思い出のノーサイド

カメラがつなぐパス ラグビーを撮り続けて

合掌

2010-03-03 23:43:59 | ラグビー・思い出話

3月2日夕方、故・畠山 茂さんのお通夜に参列しました。

MarkⅣと一緒に式場に入ると、カメラを持った遺影の畠山さんが

「何かあったのかな?」とでも言いたげ。

いつもと変わらないスタイルなのに、色だけが違う。

平面の世界に収まっているのが信じられませんでした。

 

ご遺族の方にお会いでき、飾ってある写真についてたずねると

セルフタイマーで自分を何枚か撮って持っていたとのこと。

会報用に載せるため撮っていたのだと思いますが

このような形でめぐりあうとは・・・・。残念です。

「あべさんですか。父のケイタイの最初に登録されていました。」と

次女の方からお話を聞き、あ行の名字で良かったと思いました。

 

写真関係の方は、私以外にもたくさんいらして

全日写連岩見沢支部、アングル81の供花が並び

(全日写連は朝日新聞社が主宰する団体、全日本写真連盟の略称です。)

私が知っている会のほかにも、活動されていたことに驚きました。

 

大正11年生まれの89歳。戦時中、樺太に派遣されシベリアに抑留された後

昭和24年日本に戻り、翌25年結婚。ご家庭を築かれたそうです。

厳しい時代を生きた世代だから、カメラを通してみる美しい世界が

好きだったのでしょう。詳しいプロフィールも知らず写真の話ばかり。

お互いの写真展を行ったりきたりで、20年以上交流できたのは

畠山さんと奥様のお人柄が良かったから。

 

いつもニコニコおだやかなのに、例の「黒メガネ」には毅然としていて。

グループ展後、札幌市写真ライブラリーの担当者から聞いた話ですが

なんてカッコイイイことを言ってくれたのかと思いました。

大雪でも岩見沢から札幌に来てお手伝いしてくれる畠山さんには 

個展お祝いのフラワーアレンジや、差入れのお菓子を持って行くのが

楽しくてしょうがなかったです。

 

参列者一人ひとりに「撮るよ」と語っているかのようなセルフポートレート。

「泣いている人多いし、写さなくてもいいですよ(笑)。」

趣味の域をこえたアマチュア写真家であり、誰からも愛された畠山さん。

今までお世話になりました。ご冥福をお祈りします。

 

岩見沢の夕日に照らされた旅立ちの儀

たくさんの思い出をありがとうございました