雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

東尋坊徒然 5

2018-05-29 01:09:46 | 不思議...パワスポ寺社
 
 
「ダメよ!ダメダメ!」
 
と知りながらも、僕さんはどうしてもココが気になり。
そのアテンションボードを乗り越え、
その先にあった道っぽい崖を下へ下へと降りて行きました。
多くの観光客からは完全に分離された場所。
誰もいませんし、来ません。
関係者さんには申し開きなど出来ません。ごめんなさい(*´ω`*)お許しを......
しかし、やはり!崖下の海の側に降りてみると、
辺りの黒々とした岩とは明らかに色も様相も違う、白っぽい、まるで祭壇?
の様な岩があって。僕の目にピン!と止まりました。
 
 
 
「ここだな......」
 
 
僕はその石に近寄り、神々に言われていたモノモノをセット。
そして、この地に縁のある全ての存在に向けて、
神様から頂いたアマテラス祝詞を捧げました。
辺りの気配は徐々に変化をして行き、
そしてこの時は、途中、フト、目前の宙空に、大きな馬に乗った、
明らかに強そうな武将さんが現れました。正確には
 
「イメージできました......」
 
とでも言うのでしょうか。
その武将さんは馬上から鋭い睨みを効かせ、
僕を射抜く様に見下ろしていて。
その圧倒的な力と雰囲気とを感じながら、
僕はとにかく無心で、最後まで祝詞を捧げることに集中しました。
やがて、全ての所作が終わると、
不思議なことに海の波が明らかに小さくなって行って......
 
 
凪(なぎ)が訪れ、僕は祭壇の様な石の前で一人ポツンと、
時空のカプセルの中にいるような感覚に包まれました。
祝詞の最中に聞こえていた東尋坊にいる観光客さん達のはしゃぐ声が、
なんだかトンネルの向こうの、
とても遠くから響いて来る様な感じで聞こえます。
 
 
やがて、馬にまたがった武将の気配がスッ......と、消えて。
僕は、目前に置かれたかりんとうを少しいただき。
お水もお茶も飲んで。
お水とお茶は崖上で待つヒミコさんへ持ち帰る分を少し残して、
他は全て祭壇の様な石に注ぎました。
かりんとうは崖に住む動物さん達へ残し、ゴミは一つ残らず片ずけて。
僕は元来た崖の道を登り、戻っていきました。
 
崖の上に戻った僕は、
最初にお酒と共に挨拶をしたスサノオさんのポイントに立ち。
改めて辺りをゆっくりと眺めてみました。
気持ち?光の色が変わっている様に感じられ。
白銀色の光というか、白い光というか、
普段の太陽光から黄色っぽさを取り去った光、とでも言いましょうか。
そんな光に辺りが包まれていることを感じつつ、なんだか、
 
「ホッ......(*゚o゚*)」
 
と。僕はこの日初めて一息つくことが出来ました。
なんだかんだでやはり、僕は朝から緊張をしていたようです。
この時にそのことがよくわかりました。
東尋坊はキラキラと輝き、
海は依然、音の小さい不思議なナギとなっていました......
 
 
僕はヒミコさんに
 
「やり遂げたよ。今戻ってる。
此処で捧げた水とお茶を君にも分けてって。忠勝さんが」
 
というラインを送りました。
彼女は近くのカフェで待ってくれているようでした。
ラインの様子だと、最高に眺めの良いカフェなのだと......
 
 
一つしか無いソファー席をバッチリとっていてくれたヒミコさん。
サスガっす。マジ最高(^^)
 
 
プリンもサイコー♪(〃∇〃)
 
 
IWABA CAFE(イワバカフェ)というお店さん。
後で知ったのですが、
唯一無似のこの席には特別に名前までついているそうでして、
その名も......
 
「神の席」
 
僕らはしばらくこの席でゆったりとコーヒーを飲んでいたのですが、
その間、美しい海の上を沢山の鳥の群が一斉に飛んで行くのが見えました。
沢山の鳥達の背中には多くの御霊が乗っていた様にも......
そして、前回記事にも記した様に、
今回はサスガのねーさんも少々大変だったようで。
ヒミコさんも、本当にお疲れ様だったのです。
個人的に避けていた地であったのですが、イザ来てみると、
なんだか色々とありがたい気持ちにもなりました。
とても感謝なのです。
 
 
僕とヒミコさんはカフェでゆったりとした後、
東尋坊の反対側にある「雄島」という島を回って帰ることにしました。
僕にはどうも、この雄島と東尋坊とはセットの様に思えていたのです。
しかも、この地にある神社さんは完全にそう出来ていて。
東尋坊から雄島に向かうには、まず最初に、必ず、
この大湊神社(おおみなとじんじゃ)さんの
「陸ノ宮」と言う所に寄るのがよろしいかと......
 
 
島へ渡るのは、その後が良いように......思われます。
 
 
海は依然凪いでいて、静かです......
 
 
地元では怖い伝承や噂も絶えない島だとのことですが......
島内にも大湊神社があります。
 
 
 
大湊神社の本拠はコチラで。
風光明媚であることは間違いないのです(^ν^)
 
 
 
 
 
そんなこんなの今回の徒然旅。
東京に戻った後の僕は、
今回の旅のメインアクトであった本多忠勝さんの事が気になって。
これまで全く知らなかった彼の物語を色々な本やネットで勉強してみました。
特に、忠勝さんの事で唯一知っていた事である、
彼が三重県、桑名の辺りの武将であり、大名だったという部分。
それが何故?北陸、加賀の東尋坊の地で守護についていたのか?という事。
それは徒然旅の道中で、ヒミコさんにも
 
「ソノ辺がよく分からないんだよねー......
何か捉え方を間違ってるのかなぁ......」
 
と、話していたことでもあって。
しかし僕の中には依然、馬上から鋭く見下ろされていたアノ感覚がビシッ!
と体に残ってもいて。やはり
 
「あれは忠勝さんだったのではないか......」
 
と、強い確信もあるのです。
 
「でも、なぜ中部地区の武将さんが北陸に?」
 
調べてみると、
そもそも本多氏というのは徳川家によく使えることで権勢を保持し、
幾つかの家柄に分かれて来てはいるものの、
その元はやはり尾張、三河、桑名、といった、
いわゆる現在の名古屋地区一帯であった様です。
中でも忠勝さんは桑名の大名に収まっていた人の様で、
決定的となってはいませんが、本多家の宗家である可能性も高いとの事。
そして、此処でもう一つわかった事がありました。
どうもこの本多氏の中から、本多政重という方が、紆余曲折の末、
加賀藩100万石の大名、前田氏の家老として仕えていたと言うのです。
それは「加賀本多氏」と呼ばれ、
当時の平均的な大名よりもカナリ大きな富と権勢を誇っていたのだ、と。
江戸幕府に対しても特別な地位を持っていたのだ、と。
現在も「加賀本多氏博物館」なるものが石川県、
金沢の街にあるほどなのだ......と。
 
 
 
「し、知らなかった......(・Д・;)」
 
 
 
そして、ここで一つ。僕は思い出したことがありました。それは、
いつかヒミコさんやNちゃん達と飲んでいた時にヒミコさんが言っていた言葉。
彼女の実家にまつわる小話......
 
 
 
「私の実家って、元は加賀藩の前田氏と深い関係だったみたい......」
 
 
 
 
 
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