羊飼いな日々

仕事も家庭も子育ても、
のんびり気ままに行きましょう~

介護タクシー初体験

2006-11-12 01:33:23 | 活動・福祉とボランティア

昨日初めての実習をしてきました。

一日、ヘルパーステーションにて、実習です。

介護タクシーに同乗し、いろいろと経験させていただきます。そもそも、介護タクシーとは、お年寄りを病院などに送迎するタクシーのことですが、普通のタクシーと違い、利用者さんのドアからドアまでの付き添いが仕事であるということです。移動中に怪我でもさせたら大変、とても気のハル仕事でもあるのです。

そして、ホームヘルパー2級の資格と、2種の免許も必要になります。

介護タクシーは、最初は透析に通う方のために出来たそうです。透析は、多ければ週3回。最初は少なくてもだんだん通う回数も増えてきますので、家族の負担も大変なのですね。

また、車椅子の方も多く、合併症で足が動かない方もいます。その介助をしながらの送迎なのです。

実習では、とりたてて、責任のある介助はしませんでしたが、もっともしたら大変ですね、こまごまとした、雑用はこなしました。

そして、透析センターのベットの多さにも驚きました。沢山の方が通って透析を受けているのです。

実習の日には、全部で、5往復くらいはしたでしょうか。もう、休む暇なく送迎です。車椅子の方を乗せているときは、特に気を使いますので、ゆっくりしたスピードなのですから、時間はかかります。

とりあえず、特に何事もなく、無事に終了です。いろいろと思うところはありますが、介護で関わるならば介護タクシーは、出来そうな気がしてきました。やってみたい仕事です。

さて、次回20,21日は、特別養護ホームにての2日間の施設実習です。こちらは、今日のようには行かないでしょう。気を引き締めていかないと。

いろいろと考えさせられることの多い仕事ではあります。


なくなって初めて気づくもの・・・

2006-11-12 01:02:55 | 子羊・日常の様子

ラッセのにわで
価格:¥ 1,470(税込)
発売日:2001-07

だいたい、「ラッセのにわで」・・は、大人にはイマイチよくわからない絵本です。

あんな小さいボールを必死に追いかけ、いろいろな木の精や、果物の精に出会っていきます。みんなボールをあちこちに投げて、あとは、知らん振り。

そのたび、ラッセは、ボールの行方を追うのです。

これが、なんと、子どもが好きなお話なのです。子羊らが幼児期には、結構読まされました。そのたび、長い話で、しかも似たようなエピソードにクラクラしながら、読んだものです。

ところが・・です。このお話を実感する出来事が先日あったのです。それは、息子羊が、学校にボールを忘れてきたのが発端でした。

本人、ボールを忘れてきたことに次の日に気づきました。もう、真っ青です。これは、ママ(羊飼い)が誕生日にプレゼントしてくれた、大事なサッカーボールなのですから。もちろんママの怒りたるや、すさまじいの一言。いちおう、ワールドカップボールのレプリカ、結構考えて買ったものですしね。

やはり、ただのボールではなく、息子にとっては、世界で唯一つの僕のボール。ママにとっては、息子に初めて買った思い出のボール。

そう、他人から見たら、たかだか、汚いボール。なのでしょう。実際、娘などはどこ吹く風。なくなったって又買えばいいじゃん。とのこと。

しかし、息子と私にとっては、そうではないのです。そこで、暗くなっていましたが、学校に探しに行きました。まだ、残っていた先生方にも尋ねますが、ありません。もう、半泣きの息子です。帰ってから、使っていたお友達にも電話して、次に誰に渡したか、聞きますが、わかりません。

そう、人のボールなど子どもにとってはどうでもいいのですからね。

次の日に、サッカー部に聞くことにしました。K君のお母さんも心配してサッカーの子に聞いてくれたところ、なんと、部室に保管してくれていたことが判明しました。なんということ。しかし、見つかったうれしさで、息子羊、急におちゃらけが戻りました。よっぽどホッとしたのでしょうね。

そう、ここで、はっと思ったのです。これは・・・ラッセちゃんではないの? ラッセぼうやにとっては、唯一の大事なボールなのですね。大事だし、なくしたらきっと怒られることは、確実なんでしょう。もう、わかるかぎり訪ね、行方を捜さなければいられないのです。それも、今日、です。明日ではダメなのですね。そうでなければ、おちおち寝てもいられないくらいなのでしょう。

自分がその立場に立ったとき、子どもの目線になったとき、はじめて、このお話が見えます。すると、子どもたちが、このなんでもないお話のどこに惹かれたのかが、よくわかります。

子どもは、特に我が家の子羊2匹は、ため息をつきたくなるくらい、忘れっぽいのですが、息子のほうはまだ、大事なものは忘れないと思っていたのですが。

幼い頃のボールというものは、なくなって初めて大切だったと気づくような、なんか、そんなものの代表のような気がします。その大切さに気づいたとき、初めて、他人にはわからないけれど、人にはそれぞれ大事なものがあることに思い至るのでしょう。それを教えてくれるのが、りんごの精はじめ、いろいろな精霊たち、そして、今この瞬間の過ぎ行く時なのですね。「ラッセのにわで」・・・もう一回ゆっくり読んでみたくなりました。