思い出のノーサイド

カメラがつなぐパス ラグビーを撮り続けて

5/18発表中止強要事件・真相その4

2020-05-18 00:43:05 | ラグビー・思い出話
写真展のオープニングパーティーの帰り道、企てられた発表中止の強要。

M1さんは、新聞社が発言したという嘘。メディアとは東京写真記者協会の加盟社の事という断言。
M2さんは、発表を取り下げたら二人の間で内々にして、厳重注意で終わらせるという強要。

JPSに諮問委員会は存在しないのに、「諮問委員会で活動停止。」と圧力をかけたのも疑問です。

(M1さんは「M2さんの所属する団体でのことを言っているのではないですか。」と会則を推測。
M2さんの発言に従うように言ってきた。)

その背景を考えると、M2さんがワールドカップの申請に通らなかったことと関係ありかと思いました。

組織委員会からメールがきて、チャンスを生かそうと思った私。

放送局や出版社、一度も仕事をしたことがない会社にも自分の経歴、撮影実績、2015年イギリス大会の作品を送り
電話をかけて活動しました。締め切りが過ぎたゴールデンウイークにコンタクトを取るのは厳しくて
あきらめの気持ちが広がる中、「もうM2さんの申請を出してしまいました。」という出版社の声を聞きました。

ところが競技場ではM2さんを見かけないまま、ワールドカップは終了しました。

写真展のオープニングパーティーの帰り道、メーカーさんと一緒に行動できる著名写真家ですから
私がJPSの申請で撮影したというのを聞いて、入れなかったM2さんが感情を爆発させたのかもしれません。
二人の間でどのような話がされたか、今もって謎です。ただ作品を発表させたくない気持ちは強く感じました。

結果としてM1さんはM2さんに発言の確認をすることなく「直接お話ししてください。」と言ってきたので
私は「お会いしたくありません。許可をいただいたのだから、発表は自分の裁量で進めます。」と伝えました。

M1さんは札幌市内の公立小・中学校、児童会館に作品が入った札幌開催報告書を非売品で無料配布といったら
「随分状況が変わったね。」と声色も変わりました。嘘で振り回したことを何とも思っていない雰囲気でした。

2019年JPS会報172号、2020年札幌開催報告書。採用された作品はまだほんの一部です。

コロナウイルスの感染拡大で、ワールドカップもラグビーも人々の記憶から薄れていく中
私は見て感じた世界を表現できるよう準備に頑張りたいと思います。

真相その1から真相その4まで、起承転結を意識して文章を書いたのですが
長くなり過ぎたかもしれません。重い内容にお付き合い頂きありがとうございました。

5/6発表中止強要事件・真相その3

2020-05-06 02:05:10 | ラグビー・思い出話
M2さん:「今なら厳重注意で終わるから。」

ワールドカップで撮影した作品の発表中止を強要され、私は思いました。

「何が厳重注意?あなたは写真家であって主催者のワールドラグビーではないはず。
最初は新聞社を名乗り、次は元の団体。新聞社と関係ある写真家とでも?」

「申請には詳しいかもしれないけれど、撮影者と組織のやり取りを確かめず
一方的に中止をけしかける方が違法では?」

真っ先にアマチュア時代から交流しているJPSの先輩写真家に相談しました。

先輩:「あなたには何の落ち度もありません。組織委員会から連絡があり手続きしているのだから。
前回のイギリス大会でも、JPSの所属で申請を出して許可をいただいているのだし
主催者が認めているものを、違反行為という権限はないはず。」

自分の考えに自信を持てた私は、M1さんに粘り強く交渉。
直接あって面談することになりました。

私:「新聞社の方が声を上げたというのは、私にはわかりません。
私が見た範囲、新聞社の方は機材と撮影と送信に一生懸命で、私のパスを見て
JPSがいると不快に思う方がいたのでしょうか?
M2さんが名乗った新聞社も、複数の記者とカメラマンが対応していて
たくさんの署名記事を出しています。」

12月、早明戦の撮影後、滞在を伸ばして臨んだ面談。

先に送った資料の説明と自分の気持ちを伝えると
新たな事実がわかりました。

M1さん:「実は新聞社が声を上げたのではなく、団体の人が声を上げた。
写真展のオープニングパーティーの帰り道、私とM2さんとメーカーさんと一緒になって出た話。
M2さんの組織でワールドカップを撮影した方が、あなたの存在をM2さんに伝えた。」

私は驚きと怒りしかありませんでしたが、M1さんにM2さんと面談して
なぜ諮問委員会で活動停止、理事会の会則変更、除名の文言を持ち出したのか
確認してほしいと要望を出して札幌に戻りました。