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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

当ブログによるTEPPENは、乃木坂46の生田絵梨花

2014-01-09 21:43:46 | AKB48_軽ネタ
このエントリは完全なる戯言です。参考にしてはいけません!





芸能界特技王決定戦『TEPPEN 2014』
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2013/131218-509.html


HKT48森保まどか ピアノ上手すぎww
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/d73f5a36c3e1a3d0d4fe9799796b9991



バラエティ番組に目くじら立てるのはどうかと思うものの、過去にピアノに関するエントリを書いたこともあり、どう思うかと聞かれたので私見を述べます。

少なくても私と、私の周りにいるピアノ有識者の人々にとっては、乃木坂46の生田絵梨花の演奏が抜きんでてよかったように感じました。

(私以外、AKB48/HKT48/乃木坂46の区別もつかない人たち)

もちろん、審査員の方々にも思惑があるのでしょうから、自分たちの評価を絶対視するつもりは全くありません。

感性の問題を定量化するつもりも絶対化するつもりもありません。

ただ、いま思うのは、次回からは採点基準を明確にした方がよい、ということです。

審査員の評価を疑っているのではなく、「審査員がどういう評価をしたかがわかること」が重要だと考えるからです。

そこがブラックボックスのままだとガチ度が落ちますので、観てる方が興醒めしてしまいますし、TEPPENの格も落ちるでしょうから、しっかりした方がいいでしょう。


さて、松井咲子(AKB48) → 森保まどか(HKT48) → 生田絵梨花(乃木坂46) の順で弾いたわけですが、私は生田が弾き始めて10秒で生田の勝利を確信しました。

ので、生田の敗退を自分の中で消化できずにいて、今日までエントリ化できませんでした。


松井は非常にうまく、そしてゴージャスに弾いたと思います。

音大に通っていることもあり、演奏には表れていない部分を含めた総合力の高さを感じさせるものがあったように思います。

そして、生田の点数87点の発表の後に私が松井の91点について率直に感じたのは、審査員はまさにその演奏には表れていない部分の総合力まで点数に入れてしまったのか、ということです。

#これでは勝てないよなと。


森保の技術的なレベルの高さにも目を見張るものがありました。

タッチが軽やかで、和音の安定感には驚きました。

審査員も述べておりましたが、クラシックのピアノ・コンクールならば評価が高くなるのではないでしょうか。

しかし、ピアノをデジタルに弾き過ぎたため、聴き手の気持ちを盛り上げるのが少し難しかった気がします。

評価は難しいところで、審査員が何を基準に点数つけるか次第だと思います。


もともとピアノはデジタルですが引き方次第で情緒にうったえるアナログになるのです。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/5d4a9a006fb00b5b4327500d7ea985ea



しかし、生田の演奏はダントツで良かった。

とにかく音がキレイで、リズムが見えるくらい音のノリがよかった。

あの音のキレイさだけで、TEPPENに相応しい。

(以前Youtubeでプロコイエフを弾いているのを視聴した時には感じなかったのだが)

これはピアノを自分のモノにしている人の演奏だ。

生田なら「のだめカンタービレ」の野田恵をやれる。

そう確信させるTEPPENでした。


ということで、当BlogによるTEPPENは、乃木坂46の生田絵梨花でした。

AKB48第2章がはじまるとき

2014-01-09 20:45:08 | AKB48_オピニオン
引用したスレ主さんからコメント頂けたので、前回のエントリの意図をもう少し補足したいと思います。

AKB48第2章は三銃士とチーム4が天下を取るまでの物語 ではないと思う。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/907d662829da04a37b1482bd74810365

チーム4でAKB的な成功を収めても仕方がないと思うのですよ。

まずもってそんなこと出来ないと思う。

誰が喜ぶのそんなことして?

チーム4のファン?

それって発展性があるのかね。

そうではなくて、当Blogが主張してきたのは、チーム4というアイドルでブレイクすることが大事。


↑この部分についてです。


「物語性」が重要なのは今更説明するものでもないのですが、その「物語」をどの立場で語るかによって、持っておくべき前提が変わってくると思います。

単純にAKB48ファンとして「AKB48第1章」や「AKB48第2章」といったものについて語るときには、「AKB48第2章は三銃士とチーム4が天下を取るまでの物語」と言っても特に問題があるとは思っていないです。

私は、そういう物語を語ることを否定しているわけではありません。(たぶんご理解頂けていると思いますが)

ですが、もし「AKB48という組織がどこに向かうべきか」などについて議論したいと思うのであれば、持たなければならない前提があります。


それは、当Blogで何度も繰り返している組織としての「理念」や「ビジョン」のお話です。

話をわかりやすくするために、次のようなケースを考えるとします。

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AKB48関係者を集めて複数のグループを作ってブレストをするとします。

テーマは「大島優子が去った後にしかける新しい取り組み」としましょう。

アイディアが出揃ったら、次に何らかの手法で整理して提案としてまとめ、簡単に発表する段取りにします。

ここで、事務局が幾つかの条件を課します。

その条件の一つが、おそらくこれです。

そのアイディアの「AKB48らしさ」「AKB48がやる意味」「AKB48のどういう強みが活かされるか」を発表の内容に入れてください。

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断言したいところです。

この手の取り組みは、ほとんど成果を上げることなく終わってしまうだろう、と。

ここに持続的に利益を上げ続けることができるビジョナリー・カンパニーと、そうでないカンパニーの違いがあるのです。

注目して欲しいのは、このやり方だと「AKB48らしさ」だとか「AKB48がやる意味」が後付けになってしまう、とういことです。

多くの人々が、新しいアイディアが組織に意味があると主張するために、無理やり理由をつけるのです。

後から。

そうすると、新しいアイディアを説明することが苦しくなるわけです。

むしろ組織が枷になってしまいアイディアをダメにします。

そして、たいていこう言い出すわけです。

「組織の中にいては好きなことはできない」などと。

こういう構造をわからないままに「組織は新しいアイディアを潰してしまう」という安直な結論に至ってはいけません。

そうではないのです。

あらかじめ組織の向かう先、ミッションやビジョンといった理念的なものが参加者に共有されていれば、「新しいアイディアが思いつく=説明するのは簡単」となるわけです。

これ当たり前ですよね。

ミッション・ステートメントというのは「この組織の存在意義は何か?」を述べるものです。

そのミッション・ステートメントの下に人々が集い組織を構築しているのなら、ミッション・ステートメントによって組織と個人の方向性が合わさっているので、新しいアイディアが今組織が持っていない強みに基づくものだったとしても、それが新しい強みになると簡単に説明できるし、それが組織にとってどれだけ意味があるか、という説明も簡単にできるのです。

これが、ミッション・ステートメントによる組織と個人の「相乗効果」コンセプトの最も単純な説明ですね。


「いい物語」というのは、組織と個人の方向性が合わさっているものです。

それは、相互干渉関係では決してなく、相互補完/相互依存関係という意味です。

個人の成長が組織の成長に繋がり、組織の成長が個人の成長に繋がるものです。


上記の認識をもって「AKB48第1章」を見ると、これまでと違った姿が見えてきます。

AKB48が認められて社会的に拡散していく(社会的な物語になっていく)過程と、AKB48コミュニティでAKB48物語が深まる過程がリンクしていたのです。

「外部に向かっていく力」と「内部に向かってく力」が矛盾せずに統合することができた。

たまたまです。

それは偶然の産物でしたが、両者の相乗効果で大きなムーブメントを生み出すことができたのです。

この構造を理解せずに、片方だけの力で「第2章」を語っても虚しい結果が得られるだけです。

「チーム4が天下を取る」という話は、「内部に向かっていく力」の話です。

あくまで「AKB48内部の物語」であって、それだけでは外部から浮いた存在になってしまうでしょう。

いま、社会的な物語になっていく「外部に向かっていく力」が求められているのです。

そのワンピースを手に入れることによって、はじめて「AKB48第2章」がはじまるのだと、私は思います。


残念ながら、今のAKB48コミュニティの中でこのトンデモ話に気づいている人は、あまりいないようです。

それが、当Blogで「理念」について語っている反主流派な人々(私含む)だけだというのが、皮肉なものです。