時に、この地で動く時のご加護を
お願いしちゃったりなんかもするのです。
次回も、もう少しだけ飛鳥の秘密のお話を。(^^)
こちら。
僕さんが飛鳥の地で最も大切に思うもの。
日本最古の寺であり、
国指定の史跡でもある「飛鳥寺」さんの鐘。
カネ。
鐘楼(しょうろう)。
「ごごごーーーーーーーーーーんんんん......♪」
と、訪れた人が皆、平等に、
荘厳につけちゃったりするのです。
とてもありがたき鐘。
盆地形の飛鳥の中心にあって、
広く開け抜けた場所にあるので、
飛鳥の地に広く、静かに鳴り響きます。
その音色はとても品格があって、優しく、
心が落ち着く感じ。
同様にアチラ世界の皆様も落ち着いてしまうのでわ!?的な。
以前記した鞍馬寺の鐘が自己浄化の鐘であるとするならば、
こちらの鐘は完全に他者浄化のための鐘。
癒しと鎮めの鐘。
この地を訪れましたら、ぜひ一度、
この美しき鐘の音が飛鳥の地のいろぉーーーんなモノモノに
響き伝わる感覚を味わっていただけたらと。
滅多に味わえないとても良い響きです。
ちなみに僕さん。
昔、アル神様に言われ、
プリリンねーさんとikuちゃんと一緒に
境内にある石に水を注ぎに来たこともあるのですが......
その時のなつかしい写真......
この時も僕さんは境内に入るや否や、
真っ先に鐘をつきに行っていて。
鐘をついた瞬間、鐘楼の上で見えない、
細長い帯のような布?をフサッ......と、
頭から肩にかけてもらったことがあるのです。
「ナンジャ!?コリャ!?」
と驚いた僕さんは一緒にいたプリリンねーさんにも
その場で聞いてみたのですが、
神様曰く
「カラカラのヒレ」
とのことで。
水を注いだ石の正面にある
「思惟殿(しゆいでん)」の中にいらっしゃる......
「聖観世音菩薩(ひじりかんのんぼさつ)」
さんが纏っているものと同じものである、と。
像に関してはネットから貴重な写真を拝借......
今も持っているとは思うのですが......
何の役に立っているのか?はまったくわからず。
まぁ、荒唐無稽なお話でして。
ええ。ええ。
しかし、
そんな不思議な経験をさせてもらった鐘楼でもあるのです。
そんな飛鳥寺さんの入口はこんな感じ。
観光的には有名な釈迦如来像さんにも会えまする。
いわゆる「飛鳥大仏」さん。
日本最古の仏像と言っても良いかもしれません。(^^)
長い歴史の中で修復に修復を重ねているため、
当初から残っている部分は箇所箇所となっているようですが、
国の重要文化財となっています。
写真撮影もフリーという器の大きさ。
飛鳥大仏さんの隣には「聖徳太子立像」があります。
聖徳太子さんの16歳のころの像と伝わっているそうで......
さて。
徒然ラストミステリー。
誰もが知る「聖徳太子」さんとは、どーも、
実在した人物ではなく。
「アル人」の実績や子供の頃からの様子や伝承部分を移され、
後からアイドル的な名をつけられ、
擬人化された人なのだそうです。
その「アル人」の見事な才知と政治的実績を
実際の名前で後世に伝えたくないがためにそうしたのだと。
その人の家柄や血筋を抹消したかったからそうしたのだと。
だけど、周知の実績だけはどうしても残っちゃうので、
色々考えてそうしたのだと。
神様からはそんなようなことを聞いています。
その「アル人」というのが「蘇我入鹿(そがのいるか)」さん。
いわゆる「大化の改新=乙巳の変」で抹殺された方。
僕らポンチキーズの中では「イルカの神」と呼ばれている神様。
生前は仏教派だったのに神様になっちゃった!?という神様。
飛鳥寺の西門を出てすぐのところにはひっそりと地味に、
その入鹿さんの首塚があります。
飛鳥寺は入鹿さんに至るまで圧倒的な権勢を誇った蘇我氏の氏寺。
ここを建立したのも入鹿のお祖父さんの
「蘇我馬子(そがのうまこ)」さん。
入鹿さんの像があっても何の不思議もありません、が、
あるのは何故か?聖徳太子と呼ばれるもの。
思うに、記紀に記されている入鹿さんのお祖父さんは
上に記したように馬子さんで、
お父さんの名前は蝦夷(えみし)さん。
蝦夷は当時の朝廷では侮蔑的な地方族の呼称であったろうし、
馬と鹿を合わせれば「馬鹿(バカ)」
朝廷一の権力者だった蘇我氏の皆さんは
本当にこんな名前だったのでしょうか?
大化の改新後に記紀を編纂していた藤原氏のニヤケ顔が
浮かびもします。
太子の本来の名である「厩戸(うまやと)」や
「厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)」
「厩戸王(うまやとおう)」とは、
馬子の家の王、皇子という隠喩もあるのではないでしょうか。
それでも入鹿さんは今やとても安らかに、
おおらかにこの国を護ってくれているようです。
塚の呼称は少々怖い?かもしれませんが、
そんな感じなので全くのご安心を。
今や立派な「聖地」とも言える場所でしょうか。
奥深き飛鳥(明日香村)の地のお話は
またいつか記していければと。
ええ。ええ。
お疲れ様です。(^^)
☆シリーズ記事はこちら☆
「飛鳥徒然」
「飛鳥徒然 2」
「飛鳥徒然 3」
お願いしちゃったりなんかもするのです。
次回も、もう少しだけ飛鳥の秘密のお話を。(^^)
こちら。
僕さんが飛鳥の地で最も大切に思うもの。
日本最古の寺であり、
国指定の史跡でもある「飛鳥寺」さんの鐘。
カネ。
鐘楼(しょうろう)。
「ごごごーーーーーーーーーーんんんん......♪」
と、訪れた人が皆、平等に、
荘厳につけちゃったりするのです。
とてもありがたき鐘。
盆地形の飛鳥の中心にあって、
広く開け抜けた場所にあるので、
飛鳥の地に広く、静かに鳴り響きます。
その音色はとても品格があって、優しく、
心が落ち着く感じ。
同様にアチラ世界の皆様も落ち着いてしまうのでわ!?的な。
以前記した鞍馬寺の鐘が自己浄化の鐘であるとするならば、
こちらの鐘は完全に他者浄化のための鐘。
癒しと鎮めの鐘。
この地を訪れましたら、ぜひ一度、
この美しき鐘の音が飛鳥の地のいろぉーーーんなモノモノに
響き伝わる感覚を味わっていただけたらと。
滅多に味わえないとても良い響きです。
ちなみに僕さん。
昔、アル神様に言われ、
プリリンねーさんとikuちゃんと一緒に
境内にある石に水を注ぎに来たこともあるのですが......
その時のなつかしい写真......
この時も僕さんは境内に入るや否や、
真っ先に鐘をつきに行っていて。
鐘をついた瞬間、鐘楼の上で見えない、
細長い帯のような布?をフサッ......と、
頭から肩にかけてもらったことがあるのです。
「ナンジャ!?コリャ!?」
と驚いた僕さんは一緒にいたプリリンねーさんにも
その場で聞いてみたのですが、
神様曰く
「カラカラのヒレ」
とのことで。
水を注いだ石の正面にある
「思惟殿(しゆいでん)」の中にいらっしゃる......
「聖観世音菩薩(ひじりかんのんぼさつ)」
さんが纏っているものと同じものである、と。
像に関してはネットから貴重な写真を拝借......
今も持っているとは思うのですが......
何の役に立っているのか?はまったくわからず。
まぁ、荒唐無稽なお話でして。
ええ。ええ。
しかし、
そんな不思議な経験をさせてもらった鐘楼でもあるのです。
そんな飛鳥寺さんの入口はこんな感じ。
観光的には有名な釈迦如来像さんにも会えまする。
いわゆる「飛鳥大仏」さん。
日本最古の仏像と言っても良いかもしれません。(^^)
長い歴史の中で修復に修復を重ねているため、
当初から残っている部分は箇所箇所となっているようですが、
国の重要文化財となっています。
写真撮影もフリーという器の大きさ。
飛鳥大仏さんの隣には「聖徳太子立像」があります。
聖徳太子さんの16歳のころの像と伝わっているそうで......
さて。
徒然ラストミステリー。
誰もが知る「聖徳太子」さんとは、どーも、
実在した人物ではなく。
「アル人」の実績や子供の頃からの様子や伝承部分を移され、
後からアイドル的な名をつけられ、
擬人化された人なのだそうです。
その「アル人」の見事な才知と政治的実績を
実際の名前で後世に伝えたくないがためにそうしたのだと。
その人の家柄や血筋を抹消したかったからそうしたのだと。
だけど、周知の実績だけはどうしても残っちゃうので、
色々考えてそうしたのだと。
神様からはそんなようなことを聞いています。
その「アル人」というのが「蘇我入鹿(そがのいるか)」さん。
いわゆる「大化の改新=乙巳の変」で抹殺された方。
僕らポンチキーズの中では「イルカの神」と呼ばれている神様。
生前は仏教派だったのに神様になっちゃった!?という神様。
飛鳥寺の西門を出てすぐのところにはひっそりと地味に、
その入鹿さんの首塚があります。
飛鳥寺は入鹿さんに至るまで圧倒的な権勢を誇った蘇我氏の氏寺。
ここを建立したのも入鹿のお祖父さんの
「蘇我馬子(そがのうまこ)」さん。
入鹿さんの像があっても何の不思議もありません、が、
あるのは何故か?聖徳太子と呼ばれるもの。
思うに、記紀に記されている入鹿さんのお祖父さんは
上に記したように馬子さんで、
お父さんの名前は蝦夷(えみし)さん。
蝦夷は当時の朝廷では侮蔑的な地方族の呼称であったろうし、
馬と鹿を合わせれば「馬鹿(バカ)」
朝廷一の権力者だった蘇我氏の皆さんは
本当にこんな名前だったのでしょうか?
大化の改新後に記紀を編纂していた藤原氏のニヤケ顔が
浮かびもします。
太子の本来の名である「厩戸(うまやと)」や
「厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)」
「厩戸王(うまやとおう)」とは、
馬子の家の王、皇子という隠喩もあるのではないでしょうか。
それでも入鹿さんは今やとても安らかに、
おおらかにこの国を護ってくれているようです。
塚の呼称は少々怖い?かもしれませんが、
そんな感じなので全くのご安心を。
今や立派な「聖地」とも言える場所でしょうか。
奥深き飛鳥(明日香村)の地のお話は
またいつか記していければと。
ええ。ええ。
お疲れ様です。(^^)
☆シリーズ記事はこちら☆
「飛鳥徒然」
「飛鳥徒然 2」
「飛鳥徒然 3」
オススメの巨石、神社、、ですかぁ、、
過去記事にも幾つも記していたりしていますが、、、そうですね。
色々あるので今度まとめた記事を記してみますね。しばし。
最近、巨石遺跡と神社の関連性やら気になり巨石遺跡がある神社参りしては私なりにピンときた祝詞や泡の歌、カタカムナ567を唱えたりして居ます。
巨石遺跡は古代文明人が祭祀場として最適な場所として選んだ場所であり、その後の文明人達が同じ場所で祭祀していた可能性が高いと踏んでいます。神様に祈りが届き易い場所もしくは繋がり易い場所と理解した方がいいのでしょうか。室山熊野神社、石穴稲荷神社行って来ましたが太古の古代文明からの貴重な場所と考えてます。偶然かもしれませんが、祝詞やカタカムナ唱えた後に輝く神秘的な写真も撮れまして、偶然かも、しれません。
今後も色々調べたいと思うのですが
オススメの巨石遺跡と神社に関する情報などあればご指導頂けたらと思います。とにかく
惹かれています。
不躾で申し訳ありません。
あくまで僕はソノ道の人では無いですので。
何卒ですー。
今後も定期的に様々な報告と感謝の気持ちで参ろうと思います。
そして、屋敷山には御祭神不明の神社と釈迦如来様、薬師如来様、親鸞様の仏像が祀られてるお堂様もあります。祖母が巫女として対応してた事も分かりました。それ以外は不明です。
今回の件も含め神様への寄り添いと少しずつ紐解きへと近づきある事があるように思います。
何もかもUZMETさんに頼るのでなく、自ら動いてどうしようもない時に、また、ご相談させて頂ければと思います。
今回の件は、本当にありがとうございました。今後共々、UZMET 様のご健康とご多幸を祈り応援しています。
自心と向き合い、
それでスッキリとした感覚があれば、
行為は正しかったのだと思います。
自分が感じることが先方の感じていることです。
今後は定期的に行ってあげてください。
一年に一度とか、そんなレベルで。
お供物は全て下げて、後で自身で食べると良いですよ。
それを「お下がり」と言います。
ま、場が汚れなければどちらでも。
お疲れ様でしたー(^ν^)
高速利用しての片道2時間半で、身体の体調変化も無く、事故もなく家に辿り着きました🙂。
お供えには、其々の稲荷様に稲荷寿司3個 稲荷3枚 半熟卵1個 酒 ある方の➕80の塩を数粒 しらす数匹ずつをお供えし、私も一緒に自分の分の稲荷を食べてきました。
今までの謝罪をする気持ちもあるのですが、何となく一緒に食べる事の方が重要かと判断して、稲荷様に喜んでもらえればと思ってプチ宴会してきました😀
本当にありがとうございました😊
やはり稲荷寿司でしょうか。手作りは厳しいので、なんとかどこかで買っていきます。誠意を持って謝罪と清掃してきます。
導きをありがとうございます。
間に合いますでしょうか。
ここぞ!のキツネさんとなると、断然「稲荷寿司」です。
美味しいお米のいなり寿司が3個もあれば大丈夫ですよ。(^ν^)
何故お揚げとかじゃないの?お米?となれば、
過去記事の「キツネさん」という記事あたりを
ブログ内検索から探してもらい読んでみてくださいませ。
全てにおいて真摯さと誠実さを見られているかと思います。
だから、きっと大丈夫ですよ(^^)
実はブログ内容とは関係ない事で申し訳ありませんが、お稲荷様の事でお聞きしたい事があります。何故かわかりませんが、祠が二つあって、それぞれ2体の狐様が祀られてます。
急なのですが、明日無き父以来放置してた(時々参拝はしてました)実家の裏山にある稲荷様に今までのご無礼を込めて、掃除と稲荷様の身体を酒でお清めして、今までのご無礼を謝り通そうと思っています。
お許しもらえないかもしれません。
でも謝罪するしかないと心にきめました。
そこで、お稲荷様にお供え物は何がいいかご存知あればお聞きしたいと思います。
急な話で申し訳ありません。
とにかく掃除に来いと言われてる気がして。
先月は、祐徳稲荷神社を参拝後に酒入れと酒を購入して謝罪しています。それから、掃除が気になっています。やっと、明日行けることになりました。
身体を張って、謝罪してきます。
いえいえそんな…タリシホコとも読めますしね。
藤原が創作してくれた記紀のお陰で?世の皆様がいろいろな研究をされ、仮説を立てて下さり、それはそれで楽しめるというのは藤原の功績と言えるかもしれませんね。
ありがとうございます。
先のお返事では「タリシヒコ」と書くべきところを
「タラシヒコ」と書いてしまったりして、
誤字が多くすいませんでした。
お許しくださいませ。
ご丁寧に解説していただきありがとうございます。
確かに、日本語ですら今とはかなり違っていたでしょうし。
お忙しい中、お手数おかけ致しました。まだまだ暑いですが、ご自愛くださいませ。
個人的には文字は勿論、発音なども相当怪しいものかと思っています。
「ウォラー」を「ウオーター」と記しているようなものでしょうか。
時代的にも異言語間コミュニケーションの誤差がカナリあって
当然のことではないかと思っています。
先ず「俀王」という文字も「倭王」の間違いでしょうし、
多利思比孤(タラシヒコ、多利思北狐、タラシホコ)とは、
遣隋使が「タラシヒコ=天から垂れた、降りた王君」と言った
言葉あたりでは無いか?と思います。
要は「天孫」のことであり、単に陛下とか天孫とか、
「時の天皇」の意味で話された言葉に音で漢字を当てているものではないかと。
この言葉の前にはアマ(阿毎)という言葉も付いているようですし、
その後にはオオキミ(阿輩雞彌)と読める言葉も続いているようですし、
僕個人としては固有名とは考えにくいかな、と。
聖徳太子でも入鹿でも馬子でも無く、
ただ単に時の自国の王の意で、
天下った大王と言う言葉に見えるということです。
これまでも様々な見解が溢れている事案ですので、
僕のお話もタダの一意見、それも一般人の、、、
という理解でいていただけたらありがたく思います。
何卒。
ありがとうございます。
シリーズ記事ありがとうございます。
以前からこの辺りの歴史に興味があるのですが、上宮王家とは蘇我家のことで、アメノタリシヒコとは蘇我家のどなたかのことなのでしょうか。
-藤-を読んでから葛城、中臣の記事も楽しみにしております。いつもわかりやすく見解を記していただきありがたいです。
けれどいつの世も、奢れる物は久しからず、、
と、ポンチキファンはポンチキーズの皆様に感謝をしておりますm(__)m
そういえば
斑鳩というのも…
amenouzmetさんの
博識ぶりに
びっくりです!
ありがとうございます。
名前的にも用明天皇(諡は橘豊日天皇=たちばなのとよひのすめらみこと)
との関わりが強いと思います。
そうすると太子生誕伝説とも蘇我氏とも合いますし。
入鹿さんは、
確か曽我村に「宗我坐宗我都比古神社」があって、
入鹿宮(イルカのみや)とも呼ばれていたかと。
その頃から神様になっていたかと思います。
明日香だけでなく、
斑鳩(いかるが)という地名の語源もかなり怪しく、、、
イカル、イルカ、と、カナリ引っ掛かるものがありますねー。
太子が建てた法隆寺は元は斑鳩寺という名でしたし。
やはりイルカとの重複を感じますね。
飛鳥は不思議に満ちています。
飛鳥大仏さんにおまいりしたのは
小学校の遠足^_^
首塚という名前に怖かったのを
覚えています。
中学生になると
飛鳥駅から
石舞台を目指し歩く秋の遠足が
決まりのようにありました。
橘寺を建立したというのも
蘇我氏ということになるんでしょうか。
入鹿さんは
神さまになってるんですね。