だるまちゃんとてんぐちゃん(こどものとも絵本) 価格:¥ 840(税込) 発売日:1967-11-20 |
こちらも、加古里子さんの有名な絵本ですね。
久しぶりに読み聞かせた後、息子羊がおもわず一言・・・
「てんぐちゃんってさ、なんていい人なんだろうねぇ。(ため息・・・)」
そう、だるまちゃんは、てんぐちゃんの持ち物から最後には顔の長ーい鼻までをうらやましがって真似をするんです。顛末はここでは伏せますが・・・。
これだけ真似されたら、いくら友達でもいやになるだろうというものです。
しかーし、てんぐちゃんが、だるまちゃんを嫌にならないわけも、ちょっと考えてみるとわかります。
真似して用意するものが、かなーりズレてて、それがまた非常に笑えるからです。
ないものねだりの悲しさも感じます。
ここで、まったく同じものを買ってきたり、てんぐちゃんよりもさらに高級なものを用意したらきっと、ただの嫌味なやつになるでしょう。お友達もおしまいでしょうねぇ。
たぶん、てんぐちゃんは、少しはイヤな気持ちもあったとしても、
「僕が好きで真似したいんだね、それにしてもトンチンカンだし、仕方ないなぁ・・・、まぁいいかぁ」
と許せたんじゃないでしょうか。
好きな友達の真似をしたい、同じものを持つことで仲間になりたい。子どもの心理にはよくあると思います。
だから幼児期には、すんなりと受け入れられるんでしょう。
アイデンティティを持ち始め、自己確立をし始めた小学生の息子羊には、それが嫌だと感じられるのかもしれません。
さて、中学生の娘羊がこの絵本を見て一言、
「このだるまのお父さん、サイコーだよねぇこんなお父さん理想じゃない?」
お、そうくるか。どうしてと聞くと
「だってさ、子どもが欲しいものを、あんなにせっせと集めてくれるんだよ。
最後には餅までついてさぁ」
中学生になった娘羊には、真似される嫌さよりも、むしろ子どものためにここまでしてくれる親の存在が不思議だったのかもしれません。
中学生になると、親もあまり手をかけないですもんね。ちょっと反省・・・。
確かに、私が見ても、だるまちゃんが欲しがる天狗の持ち物を、勘違いでせっせと集めてくれる、これまたトンチンカンなお父さんだるまのやさしさには胸がうたれます。
お父さんが用意したものは結局何も使えずに、
だるまちゃんがトンチを発揮して見つけてしまうのですが、それもまたご愛敬です。
どんなものかは、ここではナイショ。絵の中に、ヒントが描かれていて、それを子どもはしっかりと見ているようです。発見絵本のようで、楽しさもあります。
さて、最後には、だるまちゃんの家族総出で作った鼻だけが、だるまちゃんの役にたつところも、また家族の温かさが見えて、ほのぼのする絵本です。
小さい時に読んでもらったお話しも、成長とともに違う見かたが出来て、また新しく楽しめる絵本の力はすごいなぁと思います。(それが、絵本を購入していた理由でもあります。)
最近の絵本のような、マンガチックなかわいさも、派手さもないですが、長く子どもたちに読み継がれた優れた絵本は、それだけ子どもの心をとらえて離さない魅力があるのでしょうね。
息子羊が、次には何を選んで持ってくるのか、楽しみなこのごろ。
本当に何年かぶりの読み聞かせを、またウキウキと楽しんでおります。