高松についたら絶対に行こうと思ってたカフェがあった。
北浜アーリーの「umie」。
umieのお休みはたしか月曜日だった、
今日は水曜日だから大丈夫と訪れたumieは・・・お休みだった。
いつ定休日変えたの?
失意のまま、北浜アーリーをブラブラ。
お手ごろなカフェ、「dozy」で夕ご飯。
なかなか居心地のいいソファ、ゲット。
閉店間際の最後の客。
カフェではありがちなカバーアルバムが流れてる。
ごはんが運ばれてくるまでの間、
うつらうつらと本を読んでるとBGMが気になる。
なかなかいい声してるじゃないの、という余裕のある感想が
だんだん魅き付けられて
お会計をするころには後戻りできないところまで来てしまった。
カフェのひとにCDの名前を聞くと
SotteBosseの「innocent view」とのこと。
旅を終えたら即買しようと即決。
とぼとぼと暗い道を高松駅に戻る。
福岡行きのバスが発車するまでにはあと1時間半ほどある。
急に寂しさに襲われたとき、黒沢からメールがきた。
「旅人は孤独です」という弱音を送ってみると
「孤独という自由を楽しんでください」と黒沢。
ちょっと元気になって
ただでさえ荷物がいっぱいなのに
一目惚れしたシャツを衝動買いしたらすっきりした。
東京に帰ってきてCD購入。
でも自分の部屋で聞くといまいち・・・
BGMさえもカフェの小物のひとつだったのだと判明。
北浜アーリーの「umie」。
umieのお休みはたしか月曜日だった、
今日は水曜日だから大丈夫と訪れたumieは・・・お休みだった。
いつ定休日変えたの?
失意のまま、北浜アーリーをブラブラ。
お手ごろなカフェ、「dozy」で夕ご飯。
なかなか居心地のいいソファ、ゲット。
閉店間際の最後の客。
カフェではありがちなカバーアルバムが流れてる。
ごはんが運ばれてくるまでの間、
うつらうつらと本を読んでるとBGMが気になる。
なかなかいい声してるじゃないの、という余裕のある感想が
だんだん魅き付けられて
お会計をするころには後戻りできないところまで来てしまった。
カフェのひとにCDの名前を聞くと
SotteBosseの「innocent view」とのこと。
旅を終えたら即買しようと即決。
とぼとぼと暗い道を高松駅に戻る。
福岡行きのバスが発車するまでにはあと1時間半ほどある。
急に寂しさに襲われたとき、黒沢からメールがきた。
「旅人は孤独です」という弱音を送ってみると
「孤独という自由を楽しんでください」と黒沢。
ちょっと元気になって
ただでさえ荷物がいっぱいなのに
一目惚れしたシャツを衝動買いしたらすっきりした。
東京に帰ってきてCD購入。
でも自分の部屋で聞くといまいち・・・
BGMさえもカフェの小物のひとつだったのだと判明。
笑顔眩しい若輩カイロプラクターがブログでお薦めしてた、
アラスカラー、星野道夫。
試しに彼の本の中で一番売れてるらしい本、「旅をする木」をチョイス。
タイトルもタイトルなので
10日間の旅のお供に決定。
自分のやりたいことを直感的にまっすぐできるひとだと思ってたら
それでも右往左往、紆余曲折あったんだというのは本を読み終わってから知った。
アラスカの自然やひととの出会いは
あまりにも想像を超えていて近づくことさえできないけれど
生きてくための哲学みたいな部分で
会ったこともないけれど星野道夫の人となりを感じた気がした。
直島のカフェまるやで食後のカフェラテを飲みながら
この本を読んでいたら
カフェオーナーの大塚さんが
「この本、あたしも大好きです」と言っていた。
心にひっかかった言葉。
「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、
もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。
日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、
それは、天と地の差ほど大きい。」
「人生はからくりに満ちている。
日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、
私たちは出会うことがない。
その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人が出会う限りない不思議さに通じている。」
アラスカラー、星野道夫。
試しに彼の本の中で一番売れてるらしい本、「旅をする木」をチョイス。
タイトルもタイトルなので
10日間の旅のお供に決定。
自分のやりたいことを直感的にまっすぐできるひとだと思ってたら
それでも右往左往、紆余曲折あったんだというのは本を読み終わってから知った。
アラスカの自然やひととの出会いは
あまりにも想像を超えていて近づくことさえできないけれど
生きてくための哲学みたいな部分で
会ったこともないけれど星野道夫の人となりを感じた気がした。
直島のカフェまるやで食後のカフェラテを飲みながら
この本を読んでいたら
カフェオーナーの大塚さんが
「この本、あたしも大好きです」と言っていた。
心にひっかかった言葉。
「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、
もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。
日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、
それは、天と地の差ほど大きい。」
「人生はからくりに満ちている。
日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、
私たちは出会うことがない。
その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人が出会う限りない不思議さに通じている。」
「絞め殺しの樹」と呼ばれてるガジュマルを
また今回の屋久島でも楽しみにしてた。
屋久島に上陸してすぐに
宮之浦港から左回りに屋久島をバスで一周してやろうと思ってたあたしは
最初の目的地、志戸子のガジュマル園についてすぐに
永田から大川の滝まで約30キロ間バスが運行されてないことを知り意気消沈。
志戸子のガジュマルを鑑賞する余裕は最早なかった。
その後計画を変更して2日目にレンタカーを借りて
中間のガジュマルを見に行った。
夕暮のとき、中間のガジュマルにまた会えたと思って
感慨に浸って駆け寄ろうとすると
ガジュマルの手前にあるベンチに座ってる70~80歳くらいのおじいちゃんに
「ちょっと休憩してけ」と声をかけられた。
「はい」とだけ愛想笑いして
ベンチを通り過ぎてガジュマルを眺めていると
杖をついたおじいちゃんが徐に近寄ってきた。
パーソナルディスタンス、狭っ。
「どこから来たの?」
「東京です」
「茨城は一番遠いんでしょ?」
「はぁ?」
「東京、横浜が下にあって
上に茨城、群馬、栃木でしょ?」
どうやら関東地方で一番屋久島から遠いのは
茨城でしょ?という問いだったらしい。
杖をついてる手は後ろに90度逸れあがってる、
舌の動きが不自由なとこから推測するに
脳梗塞系の病気をやってるんだろう。
会話のキャッチボールができない上に
あたしがおじいちゃんとの適切な距離をとろうと右にずれると
おじいちゃんは杖をついて一歩踏み込んでくる。
距離は縮まったままだ。
あたしは観光に来てるのだし
邪慳にしようと思えばいくらでもできた。
それでもあたしは屋久島の恩恵をたくさん受け取って
屋久島時間で生きている。
安房川を貸切にして
イケメンインストラクターと乳繰り合いながらカヤックしたり
永田いなか浜でマリンブルーの海を見ながら
贅沢なハンモックでお昼ねしたり
オリオン座が判別できないほど多すぎる星空を見ながら
ただただ「きれい」としか言えないまま
5分ほどの間に3つも流れ星を見たり・・・
それもこのおじいちゃん世代が屋久島の自然を守ってくれたからだし
これから高齢化社会だから
おじいちゃんには親切に接してあげるべきだと思い直した。
おじいちゃんは最近東京の地理を勉強してるらしく
「練馬って最初はレンマって読んじゃうよね」と
まだまだ他愛の無い話を続けてる。
10分ほど世間話に付き合ってから
「あたし、あっちのガジュマル見てきますね」と言って切り上げた。
早足で5メートルほど離れたところにあるガジュマルを見ようと
近くにあった石に座る。
おじいちゃんは、というと
杖をつきながら橋を渡って向こう側に行ってしまった。
ほっとしてガジュマルに集中する。
杖の音が再び響いて顔を上げると
また橋を渡っておじいちゃんが戻ってきた。
「これ、ガジュマルの根っこ」とかおなしのよに根っこの束を差し出す。
一瞬困って受け取る。
おじいちゃんはあたしの座ってる石の横に陣取ってる。
マシンガントーク再開。
さきほど10分で話を切り上げてしまったあたしは
自分の優しさが足りなかったと自己嫌悪に陥っていたので
今度はとことん話を聞いてやろうと思った。
そうだ、小学校のとき亡くなった祖父だと思って接すればいいんだ、と。
孫だったらおじいちゃんにどう接するだろう、と。
おじいちゃんはとりとめもないことを話し続ける。
屋久島には救急車が3台あって無料で病院まで送ってくれるとか、
皇太子が愛子岳を登ったから娘の名前にしたとか、
屋久島の名だたる岳の正確な標高とか、
小学校の同級生が最近アル中で駐在所のパトカーに見つからないよに助けたとか・・・
ふと、おじいちゃんはいくつなんだろう、と思った。
「何年生まれなんですか?」と聞いてみると
「26年」という答え。
「1926年?昭和26年?」と聞くと
おじいちゃんは両方に頷く。
痺れを切らして
「おいくつなんですか?」と聞くと
「56歳」とおじいちゃん。
そうか、年齢もわからなくなっちゃうほど耄碌してるんだ、と思った。
56歳、父より年下なはずがない。
若く見積もっても70歳は超えてる。
でも昭和26年生まれだと56歳てのはリアルに合ってる。
近所のおばさんが通りかかる。
助け舟を出してくれるかと思って懇願ビームを出してみると
微笑みの一瞥を寄越しただけで行ってしまった。
つめてー。
さておじいちゃんの話はまだ続いてる。
おじいちゃんは3人兄弟の長男で
一番下の弟は昭和35年生まれ、という事実を聞いて
おじいちゃんが耄碌してなく本当に56歳だということがわかった。
あたしはガジュマルの根っこを千切って
少しずつ捨てながら話を聞いた。
おじちゃんが父より若いとわかって
「高齢化社会だから」と話し相手になったあたしの親切心返せーと思った。
あたしはもうおじちゃんのことをブログのネタにしようと
おじちゃんの風貌を仔細に観察し始めた。
キャップには「Oakland Tree Hill」と書かれてる。
孫のお土産だろうか。
上半身には白地にシルバーとイエローのボーダーシャツ。
下半身には紺色のジャージ。
洗濯しすぎか毛玉がたくさんついてる。
夕日がそろそろ水平線に帰ろうとしていた。
かれこれ45分もあたしはおじちゃんの話を聞いてた。
蚊がズボンの上から容赦なくあたしを襲うのと攻防しながら。
栗生で日没を見たかったので
まだまだ話し足りなそなおじちゃんを制して
あたしはサヨナラと言った。
居た堪れなくなって
ガジュマルをバックにおじちゃんの写真を撮った。
おじちゃんは寂しかったんだと思う。
また今回の屋久島でも楽しみにしてた。
屋久島に上陸してすぐに
宮之浦港から左回りに屋久島をバスで一周してやろうと思ってたあたしは
最初の目的地、志戸子のガジュマル園についてすぐに
永田から大川の滝まで約30キロ間バスが運行されてないことを知り意気消沈。
志戸子のガジュマルを鑑賞する余裕は最早なかった。
その後計画を変更して2日目にレンタカーを借りて
中間のガジュマルを見に行った。
夕暮のとき、中間のガジュマルにまた会えたと思って
感慨に浸って駆け寄ろうとすると
ガジュマルの手前にあるベンチに座ってる70~80歳くらいのおじいちゃんに
「ちょっと休憩してけ」と声をかけられた。
「はい」とだけ愛想笑いして
ベンチを通り過ぎてガジュマルを眺めていると
杖をついたおじいちゃんが徐に近寄ってきた。
パーソナルディスタンス、狭っ。
「どこから来たの?」
「東京です」
「茨城は一番遠いんでしょ?」
「はぁ?」
「東京、横浜が下にあって
上に茨城、群馬、栃木でしょ?」
どうやら関東地方で一番屋久島から遠いのは
茨城でしょ?という問いだったらしい。
杖をついてる手は後ろに90度逸れあがってる、
舌の動きが不自由なとこから推測するに
脳梗塞系の病気をやってるんだろう。
会話のキャッチボールができない上に
あたしがおじいちゃんとの適切な距離をとろうと右にずれると
おじいちゃんは杖をついて一歩踏み込んでくる。
距離は縮まったままだ。
あたしは観光に来てるのだし
邪慳にしようと思えばいくらでもできた。
それでもあたしは屋久島の恩恵をたくさん受け取って
屋久島時間で生きている。
安房川を貸切にして
イケメンインストラクターと乳繰り合いながらカヤックしたり
永田いなか浜でマリンブルーの海を見ながら
贅沢なハンモックでお昼ねしたり
オリオン座が判別できないほど多すぎる星空を見ながら
ただただ「きれい」としか言えないまま
5分ほどの間に3つも流れ星を見たり・・・
それもこのおじいちゃん世代が屋久島の自然を守ってくれたからだし
これから高齢化社会だから
おじいちゃんには親切に接してあげるべきだと思い直した。
おじいちゃんは最近東京の地理を勉強してるらしく
「練馬って最初はレンマって読んじゃうよね」と
まだまだ他愛の無い話を続けてる。
10分ほど世間話に付き合ってから
「あたし、あっちのガジュマル見てきますね」と言って切り上げた。
早足で5メートルほど離れたところにあるガジュマルを見ようと
近くにあった石に座る。
おじいちゃんは、というと
杖をつきながら橋を渡って向こう側に行ってしまった。
ほっとしてガジュマルに集中する。
杖の音が再び響いて顔を上げると
また橋を渡っておじいちゃんが戻ってきた。
「これ、ガジュマルの根っこ」とかおなしのよに根っこの束を差し出す。
一瞬困って受け取る。
おじいちゃんはあたしの座ってる石の横に陣取ってる。
マシンガントーク再開。
さきほど10分で話を切り上げてしまったあたしは
自分の優しさが足りなかったと自己嫌悪に陥っていたので
今度はとことん話を聞いてやろうと思った。
そうだ、小学校のとき亡くなった祖父だと思って接すればいいんだ、と。
孫だったらおじいちゃんにどう接するだろう、と。
おじいちゃんはとりとめもないことを話し続ける。
屋久島には救急車が3台あって無料で病院まで送ってくれるとか、
皇太子が愛子岳を登ったから娘の名前にしたとか、
屋久島の名だたる岳の正確な標高とか、
小学校の同級生が最近アル中で駐在所のパトカーに見つからないよに助けたとか・・・
ふと、おじいちゃんはいくつなんだろう、と思った。
「何年生まれなんですか?」と聞いてみると
「26年」という答え。
「1926年?昭和26年?」と聞くと
おじいちゃんは両方に頷く。
痺れを切らして
「おいくつなんですか?」と聞くと
「56歳」とおじいちゃん。
そうか、年齢もわからなくなっちゃうほど耄碌してるんだ、と思った。
56歳、父より年下なはずがない。
若く見積もっても70歳は超えてる。
でも昭和26年生まれだと56歳てのはリアルに合ってる。
近所のおばさんが通りかかる。
助け舟を出してくれるかと思って懇願ビームを出してみると
微笑みの一瞥を寄越しただけで行ってしまった。
つめてー。
さておじいちゃんの話はまだ続いてる。
おじいちゃんは3人兄弟の長男で
一番下の弟は昭和35年生まれ、という事実を聞いて
おじいちゃんが耄碌してなく本当に56歳だということがわかった。
あたしはガジュマルの根っこを千切って
少しずつ捨てながら話を聞いた。
おじちゃんが父より若いとわかって
「高齢化社会だから」と話し相手になったあたしの親切心返せーと思った。
あたしはもうおじちゃんのことをブログのネタにしようと
おじちゃんの風貌を仔細に観察し始めた。
キャップには「Oakland Tree Hill」と書かれてる。
孫のお土産だろうか。
上半身には白地にシルバーとイエローのボーダーシャツ。
下半身には紺色のジャージ。
洗濯しすぎか毛玉がたくさんついてる。
夕日がそろそろ水平線に帰ろうとしていた。
かれこれ45分もあたしはおじちゃんの話を聞いてた。
蚊がズボンの上から容赦なくあたしを襲うのと攻防しながら。
栗生で日没を見たかったので
まだまだ話し足りなそなおじちゃんを制して
あたしはサヨナラと言った。
居た堪れなくなって
ガジュマルをバックにおじちゃんの写真を撮った。
おじちゃんは寂しかったんだと思う。