![]() | 母に歌う子守唄 わたしの介護日誌落合 恵子朝日新聞社このアイテムの詳細を見る |
ちょっと著者が苦手で避けてきた一冊。
今、朝日新聞連載の「私の履歴書」がけっこう面白い所為もあって図書館で借りた。
もう返却日が来ている。
母を自宅に預かって本当に母に子守唄を歌ってしまった娘になって、やっと読む気になった。
人権侵害にモノ申す作者は
人質を取られているから言いたくても言えない多くの人の代弁をしている。
介護、医療の業界に無意識の人権無視があることは否めない。
しかし、少しずつ意識が変わってきている。
著者が新聞等に執筆掲載した2002年からもかなり変わっただろうと思う。
業界は著者世代である団塊の大量高齢化に対応できる体質に変わろうと努力し始めている。
すでに60代の介護保険利用者と80代以上では自己主張の度合が違う。
業界に普通に存在し続けた人権無視を
体が不自由になり人の手を借りる必要が出来て敏感に感じ
黙って耐えず、訴える人たちなのだ。
著者は介護保険枠以上に自費で月額25万円使ったと言う。
自費どころか、介護保険枠の金額すら負担出来ない人もある。
この本が書かれた時には保険で賄われていた
食費や室料等のホテルコストがすでに自費となっている。
介護保険では同居家族があると家事でヘルパーが使えなくもなった。
財政ひっ迫で、どんどん使えない保険になって実質的には自費を要求する保険になってきている。
「お金のない人はガマンしなさい」と国が言っている。
自費で月額25万円。
それだけ使っても夜間介護は著者ひとりでこなしている。
仕事をこなしながらの介護負担は相当なものだったはず。
読んでいくときめ細かな介護にお母さんへの深い愛情を感じる。
それ故に医療介護の他人の手の乱暴さに
人権意識だけでなく我慢がならない部分が大きかったろうと想像する。
利用ヘルパー事業所を変更している。
記録を書かない、病状に自己判断、読んでいるだけでヘルパーの資質が問われる。
慣れた『ヘルパーさんが良い』は分かっているが事業所の人員配置上むつかしいのが現状。
長時間の利用であるし、担当ヘルパーが一人、二人というのはかなり恵まれている。
著者が言う医療介護サービスの基本はまったくもってそうでなければいけないとおもう。
「対等に、充分に、選択しつつ受けることが出来、主役は利用する本人」
今の財源ではどんどん『充分』からは遠ざかってゆく。
今、ケアマネジャーとして利用者引き継ぎ中だけれども
疲れる一因に前任の「対等」無視がある。
言いかえれば
「本人の意見を聞いたふりの押し付け」「本人のためである」と言う驕り。
こうやって利用者に接して作られたプランを引き継ぐことより
介護される人に高圧的な介護者サイドに立つケアマネジャーの態度に慣らされて信頼している家族と
私カラーでどう接して信頼を得るかと言う難問に気が滅入る。
落合 恵子さんのお母さん担当だったら、
きっぱり利用者サイドからご指摘があって仕事がしやすかろうと思ってしまった。
本人を前にして出来ないことや認知症状をガンガン口にする前任に胸が潰れる思いがしている。
最後の
「後書きにかえて・・・『バタバタ』と『ホッ』の狭間で」で
介護者の「ホッ」が介護される人の「ホッ」に通じること、
「わたしひとり時空」を自分に贈ることを提唱されている。
息子のことを思う時、とても大事なことだと思う。
自分に「ホッ」がなくなった時、いつも息子に悪い因子の母になる。
母を預かって
介護は自分を世話してくれた人へ同じことをお返しするような気持ちがした。
手に力が入らない母用のコップに我が家で一番軽い磁気を用意した。
ちいさなピンクの小花が散った白いカップは気にいっていたらしい。
妹から「我が家のコップは暗い」と不服が出たと聞いた。
雪が溶けたらカップを持って行ってやろう。
先の時間の短さを思えば、
「いつまでつづく憂鬱な介護」でなく
「一緒に居られる短い時間」なのだ。
その時間は母に心地よい時間であって欲しい。
母が慈しんでくれた時間を思い出し、
私にしてくれた人に同じことを自分がしているそんな介護時間だった。
預かった時間はたった2週間。
「短いからね」と言われればそれまでだけど、
著者のお母さんに対する気持ちは私とおんなじと感じた。