川柳集 わが阪神大震災―悲苦を超えて | |
クリエーター情報なし | |
大和書房 |
元となったのは阪神大震災平成7年1月17日からわずか2ヶ月3月25日に発刊された小冊子の川柳集「悲苦を超えて」。
翌日、朝日新聞の「天声人語」で紹介され、新たに発行されたもの。
私の下手な文章より本の奥付けにある天声人語抜粋を置いて置こう。
…… 川柳集『非苦を超えて』を読む。
神戸市西区に住む川柳研究家曽我碌郎さんと、
その妻川柳作家、時実新子さんが、阪神大震災のあと、
仲間に呼びかけて編んだ小冊子である。
「平成七年十七日 裂ける」新子。自宅は激震に何とか耐えた。
「あの顔この顔生きてくれ夜になる」碌郎。
直撃された仲間も多かった。
「顔に覆いかぶさる人形と僕震えていた」乃里文。七十歳、
独り暮らしのこの人は生き埋めになり、隣人に助けられた。
-朝日新聞「天声人語」平成七年三月二六日より
関東大震災の一週間目にこれを図書館で見つけた。
ずっと震災だけしか報道されない、おなじ画像が繰り返し流されコマーシャルが消えていた時。
手に取ってめくって棚に戻した。
あまりに生々しくて読めなかった。
あれから一ヶ月以上経過。
まだ避難所生活が続いている多くの人あり。
阪神大震災より広範囲。大惨事。目を背けてはいけないと再び手に取って借りて帰った。
川柳は心に正直に、原則として現在位置からの発信をよしとする…
…あるがままを写し取った記録の句、怯えと不安と悲しみを隠さず出した赤裸々な句、
瓦礫の街に思いを重ね佇む句、とにかく街を歩いて人のためにも流れる涙を知った人。
日本を憂う巨視的な眼、猫の眉間にも非をキャッチした微視的かつ繊細な心など、
各人各様な作品に私自身大きな感動をいただいた。
時実新子 まえがきより
新子邸で催されていた<学園サロン句会>のメンバーにとどめてとにかく急いで編集されたもの。
それだけに生々しく、川柳が届くことで安否確認ができたり、
思いを川柳と言う形にすることでお互いの気持ちを立て直した小冊子でもあったようだ。
一七文字の力が私にも入ってきた。
阪神と同じ、いや、もっとひどい状況下の今の方々の気持ちも同じであろうと。
使い捨て食器で食べて皆無口
映像は金太郎飴 神戸燃ゆ
祈る祈る祈る ただ、ただ、今は、 今を祈る
裂けるなら裂けよニッポンさようなら
死体検案す即死であったことを願い
むごきこと映画の場面(シーン)かと思う
あしたが見える飯の湯気風呂の湯気
あと少し生きる地震の罅の身で
冬毛立て猫は詩人になる焼野
あぁ~全部写しそう~この辺で~
川柳はこころの現在地。素直な句を私も作ろう。
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