もし、お時間に余裕がありましたら、こちらのラジオ放送をお聞きください。
お笑いコンビ南海キャンディーズの山里亮太さんのラジオ『山里亮太の不毛な議論』です。
山里亮太の不毛な議論 110921 AKB48 第2回じゃんけん大会 1-3
http://youtu.be/Zq5NUZrYEXU
山里亮太の不毛な議論 110921 AKB48 第2回じゃんけん大会 2-3
http://youtu.be/gDrtVIDumXU
山里亮太の不毛な議論 110921 AKB48 第2回じゃんけん大会 3-3
http://youtu.be/Aw7RWPpJYvk
やっぱり現場を知ってる人は強い。
AKB48に興味があるとかないとかではなく、人が様々な場面で見せる人間模様の凄み、えげつなさ、そして素晴らしさ。
こういったものをエンターテイメントとして、アイドルとして見せてくれるのがAKB48なのだと、改めてそう思う。
戦争や震災報道と同じで、映像がハイビジョンになっても、決して伝えることのできない臨場感。
一人ひとりの物語を知るには、現場にいてそれを見るか、経験を何らかの形で伝えてもらうしかない。
戦争体験を伝えることの難しさと同じ問題だ。
その場にいる者だけがわかる、聞こえない声、間合い、視線や拳と拳のぶつかり合い、脈動、などなど、圧倒的な情報量と生の詳細な情報、本人もいうように「レフリーの特権」だ。
(山里さん本人は「結果論かもしれない」と言いながらも、つまりはこういった。)
そこから導き出される結論は、舞台の上で繰り広げられた攻防が、じゃんけんの勝敗を決めたということだ。
じゃんけんは単なる確率の問題ではないのだ。
確率的な要素を利用した、人と人による相互作用の産物なのである。
(引き寄せの法則云々の前に、そもそもじゃんけんの本質は、人と人のコミュニケーションだ。)
ナシーム・ニコラス・タレブだったら、じゃんけんの結果は「まぐれ」というかもしれないが、こればっかりは、"まぐれだけ"ではどうにもならない。
※
私は、小さい頃からじゃんけんが強かった。
運の強さは関係ない。
お笑いコンビ南海キャンディーズの山里亮太さんのラジオ『山里亮太の不毛な議論』です。
山里亮太の不毛な議論 110921 AKB48 第2回じゃんけん大会 1-3
http://youtu.be/Zq5NUZrYEXU
山里亮太の不毛な議論 110921 AKB48 第2回じゃんけん大会 2-3
http://youtu.be/gDrtVIDumXU
山里亮太の不毛な議論 110921 AKB48 第2回じゃんけん大会 3-3
http://youtu.be/Aw7RWPpJYvk
やっぱり現場を知ってる人は強い。
AKB48に興味があるとかないとかではなく、人が様々な場面で見せる人間模様の凄み、えげつなさ、そして素晴らしさ。
こういったものをエンターテイメントとして、アイドルとして見せてくれるのがAKB48なのだと、改めてそう思う。
戦争や震災報道と同じで、映像がハイビジョンになっても、決して伝えることのできない臨場感。
一人ひとりの物語を知るには、現場にいてそれを見るか、経験を何らかの形で伝えてもらうしかない。
戦争体験を伝えることの難しさと同じ問題だ。
その場にいる者だけがわかる、聞こえない声、間合い、視線や拳と拳のぶつかり合い、脈動、などなど、圧倒的な情報量と生の詳細な情報、本人もいうように「レフリーの特権」だ。
(山里さん本人は「結果論かもしれない」と言いながらも、つまりはこういった。)
そこから導き出される結論は、舞台の上で繰り広げられた攻防が、じゃんけんの勝敗を決めたということだ。
じゃんけんは単なる確率の問題ではないのだ。
確率的な要素を利用した、人と人による相互作用の産物なのである。
(引き寄せの法則云々の前に、そもそもじゃんけんの本質は、人と人のコミュニケーションだ。)
ナシーム・ニコラス・タレブだったら、じゃんけんの結果は「まぐれ」というかもしれないが、こればっかりは、"まぐれだけ"ではどうにもならない。
※
私は、小さい頃からじゃんけんが強かった。
運の強さは関係ない。