AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

上腕がまったく動かせなくなった2症例の治験

2014-04-24 | 頸腕症状

1.肩関節症状時、側頸部から斜角筋に刺激する方法

肩関節痛の針灸治療では、頸部治療も必要となるケースが多いことは広く知られている。
肩関節の主動作筋は、腕神経叢(C5~Th1)より出る次の2つの神経が中心となっているので、腕神経叢の神経絞扼障害があれば、肩関節症状は起こりえる。

腋窩神経支配:小円筋・三角筋
肩甲上神経支配:棘上筋・棘下筋
 
具体的に肩関節の運動時痛があれば、上記の筋を支配する腕神経叢刺激を行う。このための筆者の方法は、扶突から同側横突起方向に押圧して前中斜角筋の緊張度を診て、必要に応じて前中斜角筋に、2~3本刺針するという方法をとると有効となることが多い。このやり方は、木下晴都の方法を真似たものである。この技法の利点は、指頭で頸椎横突起方向に押圧することになるので、前中斜角筋の緊張度が把握しやすい点にあると思われる。

木下氏の斜角筋刺と類似のものに、天鼎刺針(=腕神経叢刺)がある。天鼎刺針は、いわゆる神経根症状に対して適応となり、刺針すると上肢に響きが放散することが多い。どちらか優れているかというものではなく、使い方が異なる。


 

 

2.症例 

最近、<症例2>を経験した。その30年程前、私は<症例1>を経験していたので、それが邪魔して正しい病態把握がしづらかったと思う。 

1)症例1:針灸治療中に生じた肩腱板完全断裂の例(80歳代 女性)

私が総合病院内で針灸臨床を初めて3年目くらいの頃、一人の80歳過ぎの老人女性を治療した。どこが悪いのかは忘れてしまったが、その人が、腕が挙がらないと訴えた。診ると、片方の腕は、ほぼブラブラ状態になっていた。痛みはまったくなかった。その時の私の治療は、肩関節附近に施術していらず、患者も私を責める様子でなかったので、一応安心しつつ、総合病院内の整形外科に依頼した。すると、肩板完全断裂ということで、手術するとのことだった。

以上の苦い経験から、肩関節が動かない→肩腱板完全断裂という思考回路ができたようだ。

2)症例2:肩関節の運動不能が、エルブ麻痺由来と思われた例(52歳、女性)
 
52歳の女性が来院した。以前から、膝痛や頸で時々来院していた人だったが、10日ほど前から左腕が挙がらなくなったという。発症3日後に整形外科受診したが、様子をみましょうといわれたが、今になっても改善しないので、心配になって当院来院した。思い当たる原因はない。痛みはまったくない。
座位での左肩関節を外転運動はまったく不能。外転90°位の保持も不能。仰臥位では外転90°程度まで可能だった。
肩関節周囲に、目立った圧痛や腫脹、発赤は見られなかった。

左肩関節腱板完全断裂を疑ったが、年令が若いこと、また普段から重労働している訳ではなく、肩関節を強打した覚えもない、肩関節周囲に圧痛もなかった。この時点で、エルブ麻痺のことは念頭になかった。とりあえず肩関節周囲に刺針したが、治療無効。

 
この患者は15日後再来。左肩関節は90°外転ができるようになっていた。MRIでは、腱断裂所見は認めなかったという。そういうことであれば。エルブ麻痺かもしれないと思った。その後、次第に症状は自然に改善され、完治に至ったという。


※エルブ麻痺とは

肩甲部の下方牽引や分娩時に生じる上位頸神経幹麻痺。C5神経麻痺で肩の挙上困難(三角筋麻痺)、C6神経麻痺で、前腕屈曲困難(上腕二頭筋麻痺)。自然治癒しやすい傾向がある。

対比すべき疾患としてクルンプケ麻痺(=下位神経幹障害C8,Th1)がある。クルンプケ麻痺では、手首から先が動かないが、肩や肘が動く。一般に難治である。


代田文誌らが集った<きさらぎ会>について ver.1.1

2014-04-15 | 人物像

長野県といえば、一昔前に多くの偉大な鍼灸師を輩出したことで有名である。長野県出身者に自分の田舎を聞くと、長野県といわず信州という。まあ、そうした郷土愛のたぐいがあるようだ。

長野県出身の鍼灸師といえば、その筆頭に数えられるのが代田文誌氏といってよいだろう。その代田氏や長野県出身の著名鍼灸師を中心とした同志の方々と、昭和41年から毎年2月に温泉旅館に泊まり、酒を飲みながら鍼灸を自由に語りあった。この集まりを<きさらぎ会>といった。

この会のメンバーは年によって異なるが、代田文誌の他に、倉島宗二、塩沢幸吉、木下晴都、清水千里、米山博久、森秀太郎、三木健次、芹沢勝助(以上、敬称略)など、かつての日本を代表した、そうそうたる顔ぶれであった。

「きさらぎ会」の概要
 その「きさらぎ会」の様子は、代田文誌先生の詠んだ歌で知ることができる。
  きさらぎの
  諏訪のほとりに集まりて
  鍼灸語りて 
  命がけなる
 

ところで上の短歌で詠まれた諏訪湖畔とは、どこなのだろうか。できることならその宿に泊まり、せめて「きさらぎ会」の雰囲気に浸りたいものだと思い調べてみた。医道の日本誌で、気賀林一氏(元医道の日本社編集長)の「きさらぎ会の記(昭和48年10月号)を実際に見ることができた。本稿は、第9回のきさらぎ会について説明している。

 
場所は信州上諏訪の旅館「ぬのはん」で、江戸時代から続く老舗旅館。「ぬのはん」という変わった名前は、元々は屋号を布屋とう呉服商を営んでいた藤原半助が、この地で温泉を掘り当てたことを契機として、旅館を創業したことにちなんだもの。かつてはわが国に歌壇にアララギ派が風靡していた頃、大いに歌を詠み時勢を論じあったというアララギ派の常宿ともなった。

 きさらぎ会一同が宿に着き、浴衣にくつろいだあと、階下の大広間で会談が始められた、という。座長は森秀太郎と塩沢幸吉が交代で務めた。話題は針灸に関すること様々だが、暗黙の規約として、①ここでしゃべったことは一切公表しないこと、②会員相互はあとで、あげつらいをしないこと、③たとえ意見が食い違っても、決して根に持たぬことなど。いわば自分の責任において放談大いによろし、という趣向だった。 
 
旅館「ぬのはん」は、名旅館として今でも営業している。中央本線上諏訪駅から徒歩8分ほどの、諏訪湖畔にある。

 


追記

きさらぎ会は、毎年<ぬのはん>で行っているように記したが、それは間違いであった。年により異なっていた。

塩沢幸吉氏の医道の日本誌投稿記事よれば、昭和40年第1回きさらぎ会は、長野県下高井郡山の内町の名門旅館「塵表閣」で、昭和41年第2回は同じ町内の「望山荘」でおこなわれた。第3回~第8回の開催地は不明。
※「塵表閣」「望山荘」ともに湯田中駅付近にある。湯田中駅は、長野電鉄長野線で45分の終着駅「湯田中」にある。

昭和49年第9回は前述したように、上諏訪駅近くの「ぬのはん」。昭和50年は開催されず、第10回昭和51年は、松本駅からタクシーで15分ほどの東山観光ホテルで行われた。それ以降は不明。この東山観光ホテルというのは、昭和天皇も泊まったことのある由緒あるホテルではあったが、今はなくなってしまった。 

 


胃部症状に対する座位での左不容刺針

2014-04-04 | 腹部症状

.胃症状の内臓体壁反射

内臓は交感神経と副交感神経により支配されているが、上腹部臓器は交感神経の支配が強いことが知られている。

上腹部内臓の症状は、上腹部内臓病変→交感神経→脊髄交感神経節→交通枝→体性神経という内臓体壁反射により、該当する脊髄神経の前枝と後枝領域の皮膚や筋に痛みやコリの反応が出現する。 
胃十二指腸・肝胆・膵・脾のデルマトームは、Th6~Th9なので、この断区内の腹筋や背筋に反応が出ることになる。


2.胃の六ツ灸と柳谷素霊の工夫


胃を初めとする上腹部内臓病変に対する鍼灸治療は、胃の六ツ灸の部位で有名な、膈兪・肝兪・脾兪に鍼灸するのが、定石だといってよいだろう。しかし胃のもたれ、胃の不快感、悪心嘔吐などの非急性の上腹部症状に対して、自信をもって効かせられるとする鍼灸師は、案外少ないのではないか。というのは症状に自律神経が関与するものは、腰痛治療に代表されるような体性神経症状に比べて、治療に確実性がないからである。 
 
実際に鍼灸治療の効果を引き出すためには、技術的要素が非常に重要であって、たとえば柳谷素霊は、五臓六腑の針の一つとして、胃や横隔膜症状に対する治療として、患者を正座させて膈兪一行(柳谷は、背部の第7胸椎外方1寸と定めた)に刺針するという独特の方法を行ったのであるが、座位で上中部刺針を行うという記載はないようであった。



3.座位での上中腹部刺針


正座位または椅座位で上腹部刺針を行う方法は、私の知る限り、高岡松雄著「医家のための痛みのハリ治療」によるものである。
高岡松雄(医師)は、つわりに対する治療として、壁に背中や胸腹をつけた立位姿勢で、上腹部と中背部の反応点を探して皮内針を行った。そうした体位で施術する意義は、「つわりでは、日中起きている時に吐き気や不快 感が強いが、夜間就寝時には少ないことから、立位で反応点を診察する」と記載している。

 

つわりは、胎盤性ゴナドトロピン分泌亢進→CTZ(化学受容体)刺激→延髄嘔吐中枢刺激→嘔吐運動という機序で生ずる。上記の皮内針治療で、鎮吐するのは、嘔吐運動に関与する腹筋や横隔膜の過敏性を改善したのだためだと私は考えたが、もしそうであるならば、何もつわりに限定しなくても、胃に関する不定愁訴を訴える者に対しても効果があるのではないか。そして壁に立たせるのであなく、もと一般的に座位や椅座位でツボ反応を探すことも有効なのではないかと考えを拡大させた。胃の病変→交感神経興奮→交通枝→肋間神経興奮というルートを想定したのだった。  



4.座位での上腹部反応刺針と既知のトリガーポイント


柳谷素霊は、胃症状に対して座位で膈兪一行を探って刺針したというが、なぜこの姿勢で上腹部を探らなかったのだろうか。ということで伏臥位で巨闕や中脘あたりの反応点に刺針しても効果が乏しかった上腹部症状を訴える43才女性患者に対して、座位で上腹部を探ってみることにした。

 
まず指頭にツボ反応が容易に捉えられることにまず驚いた。筋のグリグリが簡単に把握できる。

早速いくつかの上腹部反応点に1㎝ほど刺針し軽く雀啄して抜針した(座位で実施するので置針不可)。するとその直後から楽になったとの感想を漏らしたのだった。こんなにも速効性があるのかと当方も驚いたのだった。
 
トリガーポイントの創始者であるトラベルはによれば、「胸やけする」「お腹が張る」等の症状は腹斜筋上部のトリガーポイント(左不容移動穴)が活性化した結果だという。まさしくその記載の正しさを再発見した想いであった。私が触知した腹部反応も、腹筋上にみられたトリガーポイントだといえるだろう。ただしトラベルは左不容しか記していないが、実際には左不容と同時に、巨闕や上脘などのツボ反応もみられるので、同時に刺針する必要があるかと思う。これらの穴は結局は腹筋の骨付着部症でもあり、胃の六ツ灸よりもストレートに有効となる感触をもった。