※たぶん再来週になるまで余裕がなく、留守状態が続きます・・
AKB48G ドラフト会議 開催告知映像 【発言全文】
http://akb48matome.com/archives/51890003.html
ドラフト会議について幾つか思うところを簡単に。
AKB48グループは、地域密着型のプロスポーツ・クラブをモデルにしようとしている、という話もある。
欧米型のサッカー・クラブとUEFAチャンピオンズリーグのような祭典の組み合わせで持続的なビジネスモデルを構築できるかは、確かに興味深いところである。
それとドラフト制は直接的には関係していないが、各グループの独立性を高めるにあたって、各グループやチームの人気の偏りが、人材の偏りに直結してしまわないように、グループ間の均衡をどうとるかを考慮する必要がある。
その時に、「ドラフト制」を使うという発想は普通に有り得る話だ。
このドラフト制がこれまでと全く異なるのは、チーム編成権を運営からチームキャプテンと支配人に委譲するというところだ。
これは、大きな変化だ。
小泉純一郎は、首相の権限の源泉は「解散権」と「人事権」にあると喝破していたが、その人事権の一部を委譲するというのだから。
「ドラフト制」と「組閣」のバランスをどう取るのかよくわからないが、運営は組閣(解散権)という伝家の宝刀は保持したままとなるだろう。
グループやチームの独立性を高めることと、運営の権力のバランスをどうとるかであるが、
以前「運営の権力の源泉は選抜の編成権にある。」と書いた。(あまり賛同してもらえなかった気がするが。)
運営はチームの独立性を強めながらも、選抜の編成権を握っていることでガバナンスをきかすことができる。
逆に言うと、選抜というボトムだけ押えておいて、あとは自由にやらせようという考えなのかもしれない。
昨夏の(チーム4が解散した)組閣時に書いたのだが、AKB48は事業部制になったということだ。
チームは「部」から「事業部」に変わり、それを統括する運営が「本部」になった。
企業組織と同じ道を歩んでいるような気がする。
※現時点ではチームレベルで「事業部」なのはAKB48だけで、他はグループで「事業部」相当か。
批判の的になっている「人材育成」についてだが、これは別途にしよう。
今まったく余裕がない。
ただ、1つだけ言っておくと、私は逆のことを考えている。
上述した事業部制と、最近の研究生ゴリ推しの件がリンクして見えるのだが、むしろ「運営は人材育成にしか興味がない」と言ってもいいくらいだと思う。
その方向性が正しいか、間違っているかについては今は語らないが、運営の問題意識の中で「人材育成」は強いだろう。
運営が事業部制の本部なのだとしたら、事業戦略は事業部に投げて、本部は全体戦略と、グループ全体でいかに良い人材を事業部に供給していくかを考える。
研究生をゴリ推すのも、チームに良い人材を供給するのが運営の仕事だから、と考えることができる。
ただ、この考えはドラフト制との相性が気になる。
採用された人材がどこに忠誠を尽くすのかが曖昧になるからだ。
運営が採用すれば、採用されたメンバーはAKB48全体に奉仕するだろう。
チームに採用されると、チームに奉仕することになる。
ドラフト会議前に運営による選考があるので、そこで一度は運営に採用された形にするのであれば、問題は解決するのかもしれない。
乱暴にまとめると、運営が育成したプロパー・エリート研究生と、チームが採用した抜擢・研究生による価値観の摩擦が生まれるのは狙いかもしれないなぁ。
AKB48G ドラフト会議 開催告知映像 【発言全文】
http://akb48matome.com/archives/51890003.html
ドラフト会議について幾つか思うところを簡単に。
AKB48グループは、地域密着型のプロスポーツ・クラブをモデルにしようとしている、という話もある。
欧米型のサッカー・クラブとUEFAチャンピオンズリーグのような祭典の組み合わせで持続的なビジネスモデルを構築できるかは、確かに興味深いところである。
それとドラフト制は直接的には関係していないが、各グループの独立性を高めるにあたって、各グループやチームの人気の偏りが、人材の偏りに直結してしまわないように、グループ間の均衡をどうとるかを考慮する必要がある。
その時に、「ドラフト制」を使うという発想は普通に有り得る話だ。
このドラフト制がこれまでと全く異なるのは、チーム編成権を運営からチームキャプテンと支配人に委譲するというところだ。
これは、大きな変化だ。
小泉純一郎は、首相の権限の源泉は「解散権」と「人事権」にあると喝破していたが、その人事権の一部を委譲するというのだから。
「ドラフト制」と「組閣」のバランスをどう取るのかよくわからないが、運営は組閣(解散権)という伝家の宝刀は保持したままとなるだろう。
グループやチームの独立性を高めることと、運営の権力のバランスをどうとるかであるが、
以前「運営の権力の源泉は選抜の編成権にある。」と書いた。(あまり賛同してもらえなかった気がするが。)
運営はチームの独立性を強めながらも、選抜の編成権を握っていることでガバナンスをきかすことができる。
逆に言うと、選抜というボトムだけ押えておいて、あとは自由にやらせようという考えなのかもしれない。
昨夏の(チーム4が解散した)組閣時に書いたのだが、AKB48は事業部制になったということだ。
チームは「部」から「事業部」に変わり、それを統括する運営が「本部」になった。
企業組織と同じ道を歩んでいるような気がする。
※現時点ではチームレベルで「事業部」なのはAKB48だけで、他はグループで「事業部」相当か。
批判の的になっている「人材育成」についてだが、これは別途にしよう。
今まったく余裕がない。
ただ、1つだけ言っておくと、私は逆のことを考えている。
上述した事業部制と、最近の研究生ゴリ推しの件がリンクして見えるのだが、むしろ「運営は人材育成にしか興味がない」と言ってもいいくらいだと思う。
その方向性が正しいか、間違っているかについては今は語らないが、運営の問題意識の中で「人材育成」は強いだろう。
運営が事業部制の本部なのだとしたら、事業戦略は事業部に投げて、本部は全体戦略と、グループ全体でいかに良い人材を事業部に供給していくかを考える。
研究生をゴリ推すのも、チームに良い人材を供給するのが運営の仕事だから、と考えることができる。
ただ、この考えはドラフト制との相性が気になる。
採用された人材がどこに忠誠を尽くすのかが曖昧になるからだ。
運営が採用すれば、採用されたメンバーはAKB48全体に奉仕するだろう。
チームに採用されると、チームに奉仕することになる。
ドラフト会議前に運営による選考があるので、そこで一度は運営に採用された形にするのであれば、問題は解決するのかもしれない。
乱暴にまとめると、運営が育成したプロパー・エリート研究生と、チームが採用した抜擢・研究生による価値観の摩擦が生まれるのは狙いかもしれないなぁ。
「議論」ではなく「対話」のススメ ~ダイアログ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/3dc08169a112a0d63755e168de0231a9
まだ途中ですが。
よしりんファンさん、通りすがりさん
まずはじめに、僕はお二人が同一人物による投稿だと思い込んでそれに基づきコメントをしていました。
本人がそれを否定されるなら僕はこれ以上疑ったりする気はありません。
非礼を詫びたいと思います。
通りすがりさんとのやり取りの流れは以下の通りです。
僕が「恋愛禁止条例違反=クビ」を主張されていると言ったところ、そうではなく「自己最適化がいけないのだ」という旨の返事を頂きました。
なので僕は自己最適化するメンバーをクビにする根拠を求めました。
やっぱり「恋愛禁止条例違反=クビ」が論拠ってことなんですか??
僕はよしりんファンさんや通りすがりさんの言論統制なんてできないし、していないです。
反論したら言論統制っておかしいですよ。
主さんのご指摘通り反論側に立って疑問を呈しただけです。
むしろ立ち位置の違う意見を詳しく知りたいから問いを投げかけています。
僕の言葉に非難の意を感じたのだとしたらそれは論旨にではなく議論の仕方についてだと思います。
同じことを繰り返されてもそれはもう聞きましたと言いたくなるのは仕方なくないですか?
自分が正義だと思っていることは自分が思っているほどに皆が正義と認めているものではないのです。
だから間違っているという話ではなく、もっと丁寧に言葉を尽くして相手が疑問に思っていることや同意できない部分について真摯に返答していく必要があるはずだと言いたいだけです。
言っても聞かない人間に対して声を張り上げれば耳を塞がれるだけです。
ましてや僕は聞きたいと言っているのですよ?
運営が正しいとは限らないのはその通りです。
運営は沢山の失敗を繰り返してきました。
だから何だというのですか?
いや勿論失敗をするのは困りますよ。
だからと言って同意が必要ないわけではないですよね?
それとも運営は間違っているから同意はいらないという主張ですか?
現実問題として今から指原の首を切ればファンやメンバーにも相当な動揺を与えますし、少なくない反感を買うと予想されますが。
ファンやメンバーの同意についてはどう考えているのですか?
指原が愛人ということは前田も愛人ですか?
楽曲でもメンバー個人でも推す価値があると判断するから推すのでしょう。
貴方から見て大きなマイナス評価があっても他の人も同じように評価しているとは限らないということを理解されていない様に思います。
「悪いことをしているのに面白いから許している」(それがダメ)という旨の発言をされていたと思いますが、これがそもそもの意見の相違の源だと思います。
主さんや他のコメンテーターの方がどう思っているかは分かりませんが僕は指原のコメントが悪いこと、処罰に値することだとは思っていません。
よって許すという行為は不要です。
人によって評価が違うんです。
貴方がなさっていることこそ人の価値観への強要である事に気付いて下さい。
僕は貴方が指原切るべしの考えであること、その価値観に対して間違っているなんて主張はしていませんし、これからもする気はありません。
論拠がない主張をしても沢山の人の同意は得られないし、人を切るという行為はそんな簡単に実行できるものではありません。
スキャンダル発覚当時にクビにするべきだったという旨の主張でしたら同意出来る人も多いと思います。
しかし恋愛禁止条例違反とその罰の大きさをどうするのかに関しては上記の指原の問題とは別個に議論するべき事案ではないでしょうか。
それこそ個人的なメンバーへの思い入れに引っ張られて全体の方向性の議論を迷走させるべきではないと考えます。
コメントありがとうございます。
>弾圧&言論統制
今回のコメントは過剰反応だと思います。
genkiさんのは、(3)に近い(2)です。
決して(5)ではないです。
問題を対立構造で表現するのは、論点をわかりやすくするのに便利ですが、今回の場合は過剰です。
(1)同意を示さない
(2)疑問を呈する
(3)否定する
(4)意図的な妨害行為をする
(5)弾圧する
主張の中身ではなく、表現の問題で対立するとすれば、これはAKB48コミュニティ内にいる誰にとっても損なので、お手数ですが次回はもう少し表現を抑制してください。
よろしくお願いいたします。
>秋元康の愛人
これも、論点がおかしです。
自説を述べる時には実に論理的なよしりんファンさんらしくないです。
(とすると、らしくない時ほど表現が過剰になる癖があるのかも?)
よしりんファンさんが問題にしているのは、愛人かどうかではなく「公正なプロセス」ですよね。
それが組織に与える影響がよくわかっているから。
「公平さ(平等さ)」ではなく「公正さ」を問題視するのは鋭い視点だと私は思っていて、それを愛人問題のような矮小化するのはせっかくの視点がもったいないですね。
ただ、今回のKFCのプロモーション強化を「公正なプロセス」だけで批判できるかは難しいところだとも思います。
KFCのプロモーションに力を入れるのは「指原がセンターだから」なのか、「今回のシングルが、AKB48にとって重要なシングルだから」なのか、この違いを明確に判断できますか?
それゆえに、単純には、AKB48運営は指原ゴリ推し批判を乗り越えるのに、「公正さ」をもっと押し出すべきだと思います。
繰り返しますが、「公平さ」ではなく「公正さ」です。
そうすれば「指原がセンターだからプロモーションに力を入れているわけではない。」というコンセンサスも得やすいでしょう。
AKB48が挑戦している難しい問題 ~社会的複雑性(多様性の高まり)~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/81af48ec44ccac04b031909ccd3327c3
私はなぜ通りすがり氏がgenki氏に非難されるのか、理解に苦しみます。これまでプリクラ発覚程度で解雇になったメンバーもいます。再オーディションを受け今もAKBで頑張っているメンバーもいます。解雇相当の事例に留まらず、自身を正当化するために恋愛禁止条例を悪用して汚染を拡大させている危険因子に対して解雇を求めることは当然の行為であり、そういう意見はあってしかるべきです。自体を否定することは、言論統制であり、思想の自由の妨害です。
>>運営の同意
運営が正しいとは限りません。ましてや一個人の総合プロデューサーの判断が正しいとも限らない。むしろ、秋元康の愛人的存在がスキャンダルの当事者になれば、秋元康といえど理性的判断ができなくなるのは当然です。恋は盲目に状態になるのです。
http://firstrabbit.net/kousatsu/2527/
実際にフォーチュンクッキーの過剰宣伝は秋元康の愛人がセンターだからというコラムもあります。AKBファンの重要コンテンツである選抜シングルですから、本来はヒットして売れてほしいものですが、今回ばかりはセンターのせいで複雑な思いを抱き、快く楽しめず、中には吐き気を我慢しながら屈辱に耐えているAKBファンも少なくないことを理解していただきたいです。
本来ならブログ主催者としてコメント欄のホスト役をやらねばならないのかもしれないところ、留守の間に保守して頂いた方までいらして感無量です。
さて、
>通りすがりさん
コメント欄を読むと、カップルの会話を見ているようです。
「俺がどれだけお前を愛しているかを伝えたい。」と言われている気がします。
付き合い始めの初々しい時期ならばそれでも問題ないと思いますが(笑)
通りすがりさんのAKB48愛については、完全とまで言えなくてもだいたい理解したつもりです。
愛の深さを理解できていないかもしれませんが、考えはわかりました。
たぶん、他のコメンテーターも理解の深さはそれぞれですが同じ認識だと思います。
これまでの延長線上で、これ以上を伝えようとする努力をしても燃費が悪い(費用対効果が低い)と思います。
カップルのいざこざも、どちらが正しいかでは答えは出ないですよね。
せっかくのエネルギーがもったいないです。
わかり合えないカップルにならないために、一緒に知恵を絞ってみませんか。
自己満足自己最適化、そっくりそのまま貴方にお言葉を返して差し上げます。
「恋愛禁止条例をさんざん利用して」と仰っていますが、僕には貴方が理念という言葉を都合よく利用しているように見えますよ。
貴方が守ろうとしているものは理念ではなく理念の皮を被った押しつけのルールでしかないと感じます。
禁止条例厳守、違反者はクビを強く推す方々と言ったのは言いすぎました。訂正します。
通りすがりさんがよしりんさんと名乗ってスキャンダル自体ではなく一連の発言を許してはいけないと主張されてこられたのは理解しています。
だから僕も度々同じことを繰り返しています。
何を根拠に首を切るのかと。
現状首を切る為に利用できそうなものは恋愛禁止条例違反の解釈ぐらいしかないからその点を掘り下げようと試みましたが殆ど無視されてしまいました。
今一度問います。
誰の責任において何を根拠に首を切ると言っているのか?
それはファンやメンバーや運営のの同意を得られるのか?
世間に理解されるものなのか。
根拠も示さず首を切ることがあなたの指摘される「何でもありのAKB」とどこが違うのか?
あなた自身がどう思っているかというのはもう何度も同じ主張を聞かされて、ここを読んでるみなさんはよく理解していると思いますよ。
お願いだから同じことの繰り返しは勘弁して下さい。
オリンピックは普段スポーツに興味ない人間や興味を持たれない選手にも注目が集まる。それはオリンピックがオリンピック憲章という名のもと、人類共通の理念として絶大な支持を得ているからである。普段まったく見向きもしない競技、見向きもされない選手であっても、オリンピックという理念の元に、全人類は輝きと感動を共にする。
AKBはエンターテイメント界のオリンピック的存在になりかけたのであるが、最近は自己満足自己最適に走る内輪向けの大学の文化祭と変わらないコンセプトに退化しつつある。
オリンピックは無名の競技でも無名の選手でも、共通理念とブランドを元に、万人を感動させる重層的な広がりがある。
AKBは共通理念を捨て、自己最適と自己満足に主眼を置き、自己最適・自己満足に向けて活動する個々のメンバーを支持できる人にしか感動が広がらない。それ以外は、外野でしらけながらお家騒動を見ているだけ。
AKBは自己満足による自己最適化によって退化している。
松村の晴れ舞台にしても、企画自体は良いものなのに、AKBが三流大学の文化祭化したことによってブランド力を失ったため、せっかくの企画も、本人と本人のファン、その企画にかかわった一部の人々に留まり、オリンピックのように全人類に、ある意味無名の競技と競技者の晴れ舞台を輝かせるバックブランドがなくなってしまったのである。
歴史に残る人物やスーパースターも、個としてみれば大した力はない。所詮、個の力は限られている。オリンピックもスカイツリーの建設も、個の力ではなく、共通の理念をもとに「個の力を輝かせる」のである。
自己満足自己最適化に走る個の力を消費するのではなく、「個の力を輝かせる」「それを第三者へ訴える」オリンピック憲章が必要なのである。
それがない限り、どんな企画も三流大学文化祭の「自己満足自己最適化祭り」の範囲に留まってしまう。
今のAKBは自己満足自己最適化にメンバーを放任することにより、AKBを殺している。
しかも前者は、裏の黒歴史として点で語られますが、後者は表の歴史として、後世の人類の財産になります。
合理的個人による自己最適化による支持がグループにメリットをもたらすというなら、総選挙があんなにしらけるワケがありません。合理的個人による自己最適化による支持に過ぎないから、あれだけシラけるのです。
合理的個人による自己最適化による支持は、合理的個人を支持できない限り、しらけでしかないのです。「てガチやマジな部分、グループへの貢献が支持されているのだ」と主張されても、合理的個人による自己最適化の部分ばかりを強調する言動が容認される空気が蔓延している以上は、その空気が「ガチやマジの部分」の空気よりも強調されて優勢になり、組織を蝕んでしまうのです。
>>禁止条例厳守、違反者はクビを強く推す方々の主張を聞いていると
まったくそのようなことは主張しておりません。「合理的個人による自己最適化を行うために、恋愛禁止条例を自己の都合に有利なように利用するような空気が蔓延するのであれば、組織はそういう存在は断固切るべきである」と言っているだけです。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ea854ba7bd0c3c1f300f624ca48032a2
恋愛禁止条例 自己責任論に反対する
↑「合理的個人」による自己最適化がAKBを蝕む。
自己最適化を図るために「スキャンダル商法」も蔓延る。自分さえ生き残れば、組織にネガティブイメージをもたらす言動も容認されてしまっている。
合理的個人による自己最適化により、そのメンバーが大成功をおさめ、そのメンバーを支持する勢力による人気を獲得できたとしても、それはグループの人気ではなく、それは合理的個人による自己最適化による人気に過ぎない。そうした人気は、自己最適化された個人にとっては価値はあっても、グループにとっての価値はない。
合理的個人による自己最適化による支持がグループにメリットをもたらすというなら、総選挙があんなにしらけるワケがありません。合理的個人による自己最適化による支持に過ぎないから、あれだけシラけるのです。
合理的個人による自己最適化による支持は、合理的個人を支持できない限り、しらけでしかないのです。ただの自己満足集団。合理的個人による自己最適化は、暴走族と大差ないですよ。その自己最適化を面白いと思える特定層以外は、しらけでしかないですから。
そしてそういう合理的個人による自己最適化が乱立するようになると、広大な平面に「点」がランダムに打たれるだけになります。線・面・立体・四次元・五次元・六次元にひろがらなくなります。
今のAKBは、五次元的広がりが合理的個人による自己最適化によって、1次元に退化しているのです。
合理的個人による自己最適化は、AKBの退化です。
総選挙のシラケは、その退化を多くのファンが感じたからです。
合理的個人による自己最適化を止めない限り、ドラフト会議も無意味です。どんな企画も、合理的個人による自己最適化のエサに利用されるだけです。
さんざん恋愛禁止条例を利用して人気を得ておきながら、都合悪くなると制度が悪いと批判する。こんなメンバーを甘やかしてばかりの組織に未来はないですね。
スキャンダル起こすメンバーや、自己責任を豪語しているメンバーに限って、発覚する前は、さんざん恋愛禁止条例を自身の人気獲得の為に利用してきたクセにね。問題起こすメンバーほど、バレる前は恋愛禁止条例を人気を得るために利用している法則。そして発覚すると制度が悪いと責任転嫁。
都合よく恋愛禁止条例さんざん利用して、都合悪くなるなると恋愛禁止条例を否定する。制度に責任転嫁
結局、運営もメンバーもファンも、ラクな道に逃げてるだけですね。そりゃ、シラケるわけです。
社会的責任をまったく考えていない。原発事故起こして、原発稼働を容認した国が悪いと責任転嫁。
だったら堂々と男遊びしてでも、それ以上の理念・人気・結果・共感を、自分たちの自己満足ではなく、グループ全体の信頼とファンの共感を得るようなカタチを示しなさい。
メンバーや運営、自分たちは満足だろうが、ファンはどんどんしらけている。あの総選挙の史上最悪のしらけの空気。
シラケによる崩壊を認めないことには、AKBは前に進むことはできません。
僕の考えに賛同できないのは一向に構いません。
間違っているところがあると思えば指摘してもらえるのは歓迎です。それを受けて僕自身がどう判断するかはまた別の問題ですが。
しかし価値観を否定するのはいただけません。
誤った価値観なんてものは存在しません。価値観は人それぞれです。
理念によって意思を統一することと、正しい価値観なんていう独善的な考えを強要するのはまったく意味が違います。
さて、自己実現と自己最適をはき違えているとのご指摘ですが、自分の書いた文章を読み返しましたがどこで誤解を与えているのかが分かりません。
自己最適の話も思うところはあるのですがここではやめておきます。
僕は恋愛禁止条例が制定される意味を明示するために、恋愛禁止条例はマジやガチを体現するものでありマジやガチは自己実現を実行するための手段だと位置づけて説明をしたつもりです。(逆向きに説明しましたが)
なぜそういう説明が必要かといえば通りすがりさんの様に恋愛禁止条例厳守、違反者はクビを強く推す方々の主張を聞いていると恋愛禁止条例の法的根拠をどこに置いて主張されているのかが曖昧に感じるからです。
つまり「何故恋愛をしてはいけないのか?」という単純な質問に対しての答えが不明瞭なのです。
・理念として掲げているからそれに沿わない人は去るべき。
・人気が落ちるからダメ→個人の人気と全体の人気の二つの問題
・人気に関連して仕事上の不都合が生じる。
・とにかくルールなんだから違反者は許さない。
・クビを切るのは見せしめ。防犯上の施策。
とりあえず思いつくものをあげてみました。
僕はこれらの主張がバラバラにされていることが問題のひとつだと思っています。
理念として掲げるならばもっと単純で明瞭であるべきです。
そしてその不明瞭さが次のことを生み出しています。
即ち、理念とするならばメンバー達自身が自ら掲げているという強い意志が必要なのにそんなメンバーどこにいもいないという問題です。
今年の映画でのたかみなの言葉覚えていますか?
握手会で平嶋や増田が謝罪しているのを裏から見ているメンバーの表情見ましたか?
皆、納得できないけど仕方ないという受け止め方しかしていない。僕にはそういう風にしか思えませんでした。
恋愛禁止条例を理念として成り立たせたいならまずどうしたらメンバー自身が自ら理念として掲げる気になるのかを
考えなければならないはずです。
クビを切ってルールを押しつけても意味がないんですよ。
事あるごとにメンバーや運営を擁護しているという非難を受けますが、僕は問題を起こした人を叩いても物事は良い方向に向かないと思っているからそのことを主張しているだけです。
問題は起きるべくして起きるのです。
スキャンダルだって起きるべくして起きているのです。
表現が好きではないのですが、個人商店と商店街の比喩はうまいなと思いました。
点でバラバラだけど稀に生まれる有名店が人を呼ぶ商店街が良いのか、人を呼ぶ商店街を作ってそこから有名店を育んでいくか、街の設計にかかる話ですよね。
世界遺産に登録されると観光客がわんさか来ますが好きなように家を建て替えれないなど不便もあります。
何を是として生きるか、といういつもの主さん的な話になるなーと思いました。
ファン、スタッフ、メンバーの一人一票による投票で決めませんか?
分裂したらそれはそれでプロレス的でよいと思います。
今メンバーが行っているのは自己実現ではなく、あくまで自己最適です。自己実現は組織と共通の理念で結ばれてこそ価値が生まれる。自己最適は組織にマイナスをもたらす。自己最適化を目的に自らのスキャンダルをネタ・茶番劇化して、メディアにエサを提供させ続けた行為が、48グループという組織そのものを破壊に導かせているという認識が無いのでしょう。「男が苦手」「恋愛恐怖症」と「恋愛禁止条例」を利用して嘘をつき、金を巻き上げ、その後も反省どころか、「文春スキャンダル自己PR汚染推進キャンペーン」を大々的に展開し続ける。AKBを崩壊させないためには、スキャンダルを茶番劇化せず、真摯に向き合う理念を取り戻すことです。そのためには、「文春スキャンダル自己PR推進汚染キャンペーン」の首謀者は廃炉(48グループから隔離)すべき。
指原個人に関しては、スキャンダルの悪名は時に無名(=毒にも薬にもならない存在であること)よりも勝る。自己最適化に有利に働く。しかし、AKBグループ組織全体に関しては、やはりスキャンダルの悪名を、自ら茶番劇化にしてPRを続けることは、AKB組織崩壊という副作用として、ボディブローのように効いて来る。
「自己最適化」のためにスキャンダルを茶番化し、AKBグループという「組織を崩壊に」導いている。
自己実現と自己最適をはき違えているかぎり、真の自己実現は達成されず、自己最適化の横行によるAKBの破壊行為が繰り返されるだけでしょう。
個人の夢を追うなら、スキャンダルメンバーはAKBのような公を相手にする組織を利用したりしがみつくのではなく、個人で道を開いてください。都合よい時だけAKBに甘えて利用するのはやめなさい。社会で夢を実現するということは、喜びの数億倍の制約や束縛に耐え、戦い、乗り越えることにあります。指原みたいにお望み通りに、自己責任で男と好き放題遊んで、好き放題暴れて、好き放題暴露して、AV業界でも裏社会でも何でもありの世界で自己主張すればよい話。そこで今度こそ身を滅ぼすまで潰されれば自分がどれだけ身勝手で組織を壊してきたか社会の仕組みを思い知りことでしょう。峯岸だって単にAKBにしがみつきたいだけじゃないか!指原なんて秋元康の個人的寵愛でVIP対応されていなければ、ただの下品で品格ゼロの汚れ女に過ぎません。都合よい時だけ組織にしがみつくのは卑怯です。
自己責任を豪語しているメンバーとは誰の事ですか?
指原と峯岸??
その二人が恋愛禁止条例を利用して人気を得たというならスキャンダルで人気が暴落するというのが当然の帰結だと思うのですがそうはなっていないように見えますがいかがお考えでしょうか?
人気があるから許されるという主張をしたいのではないです。念のため。
自己責任論について
自己責任論は運営側から提示されたものであってそれをもってしてメンバーを叩くのは筋違いじゃないですか?
あと恋愛禁止条例と自己責任論が対立軸として語られていることに違和感を感じます。
「恋愛禁止条例=違反者はクビ」という図式で捉えているからそういう話になるんですかね。
自己責任論とは責任の所在の話でありルールや理念と対立するものではないと思います。
ついでなので皆さんにもお聞きしたいのですが山本彩の例のスキャンダル否定の発言って僕には自己責任そのものに見えたのですが皆さんはどう捉えていますか?
学校は生徒の為にあります。学校の為に生徒があるわけではありません。
AKBも同じです。
万引きをして捕まった生徒がいたら生徒と共に頭を下げに行くのは教師の役目です。
その時に生徒に「学校の名誉を傷つけやがって明日から学校に来るな」と言ってしまうようでは教師失格です。
生徒が失敗した時こそ何を言えるかで教師の真価が問われます。
見習いさん
保守ご苦労様です。
理念を掲げるべきというあたり辺りまでは僕も主さんと基本的に同じ考えです。
僕は恋愛禁止条例党でもマジ・ガチ党でもなく自己実現党の人間です。
自己実現というと分かりにくいのでメンバー個々の夢と言い換えてもいいです。
メンバーの夢を実現するために必要なものがマジ・やガチであって、そのマジやガチを体現するのが恋愛禁止条例であると思っています。
だから逆に恋愛禁止条例に縛られて夢の実現の妨げになってしまうのでは本末転倒です。
AKBからマジやガチが失われているように感じる理由はメンバーの夢や目標(個々としても全体としても)の喪失があるように感じます。
マジやガチを立て直すのに必要なのは進むべき道じゃないですかね。
本気の本気でそれを掲げたら面白くするのはかなり難しいと思うんですが。校則じゃ、ワクワクしないし、ワクワクしなけりゃエンタメとしては失格でしょ。(校則というより罰則の方が今の皆さんの議論には近いのかも)
なんかがない気がするんですよね。感覚的なものなのですが。
主さんはせっかく恋愛禁止条例の理念を主張されているのにこのブログ内のみに留まって拡張性が無いのはもったいない。このブログは数少なくなったAKBのことを真剣に考える場なのに結局中途半端にメンバーを擁護して運営に言論統制されているのかと思ってしまう。ありえない現状に真剣に抗議すべきではないのか?
指原へのゴリ推しを続けることで、グループ全体の理念が失われました。
残すメリットよりも、デメリットのほうが、はるかに大きいです。
運営、メンバー、ファンの連帯責任です。
スキャンダル自慢が売りになるAKBなんて、アイドル以前にコンプライアンスに反した反社会的集団に成り下がってますよ。それを面白がるメンバー、ファン、運営、みんな同罪です。
管理人さんの留守を保守する意味を込めてコメントさせていただきます。
このブログの過去の記事を読む限り、管理人さんが使う理念とはビジョナリーカンパニーの基本理念を指していると思います。
どんな利益を生み出す戦略も基本理念に反するものは棄却されなければならないとする学説なのかな。
理由は管理人さんが説明してくれているはずです。(違ってたらすみません)
管理人さんが基本理念だとしているのは「ガチ・マジ」で、それを具体化していたものが恋愛禁止条例と言ってます。
ビジョナリーカンパニー自体の信憑性は専門家に任せるとして、少なくとも優良な成績をおさめる企業で理念やミッションステートメントを掲げていないところはありません。
だから管理人さんは理念を掲げろと言っていると思います。
これらを踏まえて次の議論が成立しませんか?
AKBは理念を掲げずに成功するパターンを作りたいのか、それとも今でも理念を掲げているのか、掲げたいが掲げる事ができていないのか、ここがハッキリしていません。
そして恋愛禁止条例=理念とする考えは主流派の考えではなく同意が得にくい部分です。
ガチ・マジという理念は必要か?
必要ならどういう形で具体化するか?
ではないでしょうか?
汚れ果てたイメージのAKBが企画を練れば練るほど、ますます胡散クサクなる。胡散クサいメンバーほどヲタを騙して釣って支持を得るから、ますます胡散クサいメンバーの存在感が増していく。グループの理念は崩壊し、自己責任という誤った空気が蔓延する。
ある意味、詐欺的な商法で自己最適化・自己正当化が上手いメンバーほどヲタを騙して支持を得るという傾向が強まり、ベクトルがバラバラになる。
以前から危惧してきたように自己責任論などがまかり通るコミュニティで全体としての一体性を維持できるわけがありません。こういう状況では何を言っても何をやっても効果性が低くなります。
主さんの上記要約が、すべてを物語っていますね。
こんな現状では、何をやってもシラケる。何をやっても信頼できない。恋愛禁止条例に匹敵するようなガチの理念があれば、逆いえば何をやってもファンはガチで盛り上げたいという気になる。今は何をやってもウソ臭いだけです。総選挙すら今やアホらしく感じる人が多いのが現状でしょう。
スキャンダル起こすメンバーや、自己責任を豪語しているメンバーに限って、発覚する前は、さんざん恋愛禁止条例を自身の人気獲得の為に利用してきたクセにね。
問題起こすメンバーほど、バレる前は恋愛禁止条例を人気を得るために利用している法則。
都合よく恋愛禁止条例さんざん利用して、都合悪くなるなると恋愛禁止条例を否定する。
結局、運営もメンバーもファンも、ラクな道に逃げてるだけですね。そりゃ、シラケるわけです。
過去の成功体験にしがみついているように見えます。
恋愛禁止条例がうまく機能しなくなってきたのは特定のメンバーのせいではないはずです。
メンバー個人の失敗や言動によって機能 しなくなるようなものならば元々理念としての力が足りていないのです。
ファン、メンバー、運営それぞれの中で多種多様な考えが生まれてくる中で理念として適当だとは言えないから力を失ったのだと思いますよ。
何だかんだと運営にばかり批判が集まりますが、僕は全体の流れを見て舵を切っているだけだと思います。
個人的には、これだけ大きなグループを統べる理念がネガティブ要素の否定という形になっているのは全くスマートじゃないと思っています。
もっとポジティブなものを素直に掲げるべきではないですかね?
あと理念とは別に目標も立てるべきですね。
目標を指し示さないことが運営に対する最大の不満です。
どういう方向の目標が良いかは議論もあると思いますが、とにかく果てしなく大きなものが必要です。
来年実現してしまうようなものでは意味がない。
若いメンバーがAKB人生の中で卒業するまでに達成できるのか半信半疑になるようなものを掲げて欲しい。
世間から笑い物にされるてなんぼじゃないですか。
高校野球でいえば、「夏」の「甲子園球場」の「炎天下」で「全力で汗を流す姿」を「チーム・選手・ファンと共有して目指すこと」という大コンセプト・理念・ブランドを捨ててしまったら、「どの高校を選出するか」「予選の方式はどうするか」「どういう選手を推すか」「本選はどういう方式にするか」「どの球場でやるか」「いつやるか」のような企画・方針をいくら論点・論争にしたところで、空虚なものでしかなくなる。
「夏」「甲子園球場」「炎天下」「全力で汗を流す姿」といったキーワード(物語)が創出できれば、「皆が主人公」となり盛り上がる。それがあってはじめて、企画・方針に価値が生まれる。
今のAKBには「夏の甲子園」「正月の風物詩箱根駅伝」のような、共通のキーワードがない。「恋愛禁止条例」「秋葉原」といったキーワードは、AKBにとって「夏の甲子園」に匹敵するコンセプトだったはずです。
だから企画や方針や育成方法を練る以前に、AKBは発想を変えないとダメです。
AKBは企画や人材自体は、もう充分に多すぎるほど存在している。逆に、どんな企画でも、誰が選ばれても、「全力で汗を流す姿」を運営・チーム・メンバー・ファンみんなが物語をの主人公になれる「キーワード」の創出が必要。「恋愛禁止条例」「秋葉原」といったキーワードに比肩する共通理念(運営・メンバー・ファンを結びつけるもの)を生み出せない限り、どんな優れた企画も人材も、成功しないでしょう。
箱根駅伝にしても、皆が休む正月早々に、険しい箱根の山を上り下りするほど、アホなことはないでしょう。でも甲子園同様、「これ以下はない」最悪の環境下で毎年開催され、「正月」「箱根」「山登り」という理念・ブランドを変えないコンセプトが、絶大な支持を受けています。
あのキチガイのような暑さの中でプレーする真夏の甲子園、正月早々にアホみたいに山を登り降りする箱根駅伝、ファンに染みついたコンセプト・理念・ブランドは絶対的なのです。
AKBは会いに行けるアイドルとして劇場公演があり、運営・チーム・メンバー・ファンを結ぶ理念として「恋愛禁止条例」がありました。しかし現実は劇場公演の相対的低下とテレビの影響の増大、恋愛禁止条例の崩壊と自己責任化によって、「夏」に「甲子園」でプレーするといった、最も重要なコンセプトを失いつつあるのです。
確かに理にはかなっているかもしれない。でもAKBは、「夏」「炎天下」「甲子園」「正月」「箱根」「山登り」といった、一見、理には適っていない、でも絶対に失ってはいけない根本的コンセプト・理念・ブランドを、AKBは捨ててしまったのです。
暑いからといって夏の甲子園を捨てて、開催地を北海道でやったとしたら、どんな企画を練っても、シラケる。「トーナメントではなくリーグ戦方式にしよう」と企画したところで、それがどんな良い企画であっても、そんなものは「夏の甲子園」「正月の箱根の山登り」とコンセプト・理念の重さの前には、無力になる。
今のAKBは、絶対に捨ててはいけない大きなコンセプトや理念を捨てておきながら、企画だけはやたら練っている。
大きなコンセプト・理念さえ支持されていれば、夏の甲子園がどの高校が出てきてもどの選手がプレーしても盛り上がるように、箱根駅伝がどの大学が出てもどの選手が走っても盛り上がるように、AKBは誰がやってもAKBは支持されるようになる。
AKBで重要なのは、「誰を推すか」「どういう企画をやるか」ではなく、「誰を推しても」「どういう企画をやっても」支持されるような、ブランド価値・共通コンセプト・理念を創ること。
グループを統括するブランド・理念・コンセプトを捨てたAKBが、目先の企画ばかりに走る。これでは「誰を推しても」「どういう企画をやっても」、成功しないでしょう。
”この問題で発言したのは、岩佐美咲及び岩田岩田岩田華怜ただ2人。それも、愚痴めいたぼやきだけ。
佐々木優佳里も感情を表現したが、悔しいとだけ。”
自分たちの存在を否定するかのような、外敵が入ってこようとしている。それをただ見てるだけor内心噛み締めながら何もしないメンバーは、今のままでジリ貧です。
上から官製で押し付けられた部活。それに群がる主体性なきメンバー。メンバーもあれから1年以上成長していない。
そういうメンバーばかりだから、こういう施策に行き着くとも言えるが、そんなメンバーにしたのは運営でもある。共通の理念、御旗の錦、挙国一致がない間違った個人主義なんですよね。
大島とか梅田とか中西高柳松井Rは大御所の近い将来引退するメンバーだとして、それ以外の若いキャプテンも根こそぎ為政側に組み込まれてしまった。なら、在野の中堅若手が団結して、ドラフト生不要の良いチームを作るアクションを決起して、起こす時じゃないのか?
岩佐岩田がその中心になるなら、ヲタは必死に支えますよ。岩つながりで、Kは内田お前がやれw(クビになるぞ。アイドル捨てて岩になれる客観性と強さがあるなら、出来るだろう)
それがお仕着せゴリ推しWindowsモデルに堕ちたAKBから、相互作用のLINUXに復帰することでしょう
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異分子側を思い切ってAKBから隔離するような世論を盛り上げるのが、現実的だと思います。
異分子側を肯定的に解釈しようとして共存共栄を期待するのは画餅だと思います。
異分子を無理に理解しようとしても、真AKB側と世界観が違いすぎればサリンを撒かれて共倒れです。
異分子とその支持者にはAKB界隈から消し去ってもらうように世論を高めないと、理想論や期待論では前に進めない段階にAKBは来たと思います。
「危険因子は排除せよ」とさんざん訴えても、AKB側はまったく聞き耳をもたない。分かり切っていたのに、異分子を排除しなかった。
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異分子の存在を守るために組織としての夢や理念を捨て続けるAKB、悲しすぎますね。
組織として有りえません。経営放棄です。
経営が放棄され、経営が存在しないAKBには、どんな企画を練っても逆効果でしょう。
自己責任でそれぞれ好きにやってくれ、と黙認しているのに、全体の企画を練ったって、「自己責任だから好きにやらせてよ」「私の勝手でしょ」で終わりです。
逆にいえば、ディズニーやショッピングモールは、テナントやアトラクションが入れ替わっても、そのディズニーやショッピングモールへの支持(統一ブランド価値や理念)が根底にある限り、崩れないのです。
各店主の自己責任で衰退商店街化しているのが、今のAKB。さらにそれに拍車をかけるように、個々の商店や商店会がバラバラに企画ばかり連発し、全体の統一コンセプト(ブランド)を崩しているのが、今のAKB。
自己責任論自体よりもはるかに恐ろしいのは、自己責任論に対して組織側から断固反対や怒りの声が上がらず、それをまかりとおしてしまっているところ。
「AKBに経営は存在していません」「経営できません」
「自己責任で好きなように活動してください」、これを認める(否定しない)組織って、なんなんですかね?
個人商店が300集まっても、個々のアトラクションが50存在していたとしても、イオンモールやディズニーのように、統一した経営方針・経営理念さえあれば、逆に個々の商店やアトラクションの個性が生きてくる。個々の商店やアトラクションのコンセプトを束ねる小エリア(チーム)があり、さらにその上に経営コンセプトを創造する。
せっかく個々の商店やアトラクション(各メンバー)、各エリア(チーム)にいい素材があっても、それを集めてパワーに変換する統一理念が存在しないのだから、こうなるのは分かりきったこと。
企画屋による企画の連発は、もううんざりです。
今のAKBは、各個人商店や商店会が、やたら「割引セール」「夏祭り」「商品券」を連発して目先の注目を集めているだけなんです。
そうでなくて、それらを束ねてコア層もライト層も広域に集客できるイオンモールやディズニー的な、統一理念・統一ブランド、統一コンセプト、それらを掲げて実践できる経営者が必要です。
求められているのは企画屋の企画連発ではないのに(もううんざり)、企画を必死に練ってばかりいるのがAKBの致命的問題です。
>>評論家や企画屋ではなく、経営屋(組織屋)
企画屋による企画が多すぎるんですよ。
恋愛禁止条例をうまく機能させてガチの理念を掲げるのが現実的対応なのに、それとは逆もしくは、そこには触れたくない流れ(運営はスルー方針)が明確なのだから、組織としてまとめるのは不可能でしょう。
個人商店の集まりとして、蛸壺化した集団になりますよ。
「AKBファン」は近いうちに絶滅するでしょうね。
個人商店を個別に応援するファンが残るだけでしょう。
AKBが長期的に継続する組織にさせるとして、前例としては、各スポーツ組織、歌舞伎、劇団四季、宝塚あたりがベンチマークになるのかもしれませんが、いずれにもしても、自己責任主義が広がり恋愛禁止条例もスルーを決めた時点で、AKBは実質経営放棄(経営が存在しない)したということです。
今のAKBには、「経営が存在しない」のです。
だから秋元康のやる気の低下と共に、消えていくでしょう。
何をやってもカッコ悪いと思われてしまったら損ですよ…。
主さんが仰るように土壌を育てることが大事という話だと思います。
秋元さんは表向きにはファンの皆さんが喜ぶことを!と言っているけど実際どうなのでしょうか?
たぶん、いま運営が何かをしかけても白々しいと感じてる人が増えていると思います。
以前から危惧してきたように自己責任論などがまかり通るコミュニティで全体としての一体性を維持できるわけがありません。
こういう状況では何を言っても何をやっても効果性が低くなります。
相互作用が生まれないからです。
戦いは「非対称戦」であり、恋愛総選挙は「理念」であり、目指すべきは「Win-Winの関係」である
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/c0f2fadb16f8082690606e3a9b35e50b
組織と個人の利益をつなげる「Win-Winの関係」の意味がわかっていないようですが、組織の肥大化に対して経営能力の向上が追いついていないのでしょう。
大企業になったのにベンチャーのノリで経営したり、人格者だからといって素人に経営を任せたら、まずうまくいかないでしょう。
残念ですが、これは簡単には解決しません。
これを飲めば治るというような処方箋はないのです。
これはもう2年くらい前から言っているのですが、AKB48に今必要なのは評論家や企画屋ではなく、経営屋(組織屋)です。
同様に経営者目線に立ちましょう。この施策は、これまでの延長線上でなく、新ビジネスを創造するチャレンジということなのかもしれません。今のままで神8の卒業とともにジリ貧になるのでなく、先手を打とうということでしょうか(遅いけど)。
~7期/9期~/16期(ドラフト生)と、3つ目の断絶を作った上での「進化」かもしれん。
新規ライトを拡大したり、今の48を認めていない層を新しく引きつけて、48グループのシェアを拡大していこうとしているなら、理論としては良い。
既存ヲタが残り続けるなら、拡大するかもしれませんね。今まで築いてきた支持層から、見放されないとでも言うならね。
面白くない、応援する気にもならない、メディアとしっぽりどこにいるかわからん新規めがけて空中戦やってるだけのグループなら、去るヲタはかなりの割合で去りますわ。
ここからが、わざと経営目線に立っての本題。
運営は、今いるメンバーの大半には、ことごとく不満だと思っているでしょうね。私は不満だ。
自分の頭でチームに何が不足しているか考えて、それを埋め合わせてチームに貢献しようとするアクションが何も出てこないじゃないか。ただただ、漫然と公演出て、ルーティンにブログぐぐたすモバメやって、番組の台本をこなすだけ。
自分のチームのキャプテンが”自分のチームにはこういう人材が必要”とVTRでハッキリ言った(言わされた)んだから、自分がそれを埋める人材だと名乗りを上げようとする奴が1人も出てこないとか。
秋元梅田の新旧キャプテンや、超越したところにいる松村が発言するのは、まあ良し。半ば運営寄りorご隠居寄りの発言だから。問題は、試されている側のメンバー。
発言したのが岩佐美咲1人。それも、愚痴めいたぼやきだけ。
運営の施策が説明不足の意味不明なのは別として、それでもポジティブに声を上げ乗り越えようとする既存メンバーは、ここまでいないものかよ。
モチベーション腐らせてる運営がクソなのですがね。でもry
映像について
youtubeで発表してから研究生になるのか正規メンバーになるのかで一回削除しましたよね。
以下は全くの推測なんですけどドラフトメンバーなる曖昧な着地点に落ち着ける所まで全部シナリオなんじゃないですかね。
まとめサイト見てても凄い勢いで即戦力って言葉が独り歩きしててビックリしました。
映像を見ると大型新人を見つける為のオーディションだなんて一言も言ってないですよね。
僕は一部の情報を見せてわざと隠したんじゃないかと思ています。
瞬間加速的に議論に目を向けさせることを意図してこれをやったのなら相当な策士だと思います。
主さんの言葉で言えば混乱を起したって事なんですけど、僕はむしろそこで議論をさせたかったんじゃないかと思っています。
人材育成しなきゃダメだろって論調になることも期待しているのではないですかね。
ライブ会場では、たかみなが「48グループには何かが必要です」という旨のことを言っていたようですが。
ドラフト制度の中に何かがあるというより一緒に何かを探して欲しいというメッセージに僕には聞こえました。
ファンに対してだけじゃなくメンバーやスタッフに対しても言ってるのかもしれませんね。
私に運営を怒る動機はありません。
意見表明したり批判したりすることはあると思いますが。
そうだ、一つだけ言いたいことがあります。
今回のドラフト会議の告知映像について。
あれを見ても、なぜドラフト会議が必要なのかが全く理解できませんね。
あんなものを出すから無用な混乱を引き起こすわけで、事前に見せられたら出直してこいと怒るかもしれません。
いくら解釈を受け手に任せるといっても、基本的な説明が不足しているから、混乱しかしないですね。
なんだかなぁ・・とは思います。
運営を怒ってくださいよ。
よしりんよりも主さんの方が説得力ありますし。