10年前に2ヶ月愛したインド人は毎晩いろんなインド料理を作ってくれた。
最初はお金がなかったから自炊しかできなくて
自分で料理を勉強したんだよ、と。
そのほとんどがたまねぎのみじん切りをバターで炒めて
トマトソース、にんにく、チーズ、ローリエ、多種のわけわからぬスパイスを混ぜて作る。
最後は圧力鍋で仕上げ。
いろんなインド料理だったのだろうけれど
味覚のあまり敏感ではないあたしにはどれもおいしいのだけれど
どれも同じよな味に感じた。
彼は仕事のあとに毎晩夕ごはんを作ってくれたので
日中プラプラしてたあたしはさすがに罪悪感を感じ
1品だけ日本料理を作ることにした。
誰かのために料理を作るなんて何年ぶりだろう。
図書館のネットでYahoo Japanのレシピにアクセスして
あたしは肉じゃが女ではないのだけれど
日本の典型的な家庭料理として肉じゃがを作ることにした。
調味料として必要な酒、しょうゆ、みりんを買出しに。
砂糖はインド料理用で代用。
料理酒としょうゆは何種類かあったものの
みりんは1種類しかなかった。
Shin-Mirinと書いてあった。
本みりんなのか、みりん風味なのか、はっきりしてくれと思った。
この値段で「新みりん」ということはみりん風味か。
それとも「真みりん」か。
pure mirinとかmirin-flavoredとか書いておけと
福泉というブランドを恨めしく思う。
本みりんもみりん風味もあたしには同じだけれど
拙いあたしの料理を奥深いものにしてくれるのは本みりんしかないと思った。
というわけで買い物が完了して、いざ料理開始。
材料を切り、炒め、味付けを終えて
ことこと煮込む。
庭のバジルに水をやり、今日もかわいいねと話しかける。
ノラ・ジョーンズの「COME AWAY WITH ME」を聴きながら
落ち往く夕日を眺める。
ベランダに出て、風の声を聞く。
ソファに座ってゆっくり本を読む。
鍋の中の灰汁をとる。
最高に贅沢な料理だった。
出来栄えはというと
メークインな割りに芋と肉のうまみがよく出て
実はけっこうおいしかった。
あたしは実は肉じゃが女だったのか。
でもそんな贅沢な生き方さえも
何年も続くとしたら、きっとまた壊してしまいたくなるのだろう。
不幸なことに。
最初はお金がなかったから自炊しかできなくて
自分で料理を勉強したんだよ、と。
そのほとんどがたまねぎのみじん切りをバターで炒めて
トマトソース、にんにく、チーズ、ローリエ、多種のわけわからぬスパイスを混ぜて作る。
最後は圧力鍋で仕上げ。
いろんなインド料理だったのだろうけれど
味覚のあまり敏感ではないあたしにはどれもおいしいのだけれど
どれも同じよな味に感じた。
彼は仕事のあとに毎晩夕ごはんを作ってくれたので
日中プラプラしてたあたしはさすがに罪悪感を感じ
1品だけ日本料理を作ることにした。
誰かのために料理を作るなんて何年ぶりだろう。
図書館のネットでYahoo Japanのレシピにアクセスして
あたしは肉じゃが女ではないのだけれど
日本の典型的な家庭料理として肉じゃがを作ることにした。
調味料として必要な酒、しょうゆ、みりんを買出しに。
砂糖はインド料理用で代用。
料理酒としょうゆは何種類かあったものの
みりんは1種類しかなかった。
Shin-Mirinと書いてあった。
本みりんなのか、みりん風味なのか、はっきりしてくれと思った。
この値段で「新みりん」ということはみりん風味か。
それとも「真みりん」か。
pure mirinとかmirin-flavoredとか書いておけと
福泉というブランドを恨めしく思う。
本みりんもみりん風味もあたしには同じだけれど
拙いあたしの料理を奥深いものにしてくれるのは本みりんしかないと思った。
というわけで買い物が完了して、いざ料理開始。
材料を切り、炒め、味付けを終えて
ことこと煮込む。
庭のバジルに水をやり、今日もかわいいねと話しかける。
ノラ・ジョーンズの「COME AWAY WITH ME」を聴きながら
落ち往く夕日を眺める。
ベランダに出て、風の声を聞く。
ソファに座ってゆっくり本を読む。
鍋の中の灰汁をとる。
最高に贅沢な料理だった。
出来栄えはというと
メークインな割りに芋と肉のうまみがよく出て
実はけっこうおいしかった。
あたしは実は肉じゃが女だったのか。
でもそんな贅沢な生き方さえも
何年も続くとしたら、きっとまた壊してしまいたくなるのだろう。
不幸なことに。
「文章中では無音の状態もしくは文の省略を表す」のに使われるらしい「・・・」。
「三点リーダー」と呼ぶらしく
あたしはこの「・・・」が大好きだ。
言葉にならない、この想い・・・
とやかく言う権利はないのだけれど
他人の文章でどうしても許せないのが三点リーダーの代わりに使われてる「。。。」。
それ、句点だってば。
句点と句点の間は文だよ、文。。。
読点なら辛うじて我慢、、、
正確には「……」と2マス分書くのが正しいらしいけれど
あたしは3が好きなので「・・・」でいく・・・
そういえば仕事で英語のメールを書き始めたばかりのころ
3が好きなので疑問文の最後に必ず「???」と記していたら
同報してた課長さんに?を3つ並べると
「これ、一体どうなってんの???オラオラオラ。」みたいなニュアンスになるから
注意したほうがいいよと言われ冷や汗・・・
随分仕事に慣れたころには
「これ、一体どうなってんの???オラオラオラ。」という場合が多かったので
敢えて3つ連ねてみたりもした・・・
そういえば、ここで一番言及しておきたいのは
三点リーダーという呼び方にたどりつくまで随分かかったこと。
「てんてんてん」で検索しても出ないし・・・
「三点リーダー」と呼ぶらしく
あたしはこの「・・・」が大好きだ。
言葉にならない、この想い・・・
とやかく言う権利はないのだけれど
他人の文章でどうしても許せないのが三点リーダーの代わりに使われてる「。。。」。
それ、句点だってば。
句点と句点の間は文だよ、文。。。
読点なら辛うじて我慢、、、
正確には「……」と2マス分書くのが正しいらしいけれど
あたしは3が好きなので「・・・」でいく・・・
そういえば仕事で英語のメールを書き始めたばかりのころ
3が好きなので疑問文の最後に必ず「???」と記していたら
同報してた課長さんに?を3つ並べると
「これ、一体どうなってんの???オラオラオラ。」みたいなニュアンスになるから
注意したほうがいいよと言われ冷や汗・・・
随分仕事に慣れたころには
「これ、一体どうなってんの???オラオラオラ。」という場合が多かったので
敢えて3つ連ねてみたりもした・・・
そういえば、ここで一番言及しておきたいのは
三点リーダーという呼び方にたどりつくまで随分かかったこと。
「てんてんてん」で検索しても出ないし・・・
前厄ということで
もう今年も3月だけれどお祓いしてもらうことにした。
前厄でなかった去年でさえ
財布を2度も落とすという災難?不注意に見舞われたというのが背中をあとおし。
三が日に初詣して混んでたという理由で参拝せずに、
おみくじひいたら凶だったのも仏さまから警告なのかと。
それにしてもあたしは神仏にお金を払うというか、
それを管理してる人間にお金を払うということにどうしても抵抗があって
気が進まないのもあった。
神仏に心を近づけるというか
自分の心に近づくというか
そういうことにお金は関係ないのではないかとも。
というわけであたしはもしお祓いの金額がお心付けというルールであったら
3000円か、いや1000円か、いや実は100円でもいいのではないかと混乱するところだった。
幸いにもあたしが行ったお不動さまは最低料金3000円と決まっていたのでほっとしたくらいで。
小さいころから、この街にかれこれ30年住んでいて
何百回も来たことがある、遊び場でさえあった、
お不動さまにお金を払ってお祓いしてもらうのは初めてで
「御席」と書いてるところに座ると特別な気がした。
マイクを使って司会兼メイン読経ぽい黄色袈裟の坊主が息継ぎするところも見えたし
水色袈裟の眼鏡坊主が角笛を吹くタイミングに緊張してるのも見えたし
背中のすぐ後ろで叩かれてる太鼓の音は心臓に届いてきたし
無料席にいるひとの熱心にお経を口ずさむ姿も見えた。
そのうちちょっと偉そな紫袈裟坊主が
お不動さまの前のマイクで
有料厄祓いの願い事と名前を読み始めた。
「商売繁盛 ・・~建設、病気平癒 ・・名前」といった具合で
あたしの名前が呼ばれたときは
3000円しか払ってないせいか
「厄難消除 ・・名前、同じく・・名前、同じく・・名前」といった具合に
「同じく」として片付けられた。
そんなもんか。
ところでお祓いしたいものを翳すところの焚かれてる火の粉が
メラメラと天に昇ってく様もまたノーマルに美しいもので
「禍福はあざなえる縄のごとし」と言うのだから
厄年は禍に見舞われてこそ、これから福に恵まれるのではないかと思いつつ
自分の運命に真摯でいようとか
厄祓いしたから大丈夫だという前向きになれる気持ちをあたしは3000円で買ったのだとか思うことにした。
もしかしたらこういう謙虚じゃない気持ちがいけないのかもしれない。
ところでお祓いのあとに満を持しておみくじをひいてみたら
今度は吉だった。
運気微増。
家に帰って母に今日お祓いしてきたと得意げに言ったら
びっくりした顔をして母は
「あんた、そんなこと信じてたの?」
と窘められた。
この親にして、あたしありだ。
もう今年も3月だけれどお祓いしてもらうことにした。
前厄でなかった去年でさえ
財布を2度も落とすという災難?不注意に見舞われたというのが背中をあとおし。
三が日に初詣して混んでたという理由で参拝せずに、
おみくじひいたら凶だったのも仏さまから警告なのかと。
それにしてもあたしは神仏にお金を払うというか、
それを管理してる人間にお金を払うということにどうしても抵抗があって
気が進まないのもあった。
神仏に心を近づけるというか
自分の心に近づくというか
そういうことにお金は関係ないのではないかとも。
というわけであたしはもしお祓いの金額がお心付けというルールであったら
3000円か、いや1000円か、いや実は100円でもいいのではないかと混乱するところだった。
幸いにもあたしが行ったお不動さまは最低料金3000円と決まっていたのでほっとしたくらいで。
小さいころから、この街にかれこれ30年住んでいて
何百回も来たことがある、遊び場でさえあった、
お不動さまにお金を払ってお祓いしてもらうのは初めてで
「御席」と書いてるところに座ると特別な気がした。
マイクを使って司会兼メイン読経ぽい黄色袈裟の坊主が息継ぎするところも見えたし
水色袈裟の眼鏡坊主が角笛を吹くタイミングに緊張してるのも見えたし
背中のすぐ後ろで叩かれてる太鼓の音は心臓に届いてきたし
無料席にいるひとの熱心にお経を口ずさむ姿も見えた。
そのうちちょっと偉そな紫袈裟坊主が
お不動さまの前のマイクで
有料厄祓いの願い事と名前を読み始めた。
「商売繁盛 ・・~建設、病気平癒 ・・名前」といった具合で
あたしの名前が呼ばれたときは
3000円しか払ってないせいか
「厄難消除 ・・名前、同じく・・名前、同じく・・名前」といった具合に
「同じく」として片付けられた。
そんなもんか。
ところでお祓いしたいものを翳すところの焚かれてる火の粉が
メラメラと天に昇ってく様もまたノーマルに美しいもので
「禍福はあざなえる縄のごとし」と言うのだから
厄年は禍に見舞われてこそ、これから福に恵まれるのではないかと思いつつ
自分の運命に真摯でいようとか
厄祓いしたから大丈夫だという前向きになれる気持ちをあたしは3000円で買ったのだとか思うことにした。
もしかしたらこういう謙虚じゃない気持ちがいけないのかもしれない。
ところでお祓いのあとに満を持しておみくじをひいてみたら
今度は吉だった。
運気微増。
家に帰って母に今日お祓いしてきたと得意げに言ったら
びっくりした顔をして母は
「あんた、そんなこと信じてたの?」
と窘められた。
この親にして、あたしありだ。
珍しく書きたい欲求がこみあがってこないから
今夜は何も書かない、と今夜は書いておこう。
ただこの、もやもやした何かを書きたかったんだけど。
今夜は何も書かない、と今夜は書いておこう。
ただこの、もやもやした何かを書きたかったんだけど。
こんな夜にはこんな読書「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」を読んだ、
牛にひかれて氏から「誤解です(笑」というメールがきた。
そういえば彼のメールにはいつも括弧閉じがないのだ。
よ、余韻?
これまでの人生でもらった中で一番長い、そのメールには
いろんな言葉が渦巻いてグルグルになっていておもしろくておもしろくて
牛にひかれて氏と知り合いになれたことを心から嬉しいと思った。
メールの内容を抜粋してみる。
彼はあたしが心にひっかかった言葉としてこの本から引用した、
「日本には一部の市民の間に、広島と長崎の原爆被害を、
ホロコーストと同列視しようとする動きがあるが、
これもドイツ政府およびイスラエル政府部内では批判されている。
欧州では、殺人工場を作って600万人のユダヤ人を虐殺した犯罪は、
『歴史に類例がないもの』というコンセンサスができているため、
これを他の虐殺事件と同列視することは、
ホロコーストの相対化、矮小化につながるとして批判されるのだ。」
という部分に関して
「本を読まずに、文脈だけをあげつらうことの危険性を
認識した上で、この文脈には危険性を覚えます。」と断った上で
「以上のような点より、この論はむしろ『虐殺』が批判されるべきものであるという
ある種の反論が許されえない論を隠れ蓑にして、
これを民族主義的なナショナリズム論に置き換えた悪質なものというべきと考えます。
うがった意見であることを承知の上で極論すれば、
『ユダヤ人が殺害されたことこそが悪』であり、
『侵略者のおろかな黄色人種が返り討ちにあった』ことなどと、
『いっしょにされては困る』という論理構成が言外に感じられます。」と述べた。
何度も何度も読み返して
足りない脳みそをフル稼働したけれど
あたしがそもそもその部分を引用したのは
「へぇー」程度にひっかかったからなのだけれど
ひっかかった明確な理由を代わりに指摘してもらった気がした。
どうしても牛にひかれて氏にちゃんとした返事をしたかったので
では著者に直接聞いてみようと思った。
著者、熊谷徹のコンタクト先を探していたら
どうやらmixiをやられているようだったので
自分のブログの説明と
牛にひかれて氏のメール全文を貼りつけて
不躾ながら質問メッセージを送ってみた。
なんと返事がきた。
「お便りをどうも有難うございました。ご感想をどうも有り難うございました。
ご指摘の点につきましては、今後の原稿の中でお答えして行きたいと思いますので、
よろしくお願い申し上げます。」と。
望んでいた明確な答えはもらえなかったけれど
自分の行けるところまでは行った。
牛にひかれて氏には御尤もながら
メールを勝手に転送したことを説教された上で
「その脊髄反射はなぜ起るの?」と質問された。
つまり行動の前の思考があからさまに欠如してるらしい。
おもしろいと思ったから、としか答えられなかった。
だっておもしろいんだもん。
初対面のひとにしばしば面食らわれるのは
この脊髄反射だったんだと納得。
熊谷徹の今後の活動から目が離せない。
だっておもしろいんだもん。
牛にひかれて氏から「誤解です(笑」というメールがきた。
そういえば彼のメールにはいつも括弧閉じがないのだ。
よ、余韻?
これまでの人生でもらった中で一番長い、そのメールには
いろんな言葉が渦巻いてグルグルになっていておもしろくておもしろくて
牛にひかれて氏と知り合いになれたことを心から嬉しいと思った。
メールの内容を抜粋してみる。
彼はあたしが心にひっかかった言葉としてこの本から引用した、
「日本には一部の市民の間に、広島と長崎の原爆被害を、
ホロコーストと同列視しようとする動きがあるが、
これもドイツ政府およびイスラエル政府部内では批判されている。
欧州では、殺人工場を作って600万人のユダヤ人を虐殺した犯罪は、
『歴史に類例がないもの』というコンセンサスができているため、
これを他の虐殺事件と同列視することは、
ホロコーストの相対化、矮小化につながるとして批判されるのだ。」
という部分に関して
「本を読まずに、文脈だけをあげつらうことの危険性を
認識した上で、この文脈には危険性を覚えます。」と断った上で
「以上のような点より、この論はむしろ『虐殺』が批判されるべきものであるという
ある種の反論が許されえない論を隠れ蓑にして、
これを民族主義的なナショナリズム論に置き換えた悪質なものというべきと考えます。
うがった意見であることを承知の上で極論すれば、
『ユダヤ人が殺害されたことこそが悪』であり、
『侵略者のおろかな黄色人種が返り討ちにあった』ことなどと、
『いっしょにされては困る』という論理構成が言外に感じられます。」と述べた。
何度も何度も読み返して
足りない脳みそをフル稼働したけれど
あたしがそもそもその部分を引用したのは
「へぇー」程度にひっかかったからなのだけれど
ひっかかった明確な理由を代わりに指摘してもらった気がした。
どうしても牛にひかれて氏にちゃんとした返事をしたかったので
では著者に直接聞いてみようと思った。
著者、熊谷徹のコンタクト先を探していたら
どうやらmixiをやられているようだったので
自分のブログの説明と
牛にひかれて氏のメール全文を貼りつけて
不躾ながら質問メッセージを送ってみた。
なんと返事がきた。
「お便りをどうも有難うございました。ご感想をどうも有り難うございました。
ご指摘の点につきましては、今後の原稿の中でお答えして行きたいと思いますので、
よろしくお願い申し上げます。」と。
望んでいた明確な答えはもらえなかったけれど
自分の行けるところまでは行った。
牛にひかれて氏には御尤もながら
メールを勝手に転送したことを説教された上で
「その脊髄反射はなぜ起るの?」と質問された。
つまり行動の前の思考があからさまに欠如してるらしい。
おもしろいと思ったから、としか答えられなかった。
だっておもしろいんだもん。
初対面のひとにしばしば面食らわれるのは
この脊髄反射だったんだと納得。
熊谷徹の今後の活動から目が離せない。
だっておもしろいんだもん。
自分のことをわかってほしくてほしくて
書き始めた「恋する小林亜星」。
単なる理解媒体という位置付けだったのに
仲のいい友達からは
「上から目線」とか
「アキ男。はいつも魅力的なひとに会ってるから
こんなくだらないことを言ったらつまらないと思われるんじゃないかと思った」とか
初対面のひとには
「笑わないひとだと思った」とか
散々な始末で。
あたしの感情が揺れる瞬間を刻んできたつもりだっただけなのに
大切な友達の話はどんなことだって
耳を傾けたいと思ってきたというのに
まだ会ったことないひとには会ってみたいと思われたいと思ってきたというのに
それが尽く逆効果だったなんて。
そんな誤解、
とあたしは思うのだけれど、
を与えるよな媒体なら
存在しないほうがましだったんじゃないか。
なんだか等身大のあたしを
ブログだけ先走ってる感。
それが言葉というものの限界なのか。
それとも本当の自分という醜さが文章に染み出てしまってるだけなのか。
書き始めた「恋する小林亜星」。
単なる理解媒体という位置付けだったのに
仲のいい友達からは
「上から目線」とか
「アキ男。はいつも魅力的なひとに会ってるから
こんなくだらないことを言ったらつまらないと思われるんじゃないかと思った」とか
初対面のひとには
「笑わないひとだと思った」とか
散々な始末で。
あたしの感情が揺れる瞬間を刻んできたつもりだっただけなのに
大切な友達の話はどんなことだって
耳を傾けたいと思ってきたというのに
まだ会ったことないひとには会ってみたいと思われたいと思ってきたというのに
それが尽く逆効果だったなんて。
そんな誤解、
とあたしは思うのだけれど、
を与えるよな媒体なら
存在しないほうがましだったんじゃないか。
なんだか等身大のあたしを
ブログだけ先走ってる感。
それが言葉というものの限界なのか。
それとも本当の自分という醜さが文章に染み出てしまってるだけなのか。
助太アメリカンが2週間の出張を終えて
明日帰国する。
最後のランチはインドカレー。
明日はオフィスに来ないので
ビルの1階で送り出した。
「君は知識はあまりないけれど
いいアドミニストレーターだ。
これからもいっしょに仕事できることを楽しみにしてるよ」と。
アメリカンらしく、ハグをひとつくれた。
泣きそになったので
「また来年ね!」と大きな声で手を振った。
明日帰国する。
最後のランチはインドカレー。
明日はオフィスに来ないので
ビルの1階で送り出した。
「君は知識はあまりないけれど
いいアドミニストレーターだ。
これからもいっしょに仕事できることを楽しみにしてるよ」と。
アメリカンらしく、ハグをひとつくれた。
泣きそになったので
「また来年ね!」と大きな声で手を振った。
どうにもこうにも立ってられないくらい、
とにかくしんどい長月。
そして何もできない歯がゆさ。
どうしようもないことはわかってはいるけれど
それでもしがみついてしまう妄想。
苦しい、そして苦しい。
苦しい。
でも一から立て直そう。
とにかくしんどい長月。
そして何もできない歯がゆさ。
どうしようもないことはわかってはいるけれど
それでもしがみついてしまう妄想。
苦しい、そして苦しい。
苦しい。
でも一から立て直そう。
mixiで幼馴染の名前を見つけてから早1年。
会おう会おうとメールを送り続けて
何度もスルーされて、やっと会えたほぼ10年ぶり。
待ち合わせに10分早くついたので近くの本屋で時間を潰してると
これまた本屋にやってきた彼女があたしを見つけた。
10年ぶりに会った彼女は彼女のお母さんにすごく似てきた。
グラフィックデザインに携わってるせいか、
そいう系統のものを身につけていた。
いい鞄、
同じ色の靴、
主張するアクセ。
気がつくとあたしは彼女の粗探しに一生懸命になっていた。
人生は勝ち負けなんかでは計れないほどもっと複雑でエキサイティングなのは
もうとっくにわかってる年頃なのに
彼女の粗探しに一生懸命になっていた。
大人気ない自分を客観視して
それが何故なのかお好み焼きを頬張りながら必死で冷静に考えた。
一人っ子なあたしにとって
同じよな環境で育った一人っ子な彼女は
潜在意識下で双子の姉妹のよな存在だった。
だから身長も勉強も恋愛も仕事も人生もこれからも
心のどこかで負けたくないと思ってるからだった。
彼女の粗探しをしたくなるのは
彼女の話がどこかしら自慢ばかりだったからだけではなく
彼女が相変わらず上から目線だったからだけでもなく
きっと彼女が生き方に自信を持って
堂々と生きてるのが伝わってきたからだと思う。
ほぼ10年ぶりに会った彼女は
また気軽にお茶をしたいと思うよな友達にはなり得ない。
あたしにとっては一方通行でも永遠のライバルだから。
今はまだ友達になれない、あたしのくだらないプライド。
彼女の話が自慢ばっかりに聞こえたのは
彼女もあたしに負けたくないと思ってたからだろうか、
それはあたしの自惚れだろうか。
人生は勝ち負けじゃない。
けれどそれでも勝ち負けに拘ってる幼さで
今回はあたしの不戦敗。
会おう会おうとメールを送り続けて
何度もスルーされて、やっと会えたほぼ10年ぶり。
待ち合わせに10分早くついたので近くの本屋で時間を潰してると
これまた本屋にやってきた彼女があたしを見つけた。
10年ぶりに会った彼女は彼女のお母さんにすごく似てきた。
グラフィックデザインに携わってるせいか、
そいう系統のものを身につけていた。
いい鞄、
同じ色の靴、
主張するアクセ。
気がつくとあたしは彼女の粗探しに一生懸命になっていた。
人生は勝ち負けなんかでは計れないほどもっと複雑でエキサイティングなのは
もうとっくにわかってる年頃なのに
彼女の粗探しに一生懸命になっていた。
大人気ない自分を客観視して
それが何故なのかお好み焼きを頬張りながら必死で冷静に考えた。
一人っ子なあたしにとって
同じよな環境で育った一人っ子な彼女は
潜在意識下で双子の姉妹のよな存在だった。
だから身長も勉強も恋愛も仕事も人生もこれからも
心のどこかで負けたくないと思ってるからだった。
彼女の粗探しをしたくなるのは
彼女の話がどこかしら自慢ばかりだったからだけではなく
彼女が相変わらず上から目線だったからだけでもなく
きっと彼女が生き方に自信を持って
堂々と生きてるのが伝わってきたからだと思う。
ほぼ10年ぶりに会った彼女は
また気軽にお茶をしたいと思うよな友達にはなり得ない。
あたしにとっては一方通行でも永遠のライバルだから。
今はまだ友達になれない、あたしのくだらないプライド。
彼女の話が自慢ばっかりに聞こえたのは
彼女もあたしに負けたくないと思ってたからだろうか、
それはあたしの自惚れだろうか。
人生は勝ち負けじゃない。
けれどそれでも勝ち負けに拘ってる幼さで
今回はあたしの不戦敗。