今年こそ最後の開催と聞いて
6月から毎日チェックしてた香川県ユースホステル協会のページ。
申し込んだ29番目。
3年ぶりの小豆島。
6月から月間平均80キロ走り込みしてたし
エ(ア)ロもしてたし
なんとか行けるんじゃないかと思ってた100キロ。
甘かった。
そろそろなめてた。
今年に限って
餞贐の小豆島おじさんも
寛容な三ちゃんもいなくって
どうやってペースメーカーを見つけようかと不安になる。
40キロまでは順調だった。
走り込みしてただけあって太腿の痛みがぜんぜんない。
時速5.5キロで歩くひとについていったら
左足の脛が痛くなってきた60キロ。
晴れ女のあたしが空をにらみつけても
行き場をなくして、どうしようもなくこぼれ落ちる雨。
70キロ地点に辿り着いたころには全身ぬらりひょん。
絶対にリタイヤと言わないだろうと思ってた、
いっしょにバドミントンをしてるお節介なおばさんが
今回は娘婿といっしょに歩いていて
遅れだした彼を気遣い、
「ここでリタイヤしようと思う」とまさかの発言。
そこで一気に楽になったあたしは
「80キロまで歩きましょう
それからのことは80キロになったら考えましょう」と言った。
雨はどんどん激しくなる。
回りにひとはいなくなり
しばらくひとりで歩く。
悲しくなってどうしようもなく涙がこぼれ落ちる。
身体の筋肉ができあがってたせいか、
いつもは全身疲労困憊な80キロ付近、
痛いのは左足の脛だけだった。
途中何度も挫折しそうになって
一度座り込んだらもう立ち上がれなくなるのではないかという恐怖で
身体を休めるのを諦める。
一歩一歩に焼け付くような痛みが脛を這う。
80キロでのリタイヤを決意した残り1.5キロ。
天に続いてるんじゃないかと思うほどの長い橘峠。
歩いても歩いても
九十九折りの向こうにまた上り坂。
5回の小豆島で一番身体ができあがってたけれど
一番つらかった今年。
そうやって自然に簡単にやられてしまう100キロは
そうそう簡単に完歩できるものじゃないと知って
苦行の行事にまた参加したいと思う、
ナニクソをくれた。
また来年。
6月から毎日チェックしてた香川県ユースホステル協会のページ。
申し込んだ29番目。
3年ぶりの小豆島。
6月から月間平均80キロ走り込みしてたし
エ(ア)ロもしてたし
なんとか行けるんじゃないかと思ってた100キロ。
甘かった。
そろそろなめてた。
今年に限って
餞贐の小豆島おじさんも
寛容な三ちゃんもいなくって
どうやってペースメーカーを見つけようかと不安になる。
40キロまでは順調だった。
走り込みしてただけあって太腿の痛みがぜんぜんない。
時速5.5キロで歩くひとについていったら
左足の脛が痛くなってきた60キロ。
晴れ女のあたしが空をにらみつけても
行き場をなくして、どうしようもなくこぼれ落ちる雨。
70キロ地点に辿り着いたころには全身ぬらりひょん。
絶対にリタイヤと言わないだろうと思ってた、
いっしょにバドミントンをしてるお節介なおばさんが
今回は娘婿といっしょに歩いていて
遅れだした彼を気遣い、
「ここでリタイヤしようと思う」とまさかの発言。
そこで一気に楽になったあたしは
「80キロまで歩きましょう
それからのことは80キロになったら考えましょう」と言った。
雨はどんどん激しくなる。
回りにひとはいなくなり
しばらくひとりで歩く。
悲しくなってどうしようもなく涙がこぼれ落ちる。
身体の筋肉ができあがってたせいか、
いつもは全身疲労困憊な80キロ付近、
痛いのは左足の脛だけだった。
途中何度も挫折しそうになって
一度座り込んだらもう立ち上がれなくなるのではないかという恐怖で
身体を休めるのを諦める。
一歩一歩に焼け付くような痛みが脛を這う。
80キロでのリタイヤを決意した残り1.5キロ。
天に続いてるんじゃないかと思うほどの長い橘峠。
歩いても歩いても
九十九折りの向こうにまた上り坂。
5回の小豆島で一番身体ができあがってたけれど
一番つらかった今年。
そうやって自然に簡単にやられてしまう100キロは
そうそう簡単に完歩できるものじゃないと知って
苦行の行事にまた参加したいと思う、
ナニクソをくれた。
また来年。