こんな夜にはこんな読書「夜と霧の隅で」を読んだ牛にひかれて氏が
今後の北杜夫の読み方を指南してくれるというので
それにのってみる、ということで第一弾「奇病連盟」を図書館から借りてみる。
曰く、万人受けする作品とか。
これが「夜と霧の隅で」を書いたひとと同じひとが書いたのかってくらい
文章の波が違う。
あまりにもおもしろくて電車の中で笑いをこらえきれない程に。
すごく愉快だったけれどあとに残るものは何もなさそうだし
終わり方というか落ちもグダグダに感じた。
こうやってひとりの作家に絞って
その人生の波を感じるのも悪くない。
感じられるほどの器が自分にあるかどうかは別として。
心にひっかかった言葉。
「だが、本当にそうであろうか。
大団円のあとから、真の人生が開かれ、物語が始まるのではないか。
大団円とは、一瞬の錯覚、一時のゴマカシにすぎないのではないか。
どんな小説でも永久につづけるわけにはいかない。
そこで小説家は『大団円』なぞという文字を記し、
あとは野となれ山桜、無責任に『終』と書き、どこかへ飲みに行ってしまうのだ。」
今後の北杜夫の読み方を指南してくれるというので
それにのってみる、ということで第一弾「奇病連盟」を図書館から借りてみる。
曰く、万人受けする作品とか。
これが「夜と霧の隅で」を書いたひとと同じひとが書いたのかってくらい
文章の波が違う。
あまりにもおもしろくて電車の中で笑いをこらえきれない程に。
すごく愉快だったけれどあとに残るものは何もなさそうだし
終わり方というか落ちもグダグダに感じた。
こうやってひとりの作家に絞って
その人生の波を感じるのも悪くない。
感じられるほどの器が自分にあるかどうかは別として。
心にひっかかった言葉。
「だが、本当にそうであろうか。
大団円のあとから、真の人生が開かれ、物語が始まるのではないか。
大団円とは、一瞬の錯覚、一時のゴマカシにすぎないのではないか。
どんな小説でも永久につづけるわけにはいかない。
そこで小説家は『大団円』なぞという文字を記し、
あとは野となれ山桜、無責任に『終』と書き、どこかへ飲みに行ってしまうのだ。」
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