故障で思うように走れない日々が続くと (故障していなくても、そうそう思うようには走れないが)、「なぜ走るのか、走りたいのか」と自問することが多くなる。で、自分がろくに走れない分、走っているヒトの本を読みたくなる。
①『走れば人生見えてくる』(間庭典子著/講談社文庫)
②『走れ! 六花 -メタボなドクターはこうしてランナーになった。』(福田六花著/ランナーズ)
③『いつでも夢を -52日連続フルマラソン世界記録達成』
(楠田昭徳著/角川書店)
④雑誌『ランニングの世界』(創文企画) No.8 特集・なぜ走るのか
①……走って人生が変わった14人(女性8名・男6名)のドキュメンタリー。取材・執筆した著者自身もフルベスト3時間17分、スパルタスロン完走も果たしている女性ランナー。自身のランニング体験を前後にはさんで、金哲彦氏ほか有名無名のランナーから聞き書きしている。とりわけ胸打たれたのは、双子姉妹ユニットan☆do(アンドゥ)の森下里美さんの秘話であった。
著者による総括。「ランニングが魔法を起こすとすれば、『自分自身の軸』を持てるようになることだろう。他人の速さや強さ、年齢と比較することなく、自分にとって大切なのは何かということを見極められることではないか。(中略) 強くなっても、速くなっても、人生は解決しない。しかし、走ることで自分自身に向き合えば、何が大切かが見えてくる。」
だからランナーは走り続ける、と著者は結んでいる。
うーむ……、そうか。そうなんだろうなぁ。
②……ドクター・ミュージシャン・ランナーとして知られる六花(りっか)さんのランニング自伝。1989年に外科医のタマゴとして医局に入り多忙をきわめる中、一時は体重93kgまで激増(身長174cm)。危機を感じプール通いを契機に1996年に諏訪湖ハーフでランニングに開眼する。
トライアスロンで顔を思いきり蹴られ網膜剥離で2度の手術を余儀なくされるなどアクシデントに見舞われながらも仲間の輪を大きく広げつつ、仕事も居住地もランニングも大きく転換させていく。羨んでもしかたがないけれど、実にウラヤマシイ。
第1回から連続参加されている長野マラソンがメインレースで、その直前の春先には毎週のようにハーフに出走。今年3月、ワシがハーフの自己記録を更新した静岡駿府ハーフで終盤、安倍川に架かる橋上で長髪をなびかせながら鮮やかに抜き去って行った後ろ姿が今も目に浮かぶ。ついていければ、初の90分切りが達成できたのに。
※すばらしい内容の本だが、小見出しに「絶対絶命」なんて誤植はしないでね、担当さん。おせっかいながら、つい校正してしまうオヤジである。
③……今年初め、新聞・TVなどで埼玉在住のランナーがフルマラソンを毎日走り続けていることを知った。3月22日の東京マラソンで52日目を達成し、ギネス記録を更新。スゴイ!とは思ったものの、かつて箱根駅伝を4年連続で走り、フルも2時間半を切っているなど輝かしい経歴を知って、なんだ、やっぱりもともと別次元の方なんだ、65歳というから悠々自適の暮らしで暇つぶしみたいなものだろうと正直思った。
この本を手にし、大変無礼な思い違いをいていたと気づかされた。けっして、そんなお気楽な挑戦ではなかったのだ。申し訳なかった。読後、居ても立ってもいられず、51日間にわたり毎日フルを走られたという浦和の別所沼公園に駆けつけ、静かな沼畔を巡る正式計測923.2mの周回コースで謝罪ジョグをしてきたオヤジであった。
「私が52日間を達成したといって、これからバラ色の人生が急に開けてくるわけではない。ただ、私がこの52日間やり遂げたことを基礎に努力したら、自分の晩年は飛躍できるのではないか。そう期待するだけである。生きているかぎり希望がある。いつでも夢を。そう思っている。」
④……山西哲郎先生が責任編集されているランニング文化誌第8号である。ますますのランニングブームに乗って、ランニング関連のビジュアルなムックや雑誌が続々発行される中、ほとんど(全スペースの8割強)活字だけで埋まっている異色の存在。いささか重そうだが読んでみると実におもしろい。上記③で紹介させていただいた楠田さんの手記も8ページにわたって掲載されている。
数ある興味深い記事の中でもとりわけワシの心に響いたのは、2人の女性の小さな記事であった。
ひとつは巻末の投稿欄、今春かすみがうらで初フルを完走された浜田びりさんの「まさか、こんなことになるなんて…」。
「子どものころから、ほとんどすべての運動が苦手で、特に『走る』なんて人前で優劣を明らかにされてしまう最も『無慈悲』な競技だと思っていました。ところが、始めてみると、ランニングは無慈悲どころか慈悲に満ちあふれた世界でした。(中略) どんなに遅くても、こうやって走れていることは奇跡のようですし、やはり何かに感謝せずにはおれません。標題の『まさか、こんなことになるなんて…』は、『なんと幸せなんだろう』と続きます。」
まさに、これはワシ自身のランニングの原点そのもの。原点を見失ってはいけない。
もうひとつは、走歴30年余、ランニング短歌を詠まれる浜中好美さんのコラム。
「なまぬるく生きている自分への嫌悪から、すべてに自信がなく生きているのがつらかった。その頃に短歌と出会った。最初の頃、詠むことは自分の弱さや嘆きを吐露する手段でしかなかったが、走るようになって私は変わった。(中略) 6年前の63歳の時、背骨の大手術を受けたが、おかげさまで何とか再起することができた。
走り続けたいと願い続けるそれだけで
元気になれる私がまだいる
以前のように目いっぱい走ることは許されない。しかし、それなりに楽しむことはできる。ゆっくり走れば、見えてくるものが多くなる。」
すばらしい。このような境涯に立てるようになりたい、まだまだ未熟なオヤジである。
数日後に迫った大田原フルを前に、正直なところ完走できるか不安に苛まれていたが、ともかく今の時点での最善を尽くそうと決めた。
今朝は芝生の公園で地下足袋クロカン走10kmをビルドアップ70分。あとは当日までゆっくりジョグとプールで調整の予定。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (16)
日本版MyWayともいうべきスタンダードナンバーとなった壮大な叙情詩。熱い歌声に心励まされる。1980年。
♪昴 (谷村新司)
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