<世界一、期待を裏切ってくれたレスラーは誰でしょう?>
毎週金曜日は「甦れ、金曜8時のプロレス」と題してお届けしています。
今日は45年前に見た空前絶後の「食わせ物」の話です。
「食わせ物」を辞書で調べると2つの意味があります。
①は一見立派だが実はいい加減なもの
②はうわべだけでは判断できない油断ならないもの。
その「食わせ物」がリアルに日本初上陸したのは1970年8月、日本プロレス
サマーシリーズの事でした。
カール・ハイジンガー
当時のプロレスファンは「まだ見ぬ強豪」に絶大な憧れを持っていました。
日本プロレスが発表する次期シリーズに初来日のレスラーがいると皆大きな期待を
抱いた物です。
1970年8月のサマーシリーズの主役として発表されたのは「まだ見ぬ強豪」の
「殺人ロボット」として大いに宣伝されたカナダ人のカール・ハイジンガーでした。
190cm、120kgの堂々たる体躯。
宣伝写真はまるで冷酷な人造人間に見えました。
ところがふたを開けてビックリ、サマーシリーズが開幕してバッタリ。
ファンが全員ぶっ倒れてしまいました。
殺人ロボットは唯の木偶の坊だったのです。
<あのブッチャーが日本に初登場しました>
テレビでは当時の黄金コンビBI砲ことジャイアント馬場・アントニオ猪木vs
カール・ハイジンガー・アブドーラ・ザ・ブッチャーが流れました。
殺人ロボットに大きな期待を抱いてテレビに見入ったファンはロボットの様に
ぎこちなく動くハイジンガーを見て目が点です。
代わりに目にしたのは、白いステテコ風のコスチュームで見たことも無い動きをする、
皆さんご存知のアブドーラ・ザ・ブッチャーでした。
当時の日本プロレスではシリーズの外人エースが馬場の持つインターナショナルに
挑戦する一戦が最大のハイライトでした。
シリーズ前には当然挑戦者はハイジンガーと思われていましたが第一戦にてその座は
簡単にブッッチャーに奪われてしまいました。
何しに日本に来たの?それが日本中のファンの偽らざる気持ちでした。
昭和の時代、日本プロレスには100人近い外人レスラーが入れ替わり登場しました。
名前を見てもすぐに思い出せないレスラーも中にはいます。
たった一度の来日で向こう50年消える事の無い記憶を植え付けたハイジンガーは
ある意味凄いレスラーだったかもしれません。
毎週金曜日は「甦れ、金曜8時のプロレス」と題してお届けしています。
今日は45年前に見た空前絶後の「食わせ物」の話です。
「食わせ物」を辞書で調べると2つの意味があります。
①は一見立派だが実はいい加減なもの
②はうわべだけでは判断できない油断ならないもの。
その「食わせ物」がリアルに日本初上陸したのは1970年8月、日本プロレス
サマーシリーズの事でした。
カール・ハイジンガー
当時のプロレスファンは「まだ見ぬ強豪」に絶大な憧れを持っていました。
日本プロレスが発表する次期シリーズに初来日のレスラーがいると皆大きな期待を
抱いた物です。
1970年8月のサマーシリーズの主役として発表されたのは「まだ見ぬ強豪」の
「殺人ロボット」として大いに宣伝されたカナダ人のカール・ハイジンガーでした。
190cm、120kgの堂々たる体躯。
宣伝写真はまるで冷酷な人造人間に見えました。
ところがふたを開けてビックリ、サマーシリーズが開幕してバッタリ。
ファンが全員ぶっ倒れてしまいました。
殺人ロボットは唯の木偶の坊だったのです。
<あのブッチャーが日本に初登場しました>
テレビでは当時の黄金コンビBI砲ことジャイアント馬場・アントニオ猪木vs
カール・ハイジンガー・アブドーラ・ザ・ブッチャーが流れました。
殺人ロボットに大きな期待を抱いてテレビに見入ったファンはロボットの様に
ぎこちなく動くハイジンガーを見て目が点です。
代わりに目にしたのは、白いステテコ風のコスチュームで見たことも無い動きをする、
皆さんご存知のアブドーラ・ザ・ブッチャーでした。
当時の日本プロレスではシリーズの外人エースが馬場の持つインターナショナルに
挑戦する一戦が最大のハイライトでした。
シリーズ前には当然挑戦者はハイジンガーと思われていましたが第一戦にてその座は
簡単にブッッチャーに奪われてしまいました。
何しに日本に来たの?それが日本中のファンの偽らざる気持ちでした。
昭和の時代、日本プロレスには100人近い外人レスラーが入れ替わり登場しました。
名前を見てもすぐに思い出せないレスラーも中にはいます。
たった一度の来日で向こう50年消える事の無い記憶を植え付けたハイジンガーは
ある意味凄いレスラーだったかもしれません。
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