女とも使われたが、女性では褌に代わり襦袢を着ることもあった。女性より男性の方が小便や精液で着物を汚すことが多かったので褌は必要な発明だった。江戸の男にとって、衣類の一つであって、暑い季節には褌一本で街を歩く者も普通にいた。

ところで褌を犢鼻褌とよんだ理由は、いくら調べても分からなかったので空想してみた。犢鼻褌とは犢鼻を守る褌ということで、犢鼻が非常に重要な部分であることが知れる。

褌はなぜ衣+軍となるのかは調べて理解することができた。軍は車+勹(つつむ)からなり、指揮官が乗る戦闘用馬車と、3組(1組25名)の歩兵団を組織していた。
これが転じて、褌は重要な部分(陰部)を防御する衣としての意味があると推測した。

 

古代中国の戦車は馬2頭立で、戦車には3人(御者、弓兵、槍兵)が乗った。弓は司令官が兼ねていた。主力武器は戈(か)とよばれた、長い柄に直角となる刃をつけたもので、いざ戦闘が始まると、疾走しながら次々に敵をひっかけて手傷を負わせ、敵を混乱させた(槍で敵を刺すと、抜けなくなって槍をもっていかれる)。後に続く歩兵が手傷を負った将兵を討ち取った。この戦闘用馬車は一騎でも平地では歩兵80人に相当する力があり、狭隘地でも40人の歩兵に相当する力があるとされた。