AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

中殿筋痛による歩行困難に対するリフォーマーベルトの適用

2012-03-24 | 腰下肢症状

1.症例提示

1)症例1 86才、女性

往療患者。かなりの肥満体。家の中を移動していてつまづき、転倒して左殿部を床に強打。以来、3週間歩行不能の状態。日常生活はほとんどベッド上で過ごし、大小便は、ベッド横のポータプルトイレでやっと用を足している。立位不能。3週間前以前は、どうにか50m程度の散歩はできたという。

診断:中殿筋痙縮 


治療:中殿筋の過収縮であることは、圧痛より明瞭だった。坐骨神経の異常興奮ないことから、側臥位にて、大転子の上方2㎝の部の中殿筋にむけ、10番針にで2寸深刺し、5分置針。他に圧痛点に円皮針して治療終了。数秒間の立位姿勢保持が可能となった。



経過:
上記治療を2回行い、殿痛は半減し、立位は可能となるが、歩行は不能状態。要するに上記治療は有効であるが、歩行という負荷までは耐えられない状態である。そこで、ふとリフォーマーベルト(商品名)の使用を思いつき、次回往療時から試みることにした。中殿筋を圧迫することで中殿筋可動性を減らし、股関節の不安定性を減らすとする考えからである。これまでと同様の鍼治療を行い、立位の状態で、リフォーマーベルトを骨盤に巻いた。すると、数歩のができるようになった。
リフォーマーベルトを装着して自宅にて歩行訓練を一日3回5~10分間ほど行うと、リハビリ効果が得られ、その2週間後には、50m程度の歩行ができるまでに回復した。

2)症例 96才、女性
2ヶ月前にL3を圧迫骨折、以来腰殿部が痛く、杖歩行でどうにか10歩前後歩ける程度だとのことで、家人に連れられ当院受診。診ると、腰椎上に圧痛はなく、L3圧迫骨折はすでに癒合しているようだ。圧痛は左殿部の、中殿筋部に強く限局してみられた。

診断:左殿筋痙縮


治療:左側臥位にて、上記の要領で中殿筋に深刺し、5分間置針。立位にして歩行を指示するも、足が前に出にくい状態だったので、リフォーマーベルトを骨盤に巻くと、ただちに数十歩の歩行かできるようになった。

3)症例 92才、女性
6時間正座し続けた後、立とうしたら、左臀部~大腿外側が痛み、また膝蓋骨上方が割れるように痛むようになった。歩くことも、立ち上がることもできない。整形外科で腰にブロック注射3カ所実施するも改善なし。

診断:左中殿筋痙縮

治療:上記2例と同様に、2寸4番針にて、側臥位にて中殿筋へ置針した。すると治療直後は、立つことはできても、始めの一歩が踏み出せず歩行困難。また治療後半日もすると再び歩けなくなるという状態を何回か繰り返した。そこで上記と同じくサポーターを装着すると、一瞬は杖歩行可能となった。しかし痛みが強くてやはり歩行困難。その間、時々神経ブロック注射受けてはいるが、ほとんど効いていない。
なぜ効果的な治療ができないのか悩んだが、ある日整形で股関節のX線撮影をすると、大腿骨頸部骨折があることを発見された。その数日後手術し、2ヶ月後無事退院。以来、臀部痛は消失している。


2.症例解説


1)中殿筋の機能と障害

中殿筋と小殿筋は、腸骨外縁と大転子を結び、股関節外転作用がある。上殿神経(仙骨神経叢の枝)支配。ちなみに大殿筋は、腸骨仙骨外縁と大腿骨を結び、股関節伸展作用である。下殿神経(仙骨神経叢の枝)支配。 
下肢症状を伴う殿部痛では、まず坐骨神経痛を考える。しかし下肢痛がなく、殿部痛単独の場合には、上殿神経または下殿神経の興奮を疑う。上殿神経や下殿神経は運動性の神経であり、支配筋の緊張状態、そしてトリガーポイントを形成することがある。
なお中殿筋麻痺ではトレンデレンブルグ徴候陽性、つまり患肢のみで立位を保持しようと思うと、健側骨盤が降下する現象が認められることはよく知られる。本症例の場合、麻痺ではなく、筋のコリ(=短縮)である。

2)症例3の診断ミスについて
症例3は、私は当初は左中殿筋痙縮として、この病態に対する針治療を行った。しかし経過は予想を下回り、症状不変。結局、大腿骨頸部骨折が真因だったのだ。突然発症したとはいえ、めだった外傷はなく、整形で神経ブロック注射もしていたので、予想外の事態となった。
率直にいって、このあたりが開業針灸の限界だと思う。針灸治療に原因があるのではなく、医療機関外で働く針灸師の環境問題、主として法規の問題となる。PT、ATなみの待遇で、病院で実際に鍼灸治療ができる環境が必要であろう。

3)リフォーマーベルトについて
リフォーマーベルトとは、生ゴム性で伸縮に富む骨盤矯正の補助運動器具である。しかしそれだけでなく、中殿筋緊張コリ(=短縮)に伴う歩行困難にも効果的に作用する例があることを発見した。何とかでも自力での歩行ができるきっかけをつかめれば、歩行訓練により、歩行の安定性の改善や歩行距離の延長が得られるようになる。
※筆者のリフォーマーベルトは、「からだはうす」で購入。各サイズある。6本6000円前後。


 


鍼による気胸事故の事例-その対応と費用 

2012-03-17 | 雑件

はじめに
知人のA針灸師が気胸事故を起こした。A針灸師はこの事故の終始を記録に残していたが、私はそれを一読し、貴重な記録であることを知った。当人から、人名・地名を隠すのであればブログの題材として使ってよいという承諾を得られたので紹介する。彼は医療事故用の保険に加入していなかった点はマイナスとしても、誠意をもって患者との対応にあたっているので評価できよう。

1.気胸事故の発端
平成22年3月7日に後頸部痛を主訴として晶子様(仮名)来院。以降4回施術。3月22日午前10時、施術5回目。耳鳴りと後頸痛治療を実施。同日午後4時来院。後頸部と上背部の痛みがつらいと執拗に訴えるので再度治療(2回目の施術費は無料とした)。この時、胸椎1行への深刺(交感神経節に影響を与える目的)を実施したが、これが気胸を生じた原因だったようだ。
同日午後5時に当院に電話あり。右前胸部第3肋骨周囲が痛み、呼吸苦もあるという内容だったので、さらにもう一度当院に来院するよう指示。

2.医師の診療とご主人との話合い
その患者は3月22日午後5時30分、自転車に10分ほど乗って来院。診察して気胸を疑い、当院では処置できないと判断。午後6時30分、A針灸師が患者に付添い、タクシーにて近隣病院救急外来受診。なおタクシー代890円はA針灸師が負担。
診察・検査の結果、右気胸と診断。3日程度の入院が必要とされ即時入院が決定した。
患者はその旨を、会社にいる夫に連絡した。なお加害者である針灸師に非があるとすれば保険適応にならず、医療費の全額を支払うことになるが、現時点では決定できず翌日以降、院内の会議で決定するとのことだった。
当日夜9時頃、晶子様のご主人が病院に到着。状況説明と謝罪をし、とりあえず医療費の全額をA針灸師が支払うことと、慰謝料の額は後日相談することで合意した。夫は当然怒っていたが、直ちに病院に連れて行ってくれたことは評価してもらえた。 

3.病状経過
入院期間は4日間で、3月25日午後、患者軽快退院となった。毎日、A針灸師もしくはA針灸師の奥様のいずれかが見舞いに出向いたとのこと。なお医療費総額は保険適用と認められ、患者3割負担分として、53,342円だった。この費用は、A針灸師が病院に支払った。
3月31日の外来診療を予約し、タクシーで患者を自宅まで送り届けた(タクシー代1250円はA針灸師支払)。

4.弁護士との相談
慰謝料について、どのようになるのかを、○○東京三弁護士会、○○法律相談センターのK弁護士に相談。つぎのような回答を得た。なお相談料は30分5250円だった。なおA針灸師は医療事故を起こしたのは始めてであり、弁護士に相談することも初めての経験だった。さすがに弁護士ということだけあって、状況を的確に把握し、また具体的な慰謝料をスラスラと提示してくれたとのこと。相談時間は30分で必要十分だったとのこと。
①慰謝料の計算は、本来は患者が治癒した時点で計算するもので、現時点では計算できないが、法的には次のことがいえる。
②入院期間の慰謝料
 生命に別状ない負傷のケースでは、入院1ヶ月で35万円。これを日割計算する。
 今回のケースでは、入院4日間なので、35×4/30=4.67 となるので、46,700円が妥当。
③外来時の慰謝料
 1ヶ月連続通院すると、その総額では19万円となり、1日あたり6,333円。
  (2ヶ月連続通院では36万円、3ヶ月では53万円で、日割計算)
 1週間に2回以上の通院では、非通院日でも連続通院したと解釈される。
 一方1週間1回以下では通院日を単独で計算し、1回5千円の計算となる。
  今回のケースでは3月25日退院、次回外来予定日は、3月31日ということで1週間未満であり、6日間の連続通院という解釈。すなわち19×6/30=3.8で、38,000円となる。
④慰謝料の合計金額
 仮に3月31日時点で、医師から治癒したと認められれば、慰謝料合計は、上記②と③の合計である、84700円という金額になる。
  また仮に、4月以降も1週間に1回で計4回通院し、4月末に治癒となれば、1回5,000円の計算で、5,000×4=20,000、すなわち20,000円が加算され、総計104,700円となる。
⑤この金額で、合意に達しない場合には、「調停」を申し込むとよい。


5.ご主人との話し合い
A針灸師とご主人が面談することになるが、第一回目ということで、第3者を交えない両者会談とした。A針灸師は、改めてお詫びした後、慰謝料の金額は弁護士の話では84700円となるらしいこと、これで合意できない場合、「調停」という手続きが必要となる旨を話した。
晶子様のご主人は、これで納得し、A針灸師が作成した示談契約書にサインした。A針灸師の精神的ダメージは計り知れないが、金銭的出費総額は、雑費を含て15万円程度だった。

6.示談契約書
上記当事者間において以下の通り示談が成立したので、本契約書を作成した。

第一条  本件事件の発生日時、状況は以下の通りである。(以後略)

第二条  乙は甲に対して与えた損害に対する責任を認め、気胸治療に要した医療費(通院のための交通費含む)の本人支払分の全額の支払、および慰謝料の支払いを約束し、平成22年3月末までの分として金八万四千七百円を、平成22年3月31日に支
払った。

第三条 乙は甲に対して、担当医師より気胸の治癒認定を受けるまで、平成22年4月以 降の医療費(通院のための交通費含む)の本人支払分の全額の支払、および4月以降の、法的基準に準拠した慰謝料の支払いを約束した。 


第四条  本示談以外に甲乙間においては何らの債権債務のない事を確認し、今後、上記以外の一切の請求をしない。

以上の通り示談が成立したので本書二通を作成し甲乙各一通を所有する。

 平成22年 3月 31日
                 患者(甲)               印
                 鍼灸施術者(乙)           印