(半紙)
やっぱり木簡が一番好き。
日常の中で使われていた普段着の書-木簡。
金文の名残のあるもの、隷書風、楷書風、行書風、草書風、
神経質そうなもの、おおらかなもの、肝っ玉の据わったもの、
几帳面なもの・・・と、どれも見ていて飽きない!
木簡を眺めながら、これを書いた人はどんな人だったのかなぁと想像したり、
書いた時の息遣いを感じる時間は、なんともロマンを感じます
書道教室では、同じ古典を学んでいても、臨書の仕方がそれぞれに違っていて。
参考作品を書く時に、この人だったらこんな風に感じるかなとか、
逆に、この人にはない面を敢えて表現してみようって思ったり。
私が書を学びたいと、師のもとを訪れた時に聞かれたことの意味を
書を学ぶ上で、また伝えて行く上で、これからも大事にしたいと思っています。
「あなたは薬が欲しいのか、それとも処方箋が欲しいのか」
当時20代だった私は、その意味もわからぬまま、無意識に
処方箋をお願いしますと答えていました。
随分あとになって気づいたこのことばの意味。
薬は飲めば治る即効薬、処方箋はこうすれば良くなるというヒントってとこかな。
今日の木簡は、体調を崩されていたKさんのために書いたもの。
元気になるようにと、どど~んって感じで。
翌日、Kさんから、メールを頂いた。
「元気が出る書、楽しい~!って感じで、歌を歌いながら書いてみます」
書も音楽のように、気持ちに響くものになれるのかもしれないって思えた瞬間でした。
↓別枠で、昨日行った書展の様子をご紹介してま~す。
のぞいてやってくださいませ
石川先生 「自詠・偕楽園」
先日もご案内しました、石川芳雲先生が主宰されていらっしゃる
書道蛟龍會展 (15日まで東京銀座画廊・美術館で)に、母と行って来ました。
石川先生の作品は、益々力強く生命力に溢れ、書の真髄を見た・・という
興奮を覚える展覧会でした。
↑母の師でもあられた故中平南谿先生 「自詠・江上春興」
↑石川先生 髭がなくなって益々カワイイ笑顔
↑宮山一琴先生 「蘇軾詞二篇」
↑宮山先生 「筆を持てばどこでも何時でも夢ふくらむ」
↑石川先生と宮山先生 お二人ともお人柄がにじみ出る笑顔で
*********************************
セントラル美術館のある銀座貿易ビル7階にある東京銀座画廊・美術館では
書海社師範展が6月15日(日)まで開催中。
こちらにも石川先生は出品されていますので、あわせてお立ち寄りくださ~い。
↑書海社師範展 す・・すごい数というか・・なんというか。。
↑石川先生の作品 右は作品の一部拡大
******************************
同じく銀座貿易ビル5階と7階では、「日本の詩歌と書の世界」が開催中。
6月15日まで。
創玄書道会、日本書道美術院、書道芸術院、白峰社など複数の団体の
近代詩文書展。
中野北溟、大井錦亭、船本芳雲、飯島春美、石飛博光など多数。
↑ 「娘よ」 名前は忘れた・・ちょっといいなと思ったので。
↑ 「山風花」 これも名前はわからず。。
先日もご案内しました、石川芳雲先生が主宰されていらっしゃる
書道蛟龍會展 (15日まで東京銀座画廊・美術館で)に、母と行って来ました。
石川先生の作品は、益々力強く生命力に溢れ、書の真髄を見た・・という
興奮を覚える展覧会でした。
↑母の師でもあられた故中平南谿先生 「自詠・江上春興」
↑石川先生 髭がなくなって益々カワイイ笑顔
↑宮山一琴先生 「蘇軾詞二篇」
↑宮山先生 「筆を持てばどこでも何時でも夢ふくらむ」
↑石川先生と宮山先生 お二人ともお人柄がにじみ出る笑顔で
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セントラル美術館のある銀座貿易ビル7階にある東京銀座画廊・美術館では
書海社師範展が6月15日(日)まで開催中。
こちらにも石川先生は出品されていますので、あわせてお立ち寄りくださ~い。
↑書海社師範展 す・・すごい数というか・・なんというか。。
↑石川先生の作品 右は作品の一部拡大
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同じく銀座貿易ビル5階と7階では、「日本の詩歌と書の世界」が開催中。
6月15日まで。
創玄書道会、日本書道美術院、書道芸術院、白峰社など複数の団体の
近代詩文書展。
中野北溟、大井錦亭、船本芳雲、飯島春美、石飛博光など多数。
↑ 「娘よ」 名前は忘れた・・ちょっといいなと思ったので。
↑ 「山風花」 これも名前はわからず。。
「いろはにほへと」 (半紙)
書の魅力のひとつは、戻れないところ、消せないところ。
たぶん生け花もそう・・一度枝を折ったらもう元には戻せない。
たとえば半紙に、点ひとつ書いただけで、あっ失敗・・ってこともある。
でもだからって、丸めて捨てないようにする・・なるべく。
半紙の中で、最初の一画から二画目、その次の文字にどう活かしていくか、
どう響かせていくか、それが大事、それが楽しい。
人生は、消しゴムで消すことはできないわけで。
言ってしまったことばは消せないわけで。
でも消せないことを恐れるのではなく、
言ってしまったことばを後悔して落ち込むこともなく。
きっと大事なのは、その次のこと。
貴乃花が横綱の頃、土がついた日のインタビューで、マイクを向ける報道陣に
ひとこと・・「終わったことより次のことです」
格好よかったなぁ
最初に引いた線から、ドラマは始まっている。
引き返すと線は鈍る。
迷うと空間は濁る。
その「瞬間の潔さ」が、書の魅力。
人生は、なかなかそうは生きられないけどね。。
書の魅力のひとつは、戻れないところ、消せないところ。
たぶん生け花もそう・・一度枝を折ったらもう元には戻せない。
たとえば半紙に、点ひとつ書いただけで、あっ失敗・・ってこともある。
でもだからって、丸めて捨てないようにする・・なるべく。
半紙の中で、最初の一画から二画目、その次の文字にどう活かしていくか、
どう響かせていくか、それが大事、それが楽しい。
人生は、消しゴムで消すことはできないわけで。
言ってしまったことばは消せないわけで。
でも消せないことを恐れるのではなく、
言ってしまったことばを後悔して落ち込むこともなく。
きっと大事なのは、その次のこと。
貴乃花が横綱の頃、土がついた日のインタビューで、マイクを向ける報道陣に
ひとこと・・「終わったことより次のことです」
格好よかったなぁ
最初に引いた線から、ドラマは始まっている。
引き返すと線は鈍る。
迷うと空間は濁る。
その「瞬間の潔さ」が、書の魅力。
人生は、なかなかそうは生きられないけどね。。
(半切)
論語の「仰之彌高 鑽之彌堅」
之を仰げば弥(いよいよ)高く、之を鑽(き)れば弥(いよいよ)堅し。
孔子の弟子、顔淵(がんえん)が、孔子の人格の高さ、堅さを賞嘆して述べたことば。
高いものは見上げれば見上げるほど高く、堅いものは 鑽(きり)をもみ込むほどに
堅く感じられる~つまり、孔子の高大さはとても極めがたいという意味。
う~ん。。
論語は意味を理解するのも難しく、志が高くて親しみやすいものではないけど。。
ということで、堅い真面目な書風は避けて、ちょっと肩の力を抜いた感じで書いてみた。
わたしはどうもまっすぐ正面を向いたお行儀のいい字が書けない・・
でも結構バランスは保っているように思うんだけど。。(・・って自画自賛)
文字には「顔」の向き、視線があって、右を向いている字、上を向いている字・・・
それらを感じて、次の字に向かうという瞬発力が「バランス」になっていくわけで。
たとえば、今日の書。
仰のつくりの下の空間が空いたので、之の重心を左に持っていって中心を保ち、
之と彌の弓へんが左に引っ張っているので、高の口の部分を右よりにし、
それでもまだ弓へんの最後のハネが左に引っ張ってるので、
鑽のつくりを下げることで、右へ引っ張る力を与えて
之と彌は上と同じにならないようにして、最後の堅は安定するようにして・・っと。
それぞれにあっちゃこっちゃ向いてるけど、中心は背筋が通ってるでしょ
・・ってまた自画自賛して今日は終わり~
自画自賛はよいことです
論語の「仰之彌高 鑽之彌堅」
之を仰げば弥(いよいよ)高く、之を鑽(き)れば弥(いよいよ)堅し。
孔子の弟子、顔淵(がんえん)が、孔子の人格の高さ、堅さを賞嘆して述べたことば。
高いものは見上げれば見上げるほど高く、堅いものは 鑽(きり)をもみ込むほどに
堅く感じられる~つまり、孔子の高大さはとても極めがたいという意味。
う~ん。。
論語は意味を理解するのも難しく、志が高くて親しみやすいものではないけど。。
ということで、堅い真面目な書風は避けて、ちょっと肩の力を抜いた感じで書いてみた。
わたしはどうもまっすぐ正面を向いたお行儀のいい字が書けない・・
でも結構バランスは保っているように思うんだけど。。(・・って自画自賛)
文字には「顔」の向き、視線があって、右を向いている字、上を向いている字・・・
それらを感じて、次の字に向かうという瞬発力が「バランス」になっていくわけで。
たとえば、今日の書。
仰のつくりの下の空間が空いたので、之の重心を左に持っていって中心を保ち、
之と彌の弓へんが左に引っ張っているので、高の口の部分を右よりにし、
それでもまだ弓へんの最後のハネが左に引っ張ってるので、
鑽のつくりを下げることで、右へ引っ張る力を与えて
之と彌は上と同じにならないようにして、最後の堅は安定するようにして・・っと。
それぞれにあっちゃこっちゃ向いてるけど、中心は背筋が通ってるでしょ
・・ってまた自画自賛して今日は終わり~
自画自賛はよいことです
「哭」 45cm×90cm
「哭」とは、辞書によると大声で泣くこと、とある。
しかもこの「哭」は、かなり深刻な痛みを伴うよう。
大声を上げて泣くことはいいことだと思う
いいと言っても、実際に大声を上げて泣いているときはたいていは
悲しいか、悔しいかだから、敢えてするものじゃないけれど。
わたしなんかは、とことん泣いてすっきりなんてこともよくある
ただ翌日は頭痛に襲われて、使いものにならないことが多いけど。
(あれはなんでなんですかね? 脳に酸素がいかなくなるのかな?)
ことわざにこんなのがある。
~憂喜は心にあり。
喜怒哀楽はすべて心の持ち方次第。
悲しいと思えば悲しいし、うれしいと思えばうれしいってもの。
言いかえれば・・
悲しいオーラは悲しいオーラを呼び、うれしいオーラはうれしいオーラを呼ぶってこと。
たまには思い切り泣くのもいいけど、翌日の頭痛と顔のむくみを考えたら
憂喜は心にあり~!って、涙さんのお世話になるのは避けたいものですう
「哭」とは、辞書によると大声で泣くこと、とある。
しかもこの「哭」は、かなり深刻な痛みを伴うよう。
大声を上げて泣くことはいいことだと思う
いいと言っても、実際に大声を上げて泣いているときはたいていは
悲しいか、悔しいかだから、敢えてするものじゃないけれど。
わたしなんかは、とことん泣いてすっきりなんてこともよくある
ただ翌日は頭痛に襲われて、使いものにならないことが多いけど。
(あれはなんでなんですかね? 脳に酸素がいかなくなるのかな?)
ことわざにこんなのがある。
~憂喜は心にあり。
喜怒哀楽はすべて心の持ち方次第。
悲しいと思えば悲しいし、うれしいと思えばうれしいってもの。
言いかえれば・・
悲しいオーラは悲しいオーラを呼び、うれしいオーラはうれしいオーラを呼ぶってこと。
たまには思い切り泣くのもいいけど、翌日の頭痛と顔のむくみを考えたら
憂喜は心にあり~!って、涙さんのお世話になるのは避けたいものですう
みんなたっしゃでかぼちゃの花も (山頭火)
またまた山頭火・・
最近、絵手紙教室と書道教室でも山頭火を課題にしているのでね。。
文字を全体に散らすことで、楽しい雰囲気を出してみたかったのと、
「の」を丸くすることで、あったかい感じにしたかったのだけど、どないかしらん。
山頭火はひらがなが多いので、なかなかむずかしいです。。
↓ ・・で、ちょこっと絵を添えて。。 (かぼちゃに見えん!って?)
大好きな山頭火。
いつも自然と共に暮らしていた山頭火の、なんでもないつぶやきのような句は
「生きる」ことの原点を思い出させてくれます。
生きる原点・・と書いてから、はて何だろうって考えてみる。
(原点は辞書によると、物事を考えるときの出発点)
私が思い描いているしあわせな生き方、こんな風に生きられたらと思う原点は、
人と比べないということ。
人と比べないと、心が自由でいられる。
人と比べないと、素直でおおらかでいられる。
人と比べないと、自分も相手も信じられる。
人と比べないと、迷いや恐れ、焦り、怒りといった不安も訪れない。
人と比べないと、可愛らしくいられる。
人と比べないと・・・・・・・・・・・・・・!
「みんな達者でかぼちゃの花も」
いいなぁ。いいなぁ。
「みんな達者でかぼちゃの花も」
手をつないで踊りだしたくなる気がしません?
またまた山頭火・・
最近、絵手紙教室と書道教室でも山頭火を課題にしているのでね。。
文字を全体に散らすことで、楽しい雰囲気を出してみたかったのと、
「の」を丸くすることで、あったかい感じにしたかったのだけど、どないかしらん。
山頭火はひらがなが多いので、なかなかむずかしいです。。
↓ ・・で、ちょこっと絵を添えて。。 (かぼちゃに見えん!って?)
大好きな山頭火。
いつも自然と共に暮らしていた山頭火の、なんでもないつぶやきのような句は
「生きる」ことの原点を思い出させてくれます。
生きる原点・・と書いてから、はて何だろうって考えてみる。
(原点は辞書によると、物事を考えるときの出発点)
私が思い描いているしあわせな生き方、こんな風に生きられたらと思う原点は、
人と比べないということ。
人と比べないと、心が自由でいられる。
人と比べないと、素直でおおらかでいられる。
人と比べないと、自分も相手も信じられる。
人と比べないと、迷いや恐れ、焦り、怒りといった不安も訪れない。
人と比べないと、可愛らしくいられる。
人と比べないと・・・・・・・・・・・・・・!
「みんな達者でかぼちゃの花も」
いいなぁ。いいなぁ。
「みんな達者でかぼちゃの花も」
手をつないで踊りだしたくなる気がしません?
(半紙)
老子のことば「聖人居無為之事、行不言之教」より。
道を体得した聖人(人物)は、何もせず、
何も言わないで人々に教え導く、の意。
今週月曜日から、車通勤をやめて歩いて通勤を始めた。
ずっと前から自転車か徒歩通勤を~と思いつつ、
便利な誘惑に勝てずにいたけど、ガソリンの値上げをよいきっかけに
歩くと30分、ちょうどいい運動。
道すがら、季節の花やお散歩中の犬やら、車では気づかない
発見や出会いもあって、なんか楽しいかも~と、気分爽快
ただ・・これからやって来る真夏が少々不安だけど。。
からだは意外と単純で、たった数日歩いただけなのに、
いつも通りの寝不足の日々なのに、なんだか寝起きがいい。
これって、からだの巡りも多少よくなったっていうのと、
「歩いている」っていう、小さな自信と満足感がそうさせているのかも。
なんだかうれしくて、鼻歌を歌いながら歩いてる
たった「歩いた」だけなのに、気持ちまでウキウキしてる単純なわたし。
不言之教。
からだは正直で単純でエライのだ~!
車依存症の方々・・試してみてはいかがですかぁ~
↓別枠で、書展のご案内をしていま~す。
老子のことば「聖人居無為之事、行不言之教」より。
道を体得した聖人(人物)は、何もせず、
何も言わないで人々に教え導く、の意。
今週月曜日から、車通勤をやめて歩いて通勤を始めた。
ずっと前から自転車か徒歩通勤を~と思いつつ、
便利な誘惑に勝てずにいたけど、ガソリンの値上げをよいきっかけに
歩くと30分、ちょうどいい運動。
道すがら、季節の花やお散歩中の犬やら、車では気づかない
発見や出会いもあって、なんか楽しいかも~と、気分爽快
ただ・・これからやって来る真夏が少々不安だけど。。
からだは意外と単純で、たった数日歩いただけなのに、
いつも通りの寝不足の日々なのに、なんだか寝起きがいい。
これって、からだの巡りも多少よくなったっていうのと、
「歩いている」っていう、小さな自信と満足感がそうさせているのかも。
なんだかうれしくて、鼻歌を歌いながら歩いてる
たった「歩いた」だけなのに、気持ちまでウキウキしてる単純なわたし。
不言之教。
からだは正直で単純でエライのだ~!
車依存症の方々・・試してみてはいかがですかぁ~
↓別枠で、書展のご案内をしていま~す。
石川芳雲先生 が主宰される第7回書道蛟龍會展が、
6月10日(火)~15日(日)まで東京銀座画廊・美術館
(東京都中央区銀座2-7-18 銀座貿易ビル) で開催されます。
石川先生は、母の師でもあられた中平南谿先生の同門の、
尊敬する先生でいらっしゃり、同人の宮山一琴先生も蘭秀会展には、
毎年お越し下さっています
蘭秀会のみな様~
是非、お出かけくださいませ~
80cm×60cm
<ある日のひとりごと>
そっかぁ。。
スイッチが入らないと思ったら
コンセントを入れるのを忘れていたんだぁ
そこに差し込めば、いつでも電流は流れているのに
最近流行りの省エネ器具みたいに、思考も省エネにすると
気力も体力も感激も落ちていっちゃうんだな・・きっと。
まぁ、いつもスイッチはいつもONにしたままだと
疲れちゃうからねぇ。
ときどきOFFにして、必要になったときにまた充電すればいいさね。
いいのかなぁ・・こんな感じで・・と、たまに不安になりつつも
根は怠け者だからなぁ。。
が、しか~し。
思考を省エネにするにすると、ドキドキ感が減るような気がするから
せめてコンセントは入れたままでいこぉ~っとなのだ
ブックマークの「絵描きも言いたいこと 言いたい!」のおえかき先生のブログが、
お引越しして「絵描きのため息」として新しくスタート!とのことなので追加しました
前のはそのままで、今後はこちらから→ 絵描きのため息 とのことです。
ブックマークされている方はお手数ですが、変更をお願いします
<ある日のひとりごと>
そっかぁ。。
スイッチが入らないと思ったら
コンセントを入れるのを忘れていたんだぁ
そこに差し込めば、いつでも電流は流れているのに
最近流行りの省エネ器具みたいに、思考も省エネにすると
気力も体力も感激も落ちていっちゃうんだな・・きっと。
まぁ、いつもスイッチはいつもONにしたままだと
疲れちゃうからねぇ。
ときどきOFFにして、必要になったときにまた充電すればいいさね。
いいのかなぁ・・こんな感じで・・と、たまに不安になりつつも
根は怠け者だからなぁ。。
が、しか~し。
思考を省エネにするにすると、ドキドキ感が減るような気がするから
せめてコンセントは入れたままでいこぉ~っとなのだ
ブックマークの「絵描きも言いたいこと 言いたい!」のおえかき先生のブログが、
お引越しして「絵描きのため息」として新しくスタート!とのことなので追加しました
前のはそのままで、今後はこちらから→ 絵描きのため息 とのことです。
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