「努力は必ず報われる」
という言葉がある。
確かに、努力は嘘をつかないが、この言葉は多分に誤解される要素を含んでいる。
「何が」報われるのか、
そこが明確にならないと、「報われる」という言葉の解釈が多様に存在してしまう。
もし「事前に想定した、ある特定の目的を達成すること」=「報われる」という意味ならば、
努力は必ずしも報われない。
私が空中浮遊をしたいと思って毎日必死に修行しても、おそらく達成不能であろう。
(それが達成可能だとする宗教団体があったな。)
しかし、努力が足りないからだと言う人がいるかもしれない。
努力が足りないから、お前は空を飛ぶことができないのだと。
これは単純なレトリックだ。
「目的を達成=努力が報われた」として「目的が達成できず=努力が足りない」とすると、
「努力は必ず報われる、ただしあなたの努力次第で」という意味となり、
どんな結果になっても「努力は必ず報われる」が真になる。
一方、努力ではなく、目的の方に原因を求めても、単純なレトリックが出来上がる。
「努力は必ず報われる、あなたの目的が正しければ」という意味で使えばい。
「努力は報われるんだ、報われないのだとしたら、君の目的がおかしいからだよ。」と言えばいい。
どんな結果になっても「努力は必ず報われる」が真になる。
さらに言うと、「努力が足りない」とか「目的がおかしい」とかいう言葉が間違っていると言うのは難しい。
これは「神の不在証明」問題といって、「努力が足りない」とか「目的がおかしい」が間違っていると証明することはできない。
人間が空を飛べる方法がないと証明することはできないのだ。
我々が知らないだけで、本当は人間が空を飛べる方法があるかもしれない可能性は否定しきれない。
飛べるのであれば、飛べるということを証明したことになるが、
飛べなくても、絶対に飛べないとは言い切れない。
「努力は必ず報われる」
この言葉は非常に使い勝手がよくて、ズルい。
★★★★★★
「努力は必ず報われる」といえば、AKB48のキャプテンこと高橋みなみさんのイメージだ。
第3回選抜総選挙で放ったこの言葉はいろんなところで使われており、彼女を表す代名詞みたいなものだ。
なぜ、突然こんな話がしたくなったか。
彼女の姿を外から見ていて、清々しいなと思ったからだ。
どこへ向かえばいいのか、事前にわかっているなら、努力のしようもあるが、
ほとんどの悩みは、どうしたらよいのかわからない、ということからくる。
そして人生にありふれているものといえば、その類の悩みだ。
努力する気持ちを持っているなら、それだけで幸せなことだ。
しかし、もっと幸せな努力がある。
それは「道」である。
「努力ができる人」という意味で、「努力の天才」という言葉が使われることがある。
それは間違いだ。
努力をするのに天才も馬鹿もない。
違うのだ。
前述したように、普通、努力は「事前に想定した、ある特定の目的を達成する」ために行われる活動だ。
しかし、多くの人は、目的すら持っていない。
いや、
この相対的な宇宙の中では、絶対的な価値などないのだから、
どんな目的も冷静に考えれば全てその瞬間に泡になって消えてしまうものばかりなのだ。
本当の意味で意味のある目的なんてない。
だから「道(みち)」なのだ。
(タオでもいいけど)
道には、終わりがない、明確な目的もない。
ただ極めるようとするところに意味がある。
柔道、剣道、茶道、華道、アイドル道、etc...
努力というのは結果を約束するものではない。
「事前に想定した、ある特定の目的を達成すること」=「報われる」としてしまうと、
目的のない者にとって、人生は突然、無意味なものになる。
だが、人生を道だと捉えると、すっと「生きる」が心に入ってくるだろう。
人生は軽快で華やかになる。
目的がなくても、その道を極めるために努力ができる。
幸せだ。
どうしたらよいのかわからないのが人生だとしても、
なんら恐れる必要はない。
人生は道だ。
「高橋みなみ道」とかけて「努力は必ず報われる」ととく、
その心は、「人生は道」だから。
ちょっと強引か。