旅する小林亜星

小林亜星情報満載

こんな夜にはこんな読書「幽霊たち」

2007-10-25 23:10:36 | こんな夜にはこんな読書
「シティ・オブ・グラス」がいまいちだった、

ニューヨーク三部作のあたしにとって三作目
ポール・オースターの「幽霊たち」を読んでみる。

何もしないままに
あたしの上を通り過ぎていってしまった感。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絶望

2007-10-24 00:44:52 | 旅人
10日間の旅の間、何日か目に
自宅のベッド以外で目覚めたことを認識した朝、

そういえば
自分が旅人だったことを再び認識して実は絶望した。
あたしは旅人だった、と。

終りがあるから、旅はいい。

不自由のない自由がより不自由なよに
日常のない非日常はやはり、ただの日常だ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな夜にはこんな読書「猟奇の果」

2007-10-23 23:29:04 | こんな夜にはこんな読書
不変を読んだ、とある編集屋さんから
こんなメールが来た。

「それでいいのだ。

 それがいいのだ。

 は江戸川乱歩の『猟奇の果て』ですか?
 余韻がいいよね。 」

どちらかというと
バカボンのパパの口癖から影響を受けた文だったので恥ずかしくなり

ならば、と江戸川乱歩の「猟奇の果」を読んでみる。
そんなことがなければ江戸川乱歩を読む機会なんかなかっただろう。

もしかしてバカボンのパパは
江戸川乱歩の影響を受けてたのだろうか。

鍵っ子だった小学生のころ
土曜ワイド劇場の再放送を毎日見てたあたしの頭の中では

この本を読みながら
北大路欣也が何度も自ら変装の仮面を剥いだ場面が思い返された。

心にひっかかった言葉。

「夢物語でよいのだ。
 夢物語でよいのだ。」

よ、余韻がいいよね?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな夜にはこんな読書「アヒルと鴨のコインロッカー」

2007-10-23 01:43:53 | こんな夜にはこんな読書
映画「アヒルと鴨のコインロッカー」がすごいことになってると聞いて
まず冷静に
原作の伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」を読んでみる。

というか、そのままの勢いで半日で読んでしまった。

物語の波風にあまりに影響されすぎて
まるであたしの人生に暗雲がたちこめてるかのよにどよんとしたので
払拭したくて読みきってしまった勢い。

心にひっかかった言葉。

「そうか、君も遭難中か。」

いよいよ映画が楽しみだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生身

2007-10-22 23:33:53 | 青春生き残りゲーム
生道の生身の瀬谷ルミ子に会ってみたくて

彼女のブログで告知されてた、
日本紛争予防センター第10回研究会
「ソマリアおよびコンゴ民主共和国における治安部門改革(SSR)」に
参加してみる。

東洋英和女学院大学大学院にて。

ソマリアの場所もコンゴの場所もわからないあたしが
前提知識もないのに全編英語ではほとんど理解できず。

瀬谷ルミ子は
予想通り知的でユーモアのセンスに溢れたひとだった。

彼女の流暢な英語を聞きながら思った。

志の高いひとの近くに行けば
自分の志も刺激されるかと思ったけれど
結局自分の志は自分が為すものだ。

どんな時間だって人生に無駄なことはないらしいし
とりあえず「ブラックホーク・ダウン」を見てみよう。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな夜にはこんな読書「図書館戦争」

2007-10-21 20:58:23 | こんな夜にはこんな読書
有川浩が女性だと知って
「図書館戦争」を読んでみる。

分厚くてあっという間に読んでしまったけれど
何も残らないエンターテイメント。

でも「海の底」も「空の中」も読んでみたくなるひと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな夜にはこんな音楽「innocent view」

2007-10-21 20:48:31 | こんな夜にはこんな音楽
高松についたら絶対に行こうと思ってたカフェがあった。
北浜アーリーの「umie」。

umieのお休みはたしか月曜日だった、
今日は水曜日だから大丈夫と訪れたumieは・・・お休みだった。
いつ定休日変えたの?

失意のまま、北浜アーリーをブラブラ。
お手ごろなカフェ、「dozy」で夕ご飯。

なかなか居心地のいいソファ、ゲット。
閉店間際の最後の客。

カフェではありがちなカバーアルバムが流れてる。

ごはんが運ばれてくるまでの間、
うつらうつらと本を読んでるとBGMが気になる。

なかなかいい声してるじゃないの、という余裕のある感想が
だんだん魅き付けられて

お会計をするころには後戻りできないところまで来てしまった。

カフェのひとにCDの名前を聞くと
SotteBosseの「innocent view」とのこと。

旅を終えたら即買しようと即決。

とぼとぼと暗い道を高松駅に戻る。
福岡行きのバスが発車するまでにはあと1時間半ほどある。

急に寂しさに襲われたとき、黒沢からメールがきた。

「旅人は孤独です」という弱音を送ってみると
「孤独という自由を楽しんでください」と黒沢。

ちょっと元気になって
ただでさえ荷物がいっぱいなのに
一目惚れしたシャツを衝動買いしたらすっきりした。

東京に帰ってきてCD購入。

でも自分の部屋で聞くといまいち・・・
BGMさえもカフェの小物のひとつだったのだと判明。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな夜にはこんな読書「旅をする木」

2007-10-21 18:54:56 | こんな夜にはこんな読書
笑顔眩しい若輩カイロプラクターがブログでお薦めしてた、
アラスカラー、星野道夫。

試しに彼の本の中で一番売れてるらしい本、「旅をする木」をチョイス。

タイトルもタイトルなので
10日間の旅のお供に決定。

自分のやりたいことを直感的にまっすぐできるひとだと思ってたら
それでも右往左往、紆余曲折あったんだというのは本を読み終わってから知った。

アラスカの自然やひととの出会いは
あまりにも想像を超えていて近づくことさえできないけれど

生きてくための哲学みたいな部分で
会ったこともないけれど星野道夫の人となりを感じた気がした。

直島のカフェまるやで食後のカフェラテを飲みながら
この本を読んでいたら

カフェオーナーの大塚さんが
「この本、あたしも大好きです」と言っていた。

心にひっかかった言葉。

「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、
 もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。
 日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、
 それは、天と地の差ほど大きい。」

「人生はからくりに満ちている。
 日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、
 私たちは出会うことがない。
 その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人が出会う限りない不思議さに通じている。」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

練馬

2007-10-21 01:20:07 | 屋久島
しの樹」と呼ばれてるガジュマルを
また今回の屋久島でも楽しみにしてた。

屋久島に上陸してすぐに
宮之浦港から左回りに屋久島をバスで一周してやろうと思ってたあたしは

最初の目的地、志戸子のガジュマル園についてすぐに
永田から大川の滝まで約30キロ間バスが運行されてないことを知り意気消沈。

志戸子のガジュマルを鑑賞する余裕は最早なかった。

その後計画を変更して2日目にレンタカーを借りて
中間のガジュマルを見に行った。

夕暮のとき、中間のガジュマルにまた会えたと思って
感慨に浸って駆け寄ろうとすると

ガジュマルの手前にあるベンチに座ってる70~80歳くらいのおじいちゃんに
「ちょっと休憩してけ」と声をかけられた。

「はい」とだけ愛想笑いして
ベンチを通り過ぎてガジュマルを眺めていると
杖をついたおじいちゃんが徐に近寄ってきた。

パーソナルディスタンス、狭っ。

「どこから来たの?」

「東京です」

「茨城は一番遠いんでしょ?」

「はぁ?」

「東京、横浜が下にあって
 上に茨城、群馬、栃木でしょ?」

どうやら関東地方で一番屋久島から遠いのは
茨城でしょ?という問いだったらしい。

杖をついてる手は後ろに90度逸れあがってる、
舌の動きが不自由なとこから推測するに
脳梗塞系の病気をやってるんだろう。

会話のキャッチボールができない上に
あたしがおじいちゃんとの適切な距離をとろうと右にずれると
おじいちゃんは杖をついて一歩踏み込んでくる。

距離は縮まったままだ。

あたしは観光に来てるのだし
邪慳にしようと思えばいくらでもできた。

それでもあたしは屋久島の恩恵をたくさん受け取って
屋久島時間で生きている。

安房川を貸切にして
イケメンインストラクターと乳繰り合いながらカヤックしたり

永田いなか浜でマリンブルーの海を見ながら
贅沢なハンモックでお昼ねしたり

オリオン座が判別できないほど多すぎる星空を見ながら
ただただ「きれい」としか言えないまま
5分ほどの間に3つも流れ星を見たり・・・

それもこのおじいちゃん世代が屋久島の自然を守ってくれたからだし
これから高齢化社会だから
おじいちゃんには親切に接してあげるべきだと思い直した。

おじいちゃんは最近東京の地理を勉強してるらしく
「練馬って最初はレンマって読んじゃうよね」と

まだまだ他愛の無い話を続けてる。

10分ほど世間話に付き合ってから
「あたし、あっちのガジュマル見てきますね」と言って切り上げた。

早足で5メートルほど離れたところにあるガジュマルを見ようと
近くにあった石に座る。

おじいちゃんは、というと
杖をつきながら橋を渡って向こう側に行ってしまった。

ほっとしてガジュマルに集中する。

杖の音が再び響いて顔を上げると
また橋を渡っておじいちゃんが戻ってきた。

「これ、ガジュマルの根っこ」とかおなしのよに根っこの束を差し出す。

一瞬困って受け取る。

おじいちゃんはあたしの座ってる石の横に陣取ってる。
マシンガントーク再開。

さきほど10分で話を切り上げてしまったあたしは
自分の優しさが足りなかったと自己嫌悪に陥っていたので
今度はとことん話を聞いてやろうと思った。

そうだ、小学校のとき亡くなった祖父だと思って接すればいいんだ、と。
孫だったらおじいちゃんにどう接するだろう、と。

おじいちゃんはとりとめもないことを話し続ける。

屋久島には救急車が3台あって無料で病院まで送ってくれるとか、
皇太子が愛子岳を登ったから娘の名前にしたとか、
屋久島の名だたる岳の正確な標高とか、
小学校の同級生が最近アル中で駐在所のパトカーに見つからないよに助けたとか・・・

ふと、おじいちゃんはいくつなんだろう、と思った。

「何年生まれなんですか?」と聞いてみると

「26年」という答え。

「1926年?昭和26年?」と聞くと
おじいちゃんは両方に頷く。

痺れを切らして
「おいくつなんですか?」と聞くと

「56歳」とおじいちゃん。

そうか、年齢もわからなくなっちゃうほど耄碌してるんだ、と思った。
56歳、父より年下なはずがない。

若く見積もっても70歳は超えてる。
でも昭和26年生まれだと56歳てのはリアルに合ってる。

近所のおばさんが通りかかる。
助け舟を出してくれるかと思って懇願ビームを出してみると
微笑みの一瞥を寄越しただけで行ってしまった。
つめてー。

さておじいちゃんの話はまだ続いてる。

おじいちゃんは3人兄弟の長男で
一番下の弟は昭和35年生まれ、という事実を聞いて
おじいちゃんが耄碌してなく本当に56歳だということがわかった。

あたしはガジュマルの根っこを千切って
少しずつ捨てながら話を聞いた。

おじちゃんが父より若いとわかって
「高齢化社会だから」と話し相手になったあたしの親切心返せーと思った。

あたしはもうおじちゃんのことをブログのネタにしようと
おじちゃんの風貌を仔細に観察し始めた。

キャップには「Oakland Tree Hill」と書かれてる。
孫のお土産だろうか。

上半身には白地にシルバーとイエローのボーダーシャツ。
下半身には紺色のジャージ。
洗濯しすぎか毛玉がたくさんついてる。

夕日がそろそろ水平線に帰ろうとしていた。
かれこれ45分もあたしはおじちゃんの話を聞いてた。

蚊がズボンの上から容赦なくあたしを襲うのと攻防しながら。

栗生で日没を見たかったので
まだまだ話し足りなそなおじちゃんを制して
あたしはサヨナラと言った。

居た堪れなくなって
ガジュマルをバックにおじちゃんの写真を撮った。

おじちゃんは寂しかったんだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都会

2007-10-20 11:48:30 | 屋久島
前回屋久島に行ったときに
車で何度も通りがかった平内にある素泊まり宿。
素泊まり1600円という看板に飛びつく。

ということで今回の屋久島滞在は平内に2泊。

2回目屋久島探索でやっと理解できたことだけれど
屋久島在住の友達に言わせると平内は
あまりに辺鄙なところにあるのでガイド泣かせだとか。

あたしの携帯、圏外だし。

バス移動なので一番近い尾之間のスーパーで夕飯の材料を買出し。

メニューは
調理器具や調味料などどの程度まで自炊できるのか微妙だったので
簡単に出来て材料数も少なく出来るゴーヤチャンプルーに決定。
まさかのためにゴーヤ以外なら生でも食べられるよに。

宿につくと恰幅のいいおっさんが迎えてくれた。

部屋は一面フローリングで2段ベッド。
虫の死体とか落ちてないし、とてもきれい。
ベッドもふかふかでいい匂い。

お風呂もトイレも新しくてピカピカ。
洗濯も無料で天日干しできるところ、完璧!

ひとっ風呂浴びて
何でも揃ってるキッチンで夕飯を作ってると
居間でテレビを見てた宿主のおっさんが話しかけてきた。

おっさんは父島出身で
以前は東京の浦安にも住んでいて漁師だったとか。

若いころに南の島はほとんど回りつくしたらしい。
海外もたくさん行ってるひと。

その割に視野が狭いというかへんくつなひと、という印象。

屋久島が好きでここにいるのだけれど
屋久島は山の島だから
海は入ったことはおろか、近くで見たこともないという徹底っぷり。
曰く、海に入る気がしないのだとか。

「誰がなんと言おうと俺には東京の海が一番きれい」とか。

愚かながら東京湾を思い浮かべたが
彼が言及してるのは伊豆七島の海だとあとでわかった・・・

また屋久島を指してさらに「大都会」と言い切るところ。

その心は
自分が欲しいと思ったものは大抵その日のうちに手に入るし
大卒の頭のいいひとが島に移住してきて都会化してるから、とのこと。

油と塩胡椒を貸してとお願いしたおっさんは
自分の部屋からその2つを持ってきてくれて
こんな嘆きも付け加えた。

以前は調味料も全部キッチンに置いてあったし
自転車も10台無料で貸してたらしい。

無料だと思うとみんな持ってかれちゃうんだ、と。

自転車は半年でパンクした1台を残して
全部なくなっちゃったとか。

若いころに旅行した海外の写真も
特に昔のメキシコのものは黙って抜き取られたり。

その嘆きはあたしへの牽制も含めつつ

でも結局おっさんはさみしいのかもしれないと
ふと、思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする