思い出のノーサイド

カメラがつなぐパス ラグビーを撮り続けて

北海道高等学校選抜大会

2006-07-30 22:36:15 | ラグビー・思い出話

7月29日、札幌月寒ラグビー場にて毎年恒例になっている

高校の選抜大会準決勝。

第一試合は茨城県つくば秀英高校VS愛知県春日丘高校。

第二試合は北海道札幌山の手高校VS大阪近畿大学附属高校。

くわしい結果は北海道協会HPをご覧下さい。

道内外からこの大会のために集まった選手・関係者の

皆さんお疲れ様でした。この大会が良い経験になり

シーズンに生かされますように。参加校皆さんのご活躍をお祈りします。 


1997寒い網走

2006-07-28 16:16:10 | ラグビー・思い出話

夏でも寒い日がある北海道。

97年の網走はとても寒く、到着してから現地で長袖を買いました。

半そでの上にウインドブレーカーをはおるだけでは

寒さに耐えられませんでした。

日中の最高気温が13度くらいだった気がします。

撮影させていただいているチームは、3年目の撮影になりました。

 

迷惑にならないように自分から話しかける事は

ほとんどありませんでしたが、挨拶をしてくださる方もいて嬉しかったです。

この年は2泊3日の撮影に36枚撮り、フィルム40本ほど使いました。

50人弱のチームを撮る上で心がけたのはフォワード

バックス、ケガで別メニューの選手、スタッフ、

グラウンドにいる人をひとり残さず内容良く撮る事です。

目をつぶっている等の基本的な没写真を含め、自分の写真に厳しくありたかったので

持参するフィルムも日程にあわせ増やしました。

日々節制を重ね機材を調達するところから、努力しなければならないアマチュアです。

一般的なカラーネガフィルムしか使えませんでしたが、焼き増しするには重宝しました。

ケガ人がでないよう網走神社にお参りして、撮影の始まりです。

 

気が遠くなるようなハードな練習は、一人ひとりの心模様が浮かんでくるようでした。

望遠レンズはプレーだけでなく、選手の内面にあるものまで

大きく写し出してくれた気がします。私は実際に走らなくても

息苦しさや痛みを感じ、無邪気な姿にいやされていました。

本数遅れで走ったり、タックルダミーにタックルできない

状態になっている新入部員。ただ黙々と練習するベテラン部員。

網走の風景を含めて構成したカットは総数400枚くらいになったと思います。

現像後のフィルムを見てカットを選び人数分焼付けし、

アルバムに入れ、タイトルを添える。プロの業者であればこのような作業は

いくらの対価になるか想像もつきません。

徹夜作業を続けたアルバムはチームの方に、喜んでいただけたことを祈りたいものです。

 

96年は暑い夏合宿。窓を全開にした帰りのバスで一斉にあがった「涼しいー!!」の声。

疲れてボロボロになっても声出せるものなんだ・・・。

そうだよね。練習の後って風が吹けば涼しいよね・・・。

一人納得してうつむく私がいました。 

97年はただただ寒かった撮影。帰る日になって半そでが着られるようになり

ほっとして札幌に向かいました。 


笑顔の網走1996

2006-07-24 23:47:10 | ラグビー・思い出話

派遣先の会社に契約更新していただけたので

96年も夏合宿の撮影に行くことができました。

有給休暇がとれて泊りがけOK。スケジュールに余裕ありで

到着してから網走の市街地に出かけました。

そこで地元の食材を見てみようと、スーパーの食品売り場へ直行しました。

気持ちはすっかりおばさん状態。魚介類の並んだ冷蔵ケースを楽しんでいると

奥から英語の笑い声が聞こえてきます。

 

見ると合宿を終えて帰るニュージーランドの選手達でした。

きつい練習から開放され、みんなで試食を楽しんでいました。

ハードなプレーから考えもつかない無邪気な笑顔で

食べていたのは「かにかまぼこ」だったような・・・。

「ほたてかまぼこ」だったような・・・。

 

笑いがこみあげました。

ごつい選手と試食コーナーのイメージがかみあわず

こらえるのに大変でした。物かげに隠れて笑いました。

ビールがあれば、なお良かったでしょうね。

雲の上にいるような選手達の人間らしい姿。

網走は素敵です。心から思いました。


網走の思い出1995

2006-07-23 21:13:30 | ラグビー・思い出話

網走に始めて出かけたのは95年の夏でした。

94年に写真展を終えてから派遣会社の短期の仕事を

繰り返しつとめていたものの長期の依頼があり、働いてゆけるめどがついたので決めました。

何度か月寒に来た強豪社会人チームに、夏合宿の撮影許可をいただきました。

93年・94年と作品を送って差し上げていたチームです。

この年は阪神大震災があり、月寒ラグビー場の招待試合は

神戸製鋼と明治大学の試合が組まれた年でもあります。

カメラメーカーでは新機種の発表がありました。被災地から来るチームを

新しいカメラで撮影しようと貯金をくずして買った時、作品も新しくなっていく事を

願わずにはいられませんでした。

 

網走へは行きが夜行列車、

帰りが女満別(メマンベツ)空港から飛行機です。

飛行機は日本エアシステムでした。事務員の私は、自分一人で月末締めをする日に

休みをとることにためらいがあったので、強行スケジュールとなりました。

「また行くのか」という父親の冷たい言葉、母になった友達の

「あべちゃんがカメラを買うお金で、うちは車を買って子供を乗せてるよ。」

という言葉を思い出し、重々しい心のまま列車に乗りました。

 

カメラやレンズがなぜ批判の対象になるのかわかりません。

自分が心から思う人と誰からも祝福され結婚し

子供を持てたということはお金にかえられない幸せであり

私にはその幸せがない分、自分のお金で機材を買っただけなのに・・・。

札幌から距離が進むにつれ少なくなっていく民家の窓明かりを見て思いました。

 

足元に置いたレンズが心配で、なかなか眠れず網走到着。

晴れて涼しい風が吹く朝、ハーフマラソン大会にそなえて

調整に走る集団ランナーの姿が見え

「このすがすがしい風景を見られるだけ幸せ。もう落ち込まない。」

気持ちを切り替え、一歩踏み出しました。練習を見に来る人はごく少数。

主務の方に挨拶をして淡々と進む撮影。 網走トレーニングフィールドは

気持ちが良いくらいボールがよくはずむグラウンドでした。


北見の思い出

2006-07-21 23:17:15 | ラグビー・思い出話

私は98年網走の夏合宿撮影を最後に、夏に道東方面へは行かなくなりましたが

それまでの記録として北見に3回、網走に4回行きました。

同じ北海道内でも当時北見へ行くには、JRやバスの利用で約5時間かかりました。

千歳から東京に行くよりも過密なスケジュールで良く出かけていたと思います。

北見へはラグビーフェスティバルを撮りに、朝7時札幌発のJRで行きました。

グラウンドで終戦記念日を知らせるサイレンを聞いて

同志社大学と東芝府中の試合を撮りました。

その後は明治大学と社会人チームの対戦だったと思います。

93,94,95年と3回続けたので、定かな記憶ではありません。

 

北見市で毎年夏合宿をしていた明治大学の試合は93年に北海道の民放で

テレビ放送されたのは覚えています。蒸し暑く、東陵運動公園の

芝生の水蒸気が目にしみたのと、慣れないグラウンドでうまく撮れませんでした。

到着してから感激してボーっとしていた時間が長かったです。

1コマ2コマ良いものがあったくらい。遠出したのに残念でした。

帰りはタクシーを拾いそびれ、駅までの道迷いながら歩いて

札幌行きのバスに乗り夜遅く着きました。

 

2回目からは慣れて良い作品も初回より増え、北見名物ペパーミントクッキーや

オニオンスープをおみやげに買う余裕もできました。

おみやげ物が大好きな私としては、価格がいくらで何個入りか

個別包装で配りやすいかに重きをおいて選んでいます。

そこにおいしさ・珍しさ・パッケージのかわいさが加われば

申し分ないですね(笑)。500円から1000円前後のおみやげに

過大な期待をかける私は立派な小市民です。

OL時代、3時のお茶の時間に皆に配って喜んでもらえるのが楽しみだったので

未だにその気持ちを持ったままでいます。

 

ここ数年は東京へ行く機会が増えてしまい交通費の関係上、

他へはあまり行っていないですが、余裕ができれば各地を回りたいものです。