AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

一筆書きからトポロジーへ ver.1.5

2024-07-01 | 雑件

この1~2ヶ月、他の先生方が執筆した奮起の会セレクション用テキスト整備に追われ、自分の鍼灸の追究ができていないことを苦痛に思う。当ブログに書くような内容も乏しくなった。たまには目先を変え、以前から興味があった<一筆書き>に関する知見を紹介する。

1.基礎編


ある図形が一筆書きできるかどうかの条件は、それぞれの角点に集まった線が、①すべて偶数か、②2本の奇数がある場合に限られる。①の場合、どの頂点から書き出しても一筆書きは成功するが、②の場合、どちらか一方の奇数の頂点から筆を出発し、最後に他の奇数の頂点を終点とするルートにして一筆書きは成功する。

2.応用編

問題1

一筆書きのコツは、前述した内容がすべてなので、これを理解した後は、次の問題も解けるはず。

問題1の解答

問題2

ヒント:どこから書き始めるかが重要。

 

問題2の解答

 

3.実地問題編

1)ケーニヒスベルグの橋渡り
①問題 ドイツの大哲学者カントが生まれた町として有名なケーニヒスベルク(現在のカリーニングラード)は、プレーゲル川にまたがったおり、18世紀の初頭には、下のようにこの川に7つの橋がかかっていた(実話)。その頃、この橋を全部ただ一度ずつ渡ることができるかどうかが、この町の話題になった。ある人は不可能だと言った。ある人は実際にやったらできたと言ったが、再現することはできなかった。

②解答
数学者のレオンハルト・オイラー(1707〜1783)がこの問題を取り上げて研究し、橋渡りが不可能であることを証明した。

 

A、B、C、Dは土地であって、橋に比べると当然その面積は広い。だがABCDの土地を頂点、橋を辺とすることで、橋渡りの問題は一筆書きの問題へと単純化できる。橋渡りの問題は、上の図が一筆書きできるか否かの問題に置き換えることができるが、頂点4カ所あるので、橋渡りは成功しないといえる。

 

③発展問題
ではこの橋渡りを成功させるにはどうすべきか、というとC-D,間に橋を一本新設すればよい。これにより、奇数の頂点は、AとBのみになる。Aを始点としてBを終点とする(またはその逆)道順が正解となる。

 

 

3)道頓堀の橋渡り

①大阪の道頓堀周辺には次のように多くの橋がかかっている。これらの橋を一筆書きの要領で、始点から終点まで渡りきることは可能か?

②解答

「ケーニヒスベルグの橋渡り」より複雑だが考え方は同じ。橋を結ぶ土地の関係を、トポロジー的に整理すると、次のようになる。角を構成する奇数の辺はA、B,G,Hの4箇所あるから一筆書きは不能である。ただしG-H(もしくはA-B)間に橋を新設すれば、奇数角が2箇所になるので、一筆書きは可能である。その場合、Aを始点としてBが終点(またはその逆)となる。

4.間中良雄のトポロジー(位相幾何学)

十二正経の基本的な経絡循環も一筆書きができて、これは筆者2024.6.14報告<奇経八脈・・・>で示した。

https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/06085ff4802003deee939ada19451657

この図を再掲載した。結局経絡を使った臓腑治療とは、赤い円内という体幹内ブラックボックスである六臓六腑の病変を、円外にある浅層経脈(通常学習する経穴走行)部分をを刺激し、リモート的に体幹臓腑を治療するという狙いである。

上図は十二正経の全体的走行を示したものだが、経絡のトポロジー性については省略されている。十二正経を三陰三陽区分中の4経絡に限定すれば、各経のトポロジカルな特徴を表現可能である。以下の図は、一例として12経絡における2順目の心経→小腸経→膀胱経→腎経の経脈を示したものである。臓腑そのものと、破線部分の経絡は体幹深層にあるので直接刺激できない。臓腑病変では実線の表在経絡を刺激して、リモートで体幹深層の病変をいかに治療するかを企図するものといえる。


 
一筆書きは,「線がつながっているか」が重要で,途中の線が曲がっていようが,線が短いとか長いかは関係ない。これはつながりの具合を示す幾何学である<トポロジー>の発想である。日本語では位相幾何学という。線の長短は関係なく、単にA地点とB地点が連結しているかを問題とするという考え方は、今日においては電気配線回路図にみることができる。

 
 経絡は、基本的に身を上下に流注しているが、症状部位に対する刺激(局所治療)とは別に、症状部位から数十㎝も離れたれた部位を刺激して、これを経絡的治療とすることもある。これが経絡治療の特徴になる。
 赤羽幸兵衛は左右の手指先の井穴、そして左右の足指先の井穴それそれ12穴の知熱感度を測定し、同じ経絡の熱知覚の左右差を問題視した。これを発展させのが間中良雄で、手指の同経の知熱感度の感受性の違いだけでなく、手と足の三陰三陽区分での井穴の感受性の違いを問題視した。さらに左指先井穴の知熱感度の総和と右指先井穴の知熱感度の総和を比較したり、また左足先井穴の知熱感度の総和と右足先井穴の知熱感度の総和を比較した。井穴データを種々の演算処理により特異的現象の発見に努めた。これらの演算は今日ではパソコンを使えば容易だが、今から40年前のことであれば処理に随分と手間がかかったことだろう。


ここで間中喜雄先生の構想されたトポロジーについて解説する。

 本解説の原本は「M.I.D.方式について 赤羽知熱感度測定法知見 捕遺」間中喜雄、板谷和子(北里研究所附属東洋医学総合研究所)、日本東洋医学会誌、第26巻第4号(1975)による。
なお現在でも、ネット検索で調べることができる。

1)赤羽知熱感度測定法について
1950年、赤羽幸兵衛は、手足の井穴を知熱感度測定法(手足の「井穴を線香の火で叩き、何回で熱く感じたかを記録)を発表し、これを知熱感度測定法とよんだ。左右の井穴の最大倍数の一組を問題視し、その経過に治療の重点を置いた。
 たとえば点火した線香の叩打数が、膀胱経井穴で54(左)対40(右)で、大腸経の井穴が3(左)対12(右)であるとすると、絶対数は膀胱経が異常に多いにもかかわらず、大腸経の左右比が4倍である天に意義をおき、これを治療対象にするというのである。
 そこで著者らは統計学者に依頼し、赤羽法の原法にしたがって得た数字の左右相関指数を統計処理してもらったが、はっきりした相関性を示す指数が得られなかった。

2)M.I.D.(赤羽知熱感度測定データのカテゴリー別分析)
 本来的に中国古来の經絡概念は、左右というカテゴリーだけですべてを律するという狭い規範は示していない。陰陽、表裏、手足などの相互干渉の法則性を規定している。
 そこで井穴の左右差のみを比較するのではなく、陰陽別、左右別、手足別などのカテゴリー別に整理して、その状況を調べることにし、これをM.I.Dとしてまとめた。M.I.D.とは、Meridian Imbalance Diagram (直訳で經絡不均衡図)の意味である。
 各種疾患について約150例以上の測定データを集積し、さまざまな傾向が得られたが断言できる段階にはない。まだ予備実験の段階であり、今後確かめていかねばならない問題が多くあった。コンピュータを使えば各データの特徴や傾向をさまざまな角度から調べられるだろうが、井穴知熱感度のデータそのものが信頼性に足るとはいいづらい。

※知熱感度測定法が左右差の是正のみを治療方針とすることは、私自身も違和感を感じ、すでに以下のようなブログを発表済みである。

井穴知熱感度データの新たな解析法(2017.6.21)

https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/02e50d1f7f7ae685c1c14816eb038bf6


ドレス色と静脈色の錯覚 ver,1,1

2024-05-14 | 雑件

1.ドレスの色の錯覚

015年頃、「写真のドレスの色は何色か?」ということで世間を大いに賑わせた。問題となった写真を見ると、私には黄色+白色に見え、それ以外に見えようがなかった。しかし人によっては青色+黒色にも見え、実物のドレスの色も青色+黒色だという。

この謎現象について、非常に理解しやすい絵を発見したので、転載した。

 

上段の2枚の絵は、左の女の子が青+黒の服を着ていて、右の子は黄+白の服を着ているかに見える。しかし左図の黒色部分と右図の黄色部分は、実は同色である。四角で囲んだ色はどれも同じなのである。

下段の2枚の絵は、上段の図を反転させたものである。つまり補色になっている。青色の補色は黄色、赤色の補色は緑色といった具合に。上の絵で上段のドレスの青色が下段では黄色に変化しているのがわかる。上段の黒色は下段では灰色となるが、背景が濃い灰色なので相対的に白色と認識されるようだ。

2.静脈色の錯覚

これだけの話ならば、改めて本ブログで取り上げるような話ではない。ところがである。

昔から医学書では静脈が青色で示されているのが常識だったが、
青く見える静脈は実は灰色だったということが判明してきた。人間の静脈は肌の色との対比による目の錯覚で青く見えているのであって、静脈の画像を物理的に確認しても、静脈の色は青ではなくむしろ灰色に近いという。(立命館大学文学部の北岡明佳教授による)


3.「
ドレス色の錯覚」の後日談(令和6年5月14日ニュース)

ドレスの色云々は、単純に面白いトピックだったので世界的なニュースとなった。
このドレスは、スコットランドに住むジョンストン夫妻の結婚式の際に使用するため、娘の母が贈ったものだった(それにしては
カジュアルすぎるが)。その後、夫婦になって11年間、この新郎は家庭内暴力を行い、殺人未遂の疑いで起訴されたことで、「ああ、あの人が・・・」ということになった。つまらないことで二度目のニュースとなってしまった。

 


円皮針こぼれ話 ver.1.2

2023-11-17 | 雑件

   皮内針は1950年代、周知のように赤羽幸兵衛により発明された。その頃の話は過去の医道の日本誌で知ることができる。 
 
医道の日本プレイバック(10)赤羽幸兵衛「皮内針法こぼれ話」(1976年)
        https://www.idononippon.com/topics/4313/
   
圧痛点にただ皮内針を貼り付ければよいというのではなく、症状部膚を緊張状態にしておき、圧痛点に皮内針をすると効果があるとの記述が一つの示唆を与える。

 

一方、皮内針にヒントを得たのか中国では円皮針を造りだし、1975年頃から中国から日本に円皮針が輸入され始めた。一袋10個入400円ぐらいだった。当時中国針も10本入800円~1000円程度と高額だった。その頃は、中国は近くて遠い国だったので、中国の物価事情もよく分からなかった。輸入ブローカーがボロ儲けしたのだろう。ちなみに医道の日本社製のステンレス皮内針(針体長6㎜、太さ0番)は、100本1700円だった。昔、針の製造工場を見学する機会があった。皮内針の製造は針金を入れるとオートメーションで加工されるのだが、小箱に入れたスポンジに並べるのは手作業だったので驚いた。
 
その円皮針はリング径2㎜、針長2㎜、太さ8番程度と大きく太いものだった。小袋のラベルには、華佗牌 撳針(きんしん)(中国語発音 チェンゼン)と書かれていた。「撳」は手で押すの意味。しかし我が国では馴染みのない漢字なので、医道の日本社が円皮針という名前をつけた。当時私は針灸学校通学の一方、医道の日本社新宿支店でアルバイトをしていた。すでに死去したが医道の日本社前社長の戸部雄一郎氏の妹君(薬剤師)も働いていて、その本人から「アタシが考えた名前なのよ」と教えてくれた。まさにぴったりなネーミングで、以来、一商品の名称を越え、わが国では一般名称として「円皮針」の名称が定着することになるのだった。なお初期の頃に、リング針という名称も誕生したが、こちらは普及せず自然消滅した。


皮内針を施術する時には、皮内針の他に、皮内針専用ピンセット、皮内針用テープ(マイクロポアを使うことが多い)が必要である。さらに皮内針用テープを切るためのハサミ、皮内針のマクラの作成など、いろいろ手間がかかる。痛みをほとんど与えず刺入するテクニック、刺入方向なども勉強する必要があって手間のかかるものだった。円皮針の場合も、円皮針を刺入した後、テープを1㎝長ほどにハサミで切って円皮針を固定する必要があった。この時のテープは皮内針用のものを流用できた。マクラを必要としないのは手間がかからずよかった。

今日ではテープつき円皮針が市販されるようになり、かっての皮内針の面倒くさい手技は不要になり、皮内針を行う機会はほとんどなくなった。このように書くとテープつき円皮針は良いことづくめのようにも思えるが、皮膚に対して円皮針を直刺するのが難しくなった。テープはしなやかなので、普通に刺すと直刺することは難しく、針体が斜めに入ると刺痛が出たり、施術直後は問題なくても、施術部が動いたりして数時間後に痛みが出た。直刺するには、しなやかなテープではなく、板のような硬質のテープを使う方法もあるが、そうすると皮膚になじまず剥がれやすくなる。セイリン社はしなやかなテープ(=3M社のメディカルテープ、マイクロポア)を使いつつ、樹脂でテープに針を直角に保持する構造にすることでこの問題を解決した。

現在の円皮針は、セイリン社の円皮針(商品名パイオネックス)では、5種類のタイプが販売されている。そのどれもが、昔の中国製円皮針と比べて細く短い。5種類の規格があるとはいえ、すべて針長は1.5㎜以内になっている。この理由は円皮針を入れた状態で、皮膚が動いても痛みを与えないためだろうと推測した。

昔、月刊医道の日本誌を見ていたら、「皮下針」を考案したとする者が現れた。しかし知人等にそのことを話しても、少し長い皮内針に過ぎないとして、大した評価してくれなかった。そこで当時大御所だった柳谷素霊に「皮内針とは何か?」という質問をしてみた。すると素霊は、「皮内針とは小さく短い針を水平刺して針先を皮内にとどめるものなり」と返答したという。引き続き「皮下まで入れる針も、皮内針と呼んでいいものでしょうか」と質問を続けた。すると「皮下に入れるのは皮内針とはいえない」と答えた。この問答をもって、自分の考案した皮下針は、従来の皮内針とは異なることのお墨付きを頂戴したとユーモラスに語っていた。

表皮は0.2㎜、真皮は1~3㎜の厚みがある。皮内針とは針先が真皮にとどめるべく水平刺する。もし皮下組織に入るようなら、日常動作で、皮膚と皮下組織間にあるファシアがずれる際、チクッと刺痛を生ずることが多くなる。真皮の厚みは手関節・足関節より末端は薄いが、このあたりでは合谷穴を例外として円皮針を行うことはまずない。ということで真皮が2~3㎜の厚みのある身体部位に円皮針を使うことになる。針のメーカーであるセイリンも当然このあたりのことは研究しているだろうから、針先は皮下組織に到達しない深さということで最長でも針長は最長でも1.5㎜にとどめたのだろう。

 


治療中の笑話 Ver.1.9

2023-06-15 | 雑件

  長らく治療に携わっていると、ときには面白い話にぶつかる。思いつくままに紹介する。


1.50才台男

患者:「昔、40才頃の頃、20代の愛人がいましたよ」
私「それは、うらやましいことで‥‥」
患者:「愛人だけど、愛はなかったけどね。」
    「恋人には愛があり、愛人には愛がないか」


2.40才台男性患者

患者「大学でラグビーやっていた頃、足を痛めてベンチにいると、先輩がこう言った」
先輩「おまえは、顏が痛いのか」
患者「いえ、痛いのは足です」
先輩「だったら、痛そうな顔するな」

 同じような話を、以前父親から聞かされた。
私「父が軍隊にいた頃、古年兵が冗談を言い、皆を笑わせた。しかし父だけ笑わなかった。」
  「その時、古年兵が言った。<おかしくて、笑えないのか!>」


3.統合失調症の患者50才台女性 幻聴があるらしい。

先輩鍼灸師Y先生が、私の隣のベッドで、仰臥位で治療している。
患者:突然がばっと上体を起こし、こう言った。
   「神様は、そう、おっしゃいませんでした!」

Y先生はびっくりし、付添の夫は心配そうにし、私は声を立てないように笑った。


4.患者A(70才台女性)と患者B(40才台男性)は親子。

患者Aが友人にこう話したという:「あの先生(私のこと)は商売っ気がないので、貧乏しているらしいよ」
患者B:「先生は、もしかして、お金を汚いと思ってやしませんか?」

5.患者(60才台女性)の夫は、小さな会社の重役で、勤勉で温厚な紳士である。ただし、顔は土方の親方風だった。それでも背広を着るとマシになるが、その日はあいにく作業着姿で、仕事の打ち合わせで、相手方の社員食堂で、待たされていた。

食堂のおばさんが、その夫に、「はいよ」といって、エロ漫画雑誌を手渡した。

‥‥夫は激怒したという。


6.60才台女性

患者:「老化現象のつぎは、階段現象ですか。まるで建築現場ですね」

 

.50才台 男性 僧侶

僧侶の患者さんの治療が終了し、次に待っていた患者が治療室に入ってきた。その時、僧侶の患者とすれ違った。治療室に入ってきて一言私に言った。

「いまのは、ヤクザですか、それともお坊さんですか?」

 

8.精神科医が患者として来院した。その先生が、こう言った。

「人生の中の出来事で、8割はイヤなことですね」

 

9.玉川病院指導鍼灸スタッフH先生の話

ある時、H先生は仰臥位にて痩せた高齢者女性の治療をしていた。知熱灸をしていた時のこと、八分まで燃えた知熱灸を取り除こうとして、誤ってその女性の乳頭をつまんでしまった。するとその女性患者は、「ヒーッ」といって、両手を上げたという。

後に我々に、「その人の乳頭は、黒くて燃えた知熱灸の灰と区別がつかなかった」と弁解した。
どのようにその女性が反応したのかを、H先生が身振り手振りで再現。かつてアフリカ原住民が神様を拝むときのように両腕を上げたのだった。

 

10 ある日、常連の患者に紹介され、近所の歯医者が来院した。首が痛むという。首に針を刺したが、非常に痛がる。針を寸3#0に交換して、細心の注意をはらって浅刺しても痛がる。

一緒にいた常連患者も私も、あきれて言った。「先生、これまで自分が患者にさんざん、痛いことをしてきて、いざ自分の番になると痛がるというのは、おかしくないですか?」

歯医者がこう言った。「痛いのは患者であって、自分は痛くないのだから関係ない」

以来、二度とその歯医者は来なかった。

 

11.代田先生の内科外来時、たまたま患者が途切れた時があった。見学中のK君とO君が、尊敬してやまない代田文彦先生に質問した。

すると代田先生は、目を閉じ、顔をやや上に向けた。熟考している様子だった。

K君とO君は、先生の思考の邪魔にならぬよう、メモ帳を手にしつつ、静かに返事を待っていた。

待つこと少々‥‥ 小さないびきが聞こえた。

 

12.代田文彦先生が病院の当直の日には、我々研修生も一緒に泊まり込む日になっていた。それに先だって、夜8時頃、先生と一緒に全病棟のナースステーションを回診した。代田先生と一緒に歩いていると、研修生は何となく緊張し、沈黙に耐えられなくなる。その折の出来事。

先生に向かって私が言った「今、空きのベッドは、いくつあるでしょうね?」(そう言いながら、なんとつならない質問をしたのかと後悔した)

先生は答えた「そんなこと、知るか!」

 

13.某医学部学生の女性が、浪人時代から当院に来院していた。患者として来院してすでに4年ほど経ち、患者としても、すでにかなり針の通(ツウ)になっていた。その医学部のサークル活動の一つに、東洋医学クラブがあったので、覗いてみたことがあったという。そして次のように私に話した。

そのリーダーである先生が、患者役の者に刺針すると、必ずといってよいほど出血した。その先生は、針をすると出血するのは当たり前だと説明した。

その傍らで見学していた医学生は、真剣な顔で頷いていたという。

 

14.代田先生の奥様は、目鼻立ちがくっきりした美人の女医さんである。昔、代田先生がその人と結婚したいと、先方の御両親に挨拶に行った。

先方のお父様がこう言ったという。「あの、サルでいいんですか?」

 

15.イギリス人と日本人のハーフの男性が来院している。外見はまったくの外国人だが、日本生まれ日本育ちであって、海外生活の経験はない。日本語は得意だが、英語は苦手としている。

その彼がこう言った。「街を歩いていると、すぐ外人が話しかけてくるんで困るんですよね」

 

16.トルコ人男性と結婚した日本人女性が来院している。この女性の外見は、どこか日本人離れしていて、中近東風な雰囲気があった。

彼女がこう言った。「日本語お上手ですねといわれる。」

こうも言った。「夫の国トルコに行くと、トルコ人とは思われず、キリギス人かと聞かれる」

 

17.患者の息子さんに世界的なチェリストの毛利伯郎さんという方がいる。その毛利さんに、やはり世界的なチェリストであるヨーヨーマ(中国系アメリカ人)が話しかけた。
ヨーヨーマ「キミは、チェロが上手なんだって? 」
毛利「そうでも、ないです」
ヨーヨーマ「ああ、そうですか」

その返事を聞いて毛利さんは苦笑いした。やはり中国人だなと思ったという。

 

18.常連患者のN夫人の話。ある日の夜、子供も寝たことだし、というので久しぶりに夫と仲良くテレビゲーム「桃太郎電鉄」を始めた。

ゲーム途中で、その時は、N夫人にキングボンビーがついていた。しかし「特急カード」と「ぶっとびカード」を持っていたので、「特急カード」で夫のコマを追い越し、次に「ぶっ飛びカード」で、夫のコマからはるかに遠ざかってしまった。
それを見ていた夫は、「お前はそんな人間だったのか」と言って突然怒り出し、「そういう時のために、コンピュータ自動操作のコマがある」と訳の分からないことを言い、とうとうその夫人を泣かせてしまった。

それまでおとなしく寝ていた息子は、夫のどなり声で目覚め、何事が起きたのか、とリビングに行った。テレビ画面を見ると、キングボンビーが出ていたので、息子は恐くなって泣き出したという。

ゲーム中止になったことは、云うまでもない。



20.当院通院中の患者で高齢の元開業医がいる。この家は、奥様と娘夫婦の4人暮らしである。犬も一匹飼っている。犬というのは、ボスが誰であるかを敏感に認識する。犬の世話をするのが娘が一番多いのだが、残念ながら第2位の偉さであって、ボスはその亭主である。三番は元医者の奥様、最下位は彼自身である。 



21.後輩針灸師のK君が私に言った。「先生の電話って、アメリカみたいですね」
そう言われて一瞬何のことが分からなかったが、なにかカッコイイものを予想した。
少々期待しつつ、「どうして?」と聞くと、
自分の用件が済むと、相手の返答を待たず、ガッチャッと電話をきる」と返事をした。



22.某女子大の非常勤講師(日本史)をしている患者がいる。
「女子大で教えるなんて、いいですね」と私は言った。
患者は予想外の返答をした。
「私の教えている教室には20名の女子大生がいる。すると誰かしら生理中の人がいるわけで、教室には血の臭いがするんです」
※この患者は、博識で専門書も2冊著している。その患者がこんなことも教えてくれた。
「はたけ」という漢字には、畑と畠があり、姓にも畑山とか畠山の2通りがある。前者の畑は、火があるが、焼き畑農法としての畑である。一方、後者の畠には白があって、これは水を意味しており、水田農法としての畠である。つまり畠の方が近代なのだという。


23.玉川病院勤務時代の代田先生へ一通の手紙が届いた。ビートルズのジョン・レノン(ポール・マッカートニーだったかも)からのもので、「1千万円払うから、1年間自分の処にきて主治医をやってくれないか」と書いてあった。代田先生は、1億円くれるならば行ってもよい。日本の玉川病院に来るなら、1回35
00円で治療してやる」と返信した。

その後、ジョン・レノンからの手紙は途絶えた。



24.玉川病院時代、代田先生の同輩に、光藤英彦先生(前、愛媛県立中央病院付属東洋医学研究所所長)という医師がいて、代田先生と共同で鍼灸の研究や臨床に活躍した。当時玉川病院の鍼灸治療費は、初回4500円、二回目以降は3500円に設定していたのだが、光藤先生の治療は、自分で1回5000円と設定していた(これは自分の懐に入らず、病院の収入になる)。また病院内部のスタッフには、通常は治療費を取らなかったが、光藤先生は、同額を請求した。

病院スタッフが、自分の身体に対して光藤先生にちょと相談しても、相談後には5000円の請求書を渡したので、皆から恐れられた。明るく実力がある先生だったので、それでも相談しない訳にはいかない。そこで、請求書を渡されないよう、診察室に入らず、診察室のドアから首だけを出した状態で、光藤先生に相談するようになった。

 

25.元高校教員の患者から聞いた話。ある年、新人の高校教員がやってきた。新人挨拶とのことで、その人は、「まだ若輩ですが、‥‥」と言った。以来、あだ名が若輩となった。五十過ぎた現在でも、若輩のままである。

 

26.老夫婦・娘夫婦と、家族ぐるみで当院にかかっている人たちがいる。その老夫婦は、娘の車に乗せてもらい、当院までの送り迎えをしている。両親の食事もつくるなど、結構親孝行の娘である。
ある時、老夫婦が治療に来ていて、私に言った。娘は結婚して随分変わり、しっかり者になった。けれども昔の独身時代は家の仕事は一切しなかったので、「フン
製造機」と呼んでいた。 

27.脊椎圧迫骨折による背痛ということで、90代の女性の家に往診に出かけた。頭は全然ぼけていない様子だった。ふとリビングを見ると、少年ジャンプとムー(宇宙人とか空飛ぶ円盤とかを扱う、トンデモ雑誌)が何冊か置かれていた。同居している息子(60代)ともども、愛読者なのだという。 

 

28.ある鍼灸の大御所が自分の主催する研究会の参加者名簿を見ていたら、現代的な女性の名前が2人もあった。そこにはエリ、フミエと書かれていた。当日楽しみにして待っていると、この2人がやってきた。井上恵理と小野文恵だった。
(上地栄「昭和鍼灸の歳月」より)

 

29.当院患者のご主人のことで、奥様から聞いた話。主人は心臓が悪いため、定期的に病院に通院している。いつもは薬をもらうだけだが、たまには診察も受ける必要があるといわれ、しぶしぶ受診した。本人は「心臓が少し苦しい感じがする」ということもあり心電図をとった。すると明らかに心筋梗塞を伺わせる所見で、医師は仰天した。早速救急車を手配した。救急隊の人も、意外に元気な患者をみて不審がったが、医師から心電図を見せられ、仰天したという。早速都内専門病院に搬送され、カテーテルでステントを入れる治療を行った。

その手術実施中、つい患者はうとうとし、やがて目覚めた。「少し眠ってしまったようだ」と医師に話した。するとその医師は言った「あなた心臓が止まっていたんですよ」。そのご主人は無事に治療終了したが、奥様にこういった。「死ぬって、簡単なことなんだな」

 

30.私は診療時間中であっても、眠たい時には患者の予定が入っていない時はベッドで寝ることにしている。もちろん目覚まし時計をセットしてからだが。ベッド傍にも治療院用の電話を置いているのでスムーズな応接ができるというつもりだった。

ある日、ベッドで寝ている時、電話のベルが鳴った。眠りながらもベルの数をかぞえた。5回ベルが鳴った後、頭がボーッとしつつ電話に出た。窓の外をみると薄暗く、時計を見ると5時半だった。当院では午後6時受付終了なので、これから患者が来院する予約電話かと思った。
「はい、あんご鍼灸院です」と伝えた。
すると電話主(声の調子から70~80代の女性)は、「今何時だと思っているの?朝の5時半よ!」と言った。
次第に頭がはっきりしてきた。確かに今は午前5時半であると。冬の終わり頃の話なので、5時半といえば午前も午後も同じように外は薄くなっている。
「電話したのはそちらでしょう」と言っても、「そちらが電話したのでしょう」と言って譲らない。何度か押し問答して拉致があかず、患者でもないようなので、「何かの間違いなので、切らせてもらいますよ」といって電話を切った。

実に不思議な体験だった。



31.改めて言うまでもなく、当院は「あんご針灸院」という。これは作家の坂口安吾にちなんだもの。
数日前、昔当院にかかっていたという80代男性から電話があった。
「もしもし あんまはりきゅう ですか?」と言ってきた。
「しんきゅう」を「はりきゅう」と呼ばれるのは珍しくもないが、「あんま」と呼ばれたのは開業以来初めてのこと(私はあんまの免許は持っていない)。

いったい何を言っているのか?
どうやら「あんご」を「あんま」と記憶していたらしい。

 

32.R5.5.15 新ネタ。66才女性。最近の話で、既述の9とよく似ている。乳癌で右乳房全摘術をうけた。左乳房も乳癌になったが、こちら側は上部切開による癌組織摘出術で寛解した。乳頭があるのは左のみである。左肋間神経痛が常にある。
左側胸部が痛むとのことで、毎回寸6#2で数カ単刺していた。今回も同じように施術しようすると、ブラが邪魔だったので少々上にずらした。するとエレキバンを貼ってあるのを発見した。周囲皮膚にくらべ明らかに濃い肌色で、中央には直径1㎝ほど丘状に扁平隆起していた。少々古そうな感じだったので、爪先でエレキバンを剥がそうとした。しかし数回試みると粘着性がよく、剥がすことはできなかった。
 
その患者は大いに驚き、そこは乳頭だと声を上げた。それにしても実にマグレインにうり二つで、それにしれは乳頭輪にしては色は薄く、乳頭もこんなに扁平になるものかと思った。なぜエレキバンに間違えたのかを患者に説明すると、患者はうんざりした声で「もう、いいから」と言った。

 

 

 


自動アルコールディスペンサーを購入

2022-12-24 | 雑件

当院では以前から手の消毒には、塩化ベンザルニコニウム10%水溶液の入ったプッシュ式の手掌消毒器を使ってきた。片手でレバーを押し、反対の手で消毒液を受けた後、両手を擦り合わせる方法。手をかざすと消毒液が噴霧する自動式に興味はあったが、30年前頃は約十万円と高価であり、形も大きいので購入をためらっていた。しかし昨今、新型コロナウィルスの流行にともない、大量生産しているためか、自動式の器械が数千円台で入手できるようになり、当院でも購入を検討することにした。


購入すべき自動アルコールハンドディスペンサーの条件


①現在使っているのは手動プッシュ式「ハンドサニタイザーS」で、百均のワイヤーカゴ(縦横とも9.7×9.7㎝)に入れ、壁に取り付けている。このカゴを引き続き使えること。
②なるべく安価であること。


以上の条件で選んだのが「TISOUアルコール消毒噴霧器」だった。ユーチューブ動画を見ても評価は悪くなかった。定価2,399円を1,580 円(消費税、送料込)で、アイホーム販売から購入した。2日後に製品到着、しかし電池を入れて作動させてみても、まったく反応しなかった。どうしたわけかと思い、器械の電池を接触させる金属パーツを見ると変に曲がっていて、これでは電池と接触不良になるわけだと思った。このクオリティーなので中華製は心配になる。ペンチでこのパーツの形を直し電源ボタンを押すと、今度は正常に作動した。

TISOUアルコール消毒噴霧器の直径は、「ハンドサニタイザーS」と同じだったので、以前の設置場所にきちんと納まった。本機は1回の噴霧量が「多」と「少」の2段階で、「少」にすると丁度良い量が出てくる。不良品ではあったが自分で修理することができたので、買って後悔しない製品であった。

 

百均のワイヤー性の容器(9.7×9.7㎝)
壁に取りつけて使用している。右上にある黒っぽいボトルは、カッサオイルで瘀血用と水滞用の2本。

 


「ハンドサニタイザーS」を使っていた。

 

「TISOUアルコール消毒噴霧器」を設置

 

手をかざし、噴霧させたところ

 


効果を実感できた浴室鏡のウロコ取り方法 ver.2.0

2022-06-03 | 雑件

 私は築三十年の家に住んでいる。浴室の鏡(縦47㎝横、36㎝の標準的なもの)は、月日の積み重ねにより、ひどく垢がつき曇っていて、自分を映し出すことはまったくできない。効果的だとされている方法を何回か追試し、ダイヤモンドうろこ取りを使ってみた。掃除直後に少し改善したように見えても、乾燥すると元に戻るのだった。新品(後日、三千円程度で新品が買えることを知ったのだが)に交換するしか手はないかと思っていた。そうした矢先、新しい鏡磨きの方法をYouTubeでやっていた。気を取り直しやってみることにした。

A.初回トライ

1.用意するもの
ダイヤモンド鏡うろこ取り(百均でも可)
トイレの洗剤サンポール  (9.5%希塩酸)
 ディスポゴム手袋
キッチンペーパータオル
ラップ

 

2.方法

①両手にディスポゴム手袋を装着

②風呂オケを準備し、サンポール原液を入れる(コップ半分くらい)
③キッチンペーパータオルを完全に浸す
④鏡面全体に、そのキッチンペーパーを貼り付ける。乾燥防止にキッチンペーパーの上にラップで覆う。そのまま1~2時間放置。
⑤ラップとキッチンペーパーを剥がす
⑥ゴム手袋をした状態で、ダイヤモンド鏡うろこ取りでこする
⑦最後に鏡を水で洗浄する


3.効果と感想

①②③④⑤と手順通りに進行。見ると鏡面のこびりついた石鹸垢が浮き上がっているのを発見。ダイヤモンド鏡うろこ取りでこすってみると、面白いようにボロボロと垢が剥がれ、下に落ちていった。ただ予想外に垢が多量に出たので、鏡の1/3ほどこするうちに、うろこ取りが目詰まりし、使えなくなったが解決策は見えてきた。今度はダイヤモンドうろこ取りをあと2つ位用意し、再びトライしたい。下の写真で曇っている部分は、まだ垢が残っている部分。掃除前は、まったく鏡としての用をなさなかったが、ムラはあるものの掃除後はうっすらと像を写せる状態にまで回復した。


B.2回目トライ

前回の鏡みがきから約十日後、本格的に鏡磨きに挑戦した。その様子はブログ記事にする予定だったので、様子をしっかりと写真撮影した。この日のため、サンポール1本、百均のダイヤモンドウロコ取り2個.。それにディスポゴム手袋を用意した。

1.前回簡単に磨いた後の鏡を取り外して縁側に置いてみた。外の光にあててみると予想していた以上に汚いことが判明。なお鏡は上下2つずつの金属ツメで固定されている。上のツメを下から金属ヘラで叩くと、ツメが上に移動して鏡がとりはずせるようになる。


2.鏡を取り外した浴室壁面は、所々黒ずんでカビていた。ここには「カビ取りキラー」をふりかけ、ブラシでこすってみると、汚れは簡単に取れた。

 

3.ディスポ手袋を装着。「リードペーパータオル」をかぶせ、その上からまんべんなくサンポール原液をふりかけた。その後、鏡を大きなポリ袋に入れ蒸発防止のため密閉。

 

4.密閉すること70分、ポリ袋から取り出し、ペーパータオルも取り外した状態。

 

5.「ダイヤモンドうろこ取り」で5~10分こすると、消しゴムのカスのようにボロボロとウロコが除去できる
6.ウロコの取れ方が不十分な部分を、サンポールが染みこんだペーパータオルをかぶせること20分。



6.新品のダイヤモンドうろこ取りに交換し、再びこする。その後水洗い。なお酸は鏡にダメージを与えるとう話なので、掃除後はしっかりと水洗い洗浄すること。

 


7.浴室壁面に鏡を取り付けて完了。

水洗いして濡れた状態では非常に改善した印象を受けたが、乾いた状態になると透明感は落ち、新品と比べ80%程度の出来だろう。鏡に顔が映るようにはなり、ひげ剃り用として使えるようになった。(一般的に浴室鏡の寿命は5~10年だとされている)

 

 

 


針灸院運営の知恵 ver1.1

2021-11-26 | 雑件

1.薄くなった石鹸の活用法
  
使っているうちに薄くなった石鹸は新しい石鹸にくっつけて使うと無駄にならない。このくっつける方法だが、力まかせに合体させてもうまくいかない。皿に水に濡らした 石鹸二つを置き、電子レンジで20~30秒間チンする。すると柔らかく膨張状態になるので、2つの石鹸を圧迫するときれいに合体できる。レンジの時間が長すぎると手で持てないほど熱くなるので注意。

2.不要チラシの撃退法

郵便受けには、毎日捨てるのも面倒なほど不要なチラシが入れられていて、イラつく。その対策として、よくある手だが郵便受けに<チラシお断り>の表示板を貼ってみた。すると以後、殆どチラシは入らなくなって
我ながら驚いている。その効果を人に話すと、「そんなの本当に効果ありますかね?」などと信じないようだったが、実際に効果大なので、困っている方はマネしていただきたい。
ちなみに<チラシ投函お断り>の表示板はハガキ大で、ラミネート加工したものを自作し、両面テープで郵便受けに貼り付けている。

 

3.治療中の迷惑電話の撃退法
 

治療中に電話がかかってくると、受話器をとらない訳にはいかないが、勧誘の電話であることも多く迷惑している。「要りません」「結構です」などと言って受話器を切るが、どういった内容なのか聞かないことには返事もできない。それに乱暴な対応は避けたい。その応対についてネットで良い方法が紹介されていた。
 
当方:相手が話出すと、それを途中でさえぎり「ご予約の電話ですか?」と言う。

相手:「いや、違います」と返事するだろう。
当方:「この電話は、予約専用回線となっています」と話す。
相手:「失礼しました」というだろう。
当方:この段階で当方から電話を切っても、相手を怒らせないで済む。

 

4.鍼の抜き忘れ防止方法
  
昔病院に勤務してた頃、患者診療の際にはパンツ(女性はブラも着用)だけになってもらっていた。これは病院という看板があるので強い立場になれたからだ。しがない開業針灸院ではそうはいかない。たとえば腰痛を訴える患者は、腹臥位で下着のシャツをまくり上げて待機していることが多い。肩甲間部や肩甲上部あるいは上殿部も治療関連ポイントなので上着を脱いで欲しいのだが、それを言うとまた起こさなくてはならず面倒くさいことである。そこで上着をまくり上げて刺針する。この時、置鍼すれば上着は下に下がり、上背部の鍼は服に隠れることになる。肩甲上部や肩甲間部は最も鍼を抜き忘れることが多いと思う。大変危険なことであり、患者の評判を損ねることでもなる。

この対策として、置鍼をやめて手技鍼のみで治療するか、使用鍼を一定本数にする手もあるが、私のように多くの鍼を使う治療家には適さない。そこで思考錯誤の末、次のような自分流ルールをつくることにした。 
 
①全身的な置鍼は行わない。

②服に隠されてしまう置鍼はしない。ただしタオルで隠される部位の置鍼は可。
(タオルをはぎ取った後、抜鍼するので)


5.鍼と灸の使い分け


駆け出しの頃、鍼と灸は8:2の比率で鍼が主だった。鍼の流派は患部の治療が現代針灸方式で、四肢その他には沢田流太極療法の基本穴から見繕って半米粒大灸をしていた。しかし治療経験を積んで鍼の技法を知るにつれ、灸の比率はさらに低いものとなった。それは患者に有痕灸を好む者が少なかったことと、せんねん灸などの温灸タイプは効き目が少ない(やらないよりマシ)印象をもったからである。
本当に灸を効かすためには有痕灸で、それも1カ所5壮程度の半米粒大以上の艾炷)は必要だと思う。そうであれば灸点の数はずっと少なくなるので、もはや太極治療とは呼べまい。
 
灸治療は江戸時代、庶民の間で大流行した。その理由として、鍼治療は専門家がするものだとしても、灸は素人が自家製のモグサで施術できるという安価で手軽なことと、実際の治療効果が優れていたこと、加えて庶民でも文字が読めるようになり、本を読んで学習可できるようなったことも関係する。
自家製のモグサということで、現代の上等モグサとは異なり燃焼温度は高かっただろうが、他の医療手段が乏しい中、灸治療をされる側も必死の思いがあっただろう。。

こうした考察から、熱い灸治療を少数穴に行うことがよいのではないか。灸は痕がつくので、あちこちと灸点を移動することなく、数週~数ヶ月も同じ部位に灸することが前提となる。このことから灸点は症状部位の中でも最も頑固な部位に行うのがよいと考えるに至った。


6.コロコロの使い方の工夫

ベッドカバーや机の、掃除機を使うまでもないちょっとしたヨコレには、コロコロ(粘着テープを巻いたもの)を使っている。コロコロは便利な道具だが、使おうとする時、使用済部分をカットする断端を見つけにくいことは大きな欠点である。ある時、この解決策として、使用後すぐに汚れた面をちぎってカットし、その断端を油性インクで線を引いておくことにした。次回の使用後は、そのマジックの線通りにちぎれば、新しい部分を引き出せる。


惑星と曜日の関係

2021-02-26 | 雑件

 私は昔から曜日の名前が、なぜ月火水木金土になるのか疑問に思っていたが、余りにも素朴な疑問であり、昔から決まっていることだったので、疑問に思っていることさえ忘れていた。今回ネットサーフィンしていたら、偶然にもこれに答える内容が発見できた。五行説とも関係しくるので、この場を借りて説明する。

1.古代中国の五行説と惑星

古代中国から始まった五行説思想
木:春の象徴として、樹木の成長と発育を表す
火:夏の象徴として光輝く灼熱の炎を表す。
土:夏の終わりの象徴として、大地から新たな芽が発芽する様子を表す
金:秋の象徴として強固で冷徹な鉱物や金属を表す
水:冬の象徴として湧き水が流れる様子から、命の水を表す。


2.五惑星にも五行説をあてはめた

※ギリシャ哲学による地球を構成する四大元素とは:火、水、土、空気の4つで、18世紀に原子が発見されるまで広く信じられていた。

当時の天文観測で知られていた5つの惑星を当てはめた。
水星:太陽の公転速度が速く、目まぐるしく動く。速い水の動きをイメージ。
金星:明るく白く輝くので、それを金属や鉱物の光をイメージ。美しく輝くことから愛を意味し、女神ビーナスが手鏡を持ったイメージとして♀  の記号。
火星:赤く見えることから火のイメージ。火は戦いの血のイメージにつながり火星の記号 は♂となった。♂は盾と鎗を示す。
木星と土星:残った両者のうち、よりくすんだ黄色の方を土のイメージから土星。最後まで残った方を(とくに根拠はないが)木星と名付けた。

引用文献1:YouTube ゆっくり解説】火星ってなんで火星って言うの? 火星ねっとり解説 by  スカイ三平

 

3.曜日の並びはなぜ「月火水木金土日」なのか
 
火星・水星・木星・金星・土星と月と太陽で計7つで曜日を表が、その並びが日月火水木金土の順番となるのはなぜか。
地動説からすれば、太陽から近い順番に日・水・金・(地球)・火星・木星・土星との順番になるが、曜日を定めた頃は天動説で考えた。天動説における太陽系モデルは、地球からみた速度が早いものほど地球に近いと考えられていたので、月(衛星ではあるが太陽と月は惑星と同等と考えられていた)→水→金→太(日)→火→木→土の順番に並んでいるとされた。


  

エジプトの占星術では、それぞれの惑星が、地球から遠い順に1時間ずつを支配していると考えられていた。たとえば、ある1時間を土星が、その次の1時間を木星が、という順番で、これを7日間にわたって当てはめたとき、日の最初の1時間を司る惑星をその曜日の名前としたのではないか。
1日24時間を7つの星で割ると3余るので、1つ目の惑星は3つずつズレてくる。


曜日という概念は、インドや中国を経て日本に伝わった。エジプトの暦を参考に、中国でも曜日の名前に惑星の名前をつけていった。この内容が書かれた仏典を、遣唐使が日本に持ち帰ったのが、日本に曜日という概念が伝わった経緯。我が国に普及したのは、江戸時代の頃で、明治政府が正式に暦に曜日を用いることを定めて今に至った。
ただし現在の中国では、1、2、3……という数字を機械的にあてはめ、月曜日を星期一、火曜日を星期二……とよんでいる。

引用文献2:QuizKnocck  曜日の並びはなぜ「月火水木金土日」なの? by服部


鍼灸師の現状とAMT制度に対する私の意見

2021-01-26 | 雑件

1.鍼灸専門学校が急増した結果、学生・学校とも苦しくなった

近年の鍼灸師制度のエポックは、鍼灸師が国家資格になったことだろう。これにより肩書き的に資格価値が向上したのだが、就職口や収入が増えた訳ではない。福岡の裁判以降、鍼灸も柔整も専門学校は倍増し、入学しやすくはなったが有資格者は倍増した。受診患者が増えたわけではなく、有資格者が増えた分だけ、一人当たりの年収は低くなった。

大儲けしたのは、入学定員を増やした鍼灸や柔整の専門学校だけといえそうだが、ネットが普及した現在、国家試験をパスしただけでは儲けるのが難しいことが広く知られるようになり、入学希望者が減少してきた。学生が定員割れを起こして経営難になった学校も少なくない。


2.鍼灸学校卒後の新人鍼灸師の進路

通常は医療関係の学校を卒業すると、その専門を活かすべく病院勤務の正職員となり、規定の給与や待遇が補償され、簡単には解雇されることはない。しかし鍼灸も柔整も西洋医療システムの枠外に存在しているので、卒後の生き方が限られてくる。
 
詳細は差し控えるが柔整には収益モデルがあり、柔整師になれば儲かるという常識がこの半世紀続いてきた。一方鍼灸師は、保険取扱いをするために医師同意書が必要というネックがあることや、慰安的要素もあまりないこと、自費治療中心となることなどにより、少人数の患者に対して全力を傾けて治療するというスタイルになる。来院患者も多くないので儲かりにくい。ゆえに店舗も貧相なもので、院長一人でやっている零細鍼灸院が大部分である。仮に無給だったとしても、手間がかかるだけの鍼灸学校新卒者の卒後教育を行う余裕などとてもない。


3.鍼灸師の経済 

鍼灸師はどれほどの年収を得ているのだろうか。データ(2006年頃)によれば1年間における鍼灸医療の延べ受領3000-3500万人、1界の治療費を4000円とすると総合治療費は1200~1400億円と推定。就業鍼灸師は、約60,000~65,000人、施術所数は42,000カ所と推定。これらの数値から鍼灸師一人あたりの年収を算出すると230万円、施術所あたりの収益は330万円と推定される。国民医療費における鍼灸の総治療費の占める率をみると、国民医療費を35兆円としれば0.4~0.5%にしか過ぎない。

引用文献:藤井亮輔、坂井友実、佐々木健 他:就業者実体調査にみる鍼灸マッサージの 現状と課題(第2報)、医道の日本、2006


4.鍼灸師の努力は盛業鍼灸院を目指すこと以外にない

いくら鍼灸師側が、今の制度が悪いと叫んだとしても結局一人相撲に終わってしまう。社会を動かすには力不足ということ。それが分かっているから、鍼灸師の仲間同士が一つの目的に向けて一丸となって歩むことに意義を見いだせない。努力の方向は、ただ自分の治療院を盛業させることに向けられる。ただし開業しない鍼灸師の方が多い。ある調査では、開業しているのは有資格者の約3割で、柔整は約7割だった。当然のことだが開業しても成功する保証はないのである。

一方、鍼灸学校の新卒者の希望を聞くと、「まずは実力ある先生の見習いとして2~3年働き、実力を養成しつつ開業したい」という者が多い。大きな医療施設で勤務鍼灸師として安定した生活を送りたいという者もいる。これらは実にまともな要望である。が、このような希望が叶うことはめったにない。求人がないのだからやむを得ない。求人があるのは接骨院での無資格マッサージ要員ばかり。

 

5.山下九三夫医師によるAMT制度の提言

山下九三夫医師(故)が1981年(昭和56年)の時、医道の日本誌にAMT制度の構想について独自の提言をした。AMTとはAcupuncture and Moxibustion Therapist を略したもので鍼灸師のことである。単に日本語を英語表記にしたのは、PT、OT、STなどのパラメディカルと同列に位置づけ、病院内で活躍の場を広げたいからだと思われる。現在の医療制度の中に鍼灸を取り入れ、鍼灸師が病院で活躍できるようにするという目的を達成するため、鍼灸師教育体制の質の向上、医師の鍼灸に対する正確な評価、そして法改正が必要だという趣旨であった。
 この5年ほど前には、日本初となる明治鍼灸短大ができたことや日産玉川病院東洋医学科の創設が続き、鍼灸界にもついに新しい波がやってきたのかと、期待した鍼灸師も多かったと思う。
 
この山下九三夫の提言したAMT制度について、代田文彦先生に意見を聴いてみると、
「山下氏は周りから散々批判され辟易とした。ちょっと自分の想いを書いてみただけじゃないか」と逃げ腰になっていたという。ただしAMT制度は沈滞した鍼灸界を活性化させる重要な提言なので、日本東洋医学雑誌に再検討の記事が掲載されている。(末尾の引用文献参照)

 

6.AMT制度が誕生したらどうなるのか(夢物語として)

1)病院で鍼灸が行うようなれば、一挙に鍼灸師の活躍の場が広がり、鍼灸師の生活もPTやOTの待遇程度に落ち着くだろう。鍼灸学校教育でも病院鍼灸師を目標とした教育スタイルが確立するので、1日に1コマ(90分)を3コマないし4コマ程度の授業時間で、4年程度の就業年限となるだろう。より大きな変化は座学のみならず病院における実地教育も取り入れるられることである。教育カリキュラムにはPT、OTの例が参考になる。

2)病院システムの一貫として鍼灸が運営されるので、「鍼灸科」あるいは「東洋医学科」と標榜することが望ましい。初診は科長である医師が鍼灸治療の適否を判断し、治療そのものは鍼灸師に委任する。医師自ら漢方薬を処方するのもありである。チーム医療として定期的に症例検討会を行う。

3)病院鍼灸では、病院付近の開業針灸にとって経営的に驚異であるから、病院鍼灸は保険取扱はしないことにする。それだけでも開業鍼灸師の大半は患者減となってしまうので、救済の意味から開業針灸での保険取扱は簡素化する。

4)十年~二十年の後、鍼灸師は新規開業は禁止となるのと当時に、病院鍼灸では保険を使うことになる。すなわち現行のPTやOTと同じように、医師の間接的指示のもと、鍼灸師の判断で治療をは行うようになる。
救済措置として近隣の開業鍼灸師は、希望に応じて病院勤務できるよう特別教育を用意し病院鍼灸師の一定比率を近隣の開業鍼灸師枠として設ける。


   引用文献
○若山育郎、形井秀一 山口智 篠原昭二 山下仁小松秀人:病院医療における鍼灸
 -鍼灸師が病院で鍼灸を行うために- 日東医誌、Vol.65 No4(2014) 

○矢野忠:現代における日本鍼灸の存在意義、社会鍼灸学研究2010(通巻5号)


鍼尖点検器の自作 ver.1.1

2020-11-22 | 雑件

1.曲がりやすかった銀鍼

今から40年前頃まで、針灸専門学校の実技教育では銀鍼が普通に使われていた。一本50円~70円くらいした。銀は腰が弱く、刺入する際の重心を間違えると、すぐに”く”の字になってしまったので、鍼体を曲げずに刺入するだけでも結構難しかった。しかし反復練習というのは、それなりに意味あることで数ヶ月の練習で同学年の大部分の者は、スムーズに刺入できるようになった。当時はステンレス鍼が普及して間もない頃なので、多くの鍼灸師はステンレス鍼で患者の治療にあたっていた。ではなぜ針灸専門学校で銀鍼で練習したのか、それは現在の鍼灸国家試験の前身である都道府県試験で実技試験では銀鍼の寸6#3を使うという決まりがあったからだ。銀鍼では滅菌ができないだろうと思われがちだが、実技の際には自分で購入した鍼は相手に渡し、それを自分の身体に刺させることで、感染の問題をかろうじてクリアーしていたつもりだが、徹底はされていなかった。

とはいえ、銀鍼は縫い針のように綿を敷いた針箱に並べて保管していた。鍼灸学校入学して最初の鍼実技の時間に、衛生的に問題のあることが理解できた。鍼灸医療とはずいぶん不衛生なものだと強く思った。しかし慣れとは恐いもので、この不衛生であることも気にならなくなった。正しくは気にたら先に進めないと思うようになった。銀鍼の鍼体を簡単には曲げなくなる程度に刺針技術が上達すると、同じ鍼を何回も使うことになるので使っているうちに鍼尖が摩耗し、どうしても切皮痛が起こるようになった。こうなると普通は破棄するが、こだわりのある治療院では銀鍼の鍼尖を顕微鏡で点検しながら砥石で研いだりもした。面倒なことだったが、それも鍼灸上達の修行とみなされていた。ちなみにステンレス鍼の場合、硬いので研ぐことはできなくなった。

銀鍼には、鍼のあたりが軟らかいという治療上の良さはあるが、オートクレーブでの滅菌ができない(鍼体が酸化して黒ずみ、もろくなる)という致命的欠陥があったので、ステンレス鍼を使う時代に移行する必然性があった。四十数年前のこと筆者が鍼灸学校に入学して間もなく、煮沸消毒でなく、オートクレーブで鍼を滅菌しなければならないと啓蒙され、日本鍼灸師会推薦の鍼滅菌用のオートクレーブが発売された。当時15万円程度したことを記憶している(現在の金銭感覚では40万円程度になるだろう)。製品は価格を抑えたものらしく、注水・減圧・乾燥はすべて手動式で、スタートスイッチを押した後も減圧バルブを開き、扉を少々開いて乾燥させねばならないなど手間がかかるものだった。鍼灸師は当時から低所得者が多く、15万円というのは突拍子もない金額だった。セイリンのディスポ鍼も発売開始されたが1本40円で、通常のステンレス鍼は1本50円だったので、頑張ってステンレス鍼をオートクレーブ滅菌後に再使用するというのがスタンダードなやり方となった。
ステンレス鍼を再利用して、鍼体が一定以上曲がってしまえば破棄することになるが、問題となるのが鍼先の変形で、ステンレスは硬いので再使用できるか捨てるかの判断を効率良く実施したいと思うようになった。


2.塩ビパイプ継手を使った鍼尖点検器の自作
鍼尖点検器の自作、といっても塩ビパイプを買ってきてラップを張るだけのことである。
今から40年程前、鍼尖点検器という製品があった。木製で太く短いパイプのような形だった。片面にサランラップを張り、チェックすべき鍼を単刺していく(回旋はしない)。
サランラップを使ったのは、サラン樹脂でなければく音がでなかったためであった。他の他のラップはビニールのよう伸びてしまい、鍼がパリッと貫通できなかったからだ。しかし今日では他社製のラップも品質向上して使用に差し支えなくなっており、当家でたまたま使っていたのはクレラップだった。

短時間に次々と鍼の良し悪しを判定できる良い商品だったが、現在市販されていないようである。その代用として筆者は塩ビ管にラップを巻いて鍼先点検している。塩ビ管はいろいろ試してみた結果、だいたい次の写真のような大きさに落ち着いた。この製品は径の異なるパイプの継手として使うものだが、単純の筒状のパイプでも構わない。ホームセンターで入手で、値段は200~300円程度。

3.鍼尖点検器の使い方
 
①未使用や新本同様の鍼であれば何の抵抗もなくスッと抵抗なくラップを突き破ることができる。
②わずかに鍼先か変形した鍼の場合、ラップを破る時、ツッという小さな音が生ずる。
③さらに鍼先の変形が少し進行した鍼であれば、ラップを破る時、プツッという音が出る、と同時にラップが下に押しつけられる。出る。
④鍼先の変形がさらに変形した鍼であれば、下に押しつけるように力を入れて、大きなラップを突き抜ける音と共にどうにかラップを貫通することができるようになる。

このようにあえて分類してみると、面倒に感じるかもしれないが、少し慣れると誰でも直感的に判断できるようになるだろう。

なお当院では③④を使用不可として廃棄処分にしている。

ラップを巻いた状態

 

 

鍼尖点検中の様子


東西自然科学史 ~ 全ての物は、何からできているのか? ver.1.1

2020-11-11 | 雑件

以前、道教と錬丹術(あるいは錬金術)についての下記ブログを発表したが、予想外に高評価が得られた。そこで今回は、なぜ錬丹術といった発想が生まれたかについて、ギリシャ自然哲学の歴史から順を追って説明する。科学技術史は、彼らが何を考えたかということよりも、どのように考えたかという方が重要である。  ※2020/3/7 ブログ 「道教によって影響をうけた古代中国の生命観 Ver.1.6」

引用文献
①るーいのゆっくり解説「錬金術とは一体何なのか?」YouTube動画 
②ヨースタイン・ゴルデル著「ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙」NHK出版
③ジョセフ・ニーダム著「東と西の学者と工匠 下巻」河出書房


哲学が誕生する以前、ギリシャは他民族国家で、民族ごとに異なった神話があり、互いに内容は矛盾していた。しかし紀元前2600年頃には、この世界は何からできているかを考え始めるようになり、これが哲学の始まりとされている。この回答として最も発端となるのは、万物のものは単純な物質が起源だとする説があり、これはギリシャで誕生した。


1.ギリシャの哲学者タレス(紀元前624-前546頃)

①万物は水がすべての起源。水を冷やすと氷に、温めるとまた元の水に戻る事実。自然界の水の循環(海→水蒸気→雲→雨→海) 
②物質は絶えず変化を繰り返すが、決してなくなったりはせず、新しく無から生まれるこ とはない。
③すべての物質はただ一つの「もと」からできている。水や石や金属や生物も 同じものからできている。


2.ギリシャの哲学者アナクシメネス(紀元前1570-前525) 

タレスと同様、全ての物は一つの物質から成り立ってると考えた。
①空気ないし息(プネウマ)が万物の元素で、これらが圧縮や膨張させることでいろいろな物質に変化するのではないか。
②水は凝縮された空気。雨が降る時、大気中の水分が水滴になる。
③火は薄められた空気。畑に生える作物を観察し、土と空気と水と火は命が生まれるためにあると考察。


3.ギリシャの哲学者エンペドクレス(紀元前490-前430)

①万物のもとを、一つの物質に限定するのは無理があるとし、万物のもとは、「火、空気、土、水」の4つであるとした。これらが様々な割合で混ざり合うことで、すべてのものがつくられる。
②一本の木切れが燃える時は、まさに解体が起こっている。木ぎれの中でパチパチとはぜた音やジージーといった音の主は水分である。何かが煙になること、それは空気である。もちろん炎も見える。そして火が消えた後に残るのは灰つまり土である。


4.中国の鄒衍(すうえん)の五行説(戦国時代 紀元前305年頃-前240年頃)

①古代中国の自然哲学の思想。万物は火・水・木・金・土の五元素からなる。
②五種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する。これは西洋の四大元素説(四元素説)と比較される思想。
③陰陽説は古くから存在したのに対し、五行説は陰陽説よりも後から出来たのだが、当初から陰陽説と一体であり、陰陽五行説といわれる。


5.ギリシャの哲学者デモクリトス(紀元前460-前370)

①「原子論」を主張。万物をつくるもとは無数の粒になっていて、一粒一粒は壊れることがない。それ以上壊すことのできない粒を、ギリシャ語の壊れないものとの意味から、アトムと名付けた。 
②いろいろなアトムがくっついて塊になることで種々の物質ができあがる。組み合わせて色々な物質ができるという点では、現代でいう分子のことをさしている。つまりデモクリトスは紀元前にして原子や分子の存在を言い当てた。
③この原子論は、神の存在を否定するような理論だったため、人々に受け入れられなかった。この原子論は、哲学者アリストテレス(紀元前384-322)により否定された。
どんなものだって打ち砕けば小さな粒になる。壊れることのない粒なんでありえない、と考えた。この考えは民衆に浸透していった。


6.ギリシャの哲学者アリストテレス(紀元前384-前322)

①エンペドクレスのいう万物のもとである火・空気・土・水という4物質も一つの「もと」からできているとした。つまり「もとのもと」があるとした。
②「もとのもと」に2つの性質を加えることで「火、空気、土、水」の4つの元素になると考察。この2つの性質とは、温度(熱と冷)と湿度(乾燥と湿)を組み合わせることで、この4つの元素が現れるとした。これをアリストテレスの四元素説とよんだ。
③アリストテレスの四元素説は次の図で表すことが多い。この説はヨーロッパの常識に訴えかけることがあって19世紀頃まで人々に影響を与え続けた。


7.アリストテレスの四元素説と錬金術の関係       

①アリストテレスの説では、もとのもとには2つの性質があり、これらは自由に変化させることができて、その混合割合により万物がつくられるとした。このことから、 他の金属を金に変えることもできるはずだと考えた。
②ナイル川の河口にあるアレキサンドリアには、エジプトで培われた技術があって、そこにギリシャの理論が導入され、錬金術が始まった。この錬金術は紀元後間もない頃になると、アレクサンドリアだけでなく、南米。中米・中国・インドなどにも少しずつ広がっていった。


8.中国の錬丹術(丹とは硫化水銀のもつ赤色のこと)

①中国は錬金術を使って人間の寿命を延ばすことに大きな興味を持っていた。
 具体的にいえば、中国の支配者たちは不老不死となるための薬を錬金術の手法で作ろうとしていた。これを錬丹術とよぶ。
②錬丹術では、辰砂(=硫化水銀HgS)が注目された。辰砂は赤色物質で、赤色顔料として神社の朱塗りや朱肉、器の加工などに用いられてきた。③辰砂を加熱することで水銀を得ることができることを発見した。硫化水銀は、加熱することで水銀と硫黄に分解される。 赤い石から液体の金属が生まれるという不思議な性質が注目された。
④中国では水銀を主成分とする液体を飲むことで、不老不死の効果があると信じられていた。方士(道教の修行者)は霊薬丹薬をもってきたとして、富裕層に売りつけた。金持ちは競うようにしてこれを買い求め、次々と水銀中毒となり死亡した。皇帝がこの水銀を飲んで、死亡していた。現代でいう水俣病。

※黒色火薬の発明
中国の錬丹術は、黒色火薬の発明にもつながった。KNO(硝石)は酸素のように可燃物である炭(C)や硫黄(S)を燃やすことができる。硝石は激しく燃え上がるという性質が発見され、これが火薬に応用された。
  炭(C)+酸素(O2)→二酸化炭素(CO2)+熱
黒色火薬は酸素のないところでも燃焼できるつまり瞬時に燃焼することで強い爆発力を生んだ。 (可燃物の燃焼には酸素を必要とする。物質の表面から燃焼するので反応は穏やかで爆発しない)


9.イスラムの錬金術師ののジャービル(721-815)

①ジャービルはアリストレテスの元素の考え方、中国の錬丹術などに影響を受け、あらゆる金属は硫黄と水銀によって作られているという考え方をした。この混ざり合う比率により金属の性質が変わってくが、とくに金は完全な比率で成り立っているとした。
鉛などの普通の金属を一度硫黄と水銀に分解し、それを金と同じ比率にして再度金属を作り直せば純粋な金を得られると説いたが失敗に終わった。
②ジャービルは化学分野では大きな功績をあげた。ガラス器具の性能や金属精錬の御術の向上など。たとえば塩酸や硫酸、硝酸の精製法や結晶化法を確率、濃塩酸と濃硝酸を3:1の比率で混ぜると金を溶かすことのできる王水とよばれる溶液を発見した。

 

10.スイスの哲学者パラケルスス(1493-1541)

①ヨーロッパの錬金術師は、賢者の石をつくりだすことを目的として研究を行った。賢者の石(=エリクサー、中国では仙丹)は、金属を金や銀に変え、あらゆる病気を治し、不老不死とする万能薬とも考えられた。
②16世紀にはパラケルススは「医化学の祖」とよばれた。パラケルススは錬金術の知識を積極的に医学に応用していった。以前、薬といえば植物からつくられるものだったが、パラケルススは梅毒に水銀化合物を用いたり、皮膚病に砒素化合物を用いたりした。

しかし依然として賢者の石をつくることはできなかった。人々は本当に賢者の石は存在するのかという考えを抱くようになった。


11.イギリスの物理・化学者ロバート・ボイル(1627-1691)

①ボイルは2000年近く信じられてきたアリストテレスの四元素説を否定した。それ以上小さくできないものが見つかれば、それも元素と認めなくてはならないと主張。これを「懐疑的化学者」という本にまとめた。これにより錬金術が否定されるに至った。
②これまでの錬金術を近代化学へと向かわせることにもなった。ボイルは「最後の錬金術師」とか「最初の化学者」と呼ばれるようになった。


12.フランスの化学者アントワール・ラボアジエ(1743-1794)、

①ボイルに続いて現れたのがラボアジエで、酸素を発見し、他に33種の元素を発見した。
金には固有の元素があり、他の物質からでは製造できないことがついに解明された。

 自然界に広くあるもの・・・・(光)、(熱素)、酸素、窒素、水素
 非金属・・・・・・硫黄、リン、炭素、塩素、フッ素)、(ホウ酸基)
 金属・・・・・・・・アンチモン、銀、ヒ素、ビスマス、コバルト、銅、スズ、鉄、モリブデン、ニッケル、金、白金、鉛、タングステン、亜鉛、マンガン、水銀     
 土・・・・・・・・・・(酸化カルシウム)、(マグネシア)、(酸化バリウム)、(アルミナ)、(シリカ)
※( )は、現在では元素として扱われていない。

②当時支配的であった四大元素説で「水は土に変わることがある」という説があったが、同年末から翌1769年にかけて、水をガラス容器に入れて101日間も密閉状態で沸騰させた後に正確に重さを測る実験を行い、「水は土に変化しうる」という説は正しくないことを示した。
水(H2O)は酸素と水素の分子化合物であることを発見したものラボアジエだった。
③ラボアジエは、近代化学の父とよばれた。

 


道教によって影響をうけた古代中国の生命観 ver.1.7

2020-03-07 | 雑件

1.序

『黄帝内経』が編纂されたのは漢の時代(BC202~AD220)だとされている。当時、道教は儒教とならんで、中国人の精神構造の基盤となった。
中国の古代医学も道教の影響を強く受けていたと考えられる。道教を学習することは中国の針灸古典の背景を知る上でも興味深いことである。

私は鍼灸学校卒業してすぐの頃、道教の古典的名著であるアンリ・マスペロ著川勝義雄訳『道教』東洋文庫、平凡社刊 昭和53年(1950年原著出版) を購入して読んでみた。この著作は「道教とは何か」に対する一つの確固たる回答であり、欧米の学会に大きな刺激を与えたという。しかしそれでも35年前の私にとっては難解すぎた。それを今になって読み返してみたが、今回は意外にも興味深く読むことができた。というのも、東洋医学に対してある程度の知識や経験をもったので、本書を自分の考えと対峙しながら、読めたのが原因だろう。道教の興味深かった点を、筆者の解釈を加えて紹介する。



2.著者アンリ・マスペロ Henri MASPERO とは

フランス人中国学研究者アンリ・マスペロ(1883-1945)は、研究途中で「道教」について、自分がほとんど何も理解していないことを改めて知った。その上で、道教は儒教とならんで中国人の精神構造を知る上での鍵であるという事実に突き当たった。マスペロは当時の道教の歴史と文献を学問的に探ろうとした最初の人であった。マスペロが生前に発表された原稿は少なかったが、死後書斎を整理してみて、道教については膨大な未発表原稿が発見された。
これらの原稿は、マスペロの妻と友人が整理して本書として誕生した。本著は、西洋の者が道教を知る上で最もスタンダードなものとされている。なおマスペロは1944年ドイツに拉致され、その翌年獄中で非業の死をとげた。マスペロは日本語学習の必要性を理解し、我が国にも2年間滞在したことがある。


3.不死への修業


道教では死んでしまえば霊魂も消えてなくなると考えていたので、生き続ける身体の保持の方法が興味の対象となった。その方法は単なる延命ではなく、生きている期間内に不死の身体に取り替えることだった。

身体を不死にする方法は、養形と養神に区分され、それぞれに対して様々な実践的なプログラムが用意されていたが、どれも厳しい修行を必要とした。  
 
養形:物質的な身体の老衰と死の原因の除去。 →食餌法や呼吸術

 
養神:身体内部にいる種々の超越的存在(悪さをする精霊、霊魂など)ににらみをきかせ、自分勝手に悪さをさせない。 →精神集中や瞑想


4.呼吸法 


臍下丹田の「丹」には赤いという意味があり、「田」は生産する場所という意味がある。すなわち丹田は、生き続けている間、生命の炎が燃えている場所と考えていた。この丹田では精を養う場所だった。火が燃え続けるには空気が必要だが、普通の呼吸法では空気は肺にまでしか入らない。丹田の炎を大きく燃やし続けるには腹まで空気を入れるべきであると考えるようになった。その方法とは次の2通りある。 


1)胎息(息を飲み込んで消化管に至らしむ)


呼吸器官は胸までしかないが、消化管は食道を通って腹全体に配置されている。息を吸うのでなく、息を飲み込むようにすることで胃腸に空気が入るから、臍下3寸(=関元に相当)にある丹田の炎を大きく燃やすことで精を養う能力を増やすことができる。臍下丹田にある精が、そこに入ってきた空気と結合して神(=正常な意識。この神というのは霊魂とな別物)が生ずる。

 
腹にまで空気を入れる呼吸法を胎息とよぶ。これは母の胎内における胎児の呼吸の方法だからである。

臍下丹田に入った気は、その後に髄管によって脳に導かれ、脳から再び胸に降りていく。3つの丹田(後述)をこのように回り終えたら、口から吐き出される。あるいは単に気を巡らせるのではなく、気を身体の中で意のままに動きまさせる。病気の時は、疾患のある場所を治すため、そこへ気を導く。

2)閉気(息を閉じ込める)

凡人は、吸った空気はすぐに吐いてしまうから、空気の中に含まれている滋養を充分に吸収できない。気を深部にまで巡らすには、長時間息を止めておく(閉気)ことが必要である。閉息して、気のもつ滋養を吸収できる時間をできるだけ長くする。


5.食餌法


1)三つの丹田の働きを妨げる三虫


身体を、上部(頭と腕)、中部(胸)、下部(腹と脚)に三分割できる。各部には上丹田・中丹田・下丹田とよばれるそれぞれの司令部がある。丹とは紅と同様な意味で、炎に通じている。生命の炎が燃え続けているためには、気(空気)は不可欠である。

上丹田:脳中にあり、泥丸(ニーワン)宮という。これはサンスクリット語のニルバーナ=涅槃に由来している。上丹田は知性をつかさどる。なお涅槃(ねはん)とは煩悩から超越した境地のこと。転じて聖者の死を涅槃というようになった。上丹田に行く気が不足すれば知性を失う。

中丹田:心臓のそばには絳宮(こうきゅう)がある。絳(こう)とは深紅の意味がある。
血液循環の元締めだからであろう。心拍数の増減させること、すなわち感情の起伏に関与している。

下丹田:臍の下3寸の処(関元の部位)にある。下丹田は精を養っている部で、精に気が注入されて初めて神(正常な精神)ができる。精力(精神や肉体の活動する力)をつくる源でもある。

 


2)辟穀(へきこく)-三虫退治のために 

三つの丹田にはそれぞれの守護神がいて、悪い精霊や悪気から丹田を守っている。しかし守護神のそばには有害な三虫あるいは三尸(=屍)がいて丹田を攻撃して老衰や病気の原因をつくる。道士(道教の修業者)は、できるだけ早く三虫を取り除かねばならない。穀物を食べると、必然的にカス(大便の材料)が出て、カスは濁気を醸成する。この濁気が三虫を滋養し、疾病を起こす。三虫を取り除くには、穀物を絶たねばならない。これを辟穀(へきこく)とよぶ。辟穀は道士修業の基本である。穀物の代りに松実・きのこ・薬草などを食して体内の気を清澄に保つ。
                                   

2)霊薬としての丹薬


①丹薬の製造


辟穀しただけでは、三虫を絶滅しきれず、丹薬の服用も欠かせすことができない。丹薬は丹砂(=辰砂)ともいい、自然界では硫化水銀として存在している。純粋な丹砂は、朱色だが、普通は不純物を含むので暗褐色である。丹砂を炉400~600 ℃ に加熱して出た蒸気を冷やすことで水銀を取り出す。

水銀蒸気は目にみえず、瞬時に蒸発してなくなる。この段階では見えないものを集めなくてはならないので、2000年前の中国人が水銀精製法を発明したことは驚きである。熱を加える作業をした職人は、おそらく霊薬中毒(=水銀中毒)で発病しただろう。

水銀がなぜ霊薬だと思ったのかは定かではないが、水銀は金属でありながら重い液体であり、さらに常温でも気化(重さがなくなる)して次第に消滅することなどの特性があることなどが考えられる。

古代ヨーロッパの錬金術師が、鉛などの卑金属を金に変える際の触媒となると考えた霊薬は辰砂のことで、辰砂は西洋では「賢者の石」ともよばれる。賢者の石との名称は、童話「ハリー・ポッターと賢者の石」ですっかり有名になった。

 

 

 

 

 

②硫黄と水銀の特殊性

なぜ、硫黄と水銀が特別なのかについては、最もな理由があった。

①自然界には辰砂 しんしゃ(=硫化水銀HgS)という朱色の鉱石がある。これを空気中で加熱(600℃)すると、次の化学変化が起こる。発生した水銀蒸気を冷やすことで水銀抽出できる。なお二酸化硫黄は空気中に拡散され残らない。
   

 

②この水銀単体を空気中でさらに加熱(350℃)することで朱色の酸化水銀になる。
     
③さらに加熱(450℃)すると酸化水銀が分解され、水銀単体に戻すことができる。
  
②③は可逆反応であり、空気中で加熱するときの温度の違いにより繰り返し反応を起こすことができる。 辰砂を焼くだけで、銀色→朱色→銀色→朱色と繰り返し色が変化することが、神秘性を感じたとしても不思議ではない。

 

 

3)丹薬の効能

丹薬は永遠の命や美容などで効果があると信じられていた。丹薬が永遠の命を実現できるものとする考え方は、遺体を辰砂溶液に浸しておくと、いつまでも腐敗しないという実例がヒントになっているのだろう。ちなみに昭和天皇の遺体も布にくるまれた後、辰砂液につけられ、真っ赤だったという証言もある。天皇のような高貴な身分の人は、死去から遺体を埋めるまでに相当な期間を要するので、腐敗を防ぐ手立てが必要になったという。

秦の始皇帝は永遠の命を求め、水銀入りの薬や食べ物を摂取していたことによって逆に落命したことが知られている。死因は現代でいう水俣病(有機水銀中毒)だった。他にも多数の権力者が水銀中毒で死亡した。当時から、丹薬服用の危険性は知られていた。にもかかわらず次から次へと水銀を飲んで死亡した人をみて、自分はやめようとは思わなかったのだろうか。それには「至高の価値を得るためには、命を預けた賭けが必要とされ、また人格によって毒にも薬にもなる」という殺し文句があった。丹薬を服用する者は、自分がそれに相応しい人格だと信じて疑わなかったのだろう。

始皇帝の陵墓は中国成西の郊外にある。陵墓全体は土に覆われ、小山のようになっている。『史記』には始皇帝棺の周囲は自然を模したように水銀で海が満たされていたとの記載があり、今日土壌を調査すると、土に水銀濃度が高いことが判明していて、内部構造を調べるのを困難にしている。水銀には腐敗防止効果もあるので、中を発掘し、酸素に触れさせることで、劣化が早まるという危惧もある。 


なお稲荷神社の鳥居や神社の社殿などの塗料して古来から用いられた朱の原材料も、水銀=丹である。丹は木材の防腐剤として使われてきた。朱色は生命の躍動を現すとともに、古来災厄を防ぐ色としても重視されきた。臍下3寸の関元穴あたりを臍下丹田とよぶ。この部が充実して温かいことが、命の炎が燃焼しているという意味であった。

 

※黄鉄鉱とは

FeS2で表される。英語ではパイライトとよばれ、これはギリシャ語の火を意味するpyrに由来する。黄鉄鉱をハンマーで叩くと火花を散らすことから命名。金属光沢をもち淡黄色の色調により金と間違えられることが多いことから、「愚者の黄金」とも呼ばれる。黄鉄鋼とよく似た鉱石に黄銅鉱(CuFeS)があり、黄金色という点で、黄銅鉱の見た目の方が金に似ている。いずれも金銭的には価値がない。黄鉄鉱や黄銅鉱は川底や海岸の砂底にキラキラと光って見られることがある。金であれば比重が重いので石や砂の底にあって、しかも微量なので肉眼で確認することは困難である。

3.錬金術としての効能

古代から西洋では錬金術として金の抽出が行われていた。これは金鉱石を砕いて水銀を加えて加熱し、水銀蒸気を蒸発させて純粋な金をつくるものだった。卑金属から貴金属をつくる研究も行われたが、これらは失敗した。しかし近代化学の基礎を築いたという点で評価されている。


 

 

 

 

 

 

中国の柴暁明先生が、上記の私のブログを中国語に訳して下さいました。感謝致します。文面は次の通りです。

現代の中国でも、上流階級の者を中心に、道教の辟穀は流行っているようです。
何万元から何十万元でもかかって一週間の辟穀修業する方も結構多いそうです。
新聞記事を鵜呑みにして、浅い知識で勝手に今週辟穀しようと宣言する庶民たちは少なくないです。
このブログは、中国人にとって必要な基礎内容です。私は翻訳する前は、道教に対する認識も薄かったですが、このブログのお陰で、以前より深く認識できるようになりました。

 道教によって影響をうけた古代中国の生命観 Ver.1.3

 https://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MzU0Nzg5MjkzNQ==&mid=2247483824&idx=1&sn=f063f536f5a61784f4d0358d20421572&chksm=fb463a18cc31b30e656ef7b3e859ad4f06fe432d219ec8df057fb5670dcd203c6a215d5c7486&token=394854727&lang=zh_CN#rd


ベッドカバーズレ防止の決定版 ver.1.1

2019-10-11 | 雑件

正規のベッドカバーは元々が値が張る上にクリーニング代も高くつくので、当院では特大のバスタオル(180センチ✕90センチ)を使っている、患者が体位変換する時、バスタオルもズレることが多いのが悩みの種だった。そこで筆者は、2016年10月27日に「ついに見つけた。ベッドカバー滑り止め下敷き」と題したブログを発表して、その対策を発表したが、それでもズレを防止しきれなかった。

 https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/preview20?eid=68cf64ec7030fa5f4d0658c558a1b91a&t=6774356425d8f8aaeddf81?0.27458949187762394

今回、バスタオルがずれない新たな工夫を思いつき、十分な効果を得られたので公開したい。

 

1)ベッドに「STOPPカーペットすべり止め」を載せる。(北欧大型家具店イケアで購入)
網目になっていて、ハサミで簡単に切れる。ベッドの天板の大きさ程度に自分でカット。

 

 

 

2)「STOPPカーペットすべり止め」をベッドに敷き、ダイソーで購入した「万能ベルト」で2箇所程度くくりつける。「万能ベルト」は、よく見かけるダンボール等を梱包する時に使う帯状のポリプロピレン製のヒモだが、長さを調節できるストッパーがついている。余った分はハサミで簡単にカットできる。2本で100円(税別)。

 

 

 

 

3)その上から特大バスタオルを敷く。以上。

4)なお当院では寒くなると、ベッドに家庭用の電気敷毛布を敷くが、ベッド→電気敷毛布→「STOPPカーペット」の順番で敷き、「万能ベルト」でこれらをくくりつる。その上にバスタオルを敷くようにする。電気毛布は滑りやすいので、万能ベルトを一つ足し、3本にすることでズレを防止できるようである。

 

 

 

 

 


鍼灸院における設備・備品の改良アイデア(その4)ver.1.3

2018-04-11 | 雑件

1.以前、赤外線スタンドの根元に「二つ折りした鉄製の格子」(百均で購入)を取り付け、そこを診療中のカルテ置き場とした。しかし使いづらく、壁に移したことで、必要に応じて簡単にカルテを手にとれるようになった。この場所はカルテ置場と小マクラ置場の兼用である。患者を側臥位にさせた時、通常の角マクラだけでは頭が低くなるので、角マクラの上に小マクラをのせることで丁度良い高さになる。

 

 ↓ 変更

 

 

 2.以前はワゴンの下にティッシュケースを取り付けたが、手が届かないことがあるので、赤外線スタンドに縦に設置することにした。Ω型の取り付け金具は、ホームセンターで購入した。ティッシュケースはダイソー百均で購入した。非常に使い勝手がよいが、本来は台などに置いて使用するものだろう。直立した状態で取り付けたので、ティッシュ箱が空になると、フタを開けて交換してその都度セロテープで開かないよう固定しなければならない。

 

 

.ベッド脇には小さなワゴンを置き、モグサや線香、灰皿等を置いているが。しかし使用中の鍼皿を置くには、遠すぎて手が届かない。といって、臥位になっている患者の傍らの脇に鍼皿を置くと、急に患者が手などを動かすことがあり、この時鍼皿が触れて鍼シャーレーが床にころがり落ちることが多々あった。

この対策としてベッド脚を利用した鍼皿の設置台を考えた。当院治療室には電動ベッドと普通の診療ベッドが各1台あるが、電動ベッドの方は、脚の上面部分が平らになっているので、ステンレストレーを両面テープで取り付けるだけで完成。

 

普通の診療台は、脚に角材を当てて、結束バンドで固定。上の方はL字金具2個使って、ステンレストレーの置き台を作った。両面テープでステンレストレーを取り付けた。
角材上部が光っているのは、アルミテープを巻いたためだが、かえって素人工作っぽくなってしまった。このステンレストレーはダイソー百均で購入したものだが、縦180㎜×横85㎜で鍼シャーレーを載せるにはジャストサイズだった。

 

 

 

 

 

 4.普通診療ベッドの脚に作り付けたステンレストレーだが、格好悪くて気になるので、早速改良した。見栄えの悪い脚は取り外した。ベッドの脚は円柱形なので、ステンレスシャーレーの土台となる台座も、断面が直角三角形の木材をつけ、重量負荷に耐えられるようにした。

 

 

 

5.普通診療ベッド下には、一時的にカルテを置くスペースをつくった。このバスケットは、横幅20㎝、奥行22㎝でスチールでできている。これもダイソーで購入。B5カルテが縦向きに入れることができる。一見すると術者の膝にぶつかりそうだが、ベッド端にあることと、ベッド外端からは9㎝内側にあることで、 ぶつかることはない。

 

 

6.モグサ入れ
これまで茶色万能ツボ(中)をモグサ入れとして使っていたが、必要以上にモグサは入る一方で、線香点火用ライターは入らなかった。しかし百均で「ワンプッシュフラップ」という小物入れを発見し、これをモグサ入れとして使ってみることにした。非常に使いやすい形状で、中にライターも併せて入れることができる。ただし完全密封にはならないので、アルコールカット綿を入れるには不適だろう。本商品は、セリエまたはCan do で購入できる。

当院の灸療セット

下の線香入れは、透明プラ性ペンケースを流用したもの。 

 

 

 

 


勘違いしていた言葉

2017-12-19 | 雑件

1)トートバッグ(tote bag)

東京陶器(TOTO)株式会社の販促用としてつくったバッグのことだろうと思ったが違っていた。持ち手が2本あって口が開いたつり下げカバン。「トート」は、アメリカの俗語で「運ぶ(carry)」、「背負う」を意味する。

元来はキャンプなどの際に水や氷を入れて運ぶことのできる丈夫なキャンバス地などを使って製作された。これまでキャンプ道具に過ぎなかったトートバッグを、最初にファッションアイテムとして目をつけたのはアメリカの大学生で毎日、大量の教科書やノートを持ち歩く彼らは、頑丈で何でも自由に入れることのできる気軽で丈夫なトートバッグに着目した。現在ではショッピングバッグとして広く利用されるに至った。


2)スウィートルーム

甘い部屋sweet roomのことかと思った。高級ホテルや豪華客船の最上級の部屋のことで、一生の記念にハネムーンなどで泊まる部屋かと思った。しかしこの「スウィート」はsweet(甘い)ではなくsuite のことであった。suite とは一組といった意味で背広とズボンのセットのことをさしたり、2部屋以上ある客室タイプということだった。


3)パンケーキ


「パンのようなケーキ」のことだと思ったが、実はホットケーキと同じ意味。ただしわが国では、パンケーキは薄く甘さが控えめで、ベーコンやスクランブルエッグなどとと一緒に食べる食事向きのもの。ホットケーキはお菓子の一種として分類している。

パンケーキのパンとはイギリスなどで使われる重さの単位ポンドのこと。1ポンドの小麦粉・1ポンドのバター・1ポンドの砂糖を混ぜて生地をつくることからの名づけられた。


4)こわもて

「恐いけど、なぜかもてる」ことだと勘違いしていた。つまり顏は恐いが、同時に人間的な魅力があるので花があっていつも周りに人が集まってくるうような人で、俳優でいえば竹内力や哀川翔のような人のことだと思った。しかしこれも漢字を見て間違いに気づいた。強面(こわもて)が省略されたもので他人をおどしつけるようなこわい顔つきのことだった。


5)レセプト・カルテ

医療用語として使われるドイツ語の「レセプト receipt」の和訳は診療報酬明細書のことだが、英語読みでは単なるレシート receiptつまりは領収書である。ドイツ語のカルテKarte の和訳は診療録であるがカルテを英訳するとカードcardで単なる券のことである。英語で診療録をさす言葉は、medical record になる。
かつて戦前・戦中まで日本の医学はドイツを手本としたので、その頃までに入ってきた
医学用語はドイツ語中心だった。戦後は英語が中心となったので食い違いが生じたのだろう。