姑のケアハウスに花火大会を観るために出向いた。
花火の1時間前には到着したが、施設駐車場には早くも家族の車がいっぱい。
館内に入ると放送が聞こえた。
『お菓子とジュースが配られますので一階娯楽室にお越し下さい』
姑の部屋は3階。
「エレベーターの操作は覚えただろうか?」
「歩行器を押して一人ではたぶん降りれないだろう?」
などと思いつつ部屋へ階段で上がる。
花火が上がるだろう方向の廊下に歩行器に座っている。
放送のことを告げて、一緒に降りてあげる。
お菓子の袋を渡しながら職員さんがどこで花火を観るかと聞く。
「3階で見る」と答えている。
4階には確かベランダがあった。
そこの方が風が吹き抜けて気持が良さそう。
「4階へ行こうと誘う」と、ひとりでは行けないと言う。
私が介助して行くから大丈夫と再び誘う。
ベランダには椅子と机が設えてあった。
廊下に歩行器を置いて両手引きで一番良く見えそうな所へ座らせる。
足がちょこちょこっとしか出ない。
手引きなしではまったく歩行困難。
花火はほんの目の前で花開く。
姑の顔も明るい。
隣の人に
職員さんがビールかかき氷の注文を取って歩いている。
「ビールおかわり」の声には「1杯だけです」
「その川向こうに息子の友達の家があって、電車できては毎年そこで見ていたんよ」
と、確かに一部は事実。
大幅な脚色をして話している。
子供たちがうんと小さい頃、この近くに私たち家族は住んでいた事がある。
たった一度だけ、姑を花火大会へ呼んだのだ。
姑は電車でひとりやって来た。迎えに行って河原で一緒に見た。
亡夫の友達の家は確かに川向うへあるが、姑は一度も行った事はない。
楽しそうに話しているので否定はしない。
ニコニコ聞いておく。
思えば、このさも事実っぽい作り話に翻弄され続けた。
花火終わって、職員さんが言う。
「部屋に帰ったら歯を磨いてパジャマに着替えて下さい。」
花火が終わったら就寝。
たぶん、いつもよりは遅い消灯ではあろう。
部屋へ帰るエレベーターまで私が介助。
介護員さんがエレベーター前についておられたので、お任せして階段で降り姑の部屋にて待つ。
何度も廊下から
「パジャマに着替えて、歯を磨いて下さい。」が聞こえる。
姑はゆっくり話したい様子だけど、私が居ては着替えを遠慮する。
次に何か持って来てほしいものは無いかと尋ねたら、
部屋のどこそこに置いてきた薬箱の30万入っているから持ってきて欲しい、などと言う。
入所前はもう私がお金を管理をしていた。要るだけを小出しにして渡していた。
そういえば、
入居した日も孫にやるお金を隠しておいたと何度も言っていたっけ。
金額は合致する。
でも、そんなものがあれば、
何度も転んで救急箱を開けた近所の親戚やヘルパーさんが気づいているはず。
お金一筋の人だったから無理もないが、いつまで経ってもお金への執着が消えないらしい。
ここの入居費の支払い一切合財を管理している姑のお金で賄っている。
そこらへの想像力は欠落しているっぽい。
妄想につきあう。
取りあえず見てきてあげると約束。
ここでは少々の妄想放言も問題はない。
バリアフリーの建物だから、転ぶことも減っている。
何より24時間誰か目がある。
私は安心。
姑はどう思って過ごしているか図りしれないが。
このケアハウスは姑よりも心身状態がしっかりした人も多く見受けられる。
介護度のつかない自立の人も受け入れている。
話ができる人がありそうなのも入居を決めたポイントだった。
集団生活だから規律はあろうが、自由からは遠い。
ふと、生涯シングルの背筋の伸びた80代になったばかりの恩師が
先の安心のためにケアハウスへ入所を決められた話さを思い出す。
先生の施設では、どの程度の自由があるのだろうか?
私自身もいずれ介護が必要となる前にケアハウス入所をと考えている。
考えてはいるが、
安心と自由気ままと両の天秤で試案する。
*花火写真は全部手ぶれ
にほんブログ村
来られたお印にふたつクリックしていただくとうれしいです=^_^=
花火の1時間前には到着したが、施設駐車場には早くも家族の車がいっぱい。
館内に入ると放送が聞こえた。
『お菓子とジュースが配られますので一階娯楽室にお越し下さい』
姑の部屋は3階。
「エレベーターの操作は覚えただろうか?」
「歩行器を押して一人ではたぶん降りれないだろう?」
などと思いつつ部屋へ階段で上がる。
花火が上がるだろう方向の廊下に歩行器に座っている。
放送のことを告げて、一緒に降りてあげる。
お菓子の袋を渡しながら職員さんがどこで花火を観るかと聞く。
「3階で見る」と答えている。
4階には確かベランダがあった。
そこの方が風が吹き抜けて気持が良さそう。
「4階へ行こうと誘う」と、ひとりでは行けないと言う。
私が介助して行くから大丈夫と再び誘う。
ベランダには椅子と机が設えてあった。
廊下に歩行器を置いて両手引きで一番良く見えそうな所へ座らせる。
足がちょこちょこっとしか出ない。
手引きなしではまったく歩行困難。
花火はほんの目の前で花開く。
姑の顔も明るい。
隣の人に
職員さんがビールかかき氷の注文を取って歩いている。
「ビールおかわり」の声には「1杯だけです」
「その川向こうに息子の友達の家があって、電車できては毎年そこで見ていたんよ」
と、確かに一部は事実。
大幅な脚色をして話している。
子供たちがうんと小さい頃、この近くに私たち家族は住んでいた事がある。
たった一度だけ、姑を花火大会へ呼んだのだ。
姑は電車でひとりやって来た。迎えに行って河原で一緒に見た。
亡夫の友達の家は確かに川向うへあるが、姑は一度も行った事はない。
楽しそうに話しているので否定はしない。
ニコニコ聞いておく。
思えば、このさも事実っぽい作り話に翻弄され続けた。
花火終わって、職員さんが言う。
「部屋に帰ったら歯を磨いてパジャマに着替えて下さい。」
花火が終わったら就寝。
たぶん、いつもよりは遅い消灯ではあろう。
部屋へ帰るエレベーターまで私が介助。
介護員さんがエレベーター前についておられたので、お任せして階段で降り姑の部屋にて待つ。
何度も廊下から
「パジャマに着替えて、歯を磨いて下さい。」が聞こえる。
姑はゆっくり話したい様子だけど、私が居ては着替えを遠慮する。
次に何か持って来てほしいものは無いかと尋ねたら、
部屋のどこそこに置いてきた薬箱の30万入っているから持ってきて欲しい、などと言う。
入所前はもう私がお金を管理をしていた。要るだけを小出しにして渡していた。
そういえば、
入居した日も孫にやるお金を隠しておいたと何度も言っていたっけ。
金額は合致する。
でも、そんなものがあれば、
何度も転んで救急箱を開けた近所の親戚やヘルパーさんが気づいているはず。
お金一筋の人だったから無理もないが、いつまで経ってもお金への執着が消えないらしい。
ここの入居費の支払い一切合財を管理している姑のお金で賄っている。
そこらへの想像力は欠落しているっぽい。
妄想につきあう。
取りあえず見てきてあげると約束。
ここでは少々の妄想放言も問題はない。
バリアフリーの建物だから、転ぶことも減っている。
何より24時間誰か目がある。
私は安心。
姑はどう思って過ごしているか図りしれないが。
このケアハウスは姑よりも心身状態がしっかりした人も多く見受けられる。
介護度のつかない自立の人も受け入れている。
話ができる人がありそうなのも入居を決めたポイントだった。
集団生活だから規律はあろうが、自由からは遠い。
ふと、生涯シングルの背筋の伸びた80代になったばかりの恩師が
先の安心のためにケアハウスへ入所を決められた話さを思い出す。
先生の施設では、どの程度の自由があるのだろうか?
私自身もいずれ介護が必要となる前にケアハウス入所をと考えている。
考えてはいるが、
安心と自由気ままと両の天秤で試案する。
*花火写真は全部手ぶれ
にほんブログ村
来られたお印にふたつクリックしていただくとうれしいです=^_^=
そろそろ老後のことも考えなければな・・・
いや、遅いか・・・老人ホーム、考えられんな~
もう直ぐ近くの老健に入り終の棲家に成りそうです
最近は如何して自分がこんな目に合うのか不満で一杯でしたが
自分のして来た悪事に懺悔して私達夫婦に感謝する様に成りました
人は幾つに成っても変わる事が出来るのですね
コメントありがとうございます。
つい職業柄、リアルに老いを考える帰来があります。
すみません。