ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

北杜夫の本を貪り読んだ頃

2011-10-27 22:45:02 | その他の雑記

昨日ニュースで訃報を知った。その前日、たまたま寄った渋谷の書店で新刊の文庫本『マンボウ家族航海記』(実業之日本社文庫)を買ったばかりだったので驚いた。

水曜夕方のTBSラジオ「時事川柳」のコーナーでも入選5句のうち2つが追悼句だった。

   悠久の海にマンボウ帰りゆく

   またひとり違いのわかる男去り

作者ご本人が読み上げるのだが、声からするとワシと同年輩の方々らしかった。

40年余も昔、高校に入って間もない頃、3歳上の兄貴の本棚にあった『どくとるマンボウ青春記』をこっそり読んだのが始まりだった。仙台の同じ大学へ行ったのは多分にその影響があった。
学力不足かつ典型的な文系傾向のため残念ながら氏と同じ医学部には入れなかった。アルバイト先の近くにある医学部の学生食堂に勝手に入り浸って文庫版の『青春記』を読んでいた。

著作リストに沿って仙台の古書店街を探書に歩いたのも懐かしい。
その後の度重なる引っ越しでほとんどの本は失ってしまったが、とくに好きだった初期単行本、函入りの『幽霊』『牧神の午後』や代表作『楡家の人びと』『夜と霧の隅で』は今なお手元に残っている。いつも持ち歩きボロボロになった文庫版『どくとるマンボウ青春記』も。
久しく手に取ることがなかったそれらの本のページを捲ると、あの頃の時間が巻き戻ってくるようだ。

報道によると、夫人は「少年のまま楽しく人生を生きた人」と語っている。本人は作家としてのみならず家庭的にも幸せな人生だったようだが、とばっちりを受けて育った一人娘の由香さんはなかなか大変だったらしい。冒頭の文庫本「解説」から。


「私は父の本をほとんど読んだことがない。というのも、(中略) 『文士は家をかえりみるものではない。家を出て行ってくれ』と宣言。夫婦別居になったために、小学校1年生の私は近所の公立小学校だったにもかかわらず、電車通学をさせられる羽目になった。そしてついに破産し、てんやわんやの日々になったのである」

文庫本の解説文を書くために「何十年ぶりかで父のエッセイを読んだ」ところ、ただ単に懐かしさだけでなく、父の存在自体から大きな影響を受けていたことに改めて気づいたという。


「こんな父のもとで育った私は、『人間というのはいろいろな人がいて、つらく悲しいことがあってもそれが人生なのだ』と思うようになった。(略) 人間が生きていく上でのつらさ、悲しさ、大変さ、そして楽しさを、父は身をもって教えてくれた。
本書のエッセイは家族で食事をしたり、父と母がケンカしたり、たわいのない話ばかりである。(略) でも、つまらない日常生活がどんなに大切なのかと思う」

まことに、そのとおりである。とりわけ、今のワシには日常の大切さが身にしみる。

27年近く勤めてきた現在の勤務先から、3年先の定年を待たず年明け1月に早期退職を先週月曜、社長から言い渡された。ここ数年、売上急減で業績不振はわかっていたものの、あと数年どうにかもつだろうと根拠のない楽観を決め込んで何の準備もないまま過ごしてしまった自分がナサケナイ。

自己否定感いっぱいのまま迎えた高島平ロードレース20kmは心境そのままの惨憺たる結果となってしまった。
その後、親しい方々からいただいた厳しくも温かなありがたい叱咤激励により、ようやく腹をくくりつつある弱虫オヤジである。

思えば、大学を卒業する間際まで若きワシは何の目標もなく進路も見えず途方に暮れていた。偶然手にした一冊の雑誌から道は突然拓けてその版元に就職が決まり東京へ。
7年間、雑誌記者を務め、ずっと続けていくはずだったその職場を思いがけず去ることになり、29歳「これで人生は終わった」と絶望にとらわれた。

が、小さな出版社に拾われ、以来27年近く。ある意味で長過ぎたリハビリ期間だったかも。さまざな思いはあるにせよ、絶望の淵に立っていた自分を生きながらえさせてくれたこの会社に感謝し、新たな道を進んで行こう。

いささかトシとってはいるけれど、今度もなんとかなるだろう。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (108)
 新たな出発とくれば、やっぱりこの歌。

 ♪ 出発(たびだち)の歌 (上條恒彦+六文銭/1971)

コメント (2)
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