旅する小林亜星

小林亜星情報満載

こんな夜にはこんなドラマ「今日は会社休みます。」

2014-12-17 23:52:29 | こんな夜にはこんな芸術
日々の生活に追われ
わざわざ日本のドラマを見ようていう気に今までならなかったものの
なぜか小耳に挟んだ「今日は会社休みます。」をあっという間にまとめて見てみる数日。

まず思ったのがこのドラマ10年前に放送されてて
今再放送やってると言われても疑わないくらい古い要素盛りだくさん。

あたしの知る限りでは、
少なくともあたしが働いてた会社では昨今

会社の女性社員を「ちゃん」付けで呼ぶのセクハラだし、
上司が部下の誕生日にプレゼント買うのもちょっと間違えばセクハラだし、
このドラマの原作の作者は昭和にOLでもしてたんだろうか。

その割りに社会人経験がまったくないんじゃないかってくらい薄い内容。
登場人物が喋る言葉も、行動も浅い。

それから主題歌のマッキー。
マッキー使えば視聴率取れると思ったんだろうか。
浅墓てんこ盛り。

一番痛いのが福士蒼汰のアップどや顔。
笑った瞬間、オレかっこいいでしょていうの自覚してるのが顔に滲み出てて無残。
誠実さの欠片も感じない。

このどうしようもないドラマの最終回はぜんぜん期待してないけれど
田之倉くんが大学院卒業して、アメリカでMBAとって、30歳までに起業して
青石さんを迎えにいく、ていう以外ありえないと断言できる。

て、ここまでぶった切ってみて
時間の無駄と知りつつ、9話まで一気に見てしまったのは
偏に綾瀬はるかの劣化がひどすぎると思ったほどの化け方のおかげ。
まだ髪の毛ぐしゃぐしゃしたいくらいかわいくてほっとする。

ドラマの中身より、ちょいちょい出てくる東京の風景に郷愁。
なんだかんだ言って楽しみな最終回放映まで日本時間であと1時間。
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こんな夜にはこんな芸術「春のめざめ」

2009-06-26 18:36:19 | こんな夜にはこんな芸術
会の仕組みをいつも違った角度から見せてくれる友人が

劇団四季の専務取締役とお近づきになったとのことで
S席を無料で見に行く「春のめざめ」。

そういえばミュージカル自体が嫌いだったのを忘れてた。

感情移入しようとしてるところで
急にマイクを握って歌い出されると

即座に現実に引き戻されてしまうのだった。

というわけで何も感じなかった。

強いて言えば
作品全体を象徴してるらしい青いライトが

ものすごくきれいだったことくらい。

観劇後

その友人も専務取締役もたいしたひとたちなので
何か気のきいたことを言わなければと考えてるうちに

専務取締役に「おもしろかった?」と聞かれ

どう頭をフル回転させても
劇中で出てくるセックスシーンの女優さんの生乳のことしか

浮かんでこなくて
結局たいしたことを言うどころか

「ミュージカル、だめですわ」と

根本的なところで会話を終了させてしまった。

インド料理をご馳走になったあと
浜松町駅の切符売り場の前でその友人と30分ほどおしゃべりになり

「で、ニュージーランドの1年で何を得たの?」と聞かれ

困ってしまった。

会社の面接だったら
コミュニケーション能力が、とか
ネゴシエーションスキルが、とか

文化の違いの中でどう自分を出しながら働いていくかを体得した、とか

何とでも言えるけれど
彼女の前ではそんなことは言いたくなかった。

そしたら彼女は

「いろんなところに首をつっこんで
 それがおもしろかった、だけじゃなくて

 それを一歩前進させて
 自分の人生で何を残すかを考えるべき時期はもうとっくに始まってると思うよ

 アキ男。の能力を無駄にしちゃうんじゃない」と。

釘をさされた。

自分の本能が赴くところに赴くままに突進して
おもしろかったから、おもしろかった、

それでいいと思ってきたし
思ってる。

それが何かの形になったり
誰かのためにならないといけないのだろうか。

おもしろいという思いを

形に残せたり
スキルアップにつなげたりできたら

それは最高なのだけれど

形を残そうとする、
おもしろさの追究は

その時点で白けて
おもしろさを失ってしまう気がしてならない。

かれこれ8年経つ関係の彼女の言葉を理解するのには
いつもたくさん時間が、

かかる。
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こんな夜にはこんな落語「桂吉弥のお仕事です。」

2008-01-26 13:45:59 | こんな夜にはこんな芸術
「ちりとてちん」のおもしろさが目に余るので
登場人物である徒然亭草原の、桂吉弥の、生落語を見てみたいと思った。

「ちりとてちん」効果のせいか、なかなか取れないチケットをやっとゲットで

「桂吉弥のお仕事です。」を
落語見物の師匠、牛にひかれて氏と内幸町ホールにて。

古今亭志ん坊「元犬」
桂吉弥「立ち切れ線香」
桂まん我「ちりとてちん」
桂吉弥「風邪うどん」

生桂吉弥は落語に入る前の前振りも寒ブリより油が乗ってて
甘くておいしかった。

場をひとつにまとめてあっためるというのは
彼にとっては朝飯前なのだろう。

思ったよりよく噛んでたので
徒然亭草原風にやってくれたのかと意地悪な想像もした。

笑うという動作は尊くて尊くて
彼らはまた笑いの伝統後継者でもあり
それを仕事に選んだ彼らはまた尊いのだとも、

そんなことを笑いながら思った。

例えば所作ひとつとっても
白い犬だったらソフトバンクのお父さん役な白い犬が頭に浮かんだり

言葉でしかない茶碗蒸しやうどんも目に見えるし
扇子に至っては手紙にも割り箸にも見えてくるから大興奮で。

そういえば江波杏子と松重豊が客席に来てた。
ほんとうは隠れてほかにも誰か来てたのかもと。

かくしてあたしの落語世界への二歩目はこんな感じだった。

思えば笑うことにお金を払えるというのはとても幸せなことで
これからもぎょうさん笑ろうて生きていきたい。
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こんな昼にはこんな芸術「明日の神話」

2008-01-02 12:58:52 | こんな夜にはこんな芸術
お正月特別開館、無料公開だったので

ずっと気になってた、
あまり好きじゃない岡本太郎の「明日の神話」を見てみる。

角を曲がって初めてその絵が見えたとき
突風のよなエネルギーを感じた。

多大なる損失や破損をしていて
他人の手によって修復されているというのに

元々のエネルギーは残っているのか、
それともただ大きいからエネルギーを感じただけなのか、

それはわからない。
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こんな夜にはこんな落語「辻占茶屋」

2007-12-17 23:57:03 | こんな夜にはこんな芸術
「ちりとてちん」のおもしろさが目に余るので
出てくる落語もちゃんと聴いてみたいと思った。

まず桂文枝の「辻占茶屋」のCD。
図書館てなんでもあるんだな。

昔は落語なんて全然おもしろくないと思っていたけれど
「ちりとてちん」のおかげで話の筋が大抵わかっていたので
落ちはおもしろいと思った。

中に出てくる引用やら掛詞に造詣が深ければ
きっともっとおもしろいのだろう。

このおもしろさがずっと昔から語り継がれてきたことが奇跡。

そして「ちりとてちん」がすごいのは
ただでさえおもしろい落語にもうひとつおもしろさを乗っけるところ。

ぜひ生の落語を聞いてみたいと思う。
動きや表情も。

それにしても落語ファンは
落ちまで知ってる話を何度聴いてもおもしろいと思うのだろか。
その辺りも。

まず桂吉弥か。
リベンジ、末廣か。
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こんな夜にはこんなトークショー「2008年、日本はどうすべきか」

2007-12-16 23:00:23 | こんな夜にはこんな芸術
大好きな姜尚中のサイン本が欲しくて

「戦後日本は戦争をしてきた」刊行記念
 姜尚中×小森陽一 トークショー&サイン会
「2008年、日本はどうすべきか」に参加してみる。

生・姜尚中は2回目。

トークショーの内容は韓国、アメリカの大統領選と
それの結果により影響を受ける日本の政局、モロモロ。

テロ特措法とか憲法改正の可否とか、
いまいちよくわかってないあたしにも

姜尚中は言葉を噛み砕いて
なんてわかりやすく淡々と意見を述べるのだろう。

すごくおもしろいと思えた。

彼を通してなら
自分の意見をのちにしっかり持てる気がする。

あの独特なお経のよな言葉運びは
いっそ子守唄のよで舟を漕いでるひとはたくさんいた。

そしてサイン会。
「戦後日本は戦争をしてきた」を即買。

小森陽一はどうでもよくて
しっかりと目を合わせて手をぎゅっと握り返してくれた姜尚中のサイン。
紺色。

これで手持ちのサイン本は
俵万智、谷川俊太郎+荒木経惟についで3冊目。

大切にする。
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こんな夜にはこんな芸術「Water Dimension」

2007-12-04 00:59:39 | こんな夜にはこんな芸術
「3.10 10万人のことば」
何も感じることができなかった、
舞踏家、鈴木一琥さんの舞踊パフォーマンス
「Water Dimension 水の面〜みずのおもて〜」にリベンジ。

門仲天井ホールにて。
関係ないけれど天井ホールて「天井桟敷の人々」を彷彿とさせる名前。

結論からいくと
脳みそのスイッチを切って考えることを止め
何かを感じようとしたけれど失敗した。

あたしにはまだその時期が来てない模様。

パンフレットの言葉。

「一琥とアグンは現在、
 ダンスとは地球の音をからだで聞くことではないかと考えはじめています。」

アグン・グナワンがあまりにも女性的で
変な気分にさえなった。

肉体と肉体の絡み合いは性別を超えて
ときに官能的。

一琥弟とごはん。

一琥とアグンがそれぞれにどう生まれて
何を求めてここに至ったのかを聞いたら
もっと近づけた。

一琥弟はなんだか優しい眼をしてた。

前から友達だったけれど
やっと友達になれた気がした。
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こんな昼にはこんな芸術「地中美術館」

2007-10-18 23:20:08 | こんな夜にはこんな芸術
そんな直島の観光目玉のひとつ、
「地中美術館」にゴー。

鑑賞するのに2000円もかかる。
一体2000円の価値はあるのかどうか。

チケットセンターから工事中の道路を避け
モネの作品をモネした「地中の庭」を通る。

ちょうど工事中の濁った排水が池に流れ込んで
モネの作品と同じく濁った池になった。
これ、幸い。

安藤忠雄が設計したという建物に入った途端
なんだか変な気持ちに襲われた。

まるで安野光雅の「さかさま」という絵本の中を歩いてるよな。
言葉にできない鋭角と鋭角のぶつかり合い。

地中カフェのテラスで海を何時間でも見てられると思ったあと、
家プロジェクトの「南寺」でも意表を突かれた、
ジェームズ・タレルの「オープン・スカイ」にKO。

何のことはないただの線でできた空間なのに
切り取られた額縁の中の青空は
じーっと見てると刻一刻と表情を様々に変化させて
あたしは眩暈。

「南寺」も「オープン・スカイ」も全く別物なのに
同じ光をアートにするとこうなるのかという圧巻。

入り口から入った正面の椅子に寝転がって
何時間も空とひとと光を眺めた。

またもやしばらくの間、動けなかった。

悔しいけれど2000円の価値はある。
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こんな夜にはこんな芝居「熊野」

2007-04-23 00:11:40 | こんな夜にはこんな芸術
「小鍛冶」に続き、
「のうのう能」の「熊野」を見に行く。

今回は自由席で3000円。

前から2列目も
能舞台は2本の柱が邪魔してて
けっこうな確立で障害物が視覚に入る。

見えづらくてイライラするより
場所によって舞台の見え方が違うのもおもしろさのひとつと。

今回はずっと不思議だった謎がひとつ解決。

三の松の向こうにある幕を
登場人物の入退場時に後方90度にどうやって上げてるのか。

誰かが上から引っ張ってるのかと。

種明かしとしては
幕の左右下に棒がそれぞれついていて
それを幕の中で手動で上げてるのが見えた。

「熊野」のストーリーとしてはあまりメリハリもなく。

けれどお花見する場所までの移動の間を動かない物見車で表現したり
扇の先っぽを筆に見立て床をスっとなぞってサラサラと短冊を仕上げるところ
おかし。

何百年も前の人々も
清水寺の桜を見て春を楽しんでことを想像で感じると
それもまたおかし。
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こんな夜にはこんな芸術「3.10 10万人のことば」

2007-03-12 01:15:40 | こんな夜にはこんな芸術
香港に澄む人の兄、
舞踏家、鈴木一琥さんの舞踊パフォーマンス
今年3年目の「3.10 10万人のことば」を見にいく。

浅草にある会場のギャラリー・エフは
江戸時代建立の土蔵とつながってて重みのある、いい雰囲気。

舞踏パフォーマンスというものを初めて見たけれど
日ごろ言葉に拠りすぎてるあたしには何も感じることができなかった。

目の前で次々と表情を変えていく背中の筋肉。
荒い息遣いと滾る汗。
血管の浮き出る頭皮。
音と光と影と音。

理解されようとか
評価されようとか
そういった邪道なものが何もなかった気がした。

パフォーマンス後に話しかけた一琥さんは
とても気さくに応対してくれたけれど

彼や彼のパフォーマンスを少しでも理解したくて
性急なアプローチを仕掛けてしまって
結局何も得られなかった。

もっと彼の人生に触れたいと、
やはり思った。

その後、彼の弟にあったとき
「正直なところ理解できなかった。」と伝えたところ

「舞踏が万人に理解できるよなものだったら
 もっと舞踏の需要が上がってるでしょ。」と言われた。

なるほど。

もっと彼の身体が生み出してる何かに触れたいと、
それでも思った。
コメント (4)
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