時に、この地で動く時のご加護を
お願いしちゃったりなんかもするのです。
次回も、もう少しだけ飛鳥の秘密のお話を。(^^)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/82/bc97ce8ed203c3c197e28f49da56a46a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/b3/9a8a90a470d81ebde781d8454d5953da.jpg)
こちら。
僕さんが飛鳥の地で最も大切に思うもの。
日本最古の寺であり、
国指定の史跡でもある「飛鳥寺」さんの鐘。
カネ。
鐘楼(しょうろう)。
「ごごごーーーーーーーーーーんんんん......♪」
と、訪れた人が皆、平等に、
荘厳につけちゃったりするのです。
とてもありがたき鐘。
盆地形の飛鳥の中心にあって、
広く開け抜けた場所にあるので、
飛鳥の地に広く、静かに鳴り響きます。
その音色はとても品格があって、優しく、
心が落ち着く感じ。
同様にアチラ世界の皆様も落ち着いてしまうのでわ!?的な。
以前記した鞍馬寺の鐘が自己浄化の鐘であるとするならば、
こちらの鐘は完全に他者浄化のための鐘。
癒しと鎮めの鐘。
この地を訪れましたら、ぜひ一度、
この美しき鐘の音が飛鳥の地のいろぉーーーんなモノモノに
響き伝わる感覚を味わっていただけたらと。
滅多に味わえないとても良い響きです。
ちなみに僕さん。
昔、アル神様に言われ、
プリリンねーさんとikuちゃんと一緒に
境内にある石に水を注ぎに来たこともあるのですが......
その時のなつかしい写真......
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/71/6f5c414e4ae7b5615e7135630423b6ea.jpg)
この時も僕さんは境内に入るや否や、
真っ先に鐘をつきに行っていて。
鐘をついた瞬間、鐘楼の上で見えない、
細長い帯のような布?をフサッ......と、
頭から肩にかけてもらったことがあるのです。
「ナンジャ!?コリャ!?」
と驚いた僕さんは一緒にいたプリリンねーさんにも
その場で聞いてみたのですが、
神様曰く
「カラカラのヒレ」
とのことで。
水を注いだ石の正面にある
「思惟殿(しゆいでん)」の中にいらっしゃる......
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/c9/f327bef6ed6983fb3dd8816551802930.jpg)
「聖観世音菩薩(ひじりかんのんぼさつ)」
さんが纏っているものと同じものである、と。
像に関してはネットから貴重な写真を拝借......
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/d5/4dac129c0fa7ea0446967fee14c68d26.jpg)
今も持っているとは思うのですが......
何の役に立っているのか?はまったくわからず。
まぁ、荒唐無稽なお話でして。
ええ。ええ。
しかし、
そんな不思議な経験をさせてもらった鐘楼でもあるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/aa/5f9a2153d95ffa599f25f91deb4f6c81.jpg)
そんな飛鳥寺さんの入口はこんな感じ。
観光的には有名な釈迦如来像さんにも会えまする。
いわゆる「飛鳥大仏」さん。
日本最古の仏像と言っても良いかもしれません。(^^)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/4d/dad872bd1745724790c72fec912766c0.jpg)
長い歴史の中で修復に修復を重ねているため、
当初から残っている部分は箇所箇所となっているようですが、
国の重要文化財となっています。
写真撮影もフリーという器の大きさ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/db/78caeefcf18e3e38d4218a26b496e346.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/ea/cfcea16177dce1a2a02808d60abc51df.jpg)
飛鳥大仏さんの隣には「聖徳太子立像」があります。
聖徳太子さんの16歳のころの像と伝わっているそうで......
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/ea/06ee477f4b7a6811f9a63e986b9e7a45.jpg)
さて。
徒然ラストミステリー。
誰もが知る「聖徳太子」さんとは、どーも、
実在した人物ではなく。
「アル人」の実績や子供の頃からの様子や伝承部分を移され、
後からアイドル的な名をつけられ、
擬人化された人なのだそうです。
その「アル人」の見事な才知と政治的実績を
実際の名前で後世に伝えたくないがためにそうしたのだと。
その人の家柄や血筋を抹消したかったからそうしたのだと。
だけど、周知の実績だけはどうしても残っちゃうので、
色々考えてそうしたのだと。
神様からはそんなようなことを聞いています。
その「アル人」というのが「蘇我入鹿(そがのいるか)」さん。
いわゆる「大化の改新=乙巳の変」で抹殺された方。
僕らポンチキーズの中では「イルカの神」と呼ばれている神様。
生前は仏教派だったのに神様になっちゃった!?という神様。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ac/8d2554fd4832ec3f968398962e140f73.jpg)
飛鳥寺の西門を出てすぐのところにはひっそりと地味に、
その入鹿さんの首塚があります。
飛鳥寺は入鹿さんに至るまで圧倒的な権勢を誇った蘇我氏の氏寺。
ここを建立したのも入鹿のお祖父さんの
「蘇我馬子(そがのうまこ)」さん。
入鹿さんの像があっても何の不思議もありません、が、
あるのは何故か?聖徳太子と呼ばれるもの。
思うに、記紀に記されている入鹿さんのお祖父さんは
上に記したように馬子さんで、
お父さんの名前は蝦夷(えみし)さん。
蝦夷は当時の朝廷では侮蔑的な地方族の呼称であったろうし、
馬と鹿を合わせれば「馬鹿(バカ)」
朝廷一の権力者だった蘇我氏の皆さんは
本当にこんな名前だったのでしょうか?
大化の改新後に記紀を編纂していた藤原氏のニヤケ顔が
浮かびもします。
太子の本来の名である「厩戸(うまやと)」や
「厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)」
「厩戸王(うまやとおう)」とは、
馬子の家の王、皇子という隠喩もあるのではないでしょうか。
それでも入鹿さんは今やとても安らかに、
おおらかにこの国を護ってくれているようです。
塚の呼称は少々怖い?かもしれませんが、
そんな感じなので全くのご安心を。
今や立派な「聖地」とも言える場所でしょうか。
奥深き飛鳥(明日香村)の地のお話は
またいつか記していければと。
ええ。ええ。
お疲れ様です。(^^)
☆シリーズ記事はこちら☆
「飛鳥徒然」
「飛鳥徒然 2」
「飛鳥徒然 3」
お願いしちゃったりなんかもするのです。
次回も、もう少しだけ飛鳥の秘密のお話を。(^^)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/82/bc97ce8ed203c3c197e28f49da56a46a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/b3/9a8a90a470d81ebde781d8454d5953da.jpg)
こちら。
僕さんが飛鳥の地で最も大切に思うもの。
日本最古の寺であり、
国指定の史跡でもある「飛鳥寺」さんの鐘。
カネ。
鐘楼(しょうろう)。
「ごごごーーーーーーーーーーんんんん......♪」
と、訪れた人が皆、平等に、
荘厳につけちゃったりするのです。
とてもありがたき鐘。
盆地形の飛鳥の中心にあって、
広く開け抜けた場所にあるので、
飛鳥の地に広く、静かに鳴り響きます。
その音色はとても品格があって、優しく、
心が落ち着く感じ。
同様にアチラ世界の皆様も落ち着いてしまうのでわ!?的な。
以前記した鞍馬寺の鐘が自己浄化の鐘であるとするならば、
こちらの鐘は完全に他者浄化のための鐘。
癒しと鎮めの鐘。
この地を訪れましたら、ぜひ一度、
この美しき鐘の音が飛鳥の地のいろぉーーーんなモノモノに
響き伝わる感覚を味わっていただけたらと。
滅多に味わえないとても良い響きです。
ちなみに僕さん。
昔、アル神様に言われ、
プリリンねーさんとikuちゃんと一緒に
境内にある石に水を注ぎに来たこともあるのですが......
その時のなつかしい写真......
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/71/6f5c414e4ae7b5615e7135630423b6ea.jpg)
この時も僕さんは境内に入るや否や、
真っ先に鐘をつきに行っていて。
鐘をついた瞬間、鐘楼の上で見えない、
細長い帯のような布?をフサッ......と、
頭から肩にかけてもらったことがあるのです。
「ナンジャ!?コリャ!?」
と驚いた僕さんは一緒にいたプリリンねーさんにも
その場で聞いてみたのですが、
神様曰く
「カラカラのヒレ」
とのことで。
水を注いだ石の正面にある
「思惟殿(しゆいでん)」の中にいらっしゃる......
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/c9/f327bef6ed6983fb3dd8816551802930.jpg)
「聖観世音菩薩(ひじりかんのんぼさつ)」
さんが纏っているものと同じものである、と。
像に関してはネットから貴重な写真を拝借......
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/d5/4dac129c0fa7ea0446967fee14c68d26.jpg)
今も持っているとは思うのですが......
何の役に立っているのか?はまったくわからず。
まぁ、荒唐無稽なお話でして。
ええ。ええ。
しかし、
そんな不思議な経験をさせてもらった鐘楼でもあるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/aa/5f9a2153d95ffa599f25f91deb4f6c81.jpg)
そんな飛鳥寺さんの入口はこんな感じ。
観光的には有名な釈迦如来像さんにも会えまする。
いわゆる「飛鳥大仏」さん。
日本最古の仏像と言っても良いかもしれません。(^^)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/4d/dad872bd1745724790c72fec912766c0.jpg)
長い歴史の中で修復に修復を重ねているため、
当初から残っている部分は箇所箇所となっているようですが、
国の重要文化財となっています。
写真撮影もフリーという器の大きさ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/db/78caeefcf18e3e38d4218a26b496e346.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/ea/cfcea16177dce1a2a02808d60abc51df.jpg)
飛鳥大仏さんの隣には「聖徳太子立像」があります。
聖徳太子さんの16歳のころの像と伝わっているそうで......
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/ea/06ee477f4b7a6811f9a63e986b9e7a45.jpg)
さて。
徒然ラストミステリー。
誰もが知る「聖徳太子」さんとは、どーも、
実在した人物ではなく。
「アル人」の実績や子供の頃からの様子や伝承部分を移され、
後からアイドル的な名をつけられ、
擬人化された人なのだそうです。
その「アル人」の見事な才知と政治的実績を
実際の名前で後世に伝えたくないがためにそうしたのだと。
その人の家柄や血筋を抹消したかったからそうしたのだと。
だけど、周知の実績だけはどうしても残っちゃうので、
色々考えてそうしたのだと。
神様からはそんなようなことを聞いています。
その「アル人」というのが「蘇我入鹿(そがのいるか)」さん。
いわゆる「大化の改新=乙巳の変」で抹殺された方。
僕らポンチキーズの中では「イルカの神」と呼ばれている神様。
生前は仏教派だったのに神様になっちゃった!?という神様。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ac/8d2554fd4832ec3f968398962e140f73.jpg)
飛鳥寺の西門を出てすぐのところにはひっそりと地味に、
その入鹿さんの首塚があります。
飛鳥寺は入鹿さんに至るまで圧倒的な権勢を誇った蘇我氏の氏寺。
ここを建立したのも入鹿のお祖父さんの
「蘇我馬子(そがのうまこ)」さん。
入鹿さんの像があっても何の不思議もありません、が、
あるのは何故か?聖徳太子と呼ばれるもの。
思うに、記紀に記されている入鹿さんのお祖父さんは
上に記したように馬子さんで、
お父さんの名前は蝦夷(えみし)さん。
蝦夷は当時の朝廷では侮蔑的な地方族の呼称であったろうし、
馬と鹿を合わせれば「馬鹿(バカ)」
朝廷一の権力者だった蘇我氏の皆さんは
本当にこんな名前だったのでしょうか?
大化の改新後に記紀を編纂していた藤原氏のニヤケ顔が
浮かびもします。
太子の本来の名である「厩戸(うまやと)」や
「厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)」
「厩戸王(うまやとおう)」とは、
馬子の家の王、皇子という隠喩もあるのではないでしょうか。
それでも入鹿さんは今やとても安らかに、
おおらかにこの国を護ってくれているようです。
塚の呼称は少々怖い?かもしれませんが、
そんな感じなので全くのご安心を。
今や立派な「聖地」とも言える場所でしょうか。
奥深き飛鳥(明日香村)の地のお話は
またいつか記していければと。
ええ。ええ。
お疲れ様です。(^^)
☆シリーズ記事はこちら☆
「飛鳥徒然」
「飛鳥徒然 2」
「飛鳥徒然 3」
飛鳥は不思議に満ちています。
飛鳥大仏さんにおまいりしたのは
小学校の遠足^_^
首塚という名前に怖かったのを
覚えています。
中学生になると
飛鳥駅から
石舞台を目指し歩く秋の遠足が
決まりのようにありました。
橘寺を建立したというのも
蘇我氏ということになるんでしょうか。
入鹿さんは
神さまになってるんですね。
名前的にも用明天皇(諡は橘豊日天皇=たちばなのとよひのすめらみこと)
との関わりが強いと思います。
そうすると太子生誕伝説とも蘇我氏とも合いますし。
入鹿さんは、
確か曽我村に「宗我坐宗我都比古神社」があって、
入鹿宮(イルカのみや)とも呼ばれていたかと。
その頃から神様になっていたかと思います。
明日香だけでなく、
斑鳩(いかるが)という地名の語源もかなり怪しく、、、
イカル、イルカ、と、カナリ引っ掛かるものがありますねー。
太子が建てた法隆寺は元は斑鳩寺という名でしたし。
やはりイルカとの重複を感じますね。
そういえば
斑鳩というのも…
amenouzmetさんの
博識ぶりに
びっくりです!
ありがとうございます。
けれどいつの世も、奢れる物は久しからず、、
と、ポンチキファンはポンチキーズの皆様に感謝をしておりますm(__)m
シリーズ記事ありがとうございます。
以前からこの辺りの歴史に興味があるのですが、上宮王家とは蘇我家のことで、アメノタリシヒコとは蘇我家のどなたかのことなのでしょうか。
-藤-を読んでから葛城、中臣の記事も楽しみにしております。いつもわかりやすく見解を記していただきありがたいです。
ありがとうございます。
個人的には文字は勿論、発音なども相当怪しいものかと思っています。
「ウォラー」を「ウオーター」と記しているようなものでしょうか。
時代的にも異言語間コミュニケーションの誤差がカナリあって
当然のことではないかと思っています。
先ず「俀王」という文字も「倭王」の間違いでしょうし、
多利思比孤(タラシヒコ、多利思北狐、タラシホコ)とは、
遣隋使が「タラシヒコ=天から垂れた、降りた王君」と言った
言葉あたりでは無いか?と思います。
要は「天孫」のことであり、単に陛下とか天孫とか、
「時の天皇」の意味で話された言葉に音で漢字を当てているものではないかと。
この言葉の前にはアマ(阿毎)という言葉も付いているようですし、
その後にはオオキミ(阿輩雞彌)と読める言葉も続いているようですし、
僕個人としては固有名とは考えにくいかな、と。
聖徳太子でも入鹿でも馬子でも無く、
ただ単に時の自国の王の意で、
天下った大王と言う言葉に見えるということです。
これまでも様々な見解が溢れている事案ですので、
僕のお話もタダの一意見、それも一般人の、、、
という理解でいていただけたらありがたく思います。
何卒。
ご丁寧に解説していただきありがとうございます。
確かに、日本語ですら今とはかなり違っていたでしょうし。
お忙しい中、お手数おかけ致しました。まだまだ暑いですが、ご自愛くださいませ。
先のお返事では「タリシヒコ」と書くべきところを
「タラシヒコ」と書いてしまったりして、
誤字が多くすいませんでした。
お許しくださいませ。